三章 一、春の嵐と相棒への一歩
誤字訂正
誤…上手い物 正…美味い物
「それじゃあ、行くか」
長居は無用とばかりに立ち上がり、コートを羽織る。座る際に邪魔になるからと外してあった弓などの装備品は、交渉が始まる前には付け終えていたので支障は無い。いつでも逃げ出すために備えていたのだが、無駄な用意になってしまった。
鈴鹿もすぐ俺に倣い、立ち上がる。用意は俺同様、既に終えていた。
セイヤもそれに一拍遅れて対応し、イザークは更に遅れて立ち上がる。
イザーク達がコートを羽織り直すのを待たずに、店内を突っ切り、外へ出た。
どうせすぐに追いつく。
扉を開ければ、雨は依然降り続けており、それどころか風さえ出ている。あと数時間もすれば、嵐となることだろう。
今の時期は冬の終わりであり、春の初めに当たる季節だ。
この時期になると、嵐が来る。それも頻繁に。日本で言えば、春一番に当たる風物詩的な天候であろう。この土地では「大地女神の贈り物」と呼ばれ、親しまれている。
何故なら、この嵐が去ってようやく、冬の間に乾燥した大地に水が行き渡り、凍った大地を溶かす程に大気の気温が上がってくるためだ。
この嵐を経て、春の息吹は大地のあちらこちらに芽吹き、恵みを人々に与えるようになる。嵐はその魁なのだ。
しかし、この豊穣を呼ぶ天の恵みも、今の俺を始めとした、この時期に移動を強いられた旅人などにとってはただの悪天候でしかない。
こんな悪天候の中を移動しなければならないことに少しげんなりするが、行くしかないのだと割り切る。命の方が大事だ。
それにしても、どうしてこんな面倒事に巻き込まれてしまったのか。
雨に出足を挫かれたせいか?
空を仰ぎ見ながら、そんなことを思う。
寄り道などせず、ルクセリア出るだけだったら、この容姿でも何の問題も無かっただろうに。
折角一年がかり(と言っても俺には一晩寝た程度の感覚でしかなかったが)で容姿を変えたと言うのに、また王女に追われることになろうとは。運命と言うものがあるのなら、まさに今の状況を指すのかもしれない。
実に腹立たしいが。
全く。一体どこでしくじってしまったのやら。
ため息を押し殺しつつも、詮無いことをついつい考えてしまう。
イザークに同席を求められた時に、断っておけば良かったのか?
いや、例え断ったとしても、なんやかんやで同席していたのだろう。鑑定の能力を使った上でこちらに声をかけていたと言っていたから。
それに、どの道俺には平均レベルの交渉力しかないのだ。例えイザークの魂胆を知ったとしても、結局は太刀打ち出来ずに丸め込まれていたことだろう。イザークは最初に金を提示するなど、交渉のポイントをこちらより先に押さえていたから。
交渉力も、イザークは行商人であるだけに高い。
爪も甘く、若造だと侮ったゆえに追い込まれるなど、人を見る目も甘い俺と違って実地の経験もあり、鑑定と言う反則じみた能力まで所持しているのだ。
一般の事務方でしかなかった俺には、イザークの相手は荷が重い。
だが、これから生きていく上で、もうそんな泣き言通用しないだろう。
チラリと隣にいる鈴鹿にそっと視線を向ける。
俺以外の他者との会話にも興味はあるが、臆する鈴鹿。
他にも露呈していないだけで、まだまだ出来ないことはあるのだろう。本人も把握出来ていないところがあるだけに、こちらが気にかけてやらねばならない。
だが、それは当然のことだろう。鈴鹿は人の姿で活動を始めて、まだ一日と経っていないのだから。それなのに、鈴鹿に今後どうしたいか、なんて聞いてしまった自分が今更ながらに恥ずかしい。
まだ、イメージさえ出来ていなかったろうに。
少し考えれば、分かりそうなことだ。だけど、俺にはそこまで察することも、思いやることも出来なかった。物語の主人公のように、誰かをスマートに思いやれることが、如何に大変なことかをわずか数時間で痛感する羽目になった。
きっと、それはこれからも変わらないだろう。
自身が全てを出来る人間だとは到底思わないが、それでも、出来なかったことが露呈すれば、それを情けなく思ってしまうし、出来るようになりたいとも思うのだ。それがいくら難しいことでも。不相応だとは分かっている。だが、そうなるように願うことも、無駄だと理解していても足掻かずにはいられないのだ。
