10
それから何日かは、何もなく平穏だった。
僕は街をうろつきまわっては、レオンハルトらしくない善行に励んだ。それはもう嫌がらせのように。
キャラ設定にない振る舞いをするのはレオンハルトをつぶして上書きしようってことじゃなくて、全ては僕らしく生きるための布石に過ぎない。
偶さか困ってる人を助けたら、「お前そんなキャラじゃなかったろ」的に驚かれたりビビられたりしてるけど。
でも蛮行を働いてるわけじゃないから、街の人たちも少しずつ慣れてくれてるみたいだ。と思いたい。
ある意味、レオンハルト本人にしてみたら蛮行なんだけど。
その時も僕は、荷運びを手伝っていた。いやこれはほんと、恐縮されたし、領主の子息がやる仕事じゃないけども、だって困ってたから。別に仕事を奪う意図はない。
「おやまあ、誰かと思ったら」
レオンハルトの有り余る体力と筋力が如才なく発揮され、怖がられつつも感謝されたりしてまんざらでもない僕に声をかけてきたのは、ビオレタだった。
とはいえ娼館近くだったから、別に驚かない。
「何をなさっておいでです?」
彼は呆れているようだ。仕事を負えて一息ついた荷運び人たちは去っていく。
「レオンハルト様のなさるお仕事ではないのではありませんか?」
「いや、一人、怪我して動けないって言うからな」
「レオンハルト様が怪我を負わせたわけではないのでしょう」
「まあそうなんだけど」
「こんなに余力があるなら、うちにいらしてくださればよろしいですのに」
「……僕が行かなくても儲かってるだろう」
「あなたが来てくださらないから寂しくて、会いに行こうと思っていたんですよ」
「え」
「こんな風に偶然会えるなんて……あなたのことばかり考えていたせいでしょうか」
ビオレタはそっと寄り添ってきた。キスはしないけど、したそうな感じに、目が潤んでいる。
え、何コレ。気のせいか、口説かれてない? いや、気のせいだろ、なんで僕が口説かれるんだよ。それはブランカの役目だろ。
でもビオレタは、フラグどころかブランカと出会ってすらいないわけで。
いやいや、僕、男だぞ。なんで攻略キャラが僕に。
「ローザに嫉妬いたします」
困惑している間に人が来たので、意味深な言葉をささやいて、ビオレタはさっと僕から離れた。
「次はお店にいらしてくださいね。ご指名をお待ちしておりますから」
指名って。いや、売れっ子娼妓をというふうには聞こえなかったぞ? という間もなく、彼は行ってしまった。そこはかとなく、妖艶な笑みを浮かべていたような。
なんだかわからないがなんとなく、危機を脱したっぽい? あのままだったらどうなっていたことか。とりあえず、通行人に感謝だ。やれやれ。
と、歩き出したら、道を塞がれた。誰かと思ったらグリスだった。
むっすりと不満顔をしている。
「あんた、ああいうのが好きなのかよ」
「ああいうのって?」
「ビオレタに決まってるだろ」
不倶戴天の敵たるベルデとかかわりを持つせいか、グリスはビオレタのこともよく思っていないのだ。
「女の不幸を食い物にしてるんだぞ」
「ビオレタは、僕が知る限り女の子たちのケアもちゃんとしてるよ」
「あいつの肩持つのかよ。分かるもんか」
グリスはぷんとそっぽを向いた。いや、僕はそういう「設定」だって知ってただけだから。
というか、やけに突っかかるな。いくら嫌いでも人の悪口を言うタイプじゃなかった気がするけど。
「やっぱり、好きなんだ」
僕が同調しないため、グリスはそう結論付けたようだ。いや、待って。どうしてそうなった。
「発想が飛躍しすぎだ。好きなんて言ってないし」
「でも近づくの許してたろ」
見られてたのか。ちょっと恥ずかしい。別に悪いことしてたわけじゃないんだけども。
「ああいうのが好みなら」
「いや好みとかないから」
「俺も……髪伸ばしてやってもいいけど」
ん? どういうこと?
なんでグリスは頬染めて俯いてんの? しかもどういう意味なの? ちょっと誤解を招きそうなこと言っちゃって。
と思ったら、はっとしたように彼は顔を上げた。
「か、勘違いすんなよ。別にあんたのためじゃないし」
そう言って彼は走り去っていった。
えーと……もしかしなくとも今のは、ツンデレ発動というやつで……。
その対象って、もしかしなくても、僕?
