四章 三、村(ウッタ)での朝
村で過ごすようになって、三日目の早朝。
窓から見える空は未だ夜に等しい暗さを抱いている。だが、一時間と経たない内に明るみ出すことだろう。そんなことを寝ぼけた頭で思いながら、隣で寝ている鈴鹿を起こし、灯石(光量を含め、スタンドライトの様な物)を軽く叩く。そうしてそこから溢れる光を頼りに身支度を始めれば、その光と物音に釣られるように、のそのそとセイヤとイザーク達も起きてきた。
ちなみに、今俺達が居るのはレーフラに割り当てられた雑魚寝小屋だ。床は剥き出しの乾いた土で、その上に直接 簀のような簡易な組み立て式のベッドが設置されており、その上に藁と毛皮をひかれているだけだが、案外寝心地は悪く無い。ノミとかを気にしなければ。尤も、気温が低いため言うほどいないが。
用意してある分でも足りずに寒いのであれば、自前の寝具を追加で使うか、新たに狩などで毛皮を得る様にと言われた。今の所、用意されている分で事足りているので、補充する必要は無さそうだ。
こうして俺達が同じ場所で寝ていることから分かる通り、寝場所をわざわざ男女で分ける様なことは、この村ではしない。あくまで、連れ合い同士で分けられるだけだ。同じ群れで来たのなら、同じ群れで生活しろ、と言うことらしい。
「おはよう。二人共。セイヤ、腕の調子はどうだ?」
「おはよう、ラーヴァさん。それにファリアさんも。腕の方は解毒剤を塗りきったから、大分良くなっていると思う。痣はまだ残っているけど、痺れとかは感じないし」
セイヤ達の挨拶に鈴鹿は会釈で返す。これでもまだ慣れた方だろう。以前は視線をやるだけだったのだから。日々、鈴鹿の成長が見てとれるのが嬉しい。
そんな挨拶の様なものを返しつつ、セイヤは実際に腕を動かして見せた。昨日よりも滑らかな動作で右腕が動いているのが見て取れる。指先の動きも、一昨日に比べ、引きつったような感じは見受けられない。痣はまだ色濃く残っているが、それでも、毒を受けたにしては治まるのが早い様に思う。若いからだろうか?
何にせよ、健康なのは実に良いことだ。
そんな感想を抱きながら、セイヤの実技混じりの報告に「そうか」と短く返しておく。
「なら良い。だが、異変を感じたら早めに伝えてくれ」
「うん。そうさせてもらうよ」
そうセイヤが朗らかに答える頃には俺と鈴鹿の身支度は終えたので、先にメレーロの待っている倉庫へと向かう。朝食を終えた後にそのまま作業へと移るため、いつもそこで食べているのだ。
「おはよう、先輩。今日も早いな」
倉庫の中には、今しがた来たばかりなのだろう。
メレーロが倉庫内を暖めるため、囲炉裏に火を起こしていた。
「当ったり前だろ。俺はテメェらの先輩だぞ。後輩が先輩より先に手をつけられると思ってんのか?」
囲炉裏に火が灯るのを確認しつつ、そんなことをメレーロは告げる。
先輩、要は年長者などが仕事にしろ何しろ、物事の最初に手を付けるのがこの村、いや、大抵の南部で当たり前の「特権」なのだ。なので、今のメレーロの様に、厭うどころか嬉々としてやってくれる。実に有難いことだ。
「今日はアラの粕汁か。ネギとかを入れても美味そうだな」
さり気なく具材のリクエストを入れながら、朝食の支度を手伝う。
メレーロが鍋に水を注ぎ、酒粕の塊を幾つか千切って用意している間。
俺と鈴鹿は米粉とヨモギのような香りの良い、乾燥させたツーアの葉の粉末を蜂蜜や水と一緒に混ぜ合わせ、クックと呼ばれる草団子を作る。
