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最終話

 時刻は昼を過ぎようとしている頃、携帯を片手に布団から這い出した。

『……いえ、違うんです。許してください』

 起こしてくれたモーニングコールに出た瞬間、謝る。

『なにが? 時間は決めてなかっただろ?』

『あ、はい。そうなんですけど……、あの怒っていらっしゃらない?』

『どうして怒るのかな。きみ、何か悪い事したの?』

 怒ってる。

『いえ、なんでもないデス。良かったら、今日のお昼を奢らせていただけません?』

『君がどうしてもっていうなら』

『藍さんに奢らないと俺の気がすまないんで、ぜひ奢らせてください』

『やれやれ、仕方ないな。そこまで言うのなら、やぶさかじゃないよ』

『ありがとうございます!』

 畜生。


 街中から少し離れた住宅街の傍にある手作りパスタの店は、俺が思ったより遥かに良い値段をしていた。

「何?」

「いや、美味しかったなと」

「嫌味かい?」

「まさか。奢らせていただけて、光栄の至りだ」

「よろしい。じゃあ次は買い物だ。いいか?」

「喜んで」

 笑いながら言う藍に、こういうのもたまには悪くないと思った。ドエムな僕。

「スズキはほしい物ないのか?」

「んー。俺のは帰りでいいや、荷物になるもんばっかだし」

「じゃ、通りの方に行こうか」

 寒空の下を数分も歩けば、家と店とが点在している古町の方に着く、そこからさらに入り組んだ道を進むと、いきなり人通りが増え、ゲーセンやらグッズショップ、漬物屋や呉服店などなど混沌と店の並ぶ、新町の通りとなる。

 怪人達も、こういうとこで商売をすればいいのにな。馬鹿で助かったというか。

「それで、何見るんだ?」

「んー、特には決まってないんだけどね。最近来てなかったし、服とか見ようかなって」

「じゃあ、俺のお勧めの店が……」

「パパティにはいかないからな!」

 パパティ。パジャマパーティーという店の略称だ。名前とは裏腹に、売っているのはパジャマなんて可愛い物ではなく、ボンテージとか拘束具とかマニアックなものばかりである。

「ちっ、知ってたのか」

「栄太の奴が友達と一緒に行って、ホモに狙われたって」

「こわっ!?」

「玉原と一緒だったらしいからね……」

 玉原圭吾、野球部。坊主で、背が高く、がたいも良い。ホモに人気でそうな人ランキング一位(俺の脳内調べ)

「そりゃ栄太が悪いな」

「うん……。あっ、あれ可愛いな!」

 藍が指差したのは、近頃我が市で押されている、ゆるキャラのマスコットだ。二等身で、胴体が丼に嵌ってしまっている。

 先日行った親子丼の店の様に、丼物が少々有名な市なので、それ故のコラボだと思うが……。

「藍……、お前もう少し奇抜な物を好きになれないか? 没個性だよ、それ」

「アレも十分奇抜だろ!? なんでそこまで言われなきゃならないんだよ!」

「藍のそういう顔が見たくて、言ったんだよ?」

「嫌がらせか!?」

 はい。

「うむ。久しぶりに二人での買い物だし、少し調子に乗ってるみたいだ」

「き、気持ちはわかるけど……。最初からはしゃぐと、もたないぞ」

「そうだな。夜の事も考えないとな」

「よ、夜!?」

「ごぁっ……」

 驚いた拍子なのか知らないが、藍に思いっきり心臓の辺りを殴られた。

「……いっつも思うんだけどさ、なんで藍って、二人きりの時だとそんなに初心なん? 学校とかなら軽く流すくせに」

「だ、だって、皆居ないから、冗談に聞こえないっていうか……」

「俺の言う事だぞ?」

 自分で言うのもなんだが。

「二人だけだし……、君が思わせぶりに言う、から……」

「思わせぶりに言うから、なんだ? もしかしてついに受け入れてくれるのか?」

「や、ち、ちがっ! 第一、なんだよ受け入れるって!」

 こいつは何でこうも、露骨な反応するかなぁ……。もしかして、誘ってるんじゃないか?

「よーしじゃあ指輪を買おう! 指輪!」

「なんでいきなり! ま、待てって!」

 うろたえたようにしつつも、手を握ってひっぱれば、大人しく着いてくる。嫌ならてこでも動かない奴だ、そういう事。ゲームでも現実でもポーズは大事。

「なぁ、おい、……本当に買うのか? 冗談だろ? なぁ、なぁってばぁ……」

 弱々しい声で言う藍を、無視し、黙って手を引き歩き続ける。

 喋ると、ふざけちゃうから、なんて理由だが。

 しかし、今までの傾向からして、ここで押し切ってやらないと、こいつはまた適当にごまかし始める。今まで何度そんな目に合わされたことか。

 今日こそ、ここで決着を付けよう。もうお預けは勘弁願いたい。

「おいぃ……」

 半泣きの藍をよそに、近所の露天でやってるシルバーの店へ向かう。

 店主の兄ちゃんの手作りだが、これがまたセンス良く、手ごろな値段なので、時々お世話になっている、行きつけの店だ。

 随分と前から、もし藍に買うとしたら、とあたりを付けてあった。

 あったんだが……。

「くそう、こんな日に限って!」

 露天は開かれておらず、代わりに別の屋台が開かれていた。

「はぁ……」

 隣で藍が安堵とも、落胆ともつかないため息をついた。

「ちぇーっ! 今日こそ既成事実作ってやろうと思ったになぁ」

「普通ソレは女の方がするもんだろう……」

 くそぅっ、微妙に落ち着きを取り戻してやがる。今日はもう無理か。

「畜生ー。俺のヒモ生活が……」

「最低だっ!?」

「痛いから叩くな……」

 こういう事を言うから、本気にしてもらえないのかなぁ、と思いつつ、ふざける。

「なぁ、これどう思う?」

 気持ちの切り替えが早い藍は、もう既に目の前の屋台へと意識を向けて、広げられた商品の一つを視線で指した。

「……なんだ? リコンの力?」

 また、怪人の商品みたいなネーミングセンスだな。

「効果とか書いてあるか?」

 無用心にも店主は離れているらしく、不在だった。

「えぇとだね、『これを飲めばたちまちモテモテ、フェロモンむんむんな色男に! 道行く女をたちまちゲット! 気分もふわふわ浮ついちゃう!(男性限定:効果は二十四時間)今の男に飽きた皆さん。お金がほしい貴方! 財産目当ての奥さんも! 目当ての朴念仁に飲ませて、スーパー訴訟タイムで示談金を手に入れろ!』だってさ」

