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 熱のせいか、不思議な夢を見た。

 そこでは僕は僕ではなく、完全なるレオンハルトになっていた。

 主観も主体もレオンハルトであって、僕は彼の中にいながら徹底して傍観者でしかなかった。

 だからまるで、レオンハルトの過去を追体験しているかのようだった。

 レオンハルトの目線は今よりずっと低くて、周囲の幼さを見ても、それは子供時代のことのようだ。

「先生、フェリクスが居眠りしてます」

 授業中、挙手をしたレオンハルトが教壇に立つ教師に告げた。声変り前の少年の透き通ったその声からは、聡明さとゆるぎない正義感が伺えた。

 なるほど。この時代にはまだ「悪役」ではなかったのだな。執事氏の言っていた、「昔の素直だったころ」なのだろう。

 レオンハルトの告発を受け、教師は居眠りしていた生徒にげんこつを落とした。教室にクスクス笑いが広がっていく。

「教えてくれてありがとう、レオンハルトくん。君はいい子だね」

 教師の謝辞に、見えないけれどレオンハルトが満足げな笑みを浮かべたのが分かった。げんこつを食らった生徒がこちらを睨んでいたがどこ吹く風だ。

 しかし僕の目からは、教師はあえて居眠りを見逃していたように見えた。子供と積極的に関わりたくないのか、その生徒が名家の子なのか知らないが、ともかくもやる気が感じられないのだ。仕方なく教師になった感にあふれている。

 それは子供のレオンハルトには分からない。とうに子供でなくなった僕だからこそ見抜けた本性であるが、生徒たちは誰も気づけていない。

 穢れを知らぬ年齢であればそれも致し方あるまい。

 しかしそうして彼がレオンハルトの告発を褒めてしまったことが、歪みを生んだのだと、この後でわかる。

 その教師の謝辞も義務的なものであったし、とはいえ領主の子息の行動に何もせぬわけにいかぬという仕方なさが伺えたけれど、そうして適当に発生した曖昧な出来事が、レオンハルトの主人格を創り出すなど、誰も予想なんてできないのだから、一概に責めることもできまい。

 夢の場面は断片的に切り替わる。

 レオンハルトはその後も、小さな告発を続けていた。相手は男女問うことなく、彼の正義に触れたものは容赦なく断罪された。

 隠れて何かしようとしていた者、いじめをしていた者、嘘をついた者……。

 僕の目から見ても、おおよそ異論はないけれど、レオンハルトは「悪をただす」というよりは「正義を貫く」方を重視しているように見えた。だから、背景を鑑みたら見逃してもいいようなささやかなものまでその範囲内に入ってしまっていて、それは明らかに周囲の反感を買っていた。

 レオンハルトの幼い正義感に同調する者たちもいるにはいたが、理不尽さを感じ彼を敵視する者も少なくなかった。彼自身は全く気付いていなかったけれど。

 それより深刻なのは、罪なき行動でもレオンハルトの裁きの対象とされるのではと怯える小市民的感覚の持ち主たち――――つまり大多数の普通の子供たちのことだ。

 レオンハルトは善行していると信じてやまない。だが一方で、支配階級に立ち、下層民たちを抑圧している。

 それは悪役と呼ばれる未来図と、何ら変わらないのではないか。

 だがこの時代の支配は相手が子供ゆえ、長く続かなかった。

「お前、いい加減にしろよな」

 レオンハルトの前に立ちふさがったのは、最初に彼の告発対象となったフェリクスだった。彼は帰宅しようとしていたレオンハルトの前で仁王立ちになって睨んでいた。その背後には、彼に同調する者が数人並んでいて、皆が似たような不満をあらわにしている。

「何の用だ。そこをどいてくれないか」

「いい子ぶりやがって、チクリ魔」

 集団で来られようと意に介さない様子のレオンハルトだったが、その悪口には子供らしくむっとする。

「自分が悪いんじゃないか、フェリクス。自らを省みればいいだけだ」

「お前、何様だよ。お前は全部正しい行動しているつもりかよ」

「みんな迷惑してるんだよ」

「そうだ、そうだ」

 囃し立てる子供らに囲まれるレオンハルト。さすがの彼も、一対多数では部の悪さを感じたのだろう。それに、説明したつもりなのに彼の正義が全然理解されていなくて、困惑している。

