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 底辺を這いずる下層生物の自覚のある僕にだって一応、なけなしのプライドというものはある。

 つまり、女なんかに弱さを見せられるかって言う、まあ言ってみれば糞みたいなものなんだけど。

 それなのに僕の足は、ちんけなプライドなどものともせず、ずんずんと一直線に『シュテファーニエ』に向かっていた。余裕など皆無で、それだけ逼迫してたってことでもある。

 久々の外だ。相変わらず空は絵のように青く美しく、風は穏やかで心地よく、花は咲き緑は萌え、春と夏の境のような過ごしやすさだ。

 しかし僕は少しもさわやかじゃない。

 体は前向きでも心は後ろ向きで、この期に及んでまだぐずぐずしている。それは前述のプライド云々ではなく、どうせ僕なんか何やっても駄目だし、どこまでもいらない人間なんだというネガティブ思考だった。レオンハルトになる以前の本来の僕に染みついた、まさしく糞みたいな習性だ。

 でももう、賽は投げられた。ていうかこうして歩いている以上、自分で投げたも同然だ。例え自暴自棄の暴投でも、受け止めなくちゃ。

「レオンハルト様! どちらへお出かけで?」

「我々もお供を」

「うるさい、ついてくるな!」

 そんな風に不安を目いっぱいにじませた僕は、待ち構えていた腰ぎんちゃく二人を怒鳴りつけてしまった。涙目で震え上がる二人を置き去りにして進む。

 余裕のない僕はまさしくレオンハルトじみていて、鬼畜ぶりが板についてきたなんて自覚できたのは後のことだ。

 だがどこまで行っても完璧超人のレオンハルトとなりえぬ僕ではもう、一人で抱え込むのは無理なのだ。

 つか、執事氏にぽろりしちゃったし。

 で、まあ、思いついた相手というのはブランカだけだった。だって他のキャラは僕を攻略しようと手ぐすね引いているわけで、うかつに近づけないし、下手したら嫉妬で刺されかねない。

 その点、僕が何を言っても影響を受けないのは彼女だけだ。内容が内容だけに、適任とも言える。

 ここまでくると彼女との間にフラグが発生してもおかしくない気もするのだけど。バグなのか。この場合はありがたいが。

「あら、いらっしゃいませ、レオンハルト様」

 うだうだ考えている間に着いてしまった。第一声に困って口をつぐんでいる僕に、彼女は眉尻を下げて詫びる。

「申し訳ありません、本日のおすすめの木苺のプディングは、たった今売り切れてしまったところなのです」

「そうか……いや、今日は買い物をしにきたんじゃないんだ」

「そうなのですか?」

「うん……実はその」

 僕はきょろきょろと辺りを伺い、小声で彼女に言う。プライドなんか、と言ってもこのざまだ。

「相談に乗ってほしい」

「相談……私がですか?」

「他に誰がいる」

「す、すみません」

 察しの悪いブランカに焦れると、彼女はびくついた。怒られると思ったのか。

 いかんいかん、委縮させてどうする。脅しては元も子もない。

「少々込み入っている。立ち話では終わらせられないんだ」

「わかりました。では中へ」

 思考がぼんやりしている割にブランカは手早く店じまいをして、僕を中へと導いた。以前覗いた厨房を抜けて、狭いながらも整頓された綺麗な居間へ至る。男女二人とはいえ、そっち系の緊張感が微塵もわかない。

「今、お茶をお持ちします」

「いや、いい。それより残った菓子は買い取らせてもらう」

「そんな、悪いです」

「それぐらいはさせてくれ。それで……」

「はい。ご相談とは? 私でお力になれますでしょうか」

「他でもない、カインのことだ」

 予想外だったのか、ブランカはきょとんとした。僕は不安になって、挙動不審に狭い部屋を見回す。

「今いないだろうな」

「学校ですから」

「最近はちゃんと行ってるのか」

「やっぱり、サボっていたんですね。そうじゃないかと薄々思ってましたけど。レオンハルト様がお口添えくださったんでしょう?」

「なぜ」

「だってあの子、変わりましたもの。レオンハルト様がお優しくなられたのと同じくらいの頃から」

 意外と遠慮のない指摘に、僕はぎくりとする。

「ぼ……私は何も変わってない、それより」

「あの子が何か、失礼を?」

 どう切り出そうか迷った末、結局僕も彼女に倣ってストレートに言うことにした。

「嫌いと言われた」

「え」

「どうしたらいいだろうか」

 ブランカはじっとこちらを見て、首を傾けた。

「つまりレオンハルト様は、カインに嫌われるのはお嫌だと?」

「そ……!」

 否定しようとして、その通りだと思い、僕は言葉に詰まったまま黙ってしまった。頭を軽く振って、思考を切り替える。

「……嫌われる行動は、していないつもりだ。何が気に障るのか、分からないか?」

「あの子の心は、私にもわかりません」

 ブランカは首を横に振りながら目を伏せた。その仕草はどこか寂しげだった。

「昔はそんなことなかったんです。私のことを守る騎士のような心づもりでいたんだと思います。今もその本質は変わっていません。考えだって、単純で手に取るようにわかります。―――でも時々、別人のように見えるんです」