「……ははっ」

 男が自分のために使うんじゃなくて、女が男を陥れる為に使うのかよ。

 じゃなくて、これやっぱり怪人の屋台だろ。とりあえずそう思って行動したほうが間違いはない。だとすれば、何か対策をしないと。冗談でも買われては困る。

「ふむ……。君、飲んでみるかい?」

「いやいやいやいや! なんで俺が!」

「冗談だよ。なんでそんな焦……、まさか君、彼女、が?」

 言葉と共に、青ざめていく藍さん。なんでだよ。

「いや、居るわけ無いだろ」

 思わず素になった。

「そ、そうか。うん、それなら、いいん、だけど、ね」

 ……めんどくさい奴だなぁ、とは思うが、そこもまた気に入ってるので何も言わない。

「んな事より――」

「お、いらっしゃい!」

 離れよう、としたところで、店主が帰ってきてしまった。

 黒と黄色の、所謂警告色という珍しい服の色だ。

 まずは、藍をここから遠ざけたいが……、すぐには問題ない、か?

「お一つどう……」

 うん? 固まったぞ。――俺の顔を見て。

「いえ、見てただけです」

 藍は何も気づかず、受け答えをしている、がしかし、これはまずいかもしれないなっ!

「藍! こっちに!」

「きゃっ!?」

 強引に藍の手を掴んだまま、来た道を戻る。

「ま、また指輪か!?」

 のんきに顔赤くしてるこの子、可愛いな。

「またはまたでも、こないだの化け猫の時みたいなもんだよ!」

「なっ!? ど、どうするんだ」

 ここでパニックにならない辺りが、藍らしい。可愛げがないとも言う。可愛いのか可愛くないのか。

「追われてるか分からないからな、一度、路地の方まで戻る。もし追ってきてたら神社の方まで行こう」

「わ、分かった」

「悪いな」

「いいよ、その代わり埋め合わせしろよ?」

「任せろ」

 視線を集めながら、人波をかき分けていくと、すぐに古町への通りが見え始めた。

 そのまま古町へ入ってから、一度振り返る。

「来て、ない?」

「……いや、来てるみたいだ。藍、もう少し走るぞ」

 再び手を取り走り出す。決して、怪人を見つけたわけではない。ただ、振り返ると、異様に遠くまで見えた。

 一瞬で判断はできなかったが、視界内に怪人がいたのだろう。

 もと来た道を途中で逸れ、指定文化遺産がどうたらと書かれた看板の矢印通りに走る。

 かなり息が切れているが、何とか階段を登って、鳥居をくぐった。階段の途中で、一度振り返った時は、誰かが近づいてる様子は無かった。とはいえ、安心できない。

「ふぅ……、藍はお堂の中に隠れてろ。多分、危険だ」

「う、うん。それじゃぁ……、怪我、するなよ?」

「俺のチキンぷりをなめんなよ」

「誇れることじゃないな」

「わはは。じゃ、後で」

「うん……」

 不安そうな藍の手を離し、――そして後悔した。

「きゃっ!?」

「藍っ!?」

 飛行機でも通ったかの様な暴風が傍を過ぎ去り、……目を開けた時にはもう、藍は連れ去られていた。

 ブゥン、という耳障りな羽音に目をやれば、空には全身を硬質の皮膚に変え、残像の速度で羽を動かす店主の姿があった。

 その手には、藍が捕まっている。そして店主の背から、尻尾と言うには余りに太く長い、蜂の胴に似た物が生えていた。その先端には、……極太の針。

「どう、する」

 高さは。大丈夫、跳べば届く。でも、跳んで無防備をさらしてどうする。

 あの針は、刺すどころかそのまま貫くだろう。俺が倒れたらだめだ。無茶はできない。でも何とかしないと……!

「――っ!」

 藍が何か言っている。でも、羽音がうるさくて聞こえない。

 投石、ダメだ。藍にあたる。だが、羽を狙えば? 隙はあるか? 作ろう。どうやって? そもそもあいつの目的は? 逃がしちゃいけな――

「はいはい、ストップ。ダメだよ」

 のんきな声が聞こえた、と思った次の瞬間、地面の硬い感触が全身に広がり、そしてそのまま、視界が真っ暗になった。


「はい、ゲームオーバー」

 ナンシーがいる。場所は、分からない。薄暗い部屋だ。埃の匂いがする。

 体は? ……動かない。手と足を、壁に縫いつけられている。顔は動く。

 隣に藍がいた。同じく壁に縛られては居るが、生きているようだ。良かった。

「どうして嬉しそうな顔をしてくれないの? スズキ。ご褒美あげようと思ってるんだよ? 良く頑張ったねって」

 ナンシーが近づいて、俺の顎を掴み、目を合わせて言った。

「ご褒美?」

「そう! 本当に凄いよスズキ。君に向けて放った怪人は三体。猫と牛と鳥。君はそれを全部倒したんだ。だから、ゴホウビ。私と、戦おっか」

 遊びにでも誘うように、ナンシーは言った。

「でも、私って肉弾戦向きじゃないんだ。だから、根性比べ? そんな感じ。じゃ、頑張ってね。いや、頑張らないでね」

 