それの繰り返しだ。
それが苦しい。
鈴鹿を思いやるべきだったのに、思いやったつもりで何も出来ていなかったと知り、それが情けなくてたまらなかった。
だけど、そんな中で、鈴鹿はあの時持てる全てを駆使して、真剣に考えて答えてくれたのだ。
だから、報いてやりたい。
俺の都合や陽子さんの気まぐれで、本来の姿とは掛け離れてしまった鈴鹿を前に、出来なかったから許してくれ、などと口が裂けても言えないのだ。
相棒として、最低限鈴鹿を支えてやれるくらいにはならないと。
そのためにも、刺客から逃げ切らなければ。
まだこの世界の美味い物の一つさえも食わせていないのだから。
「? どうしたの?」
「いや。なんでもない」
こちらの視線に気づいたのか鈴鹿が不思議そうに尋ねる。それに対する俺の返答は素っ気無いものではあるが、鈴鹿は気にとめた様子はなかった。ただ一言、そう、と頷くのみである。
これが鈴鹿なりの、俺への信頼なのだろう。
ちゃんと応えてやらないとな。
そう思い、頭を軽く撫でてやれば、まんざらでもなさそうだ。
頭を撫でながら鈴鹿を見れば、悪天候を意に介しているようには見えなかった。
髪の毛が風に飛ばされようが、雨で濡れた髪の毛が肌に張りつこうが、一向に構う気配が見えない。
「気にならないのか?」
「えぇ。水の中にいるみたいで。道夫は嫌い?」
ふわふわと魔法で水球を幾つか浮かせながら、どこか楽しげな様子だ。
また、鈴鹿なりの戯れなのだろう。二、三個の水球がこちらに飛ばされ、弾けた。雨に混じり、水球で濡れたのか雨で濡れたのかの判別は出来ないが、鈴鹿は濡れた俺を見て少し悪戯っぽく微笑む。
全く。これでは怒れない。
代わりに、お返しとして鼻先を軽く摘んでやった。実家で昔犬を飼っていた時に、よくした仕草だ。
「そうだな。俺はこんな天気、苦手だ。重くて寒いボタ雪も、雷鳴混じりの豪雨も、鉛色の空も、故郷の分だけで腹一杯だ」
懐かしくも、疎ましかった故郷の天の恵みにケチをつければ、鈴鹿はおかしそうに笑った。鈴鹿の真意は分からないが、彼女が微笑むのなら、良いことなのだろう。少し、心にかかった靄が晴れた気がする。
「うわ。まったひどい天気だな、こりゃ」
遅れて来たセイヤが、心底嫌そうな声を出す。イザークは何も言わないが、心情は近いことは容易に窺える。
それから俺達は城門を目指し、悪天候の中をひたすらに進んだ。
雨は変わらずに激しかったが、それでも通りにはちらほらと人がおり、その流れが途絶えることはなかった。舗装された石畳のおかげで、泥跳ねが無いのは良かったが、馬車などの水跳ねが凄かったのが玉に瑕だ。
すんでの所で避けたが、水を思い切り被りそうになった。
もし身長が以前のままであれば、頭から被っていたことだろう。
いくら道が整備されても、この手の問題は尽きないようだ。
「なぁ、ラーヴァさん達って割り符って持ってんの?」
「いや。持っていないが?」
何故、分かりきったことを尋ねるのだろうか?
割り符と言うのは、入国及び、都市入場の許可証のことだ。
値段によって色々と得点やらなんやらが付いており、種類があるらしいが、南部の人間である俺が知っているのはそこまでだ。
何せ、南部の人間は許可証なんて買わない。
より正確に言えば、購入出来ないのだ。北部で使える現金を持っていないから。物々交換で割り符を入手することも出来るらしいが、北部の人間ならともかく、南部の人間が出来た試しはない。
品物さえ受け取って貰えないことが一般的だ。
そのため、南部の者は割り符無しで入国する。そうせざるを得ないのだ。
そうして、入国先では割り符を持たないために、様々な不利益を被ることになるが、甘んじて受け入れる。騒いだところで無駄だから。
買い叩きなどに遭いながらも、北部でしか採れない薬草等と言った必要な物を購入して、すぐに退去する。
それが北部での常識であり、北部へ来る南部の人間の常識だ。
セイヤもこの世界で三年は生きているので、それくらい知っていてもおかしくはないだろうに。何故、わざわざ確認したのだろうか?
