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第三話

今日はメールをまだ藍に送って無かった事を、帰宅してから思い出した。

 アドレスを呼び出したところで、メールだけでは味気が無いだろうと思い直し、待ち受けにしてもらうべく全裸を写メで送ろうとして、けれどやはり電話する事にした。

 特に意味がない、といえば嘘になる。

 大体十コールぐらいで、繋がった。

『そういやお前胸大きくなったよな? 今何カップなん? 幼馴染のよしみで教えてくれ』

『え……、D、ですけど……』

『……。……? あー、マナちゃん?』

『はい』

 渚愛なぎさまな。藍の妹である。

『そうかー。おっきくなったねー。いや、胸の話じゃなくてさ』

『お姉ちゃんお風呂入ってるんで、掛け直すよう言っておきますね』

『うん。お願い、ありがとねー。ばいばーい』

『はい、さようなら』

「……あぁぁぁ!?」

 あれだけ慕ってくれてたマナちゃんに何て事をっ!

 俺のバカっ! 下らない気まぐれなんて起こして電話するから! こんな事に!

 後悔の念に胸を押しつぶされそうで、耐え切れず床をごろごろと転げまわっていると、携帯が震動した。ちゃんと画面を確認し、藍からだと確かめた。

『おま、藍がイレギュラーにお風呂なんか入ってるから! 俺とマナちゃんの関係が修復不可能にっ! ばかっ! サービスシーンも無しに風呂なんか入りやがって! ばかっ!』

『あの……、お姉ちゃんが急用なのか? って……』

『あ、そういう訳じゃないから、ゆっくりどうぞって伝えてもらえる?』

『分かりました。……えっと、修復不可能にはなって無いですよ?』

『そっかー。なら良かった! またね!』

『はい』

「……あぁぁぁ!?」

 不可能には、ってなんだ。修復できるけど、崩れてるって事か!? 何か気を使ってもらった感じがしてとても辛い畜生!

 俺のバカっ! ばかぁっん!