『スズキ、大丈夫かい?』

「ハナ? どうやって話してるんだ」

『テレパシーみたいなものだよ。緊急時用の非常回線』

 そうか、出会った時の(今……、君の心に直接……)って冗談じゃなかったんだな。

「なるほど……。こっちはなんとか、大丈夫だ」

 答えて、地面を見る。血を流して動かないナンシーの姿があった。

『気持ちは分かるけど、今すぐそこを出るんだ。崩れてしまうよ』

 対怪人向けとしての強化能力のお陰か、ナンシーの攻撃は俺に全く影響を与えなかった。

 今のうちに、と拘束具を強引に解いた手は、はからずもナンシーへと――。

 ダメだ。家に帰ってから落ち込もう。今は藍を助けないと。

 ハナの優しさなのか、身体強化はリミッターが解除されていて、藍を容易く担げた。

 部屋を出ると、すぐに場所は分かった。

 怪人の基地。そこのエレベーターを出てすぐの部屋だ。

 傍のドアを開くと、予想通り突き当りにエレベーターが見えた。

 微かな震動を感じる中、止まらないように願いつつ乗り込み、ボタンを押す。幸運にも、エレベーターは素直に駅まで、上がってくれた。

 人払いがされているのか、駅員すら居ない駅の改札を抜けて、傍のベンチに座りこんだ。

 地下の崩落は、上層まで響いていないようだ。震動もまったく感じない。

「ん、……うぅ?」

 隣に座らせていた藍が、目を覚ました。

「助かった、の?」

「あぁ、帰ろう」

「……うん」

 鳥の様に、肩を寄せ合う。藍の温もりに、漸く安心できた。

「何か、急に、眠たくなってきたな……」

「疲れたんだよ。 少し寝たら?」

「そうか……? じゃあ、ちょっと、だけ」

 まさか今頃、ナンシーの能力が効いてきたんだろうか? まぁ、いいか。藍も助けれたし、ナンシーを俺の手で倒せた。そこまで出来たなら、上首尾だ。

「ハナ……」

『うん。君は良く頑張ってくれた。お疲れ様』

「仕事だから、な……」

『……お休み』


「ぐぅ……。焼ける、焼けてしまうぅぅ……」

 ばたばたと布団を抱いてもがいてみた。日を浴びて、粉になってしまう吸血鬼ごっこ。

「馬鹿か、俺は」

 そんな事をしても残念ながら消えれないし、学校に行かなきゃならない事実はかわらないのだ。

 なんというか、余りにもルーチンワークすぎる朝に飽きた感はたっぷりするのだが、かといってそんな理由で起きないわけにも行かない。なぜなら、

「ほら! 起きる! 何で僕が毎朝起こさなきゃならないのさ! しかも起きてる君を!」

 厳しい幼馴染がいるからだ。

「分かった。悲しいが、仕方ない。今日限りでその任を解こう……」

「そうしたら君、学校に来ないだろ!?」

「だってよぉ……、布団が悪いんだ。こんなに気持ち良いから……」

「分かった。じゃあ布団を取り上げて、これからは石畳の上で寝てもらう」

「あぁ! ごめん、やめて!」

 藍なら冗談抜きでやりかねない。はぁ……、起きるか。

「よしっ! じゃあ着替えるから、目をかっぽじって良く見てろよ!」

「誰が見るか!」

「おふっ」

 勢い良く立ち上がった俺へ、藍の容赦ない足払いが決まり、再び布団へ寝転がるはめになった。だが、コレは好機である。脚を払ったのは藍だ。つまりもう一度寝ても良いという――

