二章 五、曇天のち快晴
今更ですが、連投です。
6月24日 一回目
7月2日 分かりにくいと評判(笑)だったので、本文を付け加えました。
一応、読み直さなくとも不都合がないようにしたつもりです。
お暇があれば読み直して頂けると嬉しいです。
それから俺達は陽子さんの奢りで、例のお高い酒を餞けに貰った。
白ワインに近い味で、後味にえぐみが殆ど感じられない、良い酒だった。香りも良く、すっきりとした口当たりと、辛口の爽やかさが口内に程よく残って美味い。
鈴鹿も飲める口なようで、すぐに飲み干していた。どうやら鈴鹿もこの酒はお気に召したようだ。
下戸じゃなくて良かった。酒はあまり飲まないが、かと言って飲まないわけではなく、むしろ好きなので一緒に飲める相手が居るのは嬉しい。
マヅドさんと、買い物から戻っていた奥さんと住み込みの下働きくんにお礼と別れの挨拶を交わしてから、俺達は林檎の木亭を後にした。陽子さんも途中まで一緒だ。
でないと、この異空間から抜け出せない。
迷路のような道を陽子さんの後について抜け、俺達は見覚えのある通りへと出た。
ルクセリア王国の王都だ。相変わらず、小汚い。
「さて。それでは、ここでお別れですわね。二人とも、元気でね」
「はい。陽子さんこそお元気で」
「お世話になりました」
陽子さんの別れの言葉に、俺達もそれぞれ言葉を返す。
ひとしきり別れを惜しみ、ついでにまた飲む約束を交わした後、陽子さんは幻のように霧散して消えた。魔女は消え方もファンタジックだ。
それを見届けてから、俺達も歩み出す。
進みながら改めてルクセリアの街並みを見渡せば、ここが小汚いだけの都市ではなく、ちゃんと大国の王都としての機能や景観、整備が行き届いた大都市としての風格を備えた街並みであることが分かる。
周辺の中小国では、ここまで立派な造りにすることは出来ない。ここよりも数段劣ったその街並みや人の様子が、すんなりと頭に思い浮かぶ。まるで俺が実際に見聞きしてきたかのように。
陽子さんから貰った、この世界に関する知識のおかげだろう。何の違和感もなく、この世界に関することが分かり、記憶の一部として刻まれているのを感じる。今まで知り得なかったこの世界の仕草も、自然と出来た。本当、陽子さんの魔法は凄い。
しかし、いくら凄いとは言っても、流石にこの世界のこと全てを網羅しているわけではない。
俺達が持っていてもおかしくないであろう知識は自然と記憶として刻まれているらしいのだが、それ以外の知識になると、さっぱりだ。
何一つ浮かんでこない。
まぁ、おかげで怪しまれずに済むだろう。知り過ぎているだけで、厄介事に巻き込まれることは往々にしてある。
そんな目に遭わずに済むことが、俺には一番有難い。
変に疑われるのは、王女に刺客を送られた最初の一回で十分だ。
俺達の居る通りは、昼を少し過ぎた時間であるためか、人の往来が多い。こんな忙しない所でいつまでも油を売ってはいられないようだ。また、何人かは既に鈴鹿や俺の方を見ている。いずれも、歓迎するような視線ではなく、疎まし気なものだ。
それはそうだろう。
なんせ今の俺達は、典型的な南部の特徴を備えているのだから。
北部の東に位置するルクセリア王国では、南部の人間はまず見かけることのない民だ。しかも、この国での南部の民の評判や扱いは、決して良いものでは無い。
要らぬトラブルが降りかからぬうちに、この場を去ろう。
元からこの国に長居する気など無いのだ。とっととこの場から離れた方が良い。
「鈴鹿。お前はどれくらい状況を把握している?」
今までの聞き慣れた自身の声とは違う、俳優のように耳に残る声質に未だ違和感を覚えつつも、鈴鹿に尋ねる。
薄暗く、今にも降り出しそうな天気であるため、これ幸いとフードを目深に被り、顔を隠す。そうでもしないと、この土地の人間ではないと言う理由でイチャモンをつけられかねない。更に言えば、鈴鹿の美貌にバカが寄ってくるのを防ぐためでもある。
「私はかつて道夫に世話をされていた和金の金魚であったこと。それから、道夫がこの世界の勇者召喚に巻き込まれ、色々あって陽子さんの条件を飲んで新しい体と能力、私を貰い受けたことも分かっているわ。
この国の王家は胡散臭い連中で、それに味方しているであろうチート持ちの勇者がいるから早々に出て行きたいことも」
歩きながらスラスラと紡ぎ出される内容に、安堵する。
これなら、相棒として申し分ない。
説明する手間がかからないのも、俺が異世界から来た人間であることを理解してくれているのも助かるし、何より安心出来る。
「そこまで分かっているのなら問題ないな。
俺達は出来るだけ早くこの国を出るぞ。歓迎されていない民だからな。
それに、一年前から勇者召喚などをして、『魔王』との戦いに備えていた国だ。
多分、その戦端は開かれつつあるだろう。この国の近隣は嫌でも荒れるだろうな」
周囲に流れる人混みに紛れれば、嫌でも戦時に突入しそうな騒つく気配が伝わる。恐らく、顕在化していないだけで、かなり開戦の機運が高まっていることだろう。
鈴鹿もそれを肌で感じているらしく、黙って頷く。
「それと、これは確認と言うか質問になるが、お前は今後どうしていきたい?
