三章 六、雪上の跡
不定期更新な作品ですが、読んでくださりありがとうございます。
亀並みの速度での更新になりますが、温かく見守って頂けると幸いです。
「厄介だな」
掘建小屋周辺に残っている、セイヤ達のものであろう足跡と、それを追うように続く幾筋もの跡を見ながらそう判断を下す。鈴鹿もそれに異論は無いようで、小さく頷く。
銃声が聞こえてから、俺達は急いでこの場所まで走った。
罠を警戒し、用心しながら進んだが、鈴鹿の魔法のおかげで足元の雪を土と同じ程度に固め、滑らないよう、わざと少しざらつきも残すことが出来た。感触や状態としては、アスファルトに近い。
まず、地球ではあり得ない現象だ。雪をいくら固めたところで、通常なら滑るだけだ。実際、圧雪によるスリップ事故とか、よくあったしな。俺も職場の駐車場でスリップしかけて、心底ビビったものだ。本当に心臓に悪かった。
今回のようにかなり急いでいる時に、そんな雪の害に悩まされないのも、魔法とそれを使いこなせる鈴鹿のおかげである。実に偉大で、頼りになる相棒だ。今は難しいが、ひと段落したら、ちゃんとお礼を言わないとな。
強化された肉体の身体能力と、鈴鹿のおかげで、通常よりも早く目的地にまで到着出来た。
それでも、合流を急がないといけない。合流が遅れれば、不利になるのはセイヤやイザークの方だ。間違っても、追手が不利になるような事態にはならないだろう。あの王女が放った刺客なのだから。
一呼吸、静かに深く吸って、今まで以上に集中する。
それから、もう一度足跡や周囲の痕跡に目を光らせる。足跡からどこへ向かったのか目星をつけるために。
この森は決して狭く無い。そんな中で、闇雲に探しても、無駄な時間が過ぎるだけだ。
どこに進んだかは、足跡から当たりをつけた方が早い。
「中澤 道夫」であった、かつての俺であれば決して出来なかったし、知らなかったが、この世界で生き残れるよう調整を施された、「ラーヴァ」と名乗る今の俺であれば、可能なことだ。
狙撃手や罠を警戒しながら周囲を見回したが、やはり二人は既にこの場に居なかった。また、残った足跡から判断して、セイヤがイザークを担いで逃げたのだろう。
そして、その足跡を、大の大人の足よりも一回り大きいくらいの幅のある、平坦な幾筋もの線と、それよりも太い、犬の尻尾のようなものを引きずったような少し凸凹がある線。それに付随するように、かぎ爪か何かを突き立てかのような、小さく細い穴が所々に見受けられる。
一見すると、獣か何かに追われたようにしか見えない。
実際、これに似た足跡を残す魔獣や獣は、この世界には存在している。今の季節など、まさに彼らの跋扈する時期でもある。
しかし、これは明らかに人の残した足跡だ。獣や魔獣のものでは無いと断言出来る。
普通の旅人であれば、見落とすであろう痕跡でしかなかったが、狩猟の民として能力を授けられた俺達からすれば、明確な差異が見て取れた。恐らく、その獣や魔獣の一部を使用して作った、獣の足に似せたスキー板もどきを使用したのだろう。尻尾の方は本物であろうが。
かぎ爪のような跡は、ポールだろう。
いずれもよく似せて作られてある。しかし、重心の位置など、細かい所で随所におかしな所がある。
まず、追手のものと見なして問題無いだろう。
更に情報を得るため、辺りを見れば、掘立小屋周辺に争った形跡はない。
薪が散乱しているものの、火は消えずに焚かれたままだ。
早い段階で追手の存在に気付いたのだろう。だから、この場で争わずに済んだ。また、逃げる際にセイヤが足の遅いイザークを抱えたらしく、二人分あった足跡が急に一人分だけになり、その一人分の足跡が異様に雪に沈み込んでいる。
セイヤの担いでいる大剣が重いせいか、元からセイヤの足跡は深く沈み込んでいて特徴的だった。しかし、今見ている足跡はその時よりも一層深く沈み込んでいるのが分かる。恐らく、足首を越えて、ふくらはぎの辺りまでは沈んでいたのだろうな。
おまけに、沈んで進み難かったのだろう。
雪を蹴り進んで、進行方向にくっきりと溝が出来ている。最早足跡とは言い難い。
犬が雪道を体当たりしながら進み、掘り進めたみたいになっていた。この状態では、追手も追い易いと言うものだ。
案の定、その足跡を獣に偽装した細長い線が辿っている。
かなり慣れているようで、実に滑らかだ。
残された跡から見て、この時点で四人は確実にセイヤ達を追っていたことが窺える。狙撃手を含めれば、最低でも五人の追手と対峙していたことになる。
あまりに人数差がある時は、正直逃げ出してしまおうかとも考えたが、この人数差なら、ギリギリ、本当にギリギリで何とか出来るだろうか?