大きさは大体草餅ほど。これは後で蒸したり焼いたりして食べるのだ。また、そのままで食べたりも出来る。野郎ばかりで食い気が半端無いので、大量に作らないとあっと言うに無くなってしまう。
麦飯だとか米の方が一気に炊けて楽なのだが、いつでも持ち運べて小腹が空いた時に食べれるクックの方がここでは重宝されている。何より、ツーアの葉を効率良く摂取するにはこれが一番なのだ。昨日食べさせてもらったが、クック以外の製法で食べるとクソ不味い。
あまりの不味さに、もう二度と口にするものか、と固く誓いを立ててしまった程だ。
しかし、この村において、ツーアの葉は必ず食べねばならない。
それが、最初の挨拶で聞かされた決まりの一つだから。なので、何が何でも食べなければならない。幸い、村の者達も、クック以外の製法ではツーアなんて口にしないから、あんなゲロ不味いものをもう一度食わずに済むので気は楽ではある。
ちなみに、「ツーア」とはその葉の形が雫に似ていることから、「草の姿を取った水」と言う意味を持つ。
このツーアを食すると言う事は、水辺に住まう精霊に加護を与えて貰うための目印を自らに刻み込むことであり、また、水辺の精霊達に害意は無いと言うことを示すための儀式でもある。要は、験担ぎの様なものなのだ。
だが、それに加え、更に重要な意味がある。
水辺やその周辺を住処とする毒蛇や毒虫、そこに生い茂る毒草の毒を中和する薬草でもあるのだ。水辺やその周辺で狩や漁をしているこの村の猟師達からすれば、決して欠かすことの出来ない代物である。
しかも、日頃から食べていないと効果を発揮しない。挙句、クック以外の製法で体内に入れても、また、軟膏にして外部から摂取しても、殆ど効果を発揮しないと言うオマケ付きだ。
なので、ツーアを美味しく食べられるクックは食卓だろうがどこだろうが、食事の際には必ず腹に入れる一品なのだ。下っ端はこれをひたすら作るのが役目の一つでもある。作り置きも出来るからな。
「メニッギ(淡水魚の一種。淡白だが今の時期は脂が乗っており美味い、とのこと)のアラだから何でもいけるけどよ、ネギはダメだ。今の時期のメニッギはネギを入れると毒を持つからな。死にはしねぇけど、クッソ不味くなる。ツーアには劣るけどよ」
俺のリクエストにメレーロは頭を振った。時期によって食い合わせが変わるのか。知らなかった。この村に来てから、地味にそんな知識が増えていく。とは言っても、当たり前のことではあるがメレーロ達の様に詳細に見分けがつく訳では無いので、実物を見ても判断はつかないのだが。
とりあえず、だ。不味くなるのは嫌だな。しかも毒とまで言われている。心の底から遠慮したい。
「それは口にはしたくないな。他のものだと、何なら合うんだ、先輩?」
「そうだな。そのままでも十分美味いんだけど、入れるなら木の芽とかか? ュトウの根っことかもホクホクして美味しいし。後は、先に早茹でしたゲーの花や蕾とかをぶっ込んだやつとかもいいな。アレも中々美味いぞ」
そう思案しながらも、手早くアラを洗って血など味が悪くなる部分を綺麗に落とし、香ばしい香りが立つまで炙る。炙ってから煮た方がより美味しくなるのだ。
「へぇ? ゲーの花や蕾を食うのか。食べたことが無いな」
俺の言葉に、メレーロは意外そうな顔をした。
「何だ。お前ら食ったことねぇのか? 勿体ねぇな。よし。じゃあ、粕汁にはそれを入れるか。北部の奴ら、ゲーの花の見分けはつくよな?」
「あぁ。セイヤに関しては問題無いな。摘みに行かせるのか?」
