エピローグ
「お疲れ様」
開店前の中央酒場で、マスターはカウンターに座る蟋蟀にワインを出しながら言った。
蟋蟀は、悪いね、と言ってワインを傾ける。
「結局、円満解決したの?」
マスターの言葉に、蟋蟀は首を傾げた。
「まあ、セリエちゃんと誘拐されてた商人さん達は、エルロウさんのお薬で元に戻りましたねえ」
「相変わらず、万能出鱈目薬は健在ですか」
ただ、商人達と家出少女は変な薬を使われていたらしく、今現在エルロウの元で治療は継続している。
「首謀者のギズルは手足落としてやって、今はシャナさんのトコで取り調べ中ですし」
セリエが倒れた後、首謀者のギズルが生きている事を知ったシャナが、ファルシオンを抜き、「うふふふふ」と笑いながら近づいて行くのを、その場にいた騎士達全員掛りで必死に止めていたのはご愛嬌か。
その後、血のシャワーを浴びたかの如き、全身血塗れのレオニードが、取り敢えず館に連れて行き、取り調べをすべきと、珍しく正論を吐いていた。
「まあ、色々裏はあるかもしれないですねえ」
以前、シャナの言っていたゴアとの繋がりは今の所、明らかにはなっていないらしい。
まあ、繋がりの有無は分からないだろうと蟋蟀は思っていた。
そして、リックは未だレオニード邸には来ていないそうだ。
こちらは現在の所、捜索中だそうだ。
「今日は、これ飲んだら行きますんで」
「珍しいね。何かあるのかな?」
「セリエちゃんとのデートの約束があるんでね」
蟋蟀はジョッキをぐっと飲み干した。
「酒飲む約束だっけ?ウチで飲めば良いのに」
空になったジョッキを回収しながら、マスターがにやにやと蟋蟀に言う。
その表情に、うんざりした顔をする蟋蟀。
「あんたんトコだと、色々筒抜けになっちゃうでしょうが」
立ち上がり、大きく伸びをすると、蟋蟀は扉に向かって歩き出した。
扉を開けようと蟋蟀が手を伸ばすと、扉はその前に激しく開いた。
「蟋蟀はいるかっ!!」
絶叫に近い叫び声と共に飛び込んで来たのは、レオニードだった。
走って来たのか、全身汗まみれだ。
「忙しいんですが、なんか用ですかね」
蟋蟀の渾身の睨みも、今のレオニードには届かない。
「セリエと出掛けると聞いたが、本当かっ!?」
「それがどうかしたんですかね?」
「うちの大事なセリエを傷物にする奴は、例えお前でも許してはおけん!」
すごい剣幕で蟋蟀に迫るレオニード。
「もう約束しちまってるんで、その話はまた今度にしませんかねえ」
「そうはいかん!どうしても行くなら、この俺を倒してから行けっ!」
「あんたはセリエのお父さんですか」
後ろで笑っているマスターを睨み付け、蟋蟀は『貫』に手を掛ける。
「所であんた、今日の仕事はどうしたんで?」
「そんなもの、セリエの為なら全て置いて来た!」
胸を張るレオニードに、蟋蟀は溜息を吐いた。
「それでですかい。あっ、レオニード、後ろを見た方が良さそうですよ」
その言葉に、レオニードが反応するより早く、その首に細腕が絡みつく。
「レ・オ・二・イ・ド・様?」
シャナの顔が、レオニードの横に現れた。
笑顔だが、相変わらず目は全く笑っていない。
「何度お仕置きを受ければ分かって頂けるんですか?しかも今回はほぼ私用での外出。せめて私に一言あっても良いのではないでしょうか?ああ私の事などどうでも良いとおっしゃるなら仕方ありません。この場で首をへし折って差し上げますよ。それがよろしいでしょうか」
「そ、そん、なことはないぞ。それ、に、それで、は、が、外に、出れな、いでは」
絞め殺される直前の鶏の様な声で、レオニードは必死に言葉を絞り出した。
「当たり前です。貴方の為に滞ってる仕事も多くあるんです。この間の件で、暫く外出禁止と伝えたでしょう」
ニッコリ笑うシャナだが、やはり目は全く笑っていない。
「また落としてくんですかねえ」
レオニードの顔色の変化を見つつ、蟋蟀は言った。
「その方が、運びやすいので」
笑顔の奥の殺気は気のせいだろう。
完全に喉を捉えた腕を更に一締めすると、きゅっ、と鳴いてレオニードは動かなくなった。
「運んでくれますか?」
酒場の外に声を掛けると、二人の騎士が入って来て、レオニードを担いで行った。
「拷も、説教部屋に運んで、動けない様にしといてね」
「今、拷問って言いかけなかった?」
マスターの呟きに、蟋蟀は首を振った。
「蟋蟀さん、マスター、お邪魔したわね」
今度は普通の微笑みを浮かべ、シャナは軽く頭を下げた。
「それと、今日はウチのセリエを宜しくね。報告は後日で良いから」
イタズラっぽそうに笑いながら、シャナは出て行った。
蟋蟀とマスターは、顔を見合わせ、肩をすくめ合う。
「じゃあ、今度こそ行きますんで」
「その格好でいくの?」
マスターは、相変わらずの赤尽くめの蟋蟀の服を見て言った。
その言葉に蟋蟀はニヤリと笑う。
「格好、良いでしょう?」
蟋蟀の足のグリーブが、きい、と鳴った。
「まあ、予想通りかな」
街道を歩く男は、後頭部にピエロの面をつけたまま、呟く。
すぐ後ろを、二人の男が付いて歩いている。
ピエロ面の男は、微笑みながら徐々に遠くなるイグニスの街を振り返った。
「僕らとの繋がりは残してないし、今回は邪魔になりそうなギズルを処分して貰ったって事で、良しとしとくか」
調子の外れた口笛を吹きながら、ピエロ面の男は後ろ向きにしばらく歩く。
「よっと」
大して勢いも付けず、バク宙に捻りを加え、正面に向き直ると、ピエロ面の男は目を細めた。
「ただ、あの街には人が揃いすぎてるかもな。まさか、五十人使って無傷なんて、反則級だよ、ホントに」
そのまま歩き続ける三人。
ピエロ面の男の独り言は続く。
「リックが離れたのだけは、ちょっと予定外だな。あっちにくっ付かなきゃ良いけど、難しいよね」
その時、一羽の鳥がピエロ面の男の元に飛んで来た。
数回頭上を回ると、鳥は降りて来た。
その足には小さな筒が括り付けられていて、その中には小さな紙片が入っていた。
歩きながらそれに目を走らせると、ピエロ面の男は、指先から小さな火を出して紙片を燃やした。
「予定通りだね。少し、急ごうか」
ピエロ面の男がそう言うと、着いて来ていた男達は無言で頷き、歩くと言うよりは走るくらいの速さで去って行った。