まぁ、何とかしないとこちらの身、と言うか命そのものが保たないのでやるしかないのだが。
俺が撃退した、あまり腕の立たない追手を、慣れない(出来れば慣れたくないのだが)上に、余計な時間がかかるであろう尋問を敢行したのは、数の脅威と、女王の優秀さを恐れたためだ。
あの王女は、優秀だ。
直にその姿を見たのは一度だけであるが、一目見ただけで「彼女は優秀だ」と納得出来るものがあった。今更ながら、そんな彼女相手に、よく生き残れたものだ。
陽子さんや、マヅドさんのおかげだ。
日本で普通に生活していても、ぱっと見で凄いと分かる人と言うものは存外近くに居るものだ。優秀さの度合いはピンからキリまであるだろうが、それに遭遇することは然程珍しいことでは無いと思う。
クラスや会社などで一人は確実に居る、出来る奴とかを思えば。
王女は、今まで見た中で、これ以上ないほど「優秀だ」と感じさせる雰囲気や自信を、嫌味にならない程度に醸し出していた。大物や王者の風格と言うものだろう。カリスマ、と言い換えても良いかもしれない。
事実、王女は優秀だった。
不審感を抱いたことを僅かな言葉のやり取りで看破された挙句、刺客まで放たれたのだから。
今回もその優秀さは健在で、練度などは劣るとは言え、巻き込まれただけの俺達のもとに、曲がりなりにも追手を放された。王都を出て半日と経っていないのに、大分こちらのことを把握しているようだ。
俺達の前に刺客が現れたと言うことは、セイヤ達の元へも追手が現れても何らおかしくは無いだろう。
むしろ、現れない訳が無い。王女に追われているのは、あくまでセイヤ達なのだから。俺と鈴鹿が追われるのは、そのオマケでしか無い。
王女の本命は、(イザーク曰く「濡れ衣」だそうだが)あくまでイザーク達なのだから。
あの王女のことだ。
俺と鈴鹿とは別に、事の発端であるイザーク達を葬るための手練れの刺客を送り込むだろうとは予測していた。
俺達だけで撃退出来た、あんな気配がだだ漏れに近い者だけに任せるとは、あの王女の性格からして、到底思えなかったのだ。恐らく、気配さえ察知出来ないような腕のある者を遣わす筈。そんな直感のような確信があった。
流石に、こんなに早いとは思いもしなかったが。
いや。
案外そうでもないか。俺の時も即刻刺客を向けられたからな。
今までのことから鑑みて、王女は、不穏分子に対して決して寛大では無い。その事例を、身をもって体感している。
一国を治める王族としては、その危機管理の高さは評価されてしかるべきであろう。庇護される側であれば。
勇者くん達は利用することを前提にしているだろうが、一応庇護される側だろう。少なくとも、滅多なことでは無体なことはされない筈だ。利用されていることさえ、本人達は気付いていないかもしれない。
あの王女なら、いとも容易く実行出来そうだ。
だが、かつての俺のように排斥される側にとったら、その手腕や手札の多さ、一手を打つ正確さと速さは、脅威でしかない。
今回の分を含め、王女と対峙した回数なんてほぼ無いに等しいが、それでも、王女に関して油断を抱くことほど危険なことは無いと断言出来る。
だから、セイヤ達と合流することよりも、王女の放った追手に関する動向を知る方を優先し、慣れない上にやりたくもなかった尋問を決行したのだ。
