三章 十一、記憶の夢 〜微睡み〜
三話連投です。
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俺の言葉に、ハールは再度頷く。心の内で折り合いがついたおかげか、先ほどまで見せていた懊悩の表情との落差に思わずマジマジと見てしまい、ハールに小突かれる。地味に痛かった。
「そうやって、自分が自分である、って言えるのなら良かった。『俺』は、それを信じることが出来なかったからな」
聞けば、ハールも俺と同じように魔女と契約し、戦禍に呑まれた故郷を守る戦士となるべく、肉体を作り変え、様々な記憶や知識をその身に宿したらしい。俺と同様、その姿は今のハールとは似ても似つかない姿だったそうだ。
「出来れば変わりたくはなかった。別に元の姿が特別男前なわけでもなかったけどよ。それでも、生まれてからずっと死ぬまで変わる筈のない体を、親からもらったこの姿を捨てるような真似はしたくなかったからな。
それに、ただの狩り人に過ぎなかった『俺』が戦士になるのも、正直に言えば怖かった」
その感覚には俺も覚えがあった。姿を変える際、まるで今までの自分を捨てるようにも思えて、不安がちらりと脳裏を掠めたから。
「でも、そうも言ってられないほど、あの時の『俺』達は追い詰められていたんだ。だから、変えるしかなかった。でないと、死ぬだけだからな。死ぬくらいなら、なんとしてでも生き残りたかった。
例えそれが、魔女の手を借りるようなことであっても。
国境線だかなんだか知らないけど、そんなもののためにあれ以上仲間を失いたくはなかったし、守りたいってのも確かにあった。それに、死んでいった仲間にも報いたかったからな」
果たして、契約はつつがなく履行された。ハールが予想した以上の効果を持って。
しかし、「こんなに変わってしまった今、本当に自分は、変わらずに自分なのか?」と言うことに疑問を抱いてしまい、遂には信じられなくなってしまったそうだ。自分も信念も、僅かに残っていた仲間でさえも。
魔女との契約で戦士になった時には、ハールのことをちゃんと知っている人間が誰もいなくなっていたことも、ハールの中で不安が増す要因になっていたらしい。
自分が本当に自分であるのか証明することは恐ろしく難しい。迷いがあれば尚更に。
そんな迷いを抱いた際に、寄る辺がなかったのが辛かったのだ、とハールは寂しげに笑っていた。だから、かつてのハール同様、寄る辺となる存在がいないであろう俺が心配だったらしい。おまけに、記憶が消化し切れず、ハールと言う別人格さえも顕現させてしまっていたから、尚更に心配だったそうだ。
そして、それと同じくらい、過去の愚かだった自分と俺とを重ねてしまい、無意識に怒りが湧いてしまったのだと。
「自分から尋ねておいて、悪かったよ。八つ当たりみたいな真似してさ」
いつの間にか夕日は沈み、ちらほらと星が瞬き出す。
ハールはそう言ってから頭を下げた。
「いや。あの程度なら大丈夫。俺の方こそ、自分のことなのにまだ考えが甘いところがあったから、ハールの言葉は有り難かったよ」
ハールに聞かれるまで、自分が自分である、ってことをちゃんと意識したことなんてなかった。今まで追手が迫っているとかなんとか理由をつけて、そう言う大事なところをなぁなぁで済ませた感じでもあったから、それをしっかりと自覚させてくれたハールには感謝している。
「そう言ってもらえると、まだ気が楽だ。こっちこそありがとう」
そうやって、互いにまた言葉を交わし始めた。
そうして、続きを話してくれた。
戦闘を経れば経るほど、戦いにのみに己の存在と自我を見出す、人の形をした人外にまで変わり果てていったのだ、と。それは話したくもない嫌な過去であろうに、俺が知る必要があるから、と言う理由でちゃんと話してくれるハールは、間違いなく俺より芯が強い男だと思う。
敵も味方も、自身でさえも悉く壊し尽くした狂戦士。
あれほど守りたかったものを、付与された記憶に呑まれ、破壊の衝動に塗りつぶされて、自我を保てず、自らの手で無惨なまでに壊滅させた、どうしようもない愚か者。
