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うっかりしていた。自分のことを『僕』って言ってしまった。でもベルデは無反応だったし、いいか。というか、いいことにしておこう。もう今更取り返せない。
まあ、怯えの対象であっても、レオンハルトの変化に興味がないんだろうな。
そんなことを考えながら河原で乾くのを待ってから、街へと戻る。幸い天気も良く、風も心地よく吹いていたので、さほどかからなかった。
寄り道をしてしまったが、ではいざ『シュテファーニエ』へ向かおうと川岸を離れた僕は、またも足を止めることとなる。
というのも、グリスを見かけたせいだった。
「何やってるんだ?」
「……見れば分かるだろ」
街路樹の上からグリスが、気まずそうに答えた。それどころではなせいかもしれない。
彼が延ばした腕の先では、上ったはいいが下りられなくなった白い仔猫がみーみー鳴いていたからだ。あと少しで届くのだが、足場が不安定なためなかなか救出できないでいる。それでも僅かずつ、救いの手は近づいているようだ。
「気を付けて」
「はあ? ちょっと黙ってて……うわっ」
グリスの手が仔猫の襟首を掴んだ途端、まるで僕が声をかけたせいであるのようなタイミングで、彼は足を滑らせた。慌てて飛び出した僕の腕が、ギリギリのところで受け止める。
今の反射速度も、落下による加重を受け止める筋力も、全てレオンハルトが持ち得る能力によるものだ。かつての僕の体だったらまず動くこともできなかっただろう。
「危ない……」
「……」
グリスは姫抱っこ状態で固まっているが、怪我はないようだ。仔猫も同様で、彼にしがみついてみうみう言っている。
「猫を助けるのはいいけど、気を付けないと」
「……」
「グリス?」
「!?」
名を呼ぶと、びくっと体を震わせてグリスが僕を見上げた。いつものツンデレが発動するかと思いきや、どうやら彼は僕に怯えているようだ。
なんで? と思ったけど、レオンハルトのこれまでの所業を思えば当然なのだ。
何よりグリスはまだ僕に物理的に囚われたままだし、これからどんな鬼畜なことをされるか知れたものではない。
もちろん僕は、何をするつもりもないけど。
「ああ、えーと……よくあんな高いところへ登れるな。僕なら無理だ」
「なんだよ……猿みたいって言うんだろ」
「言わないさ。勇敢さを褒めているんだ」
怪訝な顔をするグリスに、宥めるように微笑んでみせる。
「自己犠牲をいとわない精神は素晴らしいと思う。でも、それを歓迎しない人もいるから」
「そんな奴、いるのかよ」
「僕とか」
「は?」
たぶんブランカ辺りもそうだろうが、彼女が真に好意を寄せているかは分からないので伏せておく。
しかしグリスは、ぽかんとしていた。僕があまりに突拍子もないことを言い出したせいだろうが。
「お前の親だって悲しむよ。例え血のつながりがなくても」
「……あんたが言うな」
グリスは一瞬泣きそうな顔になって、ぷいとそっぽを向いた。
彼は本当の両親を知らず養父母に育てられている。レオンハルトが出資したのは無論彼らだ。善人だがそれゆえ甘さを付け込まれて、破産寸前だったのを救ったのだ。
善行ではなくて、代わりにレオンハルトが彼らに付け込もうとしたのだろうけど、その辺はゲームでは明かされなかったから僕も知らないし、中身もレオンハルトじゃなく僕になったからもう付け込んでいないだろうけど。
「お前は度々自棄になるが、ちゃんとお前を心配する人はいるんだからな」
「……うるさい」
反発は弱弱しい。彼も内心では分かっているはずだ。
「そうだな。僕が口を出すことじゃない」
「つーか……さっさと、下ろせよ」
おっと。レオンハルトの筋力ではまるで幼女を抱えるがごとく軽い加重しかなかったので、ずっと姫だっこしたままだということを失念していた。
「どうせ嫌がらせだろ。男の体なんか抱いて何がいいんだか」
「別に、悪くもなかったけど」
「はあ!? ふ、ふざけるのもいい加減に……!」
本音を告げたのに、顔を真っ赤にして声を詰まらせたグリスは、仔猫を抱いたまま走り去って行った。
そりゃまあ、女子の方がもっと柔らかくて軽いだろうけど、そっちの感触は知らないし、諸手を上げて大歓迎って意味じゃないんだけども。