 転がり回り、色んな場所に体をぶつけ続けていると、携帯が鳴った。

『君、馬鹿だろ』

 今度こそ藍だった。遅いよ……。

『うっぐうっぐ……。わかってらぁい!』

『お兄ちゃん相変わらず面白いね、って言ってたぞ、うちの妹。大丈夫だろうか……』

『良い子だなぁ……』

『本心はどうかわからんがな』

『やめろぉぉぉ!』

 傷口に容赦なく塩塗ってきやがる……。

『それで、どうかしたのかい?』

『いや、ただの定時連絡だ』

『そんな見回りみたいな言い方しなくても……』

『異常無しであります! ホルスタイン様!』

『ははっ。殺す』

『す、すいません』

 冗談、と言い切るには少々難しさを感じるぐらいに、殺意の篭った声だった。

 なんでこう、テンション上げて喋ると下手な事言っちゃうんだろうな。気をつけねば。死ぬ。

『はぁ……。あ、そういえば、そこの駅で新幹線に牛が轢かれたってニュース見た?』

『ん!? あぁ、みたぞ。迷惑な話だな?』

 そうか、もうニュースになってんだ。恐らく牛だろうと分かっていたけれど、安心したというか、それでもやっぱり少し、複雑だ。

『轟が「これが本当の挽肉だな」とか言って、ドン引きされていたね』

『思っても言わなきゃいいのにな?』

『君が言える事ではないけども』

『そうか?』

『いきなり家に来て、胸もませろとか叫ぶ奴がどの顔してとぼけるのか』

 残念ながら、反論の言葉はなかった。

『そういえば、磯飛とかが会いたいって言ってたよ。休みとかないのかい?』

 あー……。そういえば、学校辞めるってメールして以来、連絡とってなかったっけ。いまどきのSNSにも入っていないので、実際に会うことが無いと会話もないのだった。

『奇遇だな。明日休みなんだよ。くるか?』

『ふぅん。じゃあ、伝えておくよ』

『藍は来ないのか?』

『ほう? もしかして、来てほしいのかい?』

 恐らく今、藍は見下し気味の視線に、とても良い笑みを貼り付けている事だろう。

 目に浮かぶとはこの事だ。

『……藍がいないとダメなんだ。電話なんかじゃ足りない、お前と直接会って話がしたい。頼む、来てくれ。藍』

 俺の人生史上最大級に渋い声で言った。

『……き、君はまたそういう冗談を! ……分かったよ、行けばいいんだろう、もうっ』

 こんな風に頼むと藍は、怒りながら大抵の事を了承してくれるので、優しいと思う。

『それじゃ、てきとうに買い物してから行くよ。多分、会長と先輩も来るんじゃないかな』

『りょーかい、じゃあ待ってるよ』

 その後は特に主だった話もなく、雑談をしてから切った。

 電話をする前のモヤモヤは、いつのまにか消えていた。

 携帯の画面を見ると、大量にメールが来ていたので、スパムかと思って開いたら、殆どナンシーからだった。

 今日の結果、労いの言葉、これからもよろしくね、なんて挨拶。何かがおかしい内容。

 アドレス帳を開き、ナンシーを呼び出す。修正を押して、消去を押して、確認の画面を出して、――結局、何もしなかった。

 決断せずに済むのなら、それに越したことはないんだ。

 なぁなぁで終わるのなら、それで。




 その日、けたたましいニワトリの声で、目を覚ました。

「江戸時代か!」

 受身をする様に、全力で床へ突っ込みを入れる。そうして起こされた怒りを地面へ放出してから、のそりのそりと起き上がった。

「起きる、起きれば、起きる、とき、……無理だ。ぐふっ」

 が、眠気に耐え切れず崩れ落ち、そのままもう一度寝た。


「ふぅ……。良い朝だぅっ!?」

「もう夕方だ!」

 起き上がりざま、パシーン、と顔面を枕で叩かれた。

「うぐう……、藍、か」

 窓から指すオレンジの光で、朝じゃ無い事は分かっていたのだが、認めずに入れば何とかなるかも、と思ったのに。藍の一撃で見事に無効にされた。……ん?

「藍の一撃っていうと、愛の篭った攻撃みたいだな?」

「そのネタは過去に何度もやってる!」

「ぐふっ」

 思いつく度に、言いたくなるので仕方が無い。

「で、どうして……?」

「君が全く電話に出ないから、こんな事だろうと思って家まで来たんだ! 皆、下で待ってるからさっさと着替えてくるように! 後、家の鍵ぐらいちゃんとかけろ!」

 一気にまくし立てると、藍は部屋を出て行った。

 どうして、だけで察せるとは、さすが幼馴染。そのうち、思考が読まれかねんな……。

 馬鹿な事を考えつつ着替えを済まし、階段を下りる。

「よぉ! 久しぶりだなぁ! ゲンキしてるか!? 仕事どうだ!?」

 リビングに入ると、流行を追いすぎた結果、量産型学園生、みたいなファッションになってしまった轟栄太とどろきえいたが笑顔で迎えてくれた。ついでにハグもしてきた。

「よう。相変わらずホモくさいな」

「誰がホモだよ! 労いに来た友達に言う言葉か、それが!」

「じゃあー、……今でもスカートとかブラとかつけてんの?」

「つけてねぇよ! なんでその話を掘り返すんだよ!」

 流行の先端って大変だよな。

「今起きたらしいじゃない。相変わらず、図太い神経してるわね」

 頑張って突っ込んでくれた栄太を放置して、颯爽と割り込んできたのは風香ふうか先輩だった。

 相変わらずのお嬢様ライクでやたらボリュームのある、人一人ぐらい余裕で入れる縦ロールの髪が特徴的、――過ぎて、むしろそれしか目に入らない。

「今日、寒いな……」

「ちょ、ちょっと! だからあなたはどうしていつも私の髪にくるまるのよ!?」

 だってすっげぇあったかいんだもの!