「こんなことして、知らないぞ」

「また先生にチクる気かよ。告げ口しか能がないんだな、お前」

「なんだと」

 かっとして掴みかかるレオンハルトに、すかさずフェリクスは応戦する。熱狂する周囲。そこへ騒ぎを聞きつけた教師が飛んでくる。

「何をしてるんだ二人とも、これはどういうことなんだ」

「レオンハルトが殴ってきたんです」

 フェリクスは泣き出した。ぎょっとするレオンハルトだが、先に手を出したのは事実だ。それでもなんとか言い訳をしようとする。

「でも、こいつらが俺のこと、悪く言うから」

「悪くなんて言ってない。話しあおうとしただけなのに」

「……どんな時でも、暴力はよくないよ、レオンハルトくん」

 面倒くさそうな教師のけだるさには気づけないまま、レオンハルトはショックを受けていた。教師だけは味方になってくれると信じていたのに、小賢しいフェリクスの言い分を飲んでしまったのだ。

 あっさりとはしごを外された彼は、そのまま孤立してしまった。

 迷惑がられていたのは本当で、翌日からクラスの中心はフェリクスにとってかわられた。何をするにも彼の意思が尊重された。これまでレオンハルトがそうであったように。

 それでもめげずに正義を貫こうとするレオンハルトだったが、何か言う度、

「またレオンハルトが嘘をついているぞ」

「気を引こうとしている」

などと告発そのものを亡き者にするヤジを飛ばされてきたため、やがて口の端にも上らなくなった。

 そして彼は、フェリクスを憎んでいった。

 フェリクスは、赤い髪もさることながら、面差しがカインとよく似ていた。

 注目の的でいたいという子供らしい欲が一度叶ったせいもあり、手足をもがれたような状況は、レオンハルトには我慢ならなかった。

「俺は領主の息子だぞ」

 ついには禁断のセリフを口にした。リベンジのつもりでもあった。フェリクスは、僕の目からは明らかにビビっていたが、内心を隠してせせら笑った。

「だからなんだよ。お前が領主じゃないだろ」

「この街にいられなくしてやる」

「パパに泣きつくのかよ。今度は父親にチクるんだな、チクリ魔」

 生来の口達者らしく、応えた様子のないフェリクスに歯噛みするが、レオンハルトは父親には何も言わかなかった。言えないことを見抜かれていたのかもしれない。

 領民一人に痛い目に遭わされていることを父に知られたら、どんな落胆した顔を見せるだろう。母親とほぼ没交渉で生きてきた彼には、親は父だけも同然だった。そしてこの年代、親はまだ絶対的存在、世界も同然だ。

 フェリクスはずるい。

 正しいのはレオンハルト。

 けれど善行してもこんな風に報われない結末を迎えるなら、いっそ悪行に励んだ方が苦しまなくて済むんじゃないか?

 そうやって、レオンハルトの純白さが闇色に塗りつぶされていくのを、僕は見た。

 悩みぬいた末、レオンハルトはフェリクスの彼女に近づいた。

 まだ少女的ではあったが、既に顔立ちは美しく整っていたので、簡単になびいた。顔さえよければ中身や外聞がどんなでも、心を移してしまう年齢だ。

「お前の女、相手をしてやったが、頭は空っぽで尻だけ軽くて、どうしようもないな。ボロ雑巾みたいに捨ててやったぞ」

 ここぞとばかりにレオンハルトは、フェリクスに告げた。彼は真っ青になって震えていたが、それが嘘だとも、なんてひどいことをしたのだとも、糾弾しなかった。後者を認めたら彼の負けになり、また前者は薄々、彼女の心が彼に向かなくなっていたことに気づいていたのかもしれない。