それが、己の最期だったと。
そして、その記憶が、感情が、今では一部となって俺の中に存在しているのだと。
淡々と、しかし、はっきりとした声音で告げられた。
そうして僅かながらに残った肉体は、契約の代償として魔女の所有物となったそうだ。記憶などに関しては、要らないものとして処分されたらしい。それが、あの不恰好な蜻蛉玉もどきだったそうだ。
その中でハールはまどろみと覚醒を繰り返して、徐々にかつての姿と自我を取り戻していったらしい。ついでに失っていた理性も、区別のつかなくなっていた、ハールの本来の記憶も。
俺の元へ来た頃には、狂戦士であった頃の激情は収まり、変わらずに自分でいるかどうかなんて些細な迷い、吹っ切れたと朗らかに話してくれた。
それでも、完全にあのマグマを彷彿させるような激情を鎮火出来たわけではなかったようで、また燃え上がりかけたらしいが。
あの時は俺以上にハールの方が焦っていたそうだ。
「あんたの自我を飲み込んでまで戦おうとしたのは、恐らく『俺』が狂戦士だった名残だろうな。我ながら、よくもまぁ、あんな衝動を抱えちまったもんだ。そりゃあ、敵も味方も区別がつかないだろうよ。戦わねぇと、息が出来ない感じだったからな。
道夫は気づいてなかったと思うけど、あん時、あんたの中で『俺』も自我が呑まれそうになって大変だったんだぞ? まぁ、思い切り身から出た錆びだけどよ」
二度目の死を味わう寸前だったと、軽い調子で笑って話しているが、笑い事では済まないないだろう、それは。もしかして、ハールが飲み込まれていたら、俺も一緒に飲み込まれていたのかもしれない。
今更ながら、自分が想定した以上に危険な状態だったのだと、冷や汗が流れる。
「でも、道夫はもう自分が自分であるって確信しているみたいだし、その確信がある内は、大丈夫だと思うぞ。ああいう衝動は、自分は本当に自分なのか、って不安からくるもんだしよ。
あの激情に晒されていた『俺』が言うんだから間違いない。
道夫なら大丈夫だ。もう呑まれることも無いだろうよ」
そう太鼓判を押すように、俺の背中をバシバシと叩いた。その遠慮のない叩きっぷりに、高校時代の部活の先輩が思い起こされる。先輩も大会とかで緊張している奴を見ると、満面の笑みで「大丈夫だって!」なんて言いながら、こうやってバシバシ叩きに来ていたものだ。
不思議なことに、あれで大抵の奴は緊張が吹き飛ぶんだよな。俺も吹き飛んだけど。先輩の人柄の良さゆえなのかは未だに分からないが、懐かしい思い出だ。
「さて。そしたらそろそろお暇しないとな。あまり長居しても、お互いによろしくないからな」
夢の世界の空に月が上る頃、ハールはそう言って立ち上がる。その時には、二人で飲み明かした痕跡は一つも残っていなかった。最初から何も無かったかのように、霧散して消えた。残ったのは、明々と燃える焚き火だけ。だが、この焚き火も直に消えるのだろう。
「道夫。多分、『俺』はもう滅多なことじゃあんたの意識に現れない。きっと、道夫が死ぬまで、あんたの一部として、道夫の記憶や意識の中で眠っていると思う」
目覚めたハールは、きっと、帰るべき場所に還るのだろう。
誰に言われるでもなく、そんなことを思う。
「それは寂しいな。折角こうして話せたのに」
「あはは。なに、道夫が死ぬ時にはまた会えるだろうよ。その時は道夫の一部としてじゃなくて、ちゃんと独立した魂を持つ、ハーフルベリィンダとしてさ。それまで精々、酒の肴に出来るような人生を送ってくれ。
早死にはしてくれるなよ? それだとつまらないからな。それに寝足りない。やっぱ、傷にしろ、魂にしろ、寝て治すのが一番みたいだしよ。それに、そろそろちゃんと寝ないと、どうにも調子が出ねぇや」
蜻蛉玉の中で過ごしていた頃は、どうにも眠れていなかったらしい。
ここにきて一気に眠気が押し寄せてきているのか、最後の方はあくび混じりになっていた。