「あ、そのまま寝たらレンガ持ってくるから」

 ドア越しに、そんな言葉が聞こえた。

 あの子、レンガ持ってきて何するつもりなんだろう……。

「寒いからかな、俺の体震えてるの」

 呟いて、大人しく着替えを済ませる。

 ……あの日から、半年ほどが経っていた。

 ナンシーの件を経て、ヒーローの仕事からは足を引いた。

 ハナは、引き止める事無く、すんなり受け入れてくれた。もしかしたら、気を使ってくれたのかもしれない。

 それから、する事もなくなり、何をする気もなくなり、気づけば、俺は復学していた。

 結局、変われなかった。

 これまでも、そしてこれからも、俺はこんな風に生きていくのだろう。そんな気がした。

 ――だから。

 だから、変えてやる。自嘲した言葉で、全てを納得なんてしてたまるか。

 真っ暗な決意を秘めて、ドアを、開けた。

 部屋の前で待ってた藍に、出てくるのが遅い、と叩かれた。

 畜生。


「毎朝本当に大変なんですよ……」

 それから八時間ほど時は過ぎて、放課後、生徒会室。

 栄太、先輩、会長、藍、そして俺を交えて、藍の訴えを聞く会が開かれていた。

「もうお前ら、結婚したら?」

「なんでそうなるんだよ! 嫌だって言ってるのに!」

「だからさ、結婚して、そういうとこを強制してやりゃいいじゃん」

「なんで藍がしなきゃならないんだ!」

 藍さん、素が出てます。藍って言っちゃってますよ。

「そっかー。よし分かった! 生徒会長さんが、大事な生徒、ひいては役員である藍ちゃんと、スズキ君の為に一肌脱ぎましょう!」

「会長は何にもされない方が、良いと思いますわよ」

 先輩の言うとおりだが、今余計な口を出すと藍がうるさいので任せてしまおう。

 悪いことにはなるまい。

「会長さんが、起こしてあげる!」

「却下です」

「どうして!?」

 会長さんが、のあたりで藍は返事していたように思う。毎度の事なので、最適化されてきたんだろうか。

「いや、会長の家からじゃ遠いですし、七時には出ないといけないんですよ? 無理です」

「七時……。だめだ。ごめんねスズキ君。私、朝の20分は犠牲にできない」

「いえ、いいっす。その気持ちはとても良く分かるんで」

「スズキ君はいい子だねー。よし、飴をあげよう!」

 嬉しそうに飴をこっちへ差し出してくれるが、取りに行かない。

 何やらむくれた顔でこちらを見てくるが、行かない。

 取りに行くと、「はい、あーげた!」とか小学生みたいな事されるから。

「ふぅ、仕方ないわね。じゃあ、私が起こしてあげましょうか?」

「しょうがねぇ、なら俺も起こしてやるよスズキ!」

「じゃあ、会長さんも起こしてあげるね!」

 沈黙が、流れた。

「藍ちゃん! そこはじゃあ私も、だよ!?」

「やりません!」

 仕方がない……。

「じゃあ、俺が起こすか」

「君が本当に、自分で自分をきっちり起こしてくれたらこんな話は出ないんだよ!」

 すっげぇ怒られた。

「まぁまぁ、その話は今したって仕方ないんだから置いといて」

「はい……」

 不承不承、藍が頷いた。

「何か、スズキ君から重大な話があるんだって」

「お? どったの。また下らない話か? からかいすぎて、渚にドアノブを盗まれたとか」

「確かに昔そんな事もあったが、違う」

 事実である。結果開かなくなり、最終的に蹴破った。尿意に負けたのだ。藍を怒らせてはいけないと思った事案の一つ。

 ともあれ、今さっきまで静かにしていたのはその話もあっての事だ。

「よし! 重大発表ー!」

 叫ぶと、会長が拍手をしてくれた。それ以外の皆は生返事をして、各々本を読んだりゲームしたりし始めた。畜生。

「お前らそんな態度とって後悔すんなよ!? 特に藍! これはさっきの話を解決する、とっておきの秘策なんだぞ!」

「はいはい、分かったから早く言え」

 こちらを見ずに、手の甲を、ともすればあっちいけ、と取れるように上下へ揺らす藍。あまりにもぞんざい……、ぞんざいすぎる……。

「こ、この野郎……」

 さて、ここまで予定調和。という訳で……。

「よぉっし言うぞ! 俺、今日で学校やめます! いぇーい!」

「は?」

「え?」

「あ?」

「うん?」

「海外のNPO団体に入ってみようと思うんだ」

「またか? 今度は随分早いな、いつ復学するんだ?」

 俺の言葉に、栄太が呆れたように言って、

「早めに戻ってきてくれると嬉しいなぁ。私、卒業しちゃうし」

 会長が少し寂しそうにしながら、言う。

 そうそう、俺がこんな事を言ったって、そういう態度だよな。

「なんだなんだ。前回は文句言われたから、今度はちゃんと宣言したのに、その態度は」

 計算通りではあるが、誰一人、引き止めようとしやがらないのは、少々不服である。

「あなたねぇ、前回の事考えたら、すぐ戻ってくると思うに決まってるでしょう?」

「そうだよ。君、ちょっと期待しすぎ」

 キャラっていうのは大事だ。一度固定されたそれは、中々覆す事ができない。

「そりゃま、そうか。……じゃあ仕方ねぇな。うん、……じゃあな、皆」

 さぁ、こう言えば、次にきっと、先輩辺りが……、

「何だか、貴方らしくないわね? 少し、暗いわよ」

 来た。そう、そうだ。先輩なら、その言葉を言ってくれると、思ってた。――待ってた。

「俺が暗いのは、おかしいか?」

「そりゃそうだ。スズキがふざけてる以外で、暗いなんてな。全くにあわねぇし」

 栄太は、あまり軸というものがない。だから、誰かの言葉に続くのがいつもだ。

 誰でも知ってる、彼のキャラクター。

「そういう時ぐらいあるさ。ヒーローじゃないんだしな」

「ふぅん……。何だか以外だね」

 会長はいつも、気づかない。天然だから。

「俺が明るくないと、いけませんか?」

「そ、そんな事、言ってないよ?」

 でしょうね。分かってます。

「おい、君……」

 そして、藍は俺の事をよく理解してる。だから、異変に気づいた。けどもう遅い。

「何だか、変な空気ね。何? 言いたい事があるのなら、言いなさいよ。スズキ」

 いいトスです先輩。

「……知ってますよ、俺。いつも笑ってて、明るくて、誰にでも優しくて、傷つかなくて、めげなくて、頑張りや。頼りになって、なんでもしてくれる。皆はそんな理想の俺が、好きだっただけですよね?」

 今まで堪えてたものを吐き出すように、言おう。

「……そんな風に居るのって、大変なんです。見えない所で笑う練習して、話すネタ考えて、面白いこと探して、頑張って鍛えて、辛い事があったら影で泣いて。弱音を全部抱え込む」

 嘘を付くときは、本当の事を混ぜるが、それは嘘に限った話じゃない。

 あらゆる物に、誇張を混ぜる。それが、上手な話し方。

「でも、今みたいな愚痴や、不満もらす俺のなんて見たくない。いらない。ですよね?」

 突然の俺の吐露に、栄太の顔が蒼白になり、先輩の顔が歪み、会長が泣きそうになる。

 あぁ、何て辛そうな顔をしてくれるんだろう。

「ま、待てよ! 俺らは別にそんな……」

「ふんっ。気に喰わないわね! 勝手にそんな責任感もたれて、私達の為みたいに言われて。いいわ、下らないヒロイズムに浸って消えてしまいなさいな」

 そうだ、いい、期待通りだよ、先輩。

「先輩っていつもそうですよね。自分の計画通り、掌の上で物事が動いていないと気が済まない。何か手違いがあると、すぐ不機嫌になる。そういうとこ、良く知ってます」

「なっ!?」

「今もですよね。厳しい事を言って突き放して、後で藍あたりにフォローをさせる。そして俺が頑張って這い上がってきて、中退を取り消す。ハッピーエンド。そんなところですか?」