「え?」

「何かに焦がれるように遠くを見ていて、でもその心中は察せないんです。これが成長というものなら、喜ぶべきなんですけど…でもたぶん、あの事故があってから……」

「事故?」

「……覚えておられませんか? 馬車に撥ねられて、死にかけたんです、あの子」

 え? そんな設定、聞いたことないぞ? 裏設定なのか、それとも僕というバグのせいで発生してしまったイベントなのか……だとしたらえらい責任だ。

「いつ……」

「両親の死が知らされて、ほどなくしてからです」

 既に惨事が過去になったとはいえ、さらりとした様子を装っているが、たった一人になってしまった肉親までもが死の淵にあって、彼女はどれだけ心を痛めただろう。しかも両親の死から完全に立ち直る隙もないときに。

 確か両親も、馬車関係の事故死だったはずだ。天候不順がかさなって馬車ごと崖から落ちたんだったか。要因が違うとはいえ、ブランカがカインの事故で因果を感じなかったとは思えない。

「それは……つらかったろう」

「えっ、レオンハルト様がそんなこと言ってくださるなんて」

「だ、誰だって思うだろう、これくらい」

 ここにもまだレオンハルトの変化について行けない人がいた。そろそろ街の人たちだって、驚きの連続というパートからは脱しつつあると言うのに。

 ブランカは嬉しそうに微笑んで、しかし表情にそぐわない内容を淡々と口にする。

「私、一生懸命祈りました。この子までも連れて行かないで下さいって。お医者様も、諦めた方がいいなんておっしゃるような絶望的な状態だったんですけど」

「祈りが通じたんだな」

「はい。それで私、悲しんでられないと思って、この店を継ぐことを決めたんです。……あ、ごめんなさい。関係ない話しちゃって……カインのことでしたよね」

 ゲームがスタートする動機に関わっているということは、カインの事故もきっと設定として元々あったんだろう。しかしそこまでヒロインを追い込まなくてもと思うが。

 軽いゲームだった割に設定が重く感じるのは、僕がこの世界に視点を置いているせいだろう。

 まあ、誰にも何にでも、事情ってものはあるしな。

「でもレオンハルト様があの時証言してくださったから、無事犯人も捕まえることができたんです。下町の、よくある事故の出来事なんて、覚えてなくても当然でしょうけど」

 皮肉ではなく本心から言っているのだろう。そういうことが言えるような器用な女じゃない。

 しかし、にわかに信じがたい。

「僕が?」

「レオンハルト様の目の前で起きた事故ですから。でも正直、びっくりしました。その頃は特に、私どもの味方をしてくださる方には見えませんでしたから」

 正直すぎ! もし僕が前のレオンハルトのままだったらどうなってたと思うんだよ! まあ彼女も、いい方に変わったと思ったからこそ、ここまでぶっちゃけてるんだろうが。

 とはいえびっくりしているのは彼女だけではない。

 証言だなんて。なんだそれ。まるで善行みたいっていうか、善行そのものじゃないか。悪の権化が服着て歩く男のすることじゃない。

「他の方がおっしゃるには、カインがレオンハルト様のお姿に目を止められた瞬間の出来事だったそうですけど」

 え、何ソレ。何かよからぬことをしていたのか、レオンハルト。何かしらの悪事に気が付いて? だとしたら、レオンハルトのせいで事故に遭ったことになる。良心の呵責で証言したのか、さもなくば……。

 僕がレオンハルトにならなかったら、カインにどんな危険が及んでいたのか、想像するだに恐ろしい。そんな展開は、ゲーム中には一切出てこなかったけど。

「これは私の想像ですけど、あの子はきっと、恋をしているんだと思います」

「恋……」

「初恋も知らない私が言えたことではないんですけどね」

 なんともロマンティックな想像だったが、そんな言葉でも十分だった。

 おそらくその相手は僕ではない。そうなら嫌いとは言うまい。ツンデレキャラだって、「嫌い」までは言わないのが基本だ。

 恋だなんて。知りたくなかった。さらに気持ちが暗くなる。

 あの青い目が追いかける相手への妬みで狂いそうになるもそれは持続せず、現実に打ちのめされる。

 すなわち、嫌われているというただ一つの事実に。

「あの、レオンハルト様?」

「邪魔したな……」

 力なく立ち上がりふらふらと出て行く僕に、ブランカが慌てて包みを持って追いかけてきた。といっても狭いので、体は既に外に出てしまっているが。

「ああ、菓子の代金を払わないと」

「いえ、これはお持ちください。お詫びにもなりませんが」

「なんでお詫びなんか」

「余計なことを言いました」

「お前は何も悪くない」

「でも、おつらそうなお顔をされていらっしゃいます」

 そう言うブランカの方がつらそうだった。ということは僕は、よっぽどひどい顔をしているのだろう。

「わかった、これはもらっておく。……それから今日のことはくれぐれもカインには」

「内緒ですね」

 人を思いやる優しさは持っているくせに、それが何に起因しているかまでは察せないニブキャラのせいか、僕が相談したことの深読みはしていないようだ。よかった。

 ブランカが中へ戻っていくのを見送り、ぐったり疲れた踵を返すと、目の前にカインがいた。


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