「あぁ。分かったよ、ハール。ちゃんと鈴鹿と一緒に長生きするよ。その間、ゆっくり眠ってくれ。ハールと話せて良かった」
「『俺』もだよ。眠る前に、ちゃんと人として誰かと話せて良かった。
それじゃあ、おやすみ」
おやすみ、と俺も言葉を返せば、ハールは今までにない穏やかな笑みを浮かべて応えた。そうして、月の光に同化するようにその輪郭がぼやけていき、やがてはその姿が完全に消え失せ、視界から消えた。
後には、パチパチ、と焚き火の揺れる炎と、小さく薪の爆ぜる音がするだけだ。ハールの足跡一つ残らなかった。
さて。
俺も戻るか。俺もハール同様、自身の輪郭を保てなくなってきたから。それに、胸の内に、瞬くように微かで、それでいて確かに存在する、小さな温もりを感じるから。きっと、呼ばれている。だから、戻らないと。
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目を覚ますと、見慣れない、無骨で色黒の、随所に傷のある手が目に入った。
そして、俺の隣で安らかな寝息を立てる鈴鹿も。
その無防備な姿に、自然と愛しさがこみ上げてくる。
穏やかな心持ちでその姿を一瞥した後、なるべく音を立てないよう気をつけながら、布団代りの毛皮をしっかりと抱き込む。ついでに、鈴鹿の分もきちんと掛け直しておく。そうすると、改めて自身の手や、手の甲に刻まれた刺青や無数の傷などが目に入る。
掘立小屋の中には眠りを妨げない程度に、熱源も兼ねて、申し訳程度の小さなを火を焚いてあるから、薄暗い中でも、案外詳細が見えてしまうのだ。
あぁ。そうだ。これが今の俺の体だったんだ。やっぱり、まだ慣れない。
夢の内容は、鮮明に覚えていた。ハールのことも、元の姿の俺も。きっと、この夢は忘れることはないのだろうな。
目覚めてすぐの割に、目がまだこの仄暗い闇に慣れたままだったから、恐らく、火の番を交代して眠ってからそんなに時間は経っていないだろう。眠っていたのは短くて数十分、長くて数時間程度か。
それにしても寒い。
少し息を吸い込んだだけで、鼻につんとくる。夢の中が暖かな時節だっただけに、一層寒さが身に沁みるようだ。
春が近づいているとは言え、ここは森の中だし、周囲にはまだ雪が降り積もっている状態なのだ。凍てつくようなこの寒さも致し方ないだろう。それに、これから進む先は更に寒くなる。もう少し、毛皮などを用意しておきたいところだ。
「道夫。起きているの?」
唐突な呼びかけに少し驚くも、それが鈴鹿だと分かっているので、すぐに応えた。
「あぁ。少し前から起きていた。済まない、起こしてしまったみたいだな」
「ううん。私も目が覚めたから、起きただけよ」
そう答えて、鈴鹿は俺の腕の中に入り込んだ。どうやら暖を求めてきたらしい。一人よりも、二人でくっついた方が暖かいからな。入り込んだ後は、「こっちの方が暖かくて良いわね」とご満悦気味であった。それから、お互いに特に言葉を交わすようなことはせず、互いの温もりを感じていた。
眠いと言うのも理由の一つではあったが、言葉を交わさなくとも胸の内が満たされるような満足感があったから、それを言葉を交わすことで壊したくないと言う理由もあった。
鈴鹿の小さな頭を撫でながら、思う。
暖かいな、と。
胸の内にじんわりとしたものが広がっていくのが分かる。きっと、この温もりが、夢の世界にいた俺をこちらに呼び戻したのだろう。
ハール。
もう俺の中で眠っているから、聞こえていないかもしれないけど、伝えておくよ。
ハールは、鈴鹿の記憶は俺以上に曖昧だから、到底俺の寄る辺にはなり得ないと言ったよな。あの時俺は反論しなかった。ハールの言葉が間違っているとも思わなかったから。
でも、この愛しい暖かさを改めて知ると、こうも思うんだ。
俺がこの子の居場所になって、この子が俺の居場所になればいい、って。
そうやって、お互いの寄る辺となれればいい、って。
重くなる瞼に任せて、睡魔に身を委ねながらそんなことをぼんやりと思えば、夢か現か。ハールの快活な笑い声が聞こえたような気がした。