 崩れていく音が聞こえるようだった。大事に大事に積み上げた、何かが。

「下らないですね。俺は先輩が思うほど、強くないですよ。だから、そんな明るくて、都合の良い未来は 訪れません」

「っ! 消えなさい。私の目の前からっ、今すぐ!」

「そんな! ちょっと待ってよ! 違うよね! いつもの冗談なんだよね! ね!」

 怖いだろうに。目に涙を一杯にためて、会長が俺の腰に抱きついて、引き止めてくれる。

 だから優しく、会長の肩に手をやって、引き剥がした。

「会長。青春ごっこじゃないんです。ドラマみたいに素敵な物語じゃ、ないんです。これは本物なんですよ。会長の遊びに、巻き込まないで下さい」

 会長の笑顔が、歪む。まるでヒビの入ったガラスみたいだった。

「なん、で? そん、な……。ひどい、よぉ……」

「スズキ! いい加減にしろよ!?」

「あ、だ、だめだよ栄太君!」

 拳を振りかぶった栄太を、会長が引き止めてくれる。少しぐらい、殴られても良かったのに。

 その方が、リアルだ。

「君……」

 藍が、寂しそうに、悲しそうに見ていた。

「笑って、見送ってほしかったよ」

 心にも無い事を言った。

「このっ! 早く行きなさいよ!」

 じれたのか、会長が傍にあった分厚い本を投げて、それは見事に、俺の額へ当たった。

 当たり所が悪かったのか、流れた血が視界を赤く染める。

「だ、大丈夫か!? 保健室に!」

 藍の声に答えず背を向けて、教室を、去った。




 君は、見ていたんだろうか。あれからずっと、僕達が君の事を探していたのを。

 君と再び会えたのは、あれから二週間も経ってだったね。

 苦情が来たらしいよ。君の隣人から。

『隣の部屋から、一日中騒音が止まない。どうにかしてくれ』って。

 すごかったって。君の部屋を最初に覗いた大家さんが言ってた。

 まるで、そこだけ台風が吹き荒れたみたいだったって。

 その部屋の真ん中に、真っ黒の、焼死体みたいな君が居たんだ。

 まだ、その方が良かったって言うと不謹慎かな。でもね、藍は事実を聞いたとき、吐きそうになったよ。君を黒く染めてたのが全部、血だなんて。

 ……現実は本当に残酷だと思った。そんな状態の君の直接的な死因は、失血じゃなくて餓死だったんだ。

 あの事が合ってからずっと君は何も食べずに、ひたすら自分の体を痛めつけてたんだね。

 痛みや、失血で苦しみながら、それでもすぐに死のうとせず、空腹の苦しみも味わって、じわじわと蝕まれるように死んでいく。

 それはどれほど辛かったんだろう。きっと、藍には永遠に理解できないと思う。

 今は、そんな苦しみから解放されてるかい? だとしたら、いいんだけど。

 死が解放になるなんて、そんな生はあってはいけない。そう言ってたのは君だったのにね。

 …………。

 そう、先輩は今、精神病院にいるんだ。

『私がやったんだ。私のせいだ』

 そう叫んで、自傷行為に走るらしくて、今は殆ど監禁状態。会うことも出来ない。

 栄太は先輩ほどは酷くないけど、やっぱり部屋から出れないらしい。だから学校もダメみたいだ。

 後、会長は……、亡くなったよ。

 君の知らせを聞いて、葬儀に出て、その日の帰り道。トラックに轢かれて……。

 茫然自失のうちに、って言われてるけれど、定かじゃない。

 ……さて、最後になるけど藍は今、君の亡くなった部屋に居る。

 すっかり綺麗になってるけど、よく見ると、いたるところに君の残した痕がある。

 色々準備とか、片付ける事があったから遅くなったけどさ……、藍は君に会いたい。

 もう一度会って、君に頭を撫でてもらいたい。冗談めかして、可愛いって言ってほしい。

 何であんな事したのか、教えて欲しい。

 ……指輪、買ってくれるって言った時、本当は嬉しかったんだよ。泣きたいぐらいうれしかった。やっと、夢が叶うって……、そう思ったのに……。

 辛い、辛いよ……。辛くて、たまらないんだ。

 だから、君に励ましてほしい。

 それで、『俺が居ないとダメだな藍は』って、あの笑顔で言ってほしい。

 それじゃ……、今、会いに行くね。


 部屋を真っ白な煙が満たしていく。それが徐々に晴れて……。

 あぁ! 君だ! 君が居る……!

 また……、会えた!

 


「行くな!」

 死に行く藍に向かって叫んだ声は、薄暗い部屋に響き渡った。

「……ちぇ、惜しかったなぁ」

 辺りは何も変わっていなかった。

 あの時、ナンシーに何かをされた時のまま。

「……ナンシーの力、か」

「力っていうか道具だけどね。でもなんでだろう、失敗。ヒーローの力なのかなぁ? あのまま死ぬはずだったんだよ。あの子が、ね」

 間に合ったのか。……良かった。

「……藍も、同じのを見ていたのか」

「そう。というか、あの子が見ていたのを、一緒にスズキが見てたんだよ」

 なるほど……。だから、俺が死んだはずの後まで見えてたのか。

「どうして藍を狙う。ナンシーが殺したいのは、俺だろ?」

「言ってなかったっけ、君をこっち側にするため、沢山の絶望を持ってもらうのが目的なんだよ? だからあの子に死んでもらうのが、一番手っ取り早い、特に君の望む方法でね」

 俺が、望む方法?

「スズキが望む、絶望的な終わり方。ソレが、さっきの現実。あってるでしょ?」

「……」

「最後のモノローグもあわせて、全部、スズキが望んだ情景だよね。先輩を傷つけて、会長を貶めて、栄太君にあわよくば殴ってもらって、藍ちゃんを見放して。その後、凄惨な死に方をしてやる事で、皆の心に癒える事の無い、――トラウマを植える。いやいや、恐れ入るよ。相当に悪質な自殺だ」

 ナンシーが大げさに抑揚をつけて、楽しそうに言った。

 そして俺を見る、そうだろ? と同意を求めて。

「……ある日、崩れるトランプタワーを見て、思ったんだよ。……こんな風に、積み上げた人間関係を一気に壊したら、どんな風になるんだろうって」

 未練と失望と悔恨、嘆き哀しみ苦しみ憎しみ、取り返せない事実に憤りを吐き出し、そして最後に残った悲しみを搾り出す。――そんな、どうしようもない、崩壊の連鎖が起こるはず。

 ……あの日、テントの準備をしながら、考えてしまったんだ。今なら、見れるんじゃないかって。

「……今のは本当に起こる事なのか?」

「そうだよ。シュミレーションみたいなものかな。スズキがもしああしたら、どうなっていたか。それを具現した世界」

「そうか」

 ……あんな結果をもたらすほどに、積み上げていたのか。

「そうだね。さすがスズキだ」

「そう――」

「やめてよ! ……やめて、くれよ」

 俺とナンシーの奇妙な会話を破ったのは、藍の叫びだった。

 いつから、起きていたのだろう。

「なんなんだよ! あれは! あんな、あんなの……。どうして、あんな物みせた奴と普通に話してるんだよぉ! おかしいだろ!?」

 確かに、おかしな話だ。今までの全ての元凶ともいえる相手と、あんな悪趣味な現実を見せた相手と和気藹々と話しているなんて。違和感を覚えるのが普通なのかもしれない。

「元気そうでよかったよ、藍」

「うるさい! 大体なんだよあれ! あんなのが君が望んでた終わり方か!」

「……だな」

「なんでだよ……。なんで、あんな事……」

 鎖が、小さく揺れた。

「……藍、無愛想だし暗いし、話すの下手だし、助けてもらってばかりだし、頼りなくてスズキの助けになれないかもしれないけど、でも、もしも、どうしようもなく嫌になったら教えてよ。真っ黒いの一杯になったらさ、どうしたらいいか一緒に考えるから。一生懸命考えるから。あんな終わり方、辛すぎるよ……」

 藍……。

「頑張るから! 藍、何にも出来ないけど……、む、胸が揉みたいならさ、それぐらいさせてあげるから……。お、幼馴染だし」

 目に涙を一杯にして、顔を真っ赤に強がって、一生懸命笑う幼馴染の姿は、もうどうしようもないくらい心を振るわせてくれた。生きるのに飽きた、なんて嘯く心を。

「……よっしゃ! ちょっと今、心の中真っ黒? でやばいから、もませてくれ!」

「こ、この! ……いいさ、もめよ!」

 空気を読まない俺に怒りをにじませて、それでも藍は胸を突き出してくれた。

「って、……拘束されてるから、無理じゃねぇかよ」

「いいよ、じゃあ」

 と、静かに成り行きを見守っていたナンシーが、一歩こっちへ近づいた。

「私が代わりに、揉んであげるね」

 さらに一歩、藍へ近づいたナンシーが、手を伸ばして、

「痛っ!」

 胸を掴んだ。指が深く沈むほどに。

「ナンシー。離せ」

「いやだ」

「頼む」

「だめだよ。この子、殺しちゃうね。こんな方法じゃ、スズキはこっちに来てくれないだろうけど」

 言いながら、胸を掴んでいた手を、藍の首へと、寄せていく。

 ……どうして、こうなるんだろう。何も知らず、何も考えず、ヒーローなんかにならず、……死んでいれば、よかったのか?