「先輩、コレ遭難した時とか多分すっごい重宝する! 寝袋要らず!」

「言うに事欠いて!?」

「落ち着いて落ち着いて。スズキ君もきっと、皆に会えてはしゃいでるんだよ」

 ね? と可愛く首をかしげて、フォローをくれたのは、華狩かがり会長だった。

 とても真面目で大人な人なのだが、ショートカットに童顔で、身長も俺より遥かに低く、さらにとても子供らしい仕草をするので、生徒会長なのに全校生徒から非常に可愛がられ、学園のマスコット的な扱いを受けている。

「今日も会長は可愛いですねー。よしよしよしよし」

「やぁめぇてぇ! なんでいつも撫でるの!?」

 かわいいから。

「ほら、遊んでないで先にご飯の準備をしてくれ。キミ寝てたし、勝手に鍋にしたからね。この家、土鍋とかコンロとか全部揃ってただろ」

 かって知ったる幼馴染の家。藍は尋ねながらも、てきぱきと鍋の準備を進めていく。

「何でお前ら一緒に住んでないんだよ」

 不思議そうに栄太が、漏らした。

「住むはずないだろ。そんな素の声で聞かないでくれるかな……」

 茶化している感じでもないため、呆れたように藍が答えた。

「家賃がもらえるならいいんだがな……」

「僕が払うのか!?」

「あはは、藍ちゃん顔真っ赤」

「会長。あれはただ怒ってるだけです。茶化せてません」

 難しいなぁ、と会長が呟いていた。可愛い。

「会長はむかつくぐらいあざといなぁ」

「どうして突然!?」

 余りに可愛いので、何か一周して腹が立ち、思わず責めてしまった。罪深い女だ。

「ほら! 喋ってないで手伝う! 準備進まないだろ?」

 言うものの藍は手を止めておらず、準備は思いっきり進んでいたが、突っ込むと怒られるので黙って、鍋やらコンロやら皿やらを出す。

「具はもう切ってあるんだな。いつのまに」

「ふんっ。貴方が寝ぼけている間に、私がやっておきました」

 へぇ。勝手なイメージだが、そういうの苦手だと思ってた。多分、髪型のせい。

「そうか。案外家庭的なんだな。どうだ、一緒に住むか?」

「ばっ! ばかじゃないの!? いやに決まってるでしょう!」

「会長、今みたいな時に『顔真っ赤』って言うといいっすよ」

 栄太がさり気無くアドバイスをして、会長がふんふんと頷いていた。

「そうか、嫌か……。残念だ……」

「なっ!?」

「お金取れそうなのに、だろ」

「良く分かイタイッ!」

 藍の的確すぎる突っ込みに頷いたら、先輩に白菜で殴られた。

白菜は後で俺が美味しくいただきました。

 