はは、まさか。
でも好きな子振り向かせたくて、ライバル貶しちゃう失敗とか、あるあるだよな。
や、ゲームとかでね?
釈然としない気持ちを抱えつつ、再び歩き出す。すると今度は、ぐいと腕を掴まれて路地裏に引っ張り込まれた。油断していたとはいえ、体重も筋力もあるレオンハルトを一体誰がと思ったら、ベルデだった。
「……あなたにこんなこと言えた義理じゃないのは分かってます。でも」
思いつめた表情のベルデに、強制的に壁に追い詰められる僕。
あ、これ知ってる。間違った方の壁ドンだ。
でもベルデの背はレオンハルトより低いから、とても不格好な壁ドンで、しかもそれなのに僕は逃げられない。ベルデが真剣な顔をしているせいだ。
「あなたが僕以外の誰かと会うのが、許せない」
「え」
「僕だって、男なんですよ―――僕だけを、見てください」
背伸びしたベルデに、僕はキスをされた。ほんの少し触れるだけのささやかなものだったけれど。ベルデが震えているのは、恐怖由来じゃないことは、僕にだって分かる。
でも僕は、固まってしまって何もできない。頭の中も真っ白だ。
目を潤ませたベルデが自らの手で解放してくれるまで、僕は壁と一体化していることしかできなかった。
な……何が起こった?
ていうか今のは、確定だよね。
僕、攻略キャラから迫られてる。
なんで? 攻略なんてしてない。素の僕を見せただけだ。
それが原因なのか?
やだ怖い……。
だって僕、彼らを攻略するつもりなんてないのに!
――――じゃあまさか、ブランカも?
と思って店に行ったが、取り立てて何もなく普通に接客されただけだった。
あれ……。
普通に買い物を終えて所在なく店の近くをうろついていると、学校から帰ってきたカインにジト目で迎えられた。
「何やってんだ、お前」
その対応に、ほっとする僕。そっか、この子はモブであって攻略キャラじゃないもんな。もしかしたら彼らは攻略するために恋愛に関して、そもそもゆるめにできている可能性もあり、その点、カインは落ちることはないのである。モブだからね。
「また姉ちゃんを狙って」
「いや、全然」
即答したら、カインは言葉に詰まってしまったようだ。
「ヘラヘラしてんなよ」
「してたかな」
顔を触ってみるが、自分ではよくわからない。が、そうだと言うなら理由は分かる。
「いろいろあってな。お前といると安らぐんだ」
「いろいろって」
「好意を持たれるのが困るってこと、あるんだな……」
再びカインのジト目にさらされる僕。
「いや自慢とかじゃなくて。僕は彼らに応えることができないから」
「なんで。かわいそーじゃん」
カインが顔色を曇らせた理由がわからなかったし、かわいそうの意味も僕には不明だった。というか感情がこもってなくて、棒読みっぽかったし。しかし分からない以上、意図を汲むこともできない。
「その点、君はその心配が―――」
『お前のことなんて誰も』
突然に、またあの幻覚が始まった。それは一瞬のことで、けれど確実に僕の耳元を実感を伴ってかすめていった。
感じたのは、明確な悪意と敵意。
その強さにふらついてしまいそうになるのを、僕はぐっとこらえて何とか言いかけた言葉を最後まで発する。
「―――ないから」
これまでのそれは、カインに重なった、カインじゃない何者かだと思っていた。けれど。
「お前が俺の何を知ってるっていうんだ!」
不意に叩きつけられた強い言葉に、僕は幻聴も相まって呆然とする。そんな僕が許せないというように、カインはさらに言葉を重ねた。
「ちゃんと俺を見ろよ! 虚像を追ってんじゃねえよ!」
カインが、俺の襟元を掴んできた。泣き出しそうな顔が、俺を睨んでいた。
「何も知らねえくせに。お前なんか嫌いだ!」
彼は突き飛ばすように僕から手を放すと、店の奥にある住居へと走って行ってしまった。
言葉の意味はよくわからなかったけれど、言わんとしていることは分かる。拒絶だ。
それは予想以上に手ひどく僕を打ちのめし、しばらくその場から動けなかった。