「ダメだナンシー。殺すなんて、言っちゃいけない」

「やだ。けっこう苦しい決断なんだよ? スズキが手に入らないんだから」

「ひっ……!」

 首を掴まれた藍の、苦しみに引きつる声が聞こえる。顔が、見える。

「やめろ」

 ……ナンシーを止める方法なんて、考えたくないのに。

「復讐に燃えるアンチヒーローになったスズキと戦うってのも、悪くないよね。いつかその先で、一緒になれるかもしれないし。今は第一歩って事で」

「……っ」

 苦しいくせに、藍は何も言わない。分かってるんだろう、何を言っても、それは助けを求める言葉になるって。本当に、どうでもいいところで強いんだ、あいつは。

「頼むよ、離してくれ」

 最後。一生のお願いだ。

「いやだ」

 じゃあ、仕方ないな。

「――っ! ガァッ!」

「なっ!?」

「鉄って案外もろいんだぜ」

 歯を食いしばり、ただ全力で拘束具を引っ張っただけで、いとも容易く鎖は千切れた。

「いいの? けっこう血が出てるけど」

「動くなら、十分だろ」

 痛みの薄い左手で、ナンシーの腕を掴む。強く。

「なんだ……?」

 けれど、ナンシーの腕は硬く、指が全く沈まなかった。

「残念でした。私の服は攻撃を通さないの。もし止めたいのなら……」

 ナンシーはそういうと、挑発するように、自らの首を指差した。

「お前を殺したくない」

 俺の力じゃ、怪我ですむ保障なんてない。

「イーヤ。いいよ、一思いに殺してよ」

 どうしてこうも、現実世界じゃ、思い通りにならないんだろうなぁ……

「どしたの? 早くしないと、殺しちゃうよ? この子」

 ナンシーの首をつかむ。足が震えた。怖い。人を殺すって、なんて怖いんだろう。

 でも、藍が死ぬのは、もっと怖い。

 なら、

「……じゃあな、ナンシー」

「ばいばい」

 別れを交わして――

「だめ、だ」

 力を、

「スズキ!」

 込めた。

「やめてっ!」


 ……力をこめたはずの手は、震えて、動かなかった。

「なさけねぇなぁ」

 わずかに汗の伝うナンシーの顔をみて、言う。

 藍の言葉一つで、左手はこわばったように動かなくなって。そして、そんな風に藍を理由に使ってしまった自分が、嫌だった。

「ふふ、あは、あはははは」

 不気味に、藍を見つめて、ナンシーが笑う。

「わらえねぇよ」

「そんな事ない。すっごく面白い。だって、何もかも私の思い通りだもん」

 そういうと、ナンシーは藍の首から手を離し、ゆっくりと後ずさっていった。

「な、どうして……?」

「どうして? ふふ、私が望んでたのは、こんな終わり方なの。スズキがね、私を殺そうとしてくれるの。けど、できない。だって、私の事を愛してるもん。でもね、絶対にしなきゃいけないから、悩んで悩んで、やっぱり私を殺そうとするの。とっても怯えながら」

「……」

「そんなスズキの前で、私はね、死ぬの。自分で」

 ナンシーがさらに後ろへ下がった。

「いつのまに……」

 その背に、藍をここまで連れ去った蜂が、抱きしめるように、着いた。

「スズキはいつまでも、私を忘れない。猫を、牛を、鳥を見るたびに思い出す。大事な人を見殺しにしたんだ、って。それが私の望む、最期」

 そして今まさに、その状態ってわけか……。

「ね、ブレーメンの音楽隊って知ってる?」

「……あぁ」

 働けなくなり、主人から捨てられた動物達がお互い協力し合って、自分達の居場所を手に入れる、確かそんな話だ。

「私が、スズキを襲わせた怪人は、あの動物達に似てるんだよ。狩りの出来ない猫。ミルクの出なくなった牛。卵を産めなくなった鶏。そして、最後は、私。生きれなくなった人。スズキも私と一緒だと思ってた。だけどやっぱり、違うんだ」

「違う。違うが、でもナンシーだって違う。捨てられてなんか、ない。少なくとも俺は――」

「でも、過去形だよね。今回の事で、私はスズキからも捨てられた」

 それは……。

「出来るはずないよね。自分の大事な幼馴染を、それ以上かもしれない子を、殺そうとした奴なんかと、仲良く出来ない。でも、それでいいんだよ……」

「だからって」

「死ぬ事はない? でも一番最初に同じ事、死のうとしたのは……、スズキだよね」

「……気づいてたのか」

 俺が電話を掛けた時、その意味に気づいて……、そうか。だから、わざわざ会いに来たんだ。

最終的な目標は兎も角、俺を死なせないために。

「スズキ。私ね、幸せだったよ。スズキが居てくれたから、今まで生きてこれた」

「ナンシー。そんな言葉で、俺に後悔を植え付けようとするのはやめろ」

「……なんだ、ばれちゃったか」

「俺たちは、思考が似てるんだよ」

「うぅん、違う。スズキはもう、違っちゃった。おめでとう」

 これから死のうという奴に祝福されると、不思議な気分になる。

 少なくとも、笑顔でありがとう、なんて返せない。

「ありがと、こんな私に、そんな悲しそうな顔してくれるだけで嬉しい」

「そうやって、良い人で死ぬのも辞めろ。悪につくなら、最後まで悪人で居ろよ。それが、セオリーってもんだろ?」

「ふふ、良いね、スズキ」

 手を口にあて、静かに含み笑いを漏らした、その笑顔が、ナンシーの本当の笑い方なのかもしれない。仕草がとても自然だ。 

「……そう、そんな貴方を愛してた。始めてあった時から今までずっと、つまらなくて、どうしようもない、掃き溜めみたいな世界を変えてくれる。スズキが、スズキだけが、私の生きる全てだった。だから、最期。死ぬ理由にも使わせて」

 何もしなくとも、その人の助けになれるなら、きっとそれは、素晴らしい事だ。

 それが、ただの見殺しにすぎなかったと、しても?

