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二章 一、 陽子さんの気まぐれ①

誤字訂正

誤…少しづつ 正…少しずつ

 

  静かな笑みを浮かべ、陽子さんは尋ねた。

  その言葉に、夢の光景が一瞬脳裏に現れた気がするが、すぐに霧散してしまった。


  夢を見たのは覚えている。だが、内容が全く思い出せない。鮮明に覚えていた気がするのだが、言葉にしようとした時には、跡形もなく消え去っていた。それでも、懸命に霧散した欠片をより集める。


「海の、夢…」


  掠れ、しゃがれた声で、ポツポツと答える。


「そこ、に、沈んでいく、夢」


  口元はうまく動かないのか、言葉が途切れがちになる。


「そこで、も、う一度、眠る、夢。これいじょ、うは、おぼえ、て、ない」


  単語の途中で途切れ、聞き取りにくい言葉を、陽子さんは嫌な顔一つせず、耳を傾ける。俺の方は、少ししか喋っていないのに、かなりの疲労を感じた。喉も渇いているのか、息をする度、気管に痛みに似た刺激が走る。


「そう。それが道夫さんの夢なのね」


  そう言って、陽子さんが俺の胸に手をそっと当てる。その際、何か石のような硬い物を押し込むように圧迫された。手で覆われているため見えなかったが、小石くらいの大きさだったろう。


  すると、その石らしきものが胸のうちにするりと貫通した。空気中に霧散したとか、陽子さんの手の中に消えた、と言う可能性もあったかもしれないが、あの感触は、皮膚を通り抜けて胸の中に入り込んだとしか思えなかった。

  胸の上にあった異物感が消え去ったことに思わず驚くも、長続きはしなかった。

  突如、胸の内側が焼けるような痛みに襲われたから。


「っが!」


  呻きに近い声が思わず漏れる。それに構うことなく、陽子さんは更に力を加えて、手を胸に押し当てる。胸の内に入れた何かを、体内に押し留める様に。

  その強さに比例して、胸の内側が更に耐え難い熱と痛みを帯びていく。そして、そこから波紋状に全身へと痛みと熱が広がっていった。


「…!」


  声すら出すことの叶わない痛みに、体が痙攣する。


  胸を掻き毟り、陽子さんの手を退けてしまいたいが、体が未だに動かないのか、はたまた痛みで動かせないのか。何にせよ、動かない体をこの時ほど恨めしく思ったことはない。


  喘ぐような荒い呼吸しか出来ない中で、何とか微かに動かせる首を陽子さんの方へ向け、懇願するような視線を送った。痛みのあまり、脂汗どころか、涙さえ浮かぶが、陽子さんは艶然と微笑むばかり。


  ならばと陽子さんの側に控えていたマヅドさんの方へ視線を送るが、こちらも特にその場を動く気も、助けてくれる気も無いようだ。興味深そうな視線をこちらに送るだけだった。



  一体何が起こっている!?


  混乱する思考と激痛で消えそうになる意識を何とか束ね、考える。


  体を変える際の副作用か? だが、陽子さんの話では痛みはないと言う話だった筈。実際、目覚めるまで一切の痛みを感じてはいなかった。

  では、今の状況はなんだ?

  一体、何をされている?


  冷静に考えようとするが、今までの痛みが児戯であったと言わんばかりの、未だかつて感じたことのないような激痛に苛まされ、思考が途絶える。

  意識は辛うじてあったが、そのことが逆に苦痛だった。いっそ気絶出来ればどれだけ楽であっただろうか。


  痛みで何度か呼吸が止まり、目の裏に星が舞う。何度か本当に気絶していたかもしれない。だが、痛みで否が応でも覚醒していた。


  体の内側を業火で燃やされ、切れ味の悪い刃物でズタズタに切り裂かれるような、想像さえしたことのなかった恐ろしい痛みに断末魔の悲鳴をあげる。喉の渇きによる痛みなど、意識になかった。喉が裂けても叫んでいた。叫ばずにはいられなかった。

  恥も外聞もあったものではなかった。失禁していたとしてもおかしくはない。それほどまでに、それは壮絶な痛みであった。


  痛みから逃れようと、必死にのたうつ。

  流石に陽子さんでは抑えきれなかったのか、マヅドさんが俺を取り押さえた。万力に等しい力で抑えられるが、足掻くことをやめることはなかった。その間にも、陽子さんは俺の胸を抑え続ける。これに一体なんの意味があるかは分からないが、すぐにでもやめて欲しかった。