 代わりに、目を赤くして、低くかすれた声で、告げた。

「お前なんて、嫌われ者のくせに。卑怯者」

「なんだと」

「お前のことなんて、誰も好きになるものか」

 フェリクスの声は震えており、負け惜しみだとレオンハルトは思った。

 翌日、彼は学校に来なかった。数日して、街を出たと聞いた。

 ようやく勝ったと思った。溜飲を下げたはずのレオンハルトはしかし、苦しいばかりの胸の内を持てあまして苛々していた。

 傷ついたのはフェリクスなのに、彼もまた傷ついていた。こんなことはフェアじゃないと、心の奥で知っていたから。

 そんな風に思う人は、真の悪人とは言えない。

 だからって、一度闇落ちした己を光の当たる場所へ戻すことはできかねた。流されるように極悪人への階段を転げ落ちていく途中、レオンハルトはついに、カインを見つけた。

 その似通った容貌に動揺を隠せなかったものの、別人であることは理解していた。

 他人の空似。そう言い聞かせつつも、目が離せない。カインの目がいつかこちらを向いて、フェリクスと同じ罵声を浴びせてくるのではと、内心怯えながらも、『シュテファーニエ』に通った。そうなっていないことを確認して、胸をなでおろすために。

 もしそうなったら、どうするつもりだったのか。

 もしかして、やり直したかった?

 過ぎた時はどうやったって、取り戻せないのに。でも、あれが間違いだったと分かっているから。

 最初の躓きからやり直す―――リセットできたらと、願っていたのだ、レオンハルトは。

 でもこの世界は―――僕にとってはゲームでも、レオンハルトにとっては現実だ。時間は一方向に進むだけ、セーブもロードも、ましてリセットも不可能。

 それにカインはカインであって、フェリクスじゃない。

 レオンハルトにだって分かっていたはずだ。だってその執着が、少しずつ変わっていくのを、僕は彼の中で見たから。

 カインはレオンハルトにとって眩しい存在だった。穢れなく育ち、愛する家族と―――それはそのうち姉だけになってしまうけれど―――暮らし、悪心に身をやつすことなく健全な幸せを享受している。

 レオンハルトは、彼のように無邪気に笑えない。心を曝け、寄りかかる相手もいない。娼妓のローザがその役を果たそうと努めてくれていたが、優しくする以上のことはできなかった。

 だから―――欲しいと思った。フェリクスのことはいつしか忘れていた。レオンハルトの目には、カインだけが映っていた。

 そう、この思いはもともと、彼の中にあったもの。

 欲望でしかなかったそれに恋と言う名を与えたのは僕だけど、その芽は最初から植えられていたのだ。

 じゃあそれをなしたレオンハルトは、どこへ行ってしまったのか?

 あと少しで愛を得られたはずの彼は。

 僕は記憶を辿っていく。いい予感はしない。だってそもそも、僕そのものが死んでここにいるんだから。

 レオンハルトはレオンハルトのまま、芽生えた欲望を愛として開花させることはできなかった。

 彼の属性が、それを阻んだのだ。

 恐怖で人々を抑圧し、気に入らなければ暴力も辞さない。街一番の嫌われ者と化したレオンハルトは、落としどころを見つけられないまま、行動をエスカレートさせていった。

 それは彼自身の力ではもはやどうすることもできない段階にまで及んでおり、その状態は彼を苦しめるだけ苦しめていた。

 彼がどれほど拒もうと、こびりつき一部となった属性がそれを許さない。辞めたくても辞められない。

 自らを破壊するか、街を破壊しつくすか、どちらかしかないところまで、追い詰められていた。

 そして彼は人知れず―――前者を望んだのだ。

 菓子店の前でブランカの掛けた水がほんの少し足に飛んできたあの瞬間、あの時、彼はブランカを殺そうと思った。

 日々漫然とした悪意に身をゆだねていても、具体的な殺意何て、一度だって誰にだって抱いたことはない。

 そんなことを考えてしまった自分が恐ろしくて、許せなくて。

 ああついに、人ですらなくなってしまったのかと絶望して。

 心を壊し、それ以上生きることを放棄した。

 そして僕がそこへ、入り込んだのだ。


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