お前はもう金魚じゃない。人間だ。落ち着いた土地さえあれば、俺の世話など無くとも、暮らしていけるくらいの甲斐性もあるだろう。
勿論、こんなキナ臭い国を出るまでは決して見放したりはしない。道中で置いて行く気も毛頭ないし、お前が落ち着きたい土地が見つかるまで、見捨てるようなことも絶対にしない。そこは任せてくれ。いや、最善を尽くすから信じて欲しい」
そこで一旦言葉を区切り、鈴鹿を見る。
今まで共に暮らしてきたが、言葉を交わすのはこれが初めてだ。まぁ、元は金魚だったのだから当然と言えば当然なのだが。
だから、人間の体を得た鈴鹿が俺のことを不安に思う可能性も十分にある。
俺自身、この新しい体でどこまで出来るのかが未知数なのだ。不安の方が勝る時もきっとあるだろう。
だからこそ、鈴鹿の言葉で鈴鹿の内心を知りたかった。
鈴鹿のやりたいことを、少しでも応援し、叶えてやりたいと思ったから。
元々鈴鹿は俺にとって、ただのペットではなく、相棒と呼んで差し支えのない存在となっていたから。
人の姿を得た今は、それに加え、我が子を愛おしむような感情も、連れ添った伴侶に対するような安堵の情も、親しい友人に向けるような信頼の感情も抱いている。
それらの感情が胸の中で合わさり、止め処なく溢れ出るのだ。
きっと、これが鈴鹿と言う目の前にいる「相棒」に対する、俺の感情の全てなのだろう。
鈴鹿は相変わらずの無表情のように思えたが、その実、俺の言葉を理解しようと言う真摯さと真剣さが、水面を思わせる深い色合いを湛えた双眸に宿っているのが見て取れた。
「だから、お前はどうしたい?
お前にはお前の意志がある。昔みたいに、俺と共にある続ける必要は無いんだぞ?」
突き放すような口調にならないように気をつけるも、どうにもうまく言葉に出来なかった。自分で自分が嫌になるが、こればかりは性分なのか、仕方ない。
出来ることなら、俺は鈴鹿が息を引き取るその日まで側にありたいと言うのが本音だ。
ずっと世話をしてきたから。
でも、それは俺の願いでしかない。
鈴鹿はもう、水槽の中でなければ生きていけなかった、あのか弱い存在ではないのだ。水槽と言う枠を越え、どこまでも歩いていける。
自身の意志で、俺との離別を求めるのかもしれない。もしそうならば、それは喜ばしい事柄であろう。少なくとも、なすがままでいるよりかは、ずっと良い。
「私は道夫とずっと一緒よ。これまでも、これからも。相棒なんだから」
少し降り出した雨の中、当然と言わんばかりに鈴鹿は答えた。
それどころか、「どうしてそんな質問をしたのかが分からない」と顔に大きく書いてあった。本当に不思議なのだろう。納得いかないと言うのが表情の端々に現れている。
案外感情豊かな娘なのかもしれない。
答えを求めるように、真朱の色をしたフサフサの睫毛に縁取られた、ぱっちりとした黒目の大きな瞳が、俺を捉える。
不思議そうに開かれたその澄んだ瞳には、鈴鹿以上に目を見開いた俺が鏡よりもはっきりと映し出されていた。
どうやら、この質問は愚問でしかなかったようだ。
それにしても、鈴鹿の「相棒だから」と言う言葉が妙にしっくりきてしまい、思わず笑みが浮かぶ。言われたことなんて一度もない筈なのに、今まで幾度と無く聞いてきた言葉のように、耳に馴染む。
それは鈴鹿も同様らしく、少し雰囲気が和らいだように思う。
「そうか。なら、これからもよろしくな、鈴鹿」
「こちらこそ。これからもよろしくね、道夫」
そう互い目を合わせた辺りで、天気が本格的に崩れ出した。
だけど、互いの心情は天候に反するように、とても晴れやかなものだった。