「いや、念のためだよ。たまーに割り符を持っている人もいるからさ。もし割り符を持ってたんなら、門番に顔覚えられてて、流石にこれ、使えないだろうから。
まぁ、持ってないみたいで良かったよ。安心して使える。
店を出る際にちょっと交換と拝借をしてきてさ。
はい。これラーヴァさんとファリアさんの分。んで、イザークがこれな。入れ直しといて。これで国外に出れば、少しは追手も錯乱出来るだろうし」
俺の疑問に応えるように、セイヤがそっと掌に収まる何かを握らす。
見ずとも分かる。割り符だ。
初めて現物を手にするが、木で出来ているせいか、湿気を吸って、心なしか柔らかくなっているように思う。
俺達が外で待っている僅かな間に、用意が早いことだ。
割り符なんて小さな物だし、大抵は大事に仕舞われている筈の物をこうも見事にすってこようとは。
イザークもすられていることに気付いていなかったようで、驚いた顔をしている。
「お前らはともかく、俺達が持っていたら逆に不審がれるだけで邪魔だ」
セイヤから新しい割り符を貰い受けるも、不便しか被りそうにないので、突っ返そうとするが、イザークにやんわりと止められた。
「持っている割り符の種類によれば、そうでも無いのですよ」
セイヤから貰い受けた自身の割り符と、俺達に渡された割り符を見比べながら、改めて納得の表情で言われてもな。分からんものは分からん。
「どういうことだ?」
イザークの様子だと、このまま一人納得して終わりそうなので、説明を求める。俺は一を聞いて十を推し量れるような人間ではないのだ。説明なしのアドリブなどがあれば、確実に何も出来ないことだろう。
「あぁ。すみません。
僕達行商人の間では、割り符を報酬代わりに渡すことがあるんです。現金が用意出来なかった時や、相手が現金以外を求めた時などによく用意される物なんですよ。
だから、行商人である僕らが、ラーヴァさん達に報酬として割り符を渡しておくことも十分にあり得るのです」
聞いても意味が分からない。
そんな知識、いや、この場合は記憶だったか。そんなもの、一つも無いぞ?
俺の訝し気な視線に、苦笑しながらイザークは説明を続けた。
これまた長めの話だったが、まとめると「南部の人間を雇った際には、貨幣ではなく割り符で払うのが一般的」と言った内容だった。しかも、話し振りから、業界豆知識に近い。
もう少し砕いて説明してもらうと、どうやら、目的地が合えば南部の人間を護衛代わりにして、共に行動をすることは少ないながらも、ままあることらしい。少なくとも、門番には知られており、怪しまれることはまず無いそうだ。
ただし、それはイザークのような若く、零細と言っても差し支えの無い行商人に限る話らしいが。
その時に用意される報酬が、目的地への割り符と、買い叩きを防ぐため、代わりに売買を請け負うことらしい。そのため、冒険者を雇うより安くつくそうだ。
しかし、珍しくはないとは言うものの、遭遇することが少ないことに加え、承諾して貰えるのはやはり難しいらしい。イザークも行商を始めてそれなりになるが、二度ほど雇ったことがあるだけだと話していた。
その時も、やはり、皆一様にかなり訝し気な表情だったと、懐かしい体験談として語られた。セイヤも実際にその場にいたらしく、信用してもらうのが大変だった、と笑っていた。
俺も笑いたいところだが、イザークには既に謀られているからな。
一応信用出来るとは判断したものの、疑念が全て消え去ったわけではない。
二人もそれを理解しているのか、俺の態度も当然と割り切っているらしく、無理に親密になろうとはしなかった。
今はその距離感がありがたい。ハッキリ言って、俺の脳内活動は今までにないくらいフル活動しているからな。二人の言動を一々気にかけていると、頭がパンクしそうになる。
イザーク頭良すぎるだろう。
おじさん、マジで泣きたくなるよ。
努めて顔に出さないよう気をつけながら、そんな情けないことを思う。
しかし、鈴鹿には通じなかったのか、何かしら俺の心情を悟られたようで、肩をポンと叩かれた。
どうやら慰めているつもりらしい。
これでは、俺の方が気にかけられているな。
鈴鹿の良き相棒となるには、まだまだ道は遠いようだ。