「友人として、愛してたよ。ナンシー」

 短い葛藤の末に出たのは、短く、何の意味もない言葉で、

「……ごめんね」

 ナンシーが最後に見せたのは、不器用な、苦笑だった。

「スズキっ!? 止めなきゃ――」

「バイバイ」

 命が消える瞬間というのは、余りにも軽い。

 針はただ、音もなくその細い首に刺さって……、それで終わりだった。

 それこそ、本当に魂が抜けたかのようだ。

 静かにナンシーの体が地面に落ちて、後ろの蜂もまた、同じ様に地面へ倒れた。

「……っ」

 人型の蜂は、体を縮ませ、残ったのは小さな一匹のミツバチ。

 そして、ナンシーは、

「なんだ……、これ」

 金色に輝く粉へと、体を散らし始めていた。

「ナン、シー」

 やがて、粉は瞬きながら広がり、視界を黄金で満たして……、そしてそれが消えた時、そこにはもう、ナンシーの居た証は何一つ、残っていなかった。




 あれから数ヶ月がたった。

 あの後、外へ出てみれば、俺達が居たのは目指していたお堂の中だったようで、すぐに山を降りて、どうしてもという藍を連れ基地へ向かった。様々な事の報告の為に。

 しかし、基地には行けなかった。

 入場用の定期は何故か使えなくなっていて、仕方なく券を買って入ったが、エレベータのボタンをどのように押しても、地下へ降りることはなかった。

 理由は分からない。誰に聞くわけにも行かない。

 或いは、あの基地も、ハナも何もかも、ナンシーが見せた幻想だったのかもしれない。

 あの日々を教えてくれるのは、今はもう、手元に残ったスマフォだけだ。

 そうして、仕事をなくした俺は、藍から請われたのもあって復学することにした。

 何もしないよりは、ましだろう、と。

 そんなこんながあり、記念すべき二度目の入学式を終えた俺は、屋上で空を見上げているのだった。

「こんな屋上で何してるんだい、後輩」

 つらつらと考え事をしていると、不意に影が落ちた。藍だ。

「……先輩様をお待ちしてたんですよ」

 嘘つけ、と藍が呟く。

 少し距離が遠いので、スカートの中は覗けそうにない。畜生。

「なぁ、藍」

 藍は、あの日々の事を覚えている唯一の人物だ。

「うん?」

「……いや、その、帰りにどっかよっていかね?」

 だからと言って、掘り返す事もないだろう。

「構わないよ。リクエストは?」

「藍と一緒ならどこでもいいよ」

「調子の良いことを言って。君はもう……」

 よっこらせ、と体を起こす。

「ペットボトル捨ててくるわ」

「はいはい」

 俺もそろそろ卒業しなければいけない。入学式なのに卒業、うむ。面白い。

 さぁ。

 立って、歩いて、ポケットからスマフォを取り出し、

「ばいばい、ナンシー」

 ――ゴミ箱へ、捨てた。

「なぁ、藍ー!」

 俺は大事な幼馴染の下へ戻る。

「なんだよ」

 生きる目標の為。

「この記念すべき日に! 胸を揉ませてくれ!」

「はぁ……、君は……」

 今は亡き、友人との思い出に別れを告げ、

「いいよ。記念日だしね」

 これからもずっと、歩み続ける。

「こんな時にそんな勇ましい顔されても、全然格好よくないね」

 愛しい幼馴染のでっかい胸を揉む為に。

「き、緊張してんだよ!」

「……ほら」

「頂きます!」

 ……生きてるって、素晴らしい!



「も、もういいだろ!」

 ばっ、と藍が後ろへと下がり、俺のおっぱいが遠くなった。

「えぇー……。いつまでも永遠に揉ませてくれよ」

「強欲すぎる! あと少しとかにしろ!」

「馬鹿やろう、服の上からで我慢してる俺になんて言い草だ」

「馬鹿はお前だ! 先に出てるからな!」

 憤慨する俺を置いて、藍は足早に屋上を後にした。

「ふむ、明日ぐらいにはブラの上から揉めるかな?」

 希望を胸に(おっぱいだけに)、藍を追うべくドアを……、

「あれ?」

 開かない。

 引っ張っても押しても、ドアは開こうとしなかった。

「藍ー? 嫌がらせ、――っ!?」

 ゾクッと、した。それこそまさに、背をムカデが這ったかのような悪寒。脳の芯まで冷える感覚。

「やぁ、まじで強いスズキ」

 のんびりとした少女の声が、背後から聞こえた。

「……お前」

 振り返った先、そこにはどうやって現れたのか、ひまわり柄のパジャマを着た笑顔のハナが居た。

「久しぶり、だな」

「そうだね。あれからちょっと事後処理に終われてたんだ。遅くなってごめんね?」

「てっきり、お前はナンシーと一緒に消えたんだと思ってたよ」

「あはは、そんなわけないじゃない。ハナが彼女に力を上げたんだから」

 驚きなような、そうでもないような。さらっと言ってくれる。

「つまり、俺とナンシーが争うようにしむけたわけだ」

「そう。ちょうど君がヒーローになるって決めた時。同時に話を持ちかけた。スズキの薄暗い真の望みを教えて 彼女の願いの成就も約束したら、引き受けてくれたよ」

 通りで、ナンシーがなんでも知ってるわけだ。

「それで? 物知りなお前は結局何者なんだ」 

「ハナ? ハナはね。特別な存在。この世界が嫌いで仕方なかったの。うん、そういう意味だと、君やナンシーと一緒かも。だから特別に、教えてあげる」

 一人で何かを納得し、ハナが何度も頷く。

「ハナ、病院にいたの。窓の向こうでみんながどんどん楽しそうに嬉しそうに、希望に満ちた顔で旅立っていく。ハナはずっと一人きりでそれを見てた。最初は羨ましかった、一緒に喜んであげることもできた。……でも段々と憎くなってきた。いつの間にか許せなくなって、気づいたらみんな苦しむ顔が見たいって思い始めた」

 ハナは淡々と話していた。どす黒い想いを、変わらぬ笑顔で。

「ハナはずっとずっと願った。世界中のみんなの絶望が見れますようにって。願って願って、でもそのうちお空が近づいて、終わりが見えて、――寸前で、叶った。ずっとお願いしたおかげか、神様のきまぐれか、何かはぜんぜんわからない。でも、力が手に入った。それで、今のハナが生まれたの」