 そしてワイワイと鍋を食べ終えて、一息。

「やはりというかなんというか、鍋奉行だったな。先輩」

 しみじみと思う。

「貴方が、ヨーグルトやハチミツを入れようとするからでしょう!?」

 先輩が突っ込んでくれるから嬉しくてボケてしまうのだが、何年経っても彼女は学ばない。だから好き。

「だって、藍がそうしたら美味しいって昔……」

「それはカレーの話だ! 分かっててやってるだろ、キミ」

 言われて見ればそうだった気もするな。

「しっかし、相変わらずそうでよかったよ。急に学校やめちまうからさ、驚いたって」

「そんなしんみりと話を始めたって、最終的に俺は好きな人をばらしたりしないぞ?」

「中学生か!」

「うん。でも、スズキ君だし心配はしてなかったけどね」

 鍋をむちゃくちゃにしようとした奴に相応しい評価なのだろうか、と思わなくもない。会長は少々、人を信頼しすぎである。

「ふんっ。貴方が居なくなったおかげで、私の喉が痛むことも少なくなったわ」

「その代わり、心が痛むことが増えたんだな?」

「何でそんな得意気なの!? 上手くないですし、痛んでもないです!」

 うん。学習しない先輩、いいなぁ……。

 ちらりと視線をそらすと、藍は構ってられんとばかりに一人テレビを見ていた。賢い選択だと言えよう。

「それで、どんな仕事してんだよ?」

「あ、会長さんも聞きたい!」

「うん? んー。……興信所? みたいな? もの、かな?」

 興味津々に聞かれたのはいいが、何て答えるべきか考えておらず、暫く悩んで、似ている仕事として思いついたのは興信所だった。

「興信所!? すごい! 探偵みたいなことしてるんだよね!?」

 会長がテーブルから身を乗り出して大興奮。そういえばこの人、推理小説とか大好きだったっけ。

「会長の好きな、『不倫をバラされたくないだろ旦那? なら俺のいう事を聞くんだ。分かってるな?』みたいな展開はないぞ?」

 推理小説は推理小説でも、男同士がやたら絡み合う類の奴だが。

「う、うあうあうあうあ! 何でバラすの!? 何で知ってるの!?」

「藍から聞きま――」

「君、ちょっとこっちにきなさい」

 さっきまでテレビを見ていたはず藍が、いつの間にか傍に居た恐怖。

 そのまま暗闇に連れて行かれ、ちょっとしたお願いをされた。……拳で。

「……。それで、何か面白いことあったか?」

 戻ってきた俺に、栄太は特に何も聞く事なく、話を続けた。

「そうだな、男を奴隷にするとかいう、訳の分からん商品が売られてた」

 嘘は言っていない。

「ちょ、ちょっと何よそれ!?」

 先ほどの会長の様に、今度は先輩が身を乗り出してきた。髪の毛のボリュームのお陰で、なにやら圧迫感がすごい。

「……先輩の好きな『貴方は私のモノなんだから! 私以外の女と仲良くしたりしたら、許さないからね!』みたいなのはできないぞ?」

 何かやたら重たい系のツンデレな女が、男を束縛しまくる物語なら何でも見る先輩である。ツンデレの勉強でもしているんだろうか。

「な、ななななな」

「栄太がこの前、自分のコレクションの一部を貸したっ言ってたから」

「――っ! ちょっと二人ともこっちにきなさい!」

「何で俺までっ!?」

 栄太も一緒に暗がりへ連れ込まれ、拳によるお願いをされた。

 何故か藍も一緒に拳を振るっていた。

「……。もう、何も聞かん」

 その後、テーブルに戻った栄太は、とても疲れた様子でそう言った。

「あら? もうお菓子がないわね。スズキ、買ってきなさいな」

 ふぅ、と一息ついて、紅茶を口に、やたら優雅な感じで言う先輩だが、今つまんでいたのは、ブラック○ンダーである。お嬢様らしさのかけらも無い。

「しょうがねぇな。藍、行こう」

「はいはい、分かったよ」

 緩慢な動作で、嫌そうにしながらも素直に出る準備をしてくれる藍。

「お前ら本当に仲いいよなぁ……。何で付き合わないの?」

「藍が恥ずかしがりやでなぁ。もう少し積極的なら、今頃は……」

「ちょ、ちょっと!?」

「い、今頃!? 今頃ってどういう事!? 何かあったの!? ねぇ!」

 好奇心の塊の様な会長が、抱きつくようにして藍へ問いただす。