  こんな痛みに耐えねばならないのなら、長生き出来なくとも良い。


  本気でそう思いながら、絶叫を上げ続け、のたうち回った。

  口をきける余裕があったのなら、きっともう止めてくれと哀願したことだろう。


  やがて、痛みが胸のうちに収束するような感覚が走る。


  一層激しさを増す痛みにのたうつが、マヅドさんが本気を出して抑えているためか、身動きが取れない。仰け反り、断末魔の叫びを上げながら、この苛責にも似た時間が過ぎ去ることをひたすらに祈った。



  耳が痛い。耳鳴りがする。周囲の音が聞こえない。頭も痛い。

  胸部に集まった痛みが凌駕しているが、体のどこかしこにも、未だに燻るような痛みが残る。心臓の鼓動が痛みに等しい。切に止まれ、と願った。それで死んでも構わない。むしろ、死んで終わるのなら喜んで死ぬ。そう強く思った。

  痛みのあまり、吐き気さえ覚える中、ひたすら耐えた。耐え続けた。


  そして、ようやく終わりの時を迎えるらしい。


  始まりの時同様、唐突に痛みは終わりを告げた。

  その代わり、今までなかった不快感が一気に喉元までせり上がるのを止められなかった。


「が、ぁ、ぐ」


  最早人の言葉ですらない、カエルの潰れたような声を出し、せり上がってきた不快な何かを吐き出した。


  二人は俺が吐き出すことを見越していたらしく、吐瀉物で窒息しないよう横向きにされ、素早く桶が差し出され、吐瀉物を受け止めた。


  ぴちゃん、と思った以上に音は可愛らしいものだった。


  これは、嘔吐した際に出る音ではない。ビー玉か何かを、水の中に落とした時に出るような音だ。


  不思議に思って桶の内部を見れば、そこは想像とは全く違うものがあった。


  三分目まで水を貼られた桶の中に、出来損ない蜻蛉玉のような、中に模様のある、小石ほどの大きさと形をした物が沈んでいた。


「お疲れ様、道夫さん。どう? 生まれ直した気分は?」


  茶目っ気たっぷりに、陽子さんが尋ねてくるが、答える気力はない。


  精神、体力共々限界以上に削ぎ落とされたのだ。全身には鉛を詰め込んだような重さと鈍痛がジクジクと続いているし、脂汗で湿った体が嫌に気持ち悪い上に、氷のように冷えている。指先どころか、瞼一つ碌に動かせそうにない状態だ。喉も叫び過ぎたせいか、ヒリヒリと痛む。


  陽子さんもそんなことは百も承知だろうに。本当、いい性格をしている。


「いや、おかげで面白いものが見れた。『これ』もおまけでも手に入ったし、良いこと尽くめだ。二人には感謝しているよ」


  桶に沈んでいた、出来損ないの蜻蛉玉を別の小瓶に移しながら、マヅドさんが上機嫌に話しかけてくるが、何のことか分からない。ただ、確実なことは俺の生まれ変わりにはマヅドさんも何かしら関わっていた、と言うことだ。しかも、利害関係のある形で。


  俺には価値が分からないが、俺が吐き出した出来損ないの蜻蛉玉には、それなりの価値があるらしい。小瓶に仕舞った後は、いそいそと彫物の施された小箱に納められていた。



「どういたしまして。いつもお世話になっているんですもの。これくらい、お安い御用よ」


  そうマヅドさんに答えながら、陽子さんが優しい手つきで俺を抱き起こし、水を少しずつ含むように飲ませてくれる。甘露、とは正にこのことだろう。五臓六腑に染み渡るようだ。

  やはり喉から出血していたようで、水を飲む度に沁みて、少し血の臭いがした。


  しかし、陽子さん。

  俺に水を飲ませてくれるのは大変有難いのだが、事情を説明して欲しい。それも、今すぐに。


  本当はくたくたですぐにでも眠ってしまいたい所ではあるが、痛みがひどく、とても眠れそうにない。それに、この状況などについてきっちりと知っておきたい。でないと、後が怖すぎる。俺の容姿がどうなったのかも気にかかる。


  声がまともに出せない状態であるため、非難する様に見つめれば、陽子さんはクスクス笑いながら「そんな顔しなくとも、ちゃんと教えてあげるわ」と答えた。


  陽子さんはやると言ったことは必ずやる女性ひとだ。


  俺は心して陽子さんの言葉に耳を傾けた。


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