「ここの分は手が足りているからな。って、あー。お前とお前の女が一緒じゃねぇと動かせないんだったよなー。くっそ、面倒だな。ったく、ジジイめ。余計な仕事を押し付けやがって」
そう言ってメレーロは渋い顔をする。
仕事を割り振るって大変だもんな。しかも、俺が鈴鹿と一緒でなければ仕事は請け負えない、なんて無茶な要求を通しているから、尚更だろう。結構その場しのぎのデタラメに近かったのだが、渡りと言う特殊な身の上のおかげで通してもらえた。
尤も、そのせいでメレーロは余計に大変なことになってしまったようだが。それでも、こればかりは譲れなかったので、撤回する気は微塵も無い。
済まんが、頑張ってくれ。メレーロ。
そんなことを内心で詫びつつ思っている内に、セイヤ達もこちらに来た。途中で誰かに持たされたのか、投擲用の網を抱えていた。
「おはよーございます、先輩。これ、アズゥードゥさんって人から修理してくれ、って言って渡されましたよ」
そう言って、一抱え以上もある網を玄関先の広い土間に下ろした。その際、ズシン、と見た目以上に重い音を響かせて。この網、見た目からは判断し辛いが、水をたっぷりと吸っているせいで相当な重さを誇るのだ。
しかし、そんな物をセイヤは難なく持ち運ぶ。相変わらず、見た目にそぐわない剛力だ。毎度のことながら、凄いなぁ、とありきたりな感想を抱いてしまう。ちなみに、この米俵一俵どころか、三俵分は確実にあるであろう重さの網を、自在に持ち運べて初めて一人前とされ、漁の船に乗ることを許される。
北部の人間なら、まず無理だな。イザークは1mmも持ち上げられなかったし。大の男でもかなり難しいだろう。現代人にはあまり馴染みは無いけど、一俵って相当重いからな。力自慢の力士でも、三俵を一度に持ち上げるのはかなりの厳しいと思う。
また、狩に関しても、一人前と認められるにはまた別の条件があるそうだ。メレーロはまだどちらも出来ていないため、こうして半人前として下っ端作業に従事しているのだ。本人はかなり渋々ではあるが。
この時点で、北部の成人男性どころか、下手な騎士や冒険よりもよっぽど剛力なんだけどな。
非常に重いが、船上ではこれ以上に重くなった状態の網を使いこなせねばならない。この程度の重さでヨタつく様では、船の上では邪魔だと言う。ちなみに、俺は普通に持ち運べた。出来てしまったことに、他ならぬ俺自身が一番驚いた。
見た時は絶対無理だと思ったのだが……。鈴鹿も持ち運び程度なら難無くこなしていたしな。尤も、鈴鹿の場合は水の魔法も駆使して重さを減らしていたらしいが。
陽子さんが作り直してくれたこの体は、本当に色々とこちらの予想を遥かに上回る性能を発揮してくれる。おかげで、まだまだ俺自身がこの肉体を把握し切れていないのだと言うことがよく分かった。
ここで過ごしながら、ちょっとずつ把握していければいいが。
とりあえず、一応持ち運べはするものの、扱いの方は流石に上手くいかなかった。まぁ、当然だろう。初めて手にする道具をいきなり使いこなせるられるのなら、誰も苦労はしない。
しかも、普段使わない筋肉を使ったおかげか、半日扱っただけで地味に筋肉痛に苛まされた。まぁ、翌日には何事もなく回復していたけど。
おかげで、これを使いこなすのは専門の技術もそうだが、基礎体力と筋力がものを言うだろうと言うことが容易に理解出来た。漁師な上に猟師と言う、相当な体力と根気、それに危険性、またそれらを扱う専門知識に技術を求められる職業のまさかの兼業。
本当、南部の民って色んな意味で吹っ切れている様に思うのは、俺だけだろうか?