「まさか……」

「それから、ハナは早速いろんな人の絶望を見た後、せっかくだからもっと趣向を凝らそうと思って、君とナンシーちゃんに近づいたんだ。後はスズキの知ってる通り」

「ハナだけに、種明かしは素直だな」

「楽しかったよ、君の怪人退治。特に鳥の時は最高だった」

 上手い事言ったの無視かよ。

「それで、モノは相談なんだけど。……君、死んでくれない?」

「そういうオチだろうなぁ、とは思ってたよ。理由も教えてくれるんだろ?」

 黒幕が現れて物語のキモを話す。悪役の勝利を確信してるパターンだ。

「そうだね、すんなり説得されてくれるとありがたいし説明はしてあげる」

「任せろ、俺は素直さが売りだ」

「はいはい。藍ちゃんを、ヒーローにしたいんだ。まず、君が自殺するでしょ? それに絶望して、後に続こうとする彼女を引き止める。スズキを生き返らせるのと引き換えに、ヒーローになる契約をしてもらう。っとまぁそれがハナの筋書き」

「とんだマッチポンプだな……」

「いいでしょ? 元々死ぬつもりだったんだし。いっしょいっしょ」

 そうなぁ……。

「俺も一つ種明かしをしよう。……ハナならもう知ってるかもしれんが、まぁ言わせろ」

 咳払い一つ。

「俺には何も無かった。父さんも母さんも、じいさんもばあさんもいない。俺が死んで困る人がいない。俺が大学に入ろうと、就職しようと、一緒に喜んでくれる人がいない。結婚して、泣いてくれる人もいない。考えていくうちに、無償にむなしくなった」

 何のために、生きるんだろう?

「努力の果てに何が待つ? 気づけば全ての事に意味を失って、死ぬ事しか考えれなくなってた」

「スズキの唯一つまらないところは、その普通すぎる絶望の仕方だね。でも、その考えは何も間違ってないよ。君の代わりなんていくらでも居るし、君の生に価値は無い。棺を覆っても事は定まらない。電車は動くし車は走る。世界は今日も明日もこれからも、平和だ」

「かもな。……でもしかしけれどBut、だ。今の俺はもう違う。生きる意味を、見つけた」

「へぇ、それは?」

 簡単だ。

「藍の胸を揉む事だよ」

「……」

 始めてハナから笑顔が消えた瞬間だった。

 畜生。

「おい、黙るなよ!」

「あぁ、ごめん。あまりにも馬鹿らしいから驚いちゃった」

「そうかよ。でも、俺は知らなかったんだ。こんなにも馬鹿な俺を、自分の体を差し出してでも助けようとしてくれる女が居る事を。それがどれほどの幸せかを! そして一つ賢くなった今もう死ぬわけにはいかない! つまり、お断りだ! このまな板女!」

 ズバシ、とハナのぺったんこな胸を指差す。

「ふふ、ふふふふふ……」

 不気味な笑い声だった。胸の事を内心気にしていたのかもしれない。ごめんね?

「ふふ、……いいよ。スズキが思い通りに行動してくれないなんて、ヒーローの時からわかってたしね」

 そしてゆっくりとハナは顔を上げた。はらりと顔にかかる金色のおぐしが、なんとも和風な恐怖を感じさせる。

「じゃあ、死んでもらうね」

「お?」

 ぐるりと、天地がひっくり返った。

 いつの間に伸びたのか、ハナの背中から生えた腕ほどもある太さの蔦が、俺の脚をつかんで宙へ持ち上げていた。物理法則も何もないのはもう、いまさらの話か。

「おいおい。男相手に触手伸ばして、誰が得するんだこれ」

「ハナだよ。君が自殺すれば、藍ちゃんが後を追ってくれるのはナンシーちゃんの多元世界で判明してるしね」

 ハナが屋上のフェンスへと向かい歩くと、俺の体も一緒に運ばれていった。二メートルほどの柵を蔦は越えて、視界の数メートル直下に中庭が見えた。

「なるほど、これで俺が自殺したって事にするわけか。屋上に入れなくなっちゃったらどうするんだこの野郎」

「まだ冗談言ってる余裕あるんだ」

 逆転した世界で、ハナと俺の目があった。

「最後に、何か言うことは?」

「あるぜ。俺の命を救ってくれてありがとうハナ。感謝してる」

「は?」

「だがっ! ナンシーが死ぬきっかけを作ったお前はクソだ! あの世であったら絶対その薄い胸、揉みしだいてやるからな! 覚えてろ!」

「あは、楽しみにしてるよ。――さようなら」

 ふっ、と体が風を切って、一瞬でハナの姿が消えた。

「バーカバーカ!」

 落ち行くなか、できるだけでかい声で、言えたのはこの程度だった。

 はぁ……。こんな終わり方するぐらいなら、やっぱあの時トラックにひかれてりゃよかったな。

「ごめんな」

 誰に謝るのか、沢山の名前が浮かんで、けれど口をついてでたのは……、

「ナンシー」

『――しょうがないなぁ、スズキは』

 ポケットが、震えた。

 落下の最中というのにかかわらず、悠長にポケットを探ると、……スマフォがでてきた。

 ロックを外すと、見慣れないアプリが一つ増えている。

「超強力草刈系男子、ってまた独創的なネーミングだこと」

 とんっ、と指で雑草マークのアイコンを叩き、空を見る。ハナと目が合った。――力がわきあがった。

「おぉぉぉぉぉっ!」

 校舎の壁を蹴る。重力に逆らい、物理法則に逆らい、運命に逆らって、駆け上がった。

 最後の一歩、踏み切って、

「うそ……」

 再び屋上で、ハナと向き合う。

「てめぇには容赦しねぇぞ」

 そしてフェンスを突き破り、その勢いでぺったんこな胸を、揉んだ。

「は?」

 瞬間、俺の手から金色の筋が延びた。それは見る見る間に花の体を覆いつくしていき、背後の蔦まで届くと、……崩壊が始まった。

「なん……、で……?」

 ツー、とハナの瞳から赤い雫が零れ、背後の蔦が、体が、ぼろぼろと土くれへ化し、虚空へと、散る。

 後に残されたのは、揉みしだいた手の中に残る、一輪の真っ赤な石楠花だった。

「あっけねぇなぁ」

 柵を掴んで上がり、跨いで、屋上の内側へと戻る。と、強い風が吹いた。

 掌を開く、石楠花は風に乗って校舎の外へと、運ばれていった。

「おい、何してるんだスズキ! 早く行かないと時間なくなるだろ!」

 屋上のドアが開き、藍が顔を出した。

「……あぁ、今行くよ」

 ポケットを探り、スマフォを取り出す。

「なぁ、藍!」

 ロックすらかかっていないそれには当然、アプリなんて一つも入っちゃいなかった。

「スマフォの使い方、教えてくれね?」

 悲喜交交、色々あったけれど、まぁ……、失う事は、いつだってできるしな。




                          まじで強いスズキ 了

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