一章 五、下準備
今回はここまで。
主人公が異世界で本格的に生活を始めるまで、まだかかります。
ヒロイン(?)である金魚の鈴鹿の登場もまだ先です。
気長に待って頂ければ幸いです。
今後の生活と、追手を放たれていると言う眼前の危機などを考えた末、陽子さんのお願いを聞くことにした。自身の容姿がどのように変わるのか分からないのが、少々不安ではあるが仕方ない。
陽子さん曰く、実際に手をつけるまでは分からないそうだ。
そのため、もしかしたら、とんでもない醜男になるのかもしれないが構わないかと問い返された。
「えぇ、構いません。どうか適応出来る体に変えてください」
きっぱりと言い切り、陽子さんに再度頼み込む。
体を変えねば、この世界に適応出来ずに早死にするのだ。ここは覚悟を決めるしかないだろう。それに、あまりに酷い顔なら隠せば良いだけの話だ。女ではない上、それなりの年なのだ。まだまだ女性とも楽しみたいが、だからと言って、顔の良し悪しで一々一喜一憂もしていられない。
まずは生き残ることが先決なのだから。生きてさえいれば、後はどうとでも出来るだろう。
それに、陽子さんは自衛の能力もつけてくれると言っていた。それがあるのなら、いくらかは生きやすいだろう。後は己で考えるのみ。ここまで頼っておいて今更だが、あまり陽子さんに頼りっぱなしなのも、良くはないだろう。
その旨を伝えれば、陽子さんも同意してくれた。
「私、道夫さんのそういうところが好きよ。適応する体の見目は保証出来ないけど、出来るだけ腕によりをかけるから、健常な体にはなるわ。その膨らんだお腹とは、今日でおさらば出来るでしょうね。でも、食生活とかに気をつけないと、すぐに元どおりになるわよ?」
「はは。肝に銘じておきます。それと、髪の毛も健常な状態にして欲しいのですが。最近生え際が心許なくて」
「ふふ。分かったわ。任せてちょうだい」
そんな他愛もないことを交わしながら、準備を開始する。
まず、逃走に必要な偽物作りから。
陽子さんがマヅドさんに用意してもらった水桶に、何やら呪文らしきものを唱えながら、同じく用意された水差しの水を注ぐ。更に荷物から取り出した、小瓶に入った透明な液体を数的垂らす。すると、無色だった水が毒々しい紫になり、そこから徐々に色が変化して、最後は空色になった。
その空色の水を俺の影に垂らす。桶の水を全て注いだので、床がびしょ濡れになるかと思ったが、影に触れた途端水はスライムのように固まり、そのまま俺の影の形に固まった。それを陽子さんが床から剥がし、空いていたテーブルの上に置く。そのまましばらく置いておけば、俺の偽物が完成するらしい。思ったより簡単な作業なんだな。
しかし、それは陽子さんだからであって、他の魔女や魔人(魔女の男版の呼び名。魔法使いや魔術師とは呼ばないらしい)ではこうも上手くはいかないとのこと。異空間に店を構えているため、マヅドさんの店には魔女や魔人がよく訪れるらしい。その際に魔法なども色々と見せて貰っているが、人形作りに関しては陽子さんが断トツで上手いとのこと。
意外な情報に驚くが、良い情報だ。陽子さんを疑うわけではないが、やはり、比較対象がないと出来に関しては不安だったから。
そうこうしているうちに俺の偽物が出来た。
格好から何から、そっくりそのまま再現されていた。今日こさえたばかりの靴擦れも完璧に再現されている。これは見分けがつかないだろう。本人でさえ、あまりの再現度に驚いているのだから。
それをマヅドさんが抱え、陽子さんが作った魔法の扉を開ける。扉の先は、先ほど通った、怖い男達がいた路地裏だった。この様に空間を繋げて、陽子さんは各世界を巡っているらしい。
スラムへと空間を繋げた魔法の扉を開け、マヅドさんが偽物の人形を放り投げる。実に豪快だ。片手で軽々と放り投げた。今更隠す必要もないから言うが、俺は小太りの中年だ。自分で言うのも何だが、見た目もあまり冴えた方ではないだろう。髪の毛も年々後退しつつあった。体重は70kgはあっただろう。それを何の苦もなく、片手で持ち上げ、あまつさえ放り投げるとは。マヅドさんの馬力の凄さを実感するする。あと、投げ捨てられた我が身に同情を禁じ得ない。いくら偽物の人形であるとは言え、もう少し丁寧に扱って欲しい。
