一章 六、見納め
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驚きです。思わず我が目を疑いました(笑
読んで下さった皆様、本当にありがとうございます。
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これからも見守って頂ければ幸いです。
ここまでが、書溜め分(手直し含む)です。
以降は一から書き出すので、更新は不定期かつ、遅くなると思われます。
乗っている時は早いのですが(苦笑
これからも温かい目で見守って頂ければ嬉しいです。
マヅドさんに店の奥にある浴場まで案内され、ヒノキ造りの脱衣所に置いてあったタオルや替えのバスローブ、ついでに石鹸などのセットを藤の編み籠ごと渡された。本来はどれも有料であるそうだが、昼食同様タダにしてもらえた。
マヅドさんにも世話になり通しだ。それを言えば、気にするな、と言う気前のいい返事が返された。
「適応前の異世界のもんを見るのは初めてじゃないが、それを適応させるのを見るのは初めてだ。それの見物料とでも思えば安いもんさ。それに、宿代は後できっちり貰うしな」
それから注意として、浴槽はマヅドさんや魔女や魔人の使役する異形の使い魔でも入れるようになっているため、かなり深いらしい。丸い枠組みの浴槽が一番深くて、5mほどあるらしいので、それ以外の浴槽に入るよう指示された。ただ、そうは言っても他の浴槽も人間サイズではかなり深いので、うっかり普通の風呂だと思って入ると、溺れかけるとのこと。立って入らないと、沈むこと必至だそうだ。
マヅドさんのありがたい忠告を聞き、俺は浴場へ足を踏み入れた。
中は石畳のタイルに、高いガラス張りの天井、広々とした浴槽が備えつけてあり、それぞれ檜のような香りの良い木材や大理石のような石材、露天風呂のような石積で枠組みを作られていた。一番深いのは大理石っぽい物で枠組みを作られている浴槽だと聞いたので、入るとしたら、木か石積の風呂の方だな。
シャワーなどもそれなりの数が備えつけてあった。十人くらいなら、一度に入れるだろう。浴槽自体も広いし、それくらい入れそうだ。
なんだか、この内装を見ていると昔高校の合宿で行った、山の温泉を思い出す。先生の知り合いがやっており、シーズンオフやお客さんがあまり来ない日に合わせて、合宿でよく利用させてもらったな。部屋は大して綺麗じゃなかったけど、温泉は良かった。ただ、ここほど天井は高くなかったし、あんなバカでかい浴槽はついていなかったけど、ガラス張りの天井から光が入るところはよく似ていた。あの光が好きで、朝練の後に学と藤也とよく連れ立って入りにいったものだ。
あの二人とは、中学の頃からよくつるんでいた。社会人になってバラバラになっても、月に一度は小旅行を兼ねて、お互いのとこへ行って飲んでいたな。
学は一番早く嫁さん貰いやがって。しかもあんな可愛い奥さんを。あんな石みたいな顔をしているくせに。そう言って茶化してやれば、俺は山椒魚、藤也はコッペパンみたいだと返されたものだ。ひどい言われようだが、実際似ているし、文句のつけようがなかった。
この世界へ手違いで呼ばれた時点で、もう会えないだろう友人達との他愛のないやりとりが、止め処なく溢れる。
この体の見目を変えたら、流石にあいつらでも分からないだろうな。
そんなことをぼんやりと思う。
いかんいかん。こんな程度で弱気になるな、自分。
バッと桶に溜めたお湯を頭から被り、気持ちを切り替える。
姿を変えなきゃ、まず生き残ることさえ出来ないのだ。しっかりしろ。陽子さんに頼んだ時の気持ちを思い出せ。今になって憂鬱になるなんて女々しいぞ。
そう自分に喝を入れるように、二度、三度とお湯をかぶる。温度の調節も出来るので、少し熱めのお湯にしてかぶった。
それに、悪いことばかりではない。
あの腹黒王女達とも完全に縁が切れるし、チート持ちの子らに追い回せられることもなくなるのだ。これだけでも、大分生きやすくなる。少なくとも、無実の罪でビクつく必要がなくなるのだから。それに、真っ当な職を得ることも出来るだろう。王家に楯突いた人間ではなくなるからな。
うん。清々する事柄だ。未来に希望が持てる。
また、陽子さんは見目の保証は出来ないと言っていたが、健常にはしてくれると言っていたではないか。それだけでも、メタボ気味の俺からすれば、十分な報酬だ。健康に勝る財産はないからな。それに、この世界、どうにも体育会系が重宝されてそうだし、健常なだけでも助かるだろう。
しかも、陽子さんから自衛に使えそうな能力を貰えると言うではないか。どんなものかを想像するのも悪くない。やはり、王道の剣術とかそんなものだろうか? それとも、狩りなどで使えるようなものだろうか?
