二章 四、旅支度
「キツイ」
ボソリ、と気がつけば言葉が自然と口から零れていた。
「これだけ血を抜けば、それも当然だろう。そこでしばらく横になってな」
耳聡く聞きつけたのか、マヅドさんが作業の手を休めることなく休むよう勧める。その逞しい手は木箱の中を整理しており、俺から貧血寸前まで抜き取った血液を詰めた小瓶や、大分切り落とされた銀地に灰色と黒が混じる髪に、王都から餞別代わりに貰い受けた衣服や旅用品が整然と収められていくのが見えた。
いずれも、新たな衣服や旅用品を手に入れるための対価として差し出したものだ。
何せ、元の姿から似ても似つかぬ姿へと変わったのだから。
靴下どころか、下着さえサイズが合わない状態だ。
ちなみに、鈴鹿も自身の装備品などを要するため、別室で陽子さんに対価を差し出しつつ、装備品を見繕って貰っている。どんな仕上がりになるのかは不明だが、陽子さんのセンスなら、ひどいことにはならないだろう。多分。
言われた通りベッドに横になれば、以前の己とは比べものにならないゴツゴツとした無骨な手が目に入った。日焼けとはまた違う、褐色の色に染まった肌や、すらりと長く、それでいて細すぎない指。掌にある豆やコブに、右脇腹から太ももにかけて描かれた、幻獣の刺青。背面にも刺青はあり、何やら緻密な模様が鮮やかな色彩で彫られていた。
ヤ●ザっぽいと思ってもおかしくはないのだが、陽子さんに施されたためか、そう言う風には思えなかった。エスニックとでも言えば良いのか、どこか民族色が強いのも理由の一つだろう。
それに、与えられたこの世界の知識で、この手の刺青はよくあるものだと知ったから、然程違和感を感じなかったのもある。成人式で、記念品を貰うのと同じ感覚だ。
体の至るところに残る、古い傷跡。ある筈のなかったこの世界の知識に常識、弓の扱いや剣などの扱い方の記憶。
中澤道夫として生きた時には、決して残る筈のなかったものでこの体は埋め尽くされている。
生まれ変わったのだから、当然だろう。しかし、それにしても、なんで陽子さんはわざわざ傷跡まで作ったのだろう? リアリティを出すためか? 何にせよ、鈴鹿にはあまり傷を入れて欲しくはないものだ。
刺青の類も、勘弁して欲しいが、入れるのだろうな。
この世界の常識に合わせるために。
あ。鈴鹿で思い出した。
「なぁ、マヅドさん。鈴鹿があんなに若返った姿をしている理由、何か知っているか?」
鈴鹿が人間になったインパクトが強すぎて気付かなかったが、鈴鹿は十五歳。人間に換算したらかなり老齢の域に入っている。それなのに、俺が見た姿は歳若い乙女そのもの。絶対におかしい、と今更ながらに気づいたのだ。
その理由を駄目元でマヅドさんに尋ねてみる。
暇つぶしを兼ねているようなものなので、特に答えは期待していなかった。
ちなみに、マヅドさんとは、装備品を見繕う前の軽食の席で大分打ち解けている。そのため、言葉遣いも互いに気安いものへと変わったのだ。さん付けは変わらないが、そう言うものだ。
「あぁ。勿論知っているとも。道夫さんが目覚めるまでの間、俺が若返りの水を井戸から汲んで、あの娘に浸したからな」
予想に反して、マヅドさんは知っていた。
しかも、張本人だとは驚きだ。そして井戸の水が凄い。どうなってんだ、この空間は。
「最初はシワシワの婆さんだったのに、どんどん若返っていく様は見てて飽きなかったよ」
良かった。そのシーンを見なくて済んで。そんなものを見てしまった日には、色々と反応に困る。
「へぇ? それにしても、凄いな、若返りの水だなんて。良いのか? そんな高価そうなものを使って」
「もう使っちまったんだ。良いも悪いもあるか。大体、井戸の水なんてここではタダみたいなもんだ。それに、いくら効果が凄いと言っても、俺達には殆ど使い道がない代物だしな。
なんせうっかり飲むことも、風呂にも使えないような水だからな。畑にさえ使えやしない厄介な水だ。
おまけに、お得意様である魔女達にも売れやしないもんだしよ。それどころか、使い魔にすら売れないときた。本当商人泣かせの水だよ、あれは。
だからあれくらい使ったって別にどうってことないさ」
どうやら、相当手をこまねいていた様だ。
ファンタジーな住人からすれば、案外不便らしい。
「それはなんと言うか。大変なんだな」
お伽話の定番みたいなアイテムなのに。勿体無い。地球だったら高く売れるぞ。
「でも、本当に凄い効果だよな。
俺が一晩寝ている間に、鈴鹿はあれだけ若返ったんだろ? 本当あっという間だな」
感心しながら言えば、マヅドさんは目を丸くして不思議そうな表情をした。
ん? 俺、おかしなことを言ったか?
だけど、思い当たる節はないぞ?
しばし、互いに不思議そうに顔を見合わせる。しかし、マヅドさんが何か気づいたらしく、そうか、と声を漏らした。
「道夫さんにはまだ言ってなかったな。
あんた、人間で換算したら軽く一年は寝てたんだぞ」
「は?」
思わず、思考が一瞬停止する。
今、おかしな単語が聞こえなかったか?
一年? いくらなんでも眠りすぎではないか? と言うか、普通そんなに寝ていたら、体はかなり貧相な上、まともに動けない状態になっているのではないか? 寝たきりの状態に等しいのだから。
それに、マヅドさんの様子もそんな変わった風には見えない。
マヅドさんの言い間違いか?