「ん。分かった。そしたら、どーすっかな……。
よし。お前と後輩と後輩の女は、ゲーの花と蕾を摘みに行って来い。三人で行けばすぐ終わるだろ? この籠一杯分で十分だ。詰んだらとっとと戻って来い。オラ!」
そう言って、メレーロは手近にあった藤で編んだ籠を投げて寄越した。フリスビーよろしくな勢いで、かなり際どい位置に向かって放たれた平籠であったが、ラーヴァとしての身体能力なら難なく掴める。
体勢を崩すことなく受け止めた俺にメレーロは少しムッとした表情を見せるが、すぐに何事も無かったかのように作業を再開した。顔は未だに不満そうなものであったが。
今のは、反抗期とは言わないが、言われたことを卒なくこなし、そこがちょっとイラっとくる後輩に対する、先輩からのささやかな愛情表現なんだろうな。どこが愛情なんだ、とかは突っ込んではいけない。
多分、本人もよく分かっていないだろうから。
愛情とは時に理不尽なものなのだ。そう思っておくしかない。
多分、俺が何かやらかすまで続けるつもりなんだろう。そんな気概がメレーロの背中からからひしひしと感じられる。そうして俺がやらかそうものなら、それはもう良い笑顔を向けるのだろうな。かと言って、適当に失敗しようものなら、ものすごく不満に思うのだろう。その時の表情がありありと目に浮かぶ。
「そっちのヒョロっこいのは、三人が戻って来るまで団子作りな。どうせすぐ戻るだろうしよ。三人は戻ってきたら、後輩以外は朝飯が出来るまでの間、団子作りに加われ。後輩は飯作り手伝え。
俺は三人が摘みに行っている間に、向こうで網広げておくし。飯食い終わったらこれの修理から始めっぞ。あ。炙っている魚は俺が見るから気にしなくていい。
団子の材料、そこにある分全部使っていいから作れるだけ作っておけよ」
なんてことを思っている内に、メレーロはテキパキと指示を下す。
人に仕事を割振るのが苦手だった俺からすれば、メレーロの采配振りには素直に感心してしまう。ちゃんとやるべきことが頭の中に入っているのだろう。それに、するべきことは勿論のこと、しなくて良いことも指示を出せるのが良い。
しなくて良いことをちゃんと伝えておかないと、そっちにまで手を出して、余計な時間をかけてしまうことって、ままあるからな。俺もその指示を伝えるのが苦手で、よく余計な苦労をしたものだ。
「分かった。出来るだけ早く戻ろう。先輩、蕾はともかく、花は何分咲までの状態なら食えるんだ?」
食べたことが無いので、一応確認を入れておく。折角食べるのなら、美味しい状態の物を選びたいから。
しかし、そんな俺の思いなぞ大して気にしていないようで、「枯れてなきゃ問題無い」とぞんざいな答えしか返ってこなかった。いや。違うな。今回は俺の聞き方が悪かった。食えるか否か、しか聞かなかったし。
また機会があれば、改めて聞き直そう。美味い物を食うためなら、この程度の手間、なんて事ないからな。
了解の意を示してから、俺と鈴鹿、それからセイヤと共に朝食の具材を調達すべく、近くの森へと向かった。
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朝の森は、靄に包まれていた。そのせいで視界が悪い。しかし、この程度の靄なら、歩き慣れた者からすればどうってことはない。勿論、十分に気をつけた上で、と言うただし書きが付くが。
それよりも気になることと言えば、その靄に紛れるようにして、精霊がチラホラと視界に入ることだ。
そう。陽子さんから退治を頼まれていた、例の摩訶不思議な生き物達が。数はさほど多くはないが、それでも、視界の端には必ず映るくらいには居た。精霊達は靄の海を渡るように、スイスイと辺りを自由自在に泳いだり、靄から靄へと移動したり、風に流されるままに揺蕩っていたりしている。
どうやら、この世界の精霊は朝方が夕方になると活発に動くようで、それ以外だと見かけない。まぁ、俺が森しか滞在していないので、人里ではまた違うのかもしれないが。
退治しようかな、とも思ったが、止めた。
セイヤ達に見られて説明を求められても面倒だから。退治をするとすれば、最低限あの二人と別れた後じゃないと。
それに、こうして間近で見る精霊は、嫌いじゃないしな。陽子さんには悪いが、もう少しだけ堪能していたい気持ちもある。
夢の中にいるみたいな心地がして、精霊達の形状と色合いの不可解さと相待って、不思議で美しい色彩が靄の中で溶け込みつつも映えるから。
「ラーヴァさん、結構集まったみたいだし、戻る?」
精霊に見惚れるようにしてそんなことを思案していれば、セイヤに声をかけられ、現実に引き戻される。見れば、鈴鹿もこちらを窺うように見ていた。思った以上にぼんやりしていたらしい。
「そうだな。腹も減ったことだし、戻るか」
籠の中身を確認すれば十分そうな量があったので、そう返した。
朝飯もまだだしな。あまり時間もかけていられない。何せまだ寒いからな。吐息も変わらずに白いし。いつまでも見続けていたい気持ちもあるけれど、やはり、暖かい場所と温かい食べ物が恋しい。用も済んだことだし、帰るとしようか。