そんな、少年の日を思い出すような思いで様々なことを想像してみる。
うん。そう思ってきたら、心持ち気分が良くなったな。
俺は早速体を洗う。普段ならば十分もせずに終えるのだが、今日ばかりはそうもいかない。なんせ陽子さんに見られるのだ。普段以上に念入りに洗う。それに、三十八年連れ添った、この姿の見納めでもあるのだ。
自然と、己が顔付きや体を見てしまう。
決して見栄えの良い外見ではなかったが、俺の人生そのものだ。例えば、今では弛んだ体。昔はかなり筋肉がついていた。小学生の頃から、足はそこそこ早かったため、中学、高校は陸上部に入っていたのだ。その際、短距離と槍投げの選手として、トレーニングを積んでいたから、かなり引き締まっていた。今ではたるんだ一段腹だが、当時は腹筋もバキバキとまではいかないが、それなりに割れていたのだ。
朝練の時に作った、ハードルに引っかかった際に出来た太ももの古傷。転んだ際にスパイクが引っかかり、恐ろしく痛かったな。槍投げのために握力を鍛える時に出来た、掌に残る多くのタコやマメ。真夏の日焼けの跡や、社会人になってからよく同僚と飲んで大きくした下腹。髭を剃るとき、毎日見ていた、昔から変わらない、山椒魚に似ている気がする、どこか眠そうな顔付き。学生時代に比べ、後退し始めた生え際。髪は未だに黒いが、いつ白髪が出始めるか恐々していたものだ。
それらが全て、今となってはどこか愛おしさを感じる。
きっと、もうすぐ跡形もなく消え去ってしまうからだろう。
これが「中澤 道夫」としての原型が残るものであるのなら、こうも感慨に浸ることもなかっただろう。流石に、そこまでナルシストではない。しかし、俺がこれから行ってもらおうとしていることは、「中澤 道夫」としての全ての特徴をこの世から消し去ろうとしているのだ。生き残るためとは言え、やはり一抹の寂しさは残る。
うむ。これはいけない。どうにも思想が暗くなりがちだ。
明るいことを考えよう。そうだ。鈴鹿が来るのだ。相棒と一緒なら、どんな姿でもやっていける。それに、鈴鹿の世話をどうやっていくかも考えなければならない。水草や水の質などを調べる必要があるな。あと、餌もキチンと確認しておかないと。
鈴鹿との今後は大変かもしれないが、嫌な気分にはならない。むしろ、楽しみだ。地球にはなかったもので、水槽を彩ってやろうと言う気概が湧いてくる。
鈴鹿のことを思い出すと、心が軽くなるのが分かった。たかだがペットの存在でこうも一喜一憂するとは情けないと言うことなかれ。自身がどう変わるか分からないからこそ、変わらない何かがあることで安心出来るのだ。
十分に体を洗った所で、深いから気をつけろと忠告された湯船に手を浸す。うん。少し熱めの、いい塩梅だ。地元の足湯を思い出す。滑らないようゆっくりと足を入れ、檜のような香りの良い材木の浴槽の湯に浸かる。
「どんなものかな? って、おぉ、これはまた深いな」
確かに深い。浴槽内部にある、一段しかない階段を降りた後は、立っていても、顎が湯にかかるほどだ。口に湯船がつくかどうか、の瀬戸際であろう。これは浸かってられないな。
泉質は源泉の温泉みたいで気持ち良いのだが、残念だ。
折角なので、もう一つの風呂も試しに入ってみよう。
「熱っ!」
少し手を入れ、すぐさま引き出す。熱い。恐ろしく熱い。お湯に浸した手が真っ赤になっている。
草津温泉ばりに熱い。いや、それ以上か? これは無理だ。普通の風呂であるならばゆっくりと体を慣らしながら浸かっただろうが、ここではそれは出来ない。いくら浴槽内に階段(どうせ一段しかないだろうが)があったとしても、とても浸かっていられない。それほどまでに熱い。最早自殺行為に等しいだろう。
口直しではないが、先程の檜っぽい浴槽の風呂でもう一度全身を浸からせてから上がろう。あまり長くは入れないが、良い湯であるのは確かだから。入っておかないと勿体無い。
いや、待てよ。
ゆっくり浸かれるかもしれない。
今気付いたのだが、足掛け用の一段目はそれなりに幅があったのだ。そこに腰掛ければ、問題無く浸かれる気がする。流石に肩まで浸かるのは幅と深さ的に無理があるが、半身浴なら問題なく出来るだろう。
早速試してみれば、難なく浸かれた。
これは良い。肩まで疲れないのが残念ではあるが、酒を飲んでいたから、ある意味身体的には良かったかもしれないな。桶で掛け湯をしながら、のんびりと心ゆくまで浸かった。
とは言っても、流石に長居をし過ぎるわけにはいかないので、適当に切り上げるが。
何せ陽子さんたちが待ってくれてるからな。
身体が温まったのを実感してから、湯船から上がる。
風呂は命の洗濯と言うが、至言であろう。実にさっぱりとした心持ちだ。容姿が変わることへの不安も、いつの間にか溶け出し、消えていた。とても前向きな気分だ。
浴場を後にし、誰もいない脱衣所でバスローブに着替え、改めて消えゆく自身の容姿を見納める。今までありがとう、と小さく呟き、鏡から目を離し、脱衣所を後にした。
二人のいる場所は先に伝えられていたので、迷うことなくそこを目指す。
吹き抜けの階段を登り、二階の真ん中にある、六枚の花弁を象ったプレートを掛けられた扉の前に立つ。ここが指定された部屋だ。
扉を始めとした周囲の作りも良く、ペンションの一室にも思える。しかし、扉は引戸だ。それなのに、どこか北欧テイストを感じさせるデザインである。
また、人外の使い魔やマヅドさんでも出入り出来るサイズであるためか、普通のホテルよりも扉の大きさがある。おそらく、部屋自体も広いのだろう。風呂の深さだけで5mを必要とするような者が入るのだ。かなりの大きさだろう。
何度かノックをし、入室の許可を取ってから扉を引き中に入る。
中は、思ったほど広くはなかった。
いや、これでは誤解を招くな。
5m程の大きさの者でも宿泊出来るくらいの広さかと思っていたが、そうではなかった。しかし、人間が泊まるのなら、十分な広さを持っている。泊まったことはないが、旅行雑誌などで見る、スウィートルームくらいはありそうな広さだった。
俺の住んでいたアパートより広い。
ちょっとだけ、ここの宿泊料金が恐くなった。
払える額だよな、ここ?