「おいおい。しっかりしろよ。体を作り変えたんだ。それくらい時間がかかったっておかしくはないだろ?」
しかし、聞き間違いではないらしい。どうやら、俺は本当に一年近く寝ていたようだ。ケンタウロスは人間より長寿な種族なので、一年なんて大した長さではないらしい。
あぁ。だから最初の紹介の時に、「人間に換算した」年齢で答えていたのか。今更ながらに納得する。馬だから人間より寿命が短いものだと思い込んでいた。
マヅドさんはほうけた俺を呆れた様に見ながら、言葉を付け加える。
「あの娘も同じだけ寝て、体を作り変えたんだ。そんな驚くことじゃないさ。
それに、水の恩恵にはあんただってありついているんだぞ?
まぁ、本当は俺が手を滑らせて水を浴びせちまっただけなんだが。おかげで、魔力を体外に放出出来ない体にもなっちまったが、そこはあれだ。その分若返ったから、それでチャラにしてくれ」
「なるか!」
貧血で怠い体に鞭打って、飛び起きる。
無理に起き上がったせいで目眩がしたが、そんなことに構ってられない。
「なんてことをしてくれたんだ」
目眩で眩む視界の中、唸る様に言えば、マヅドさんは特に悪びれた様子もなく答える。
「そう怒るな。俺が水を零さなくとも、どの道魔法の適性は零に近かったみたいなんだしよ。陽子ちゃんからそう断言されていたろ? あの娘以下だって。
それに、魔法が使えない奴もあの世界には多いんだ。悪目立ちしなくて良かったじゃないか」
そう言ってカラカラと笑う。本当のことだけに辛い。
「ま、そう過去のことに囚われるな。せっかくいい男になったんだしよ」
その言葉と共に、箱に詰められた新たな装備品をベッドの近くに置き、着替えを差し出される。
下着以外はどれも古着などではあったが、知識のおかげでどれも使い勝手の良い物だと言うことが分かる。変に新品で揃えられるより、ずっとトラブルも少なく済むだろう。
弓も剣も良いものだ。
弓は1mほどの大きさの短弓で、弦も緩んでおらず、程良くしなり、磨耗はあまり見られない。
木製の矢筒には十本ほどの矢が収められてあり、矢羽が白と黒の二種ある。黒い矢羽のものがただの矢で、白い矢羽のものには毒が仕込まれているのが鏃を見て分かった。
短剣の代わりに採取で重宝する大きさの異なる山刀が二本に、反りのない両刃の剣が一振り。
いずれも、鞘に木や獣の骨や爪で細工が施されている。民族系の博物館で見たな、こういうの。
この他にも携帯食等を始めとした、旅に必要そうな装備が揃えられていた。
「随分と揃えてくれたな」
同じお古でも、王都の餞別よりも充実した内容だ。
見繕ってもらった服に袖を通しながら、思わず感心する。
「血肉を対価に貰ったんだ。下手なもんは渡せねーさ。悪魔なんぞと違って、こっちは真っ当な商売をしているんだからよ」
「比較対象に悪魔を出されても分かり難い。俺の生活では一切関わらなかったもんだぞ、それ。まぁ、とりあえずあんたが真っ当な商売人だと言うことは分かったよ。
どれも良い品だ」
太ももまである丈夫な革靴を履き終え、枯れ草色をした、フード付きのクロークを羽織る。
クロークの下は、薄い紺色の下地に、白と深緑色で描かれた模様のある上着に、褪せた白のズボンと言う出で立ちだ。俺の見目と合わせれば、まさに異世界の住人、と言った風貌だ。これで馬に跨がれば、どこからどう見ても、騎馬の民に見えることだろう。
剣などの装備も難なくつけ終え、改めて着心地などの良さを褒めれば、マヅドさんはまんざらでも無いようだった。
「あら。随分楽しそうね?」
そうこうしているうちに、扉を開け、陽子さんが鈴鹿を連れてやってきた。
鈴鹿は大振りの赤い水晶のついたピアスを付け、足元まであった髪は背中の辺りにまで切ら揃えられていた。俺と違い、癖のない絹糸のような髪が光を受け、真朱の模様を鮮やかに浮かび上がらせる。
また、魔除けの玉がついた首飾りをつけており、動きに合わせて揺れる様が綺麗だった。
服装は大体俺と同じだったが、赤を基調にした装いだった。
鈴鹿の雰囲気に良く似合っている。
装備品も剣が短剣になっている以外は俺と殆ど同じだった。
「随分と鈴鹿を綺麗に整えてくれたんですね。ありがとうございます」
髪の毛一つとっても、俺ではこうはいかなかっただろう。鈴鹿も満足そうだ。
鈴鹿の姿を確認してから礼を言えば、陽子さんは小さく笑って「どういたしまして」と答えた。
「鈴鹿ちゃんみたいな可愛い子を、綺麗にしてあげるのは女の特権でしてよ。私では着れないようなお洋服も、鈴鹿ちゃんなら似合いますし、やっていてとても楽しかったですわ」
そう屈託なく微笑みながら、銀で縁取られた楕円形の鏡を渡された。
「これが転送用の魔道具でしてよ。精霊退治に必要なものは、この鏡に手を入れれば取り出せますわ。送る際は鏡にそのまま入れて下されば、こちらに届きますの。大きさなんて関係ありませんから、近づけて下されば、それで大丈夫ですわ。
道具のことなどで分からないことがあれば、鏡を通して伝えてくださいな。
すぐにお返事が出来ない時もありますけれど、ちゃんと答えてさしあげますわ」
「なるほど。それは助かります。
本当、何から何までお世話になります」
そう言って頭を下げれば、鈴鹿も真似をして頭を下げた。
「いいえ。そういう約束でしたもの。それに、手助けはここまでですし。どうぞ長生きしてくださいな」