この後すぐに扉は閉められたが、どうなったかを確認しておくため、空中にスクリーンの様なものが展開され、そこで俺の偽物人形がどうなったかを確認した。
スクリーン越しに、瞬く間にどこからか現れた浮浪者達に身ぐるみを剥がされた我が身を見た。いや、あれは素早い。そして滅茶苦茶荒い。生きていたら、怪我の一つや二つ、確実にこさえていることだろう。実際、何箇所から出血しているし、打ち身などでは済まない痛々しい痣が出来ている。
色々と言いたいことはあるが、これで偽物の設置は完了だ。後は追手が身ぐるみを剥がされた偽物人形を発見するのを待つだけだ。
ここまでの作業で、ものの十分とかかっていない。なんとも無駄のない行程だった。
「それじゃあ、次はお待ちかね、道夫さんの体をこの世界に合わせたものへと変えるわ。
でも、それは時間がかかるから先にお昼を食べましょう?」
その提案に同意し、俺達は少し遅くなったが、昼食を頂いた。
陽子さんが言っていた通り、ここの料理は実に美味かった。
メニューは異世界情緒に溢れたもので、オールと言う、ロブスターサイズのダンゴムシの親戚みたいなやつの丸焼きに、干しスライム・歩きキノコ・ぶつ切りにしたバジリスクに香草と野菜をたっぷりと入れた鍋、黄金麦で作られた柔らかいパンに、バター、スーラと言う柑橘系の果実で作ったワインらしきものを振舞われた。
見た目はアレだったものの、食べてみるとどれも美味い。確かに味付けの仕方は日本とは違うものであったが、悪くないものだった。
特にダンゴムシの親戚は抜群に美味かった。思わずお代わりを頼んでしまったほどだ。エビよりも濃厚な風味が口いっぱいに広がり、味噌の部分もほのかな甘味とコクがあり、非常に美味だった。
この世界に召喚される直前まで、決算の前後で忙しかった。そのため、スーパーの惣菜とおにぎりや菓子パン、インスタントラーメンなどと言う貧しい食事事情であったため、余計美味しく感じる。
柑橘系で作られたワインもどきは、甘みよりも酸味が際立つ、カクテルのような味わいだった。悪くはないが、あまり量は要らないな。
また、デザートにプリンが出たのが嬉しかった。スーパーでもたまに買うのだが、味わいが断然違う。
「精霊退治に必要な道具は、転送用の魔道具を渡しておくから、それを使って補充してちょうだい。壊れた場合も、この魔道具で返還してくださると助かるわ。
一応、こっちの人にはバレないように使ってね?
精霊退治に使用した用紙は、基本好きにしてくださって結構よ。飾るなり、なべ敷きにするなりご自由に。かさばるようなら転送用の魔道具で送ってもらっても構わないわ。
そうそう。退治した精霊の数や種類によって、こちらからも褒賞が出ることもあるの。送るとしたら、幾らかまとまった状態でお願いしますわ。そうね。十枚から二十枚くらいだとありがたいわね」
各自食後の一服を堪能しながら、精霊退治の詳細を伝えられる。
使用済みの用紙を手元に残して良いのは、正直嬉しい。
元から絵画や美術品が好きな方で、美術館や博物館に足を運んでは、目録や絵画の写しなどを購入していた。部屋にはかなりの数があることだろう。また、写真集も好きで、こちらも部屋に大量に置いてある。
使用済みの用紙に現れる絵柄は好みなので、気に入ったものを残せるのは嬉しい。
しかも、送ったら送ったで、褒賞もあると言う。
俄然やる気が出ると言うものだ。
「そうしたら、そろそろお腹も落ち着いたと思うし、お風呂に入ってきてくださる? 体を適応させる魔法を使う際には、全裸になってもらうから、綺麗に洗ってくれなきゃダメよ?」
さらりとすごいことを宣告された。聞き間違いだろうか? それとも、言葉の綾とかそんなものなのだろうか?
「いいえ? 言葉の通りよ? 病院の手術だって、執刀する箇所は何も身につけていないでしょう? 魔法だって同じよ」
陽子さんの説明に納得するも、やはり、年頃の、しかも陽子さんのような美女に裸を晒すのは少し抵抗がある。しかし、ここでうだうだ言うのも女々しいので、陽子さんに全てを任すことにする。
裸を見られるくらいなんだと言うのだ。命の方が大事だ。
そんな微妙とも取れる決意を固め、浴室へ向かうのだった。
誤字があったので訂正しました。