「な、なんでもないですからっ!」

 そんな会長を、藍は強引に引き剥がしていた。

「もうっ! 行くよスズキ。……っていない!?」

「何やってんだー? 先いっちゃうぞー?」

「なんでもう靴はいてるんだよ!」

 先に準備していただけで怒られるこの理不尽。



 そんなこんなで近所のコンビニへ行って、買い物を終え、帰り道。

「ほんと、君は自分の事を何でも誤魔化すよね」

 お菓子の入った袋を意味もなく振りながら、藍が不満げに言った。

「言えるはずも無いけどさ」

 行きしな、やたらと不満そうに口をつぐんでいたので、てっきり出がけの事を怒っているのかと思いきや、どうやら、ちゃんと仕事の説明をしなかった事に文句があったらしい。

「話せたとしても、話したって仕方ないだろうー? 何が不満なんだ」

「またそうやってあやすように言う。悩みを打ち明けてくれないのが、不満なんだよ」

 悩みねぇ……。

「そう言われてもな、今のところ、何にもないぞ?」

「嘘を付け。じゃあこの前、なんで電話してきたんだよ。メールじゃなくてさ」

「そりゃ」

 理由なんて、なぁ。

「俺の心を癒してくれる、藍の声が聞きたくなってな」

「っ! り、理由を言いたくないなら、そう言えばいいだろ!」

「いやいや、本当に癒しなんだ。例えば俺が本当に、悩みを持ってたとしても、藍と話すだけで忘れられるんだよ。だから、悩みなんてないんだ」

「君はまたそういう恥ずかしい事を……。そういうの、他の子に言っちゃダメだからな?」

「うん?」

「勘違い、するだろ」

「だから藍にしか言わねぇよ?」

「そ、それは! ――ほ、ほら! ついたぞ! 皆待ってるから早く入ろう!」

 逃げたな……。 

「まぁいいか。よしよし、入ろう」

「ごめん……」

 後ろで小さく藍が何か言ったけれど、聞かなかったことにしておいた。

 何やら縮こまってしまった藍を引き連れて、玄関を開く。

「戻ったぞー?」

「あ、おかえりー!」

 どたばたと足音を立てて、先輩が出迎えてくれた。

「よーしよし。良い子だなぁ。ほら、お土産だぞー?」

「うわぁい! トリュフチョコだー!」

「ははっ。かがりんはトリュフチョコが、本当に好きなんだなぁ」

「えへへー」

 隣で呆れた目を向けてくれる藍を放っておいて、会長の頭を撫でながらリビングへ戻っていくと、栄太と先輩まで呆れた目でこちらを見ていた。

「会長、それ、馬鹿にされてますよ」

「す、スズキくん!?」

 ちっ、栄太め。もう少し可愛がろうと思ったのに。

「先輩だって、分かっててやってたくせに。キャラ作りですよねー?」

「……?」

 ねー? と、首を傾げながら尋ねてみるも、先輩は頭にハテナを浮かべて同じ様に首を傾げるだけだった。

「それで、何買ってきたんだ……?」

 気を取り直した栄太が、コンビニの袋をあさった。

「おう、俺のお勧めばっかりだぞ!」

「……一応言っとくけど、僕は止めたからね」

「あたし、なんだかオチが見えたわ」

「んー?」

 先輩が、一歩はなれてその様子を見守り、会長は栄太に混じり、袋をあさる。

「……おでんさいだー?」

 舌ったらずな声で会長が読み上げる。かわいこぶりやがって。可愛いなぁ。

「冬といえば、おでんだよな」

「……みかんの果肉まんって、何だ」

「冬といえば、こたつでみかんだよな」

 二人は手にした物を袋に戻すと、藍が持っていたほうの袋をあさり始めた。

「待てよ! 何かコメントあるだろ!? せっかく買ってきたのに!」

「もう、何か突っ込みどころ多すぎておなか一杯なんだよ」

「果肉まんって微妙なネーミングだと思うの、会長さんは」

 栄太はこちらを見ず、会長にいたってはダメだしだった、畜生。

「だからやめとけって言ったのに……。これ、君が食べるんだよ?」

「ぐっ! 美味しくても絶対お前らにやらないからな! ばーかばーか!」

「哀れですわねぇ……」

 一人ほくほくと、くっそ高いアイスを食べる先輩。

「そうだ、先輩にもお土産買ってきたぜ!」

「何ですの……?」

「先輩が欲しがってた、『あの子