王宮から貰った硬貨で事足りることを密かに願う。
外観と中の広さが釣り合っていないように思ったが、異空間にある店なのだ。そこまで気にすることもないか。
きっと摩訶不思議な仕組みと構造を持っているのだろう。そんな風に一人で納得しながら、内装に目をやる。
内装も、北欧のテイストを感じるものかと思ったが違った。
いや、元来はそうなのだろう。所々見受けられる家具の類いは、そんな感じだ。
ただ、今回は俺の体を変えると言う魔法を使うためか、部屋の内装が少々いじられているのだ。そのため、少し雰囲気が違って見えるのだ。
ベッドを中心とし、そこから波紋状に魔法陣が描かれたシーツらしき物がインテリアの如く鎮座しているので、爽やかさよりもシックな感じが出ているのだ。パッと見魔法陣が描かれていることが分からなかった程、かなりデザイン性がある。正直、インテリアの一部だと言われても納得出来るレベルだ。よくあれが魔法陣だと気づけたな。自分を褒めてやりたい。
そんな部屋の中でマヅドさんと、体のラインにぴたりと合った、フリルなどの一切付いていない黒いドレスに着替えた陽子さんがいた。
魔法陣よりも何よりも、陽子さんと言う存在で部屋の雰囲気が違って見えたのだろう。それほどまでに、視線が自然と吸い寄せられる。
陽子さんが身にまとっているドレスは露出の殆どない、首元までを隠すタイプのもので、首から上と手首が見える程度だ。
髪の毛もドレスに合わせて下ろされてあり、その艶やかな癖のない黒髪が、陽子さんの肌の白さを一際際立たせる。この場の雰囲気と相まって、一層神秘的で妖艶とも言える色気が感じられた。
この人ならざる美を纏う陽子さんを見て、陽子さんは本当に魔女なのだと改めて実感した。
「随分早かったのね。もう少しその姿と別れを惜しんでも良かったのよ?」
「いえ。ちゃんと見納めをしてきたので大丈夫です。風呂にもゆっくり浸かれましたし。
それに、あまり見ていてもなんだか踏ん切りがつかなくなりそうだったので」
最後の方のセリフをわざと茶化すようにして言えば、それもそうね、と静かに笑みを浮かべられるだけだった。
「それじゃあ、今から道夫さんの体を変えるわ。ここのベッドに横になってくださる?」
黙って頷き、促されるままに魔法陣らしきものを四隅と中心に描かれたベッドに横たわる。ついでにバスローブもこの時に脱ぐよう指示されたので、全裸である。陽子さんの前だと思うと、少し恥ずかしい。オッさんの心は繊細なのである。
「目を閉じて」
言われた通りに閉じれば、陽子さんのやわらかな手が瞼をそっと覆うのが分かった。
「今から道夫さんの体を変える魔法をかけるわ。呪文を聞いているうちに眠くなるでしょうから、気にせず眠ってね」
俺が頷くと同時に、不思議な響きを持った言葉が滔々と紡がれるのを聞いた。それは歌の旋律に似ている気がした。陽子さんの明朗とした声が、俺の体の中に入ってくるような感覚がする。それは不快感を伴うものではなく、湯船に浸かるような、体に残った気だるさを徐々に取り除かれていくような感覚であった。
呪文は段々と朗々とした調子で語られるようになり、それに合わせて俺の意識は途切れがちになる。そして遂には微睡みの中でゆっくりと途切れていったのだった。
次に目覚める時には、俺の、「中澤 道夫」としての名残はもうどこにもないだろう。
そんな確信を抱きながら、俺は意識を手放した。
H27.6.6 誤字があったので訂正しました。
誤…必須 正…必至
H27.7.19誤字訂正
誤…降ろして 正…下ろして