また、数の暴力を行使されているのかどうかを確認したかった、と言うのも大きい。
少数の敵を潰す時、数ほど有利な暴力は無いだろうから。
何せ、数の脅威は、時に個人の能力や所持する武具などの性能を凌駕し得る。こちらの人数より、敵対する追手の数を二、三人増やされただけでも、かなり辛いと思う。
更に言えば、俺と鈴鹿は実戦経験零だ。
知らないことの方が多すぎる。だから、少しでも情報を集めておきたかったのだ。
まぁ、その結果は散々であったが。まさか何の情報も得られ無いとは。
所詮、事務方の浅知恵では、どうこう出来るものではなかった。
流石は王女。下っ端や使い捨ての扱いもお上手なことで。おかげで、無駄だとは思いたくはないが、何の情報も無い状態で、セイヤ達と合流するまでに余計な時間をかけることになった。
とまぁ、色々と思うところはあるが、今は気にしている余裕はないだろう。
「鈴鹿。目星はつけたし、セイヤ達と合流するぞ。戦闘になるかもしれないから、気をつけろ。それと、道中の罠と狙撃にも」
罠に関しては仕掛けられている可能性は低いだろうが、警戒しておくに越したことはない。
「分かったわ。魔法はどうする? セイヤ達との合流を急ぐなら、魔法を使ってさっきみたいに足場を整えるけれど? でも、それをすれば戦闘の際には何も出来なくなるわ。
少し時間をおけば、また使えるでしょうけど」
「何も出来ないと言うのは、弓や剣も振るえないほど、身動きが取れない状態になると言うことなのか?」
だとすれば、これ以上鈴鹿に魔法を使わせるのは危険過ぎる。俺が想像した以上に、魔法は使用した際の副作用があるみたいだ。
セイヤ達を出来れば助けたいとは思うが、そのために鈴鹿を犠牲にするのは耐えられない。
「いいえ。魔法が使えないだけ。この天候に、この環境なら体力の消費も殆ど無いわ。魔法を使っても、精神的に疲れるってこともないし」
俺の危惧は杞憂だったらしい。それでも、今の話を聞いた後では、鈴鹿に魔法を使わせるのは少々気がひける。何があるか分からないから。
「そうか。…。それじゃあ、セイヤ達と合流するまで魔法を使ってくれ。途中で辛くなったら、やめてくれて構わない」
あまり考える余裕が無かったが、とりあえず、セイヤ達と合流するまで鈴鹿の魔法に頼ることにした。今はセイヤ達との合流が最優先だろうから。
「大丈夫よ。任せて」
何が嬉しいのか、鈴鹿は口元に小さな笑みを浮かべ、魔法を展開した。
もしかして、心配する俺を気遣ってくれているのだろうか?
そうなのかもしれないし、違うのかもしれない。しかし、何にせよ、相棒が笑っているのだから、俺も少しくらい笑った方が良いのかもしれないな。考え過ぎても、緊張し過ぎても、あまり自体は好転しないだろうから。
「あぁ、頼むよ、相棒」
その言葉と共に少しぎこちないながらも笑いかければ、いつの間にか強張っていた体が、少し和らいだように思う。
きっと、気のせいでは無いだろう。
「それじゃ、行きましょうか」
魔法の展開を終えた鈴鹿が、いつでも走り出せることを教えてくれる。先ほど見せた笑みを浮かべた時とは雰囲気が異なり、幾分か引き締まった雰囲気だ。
その表情は、水面を思わせる、実に静かなものだった。
俺はその言葉に無言の頷きで返し、雪道を駆け出した。勿論、罠や狙撃などに注意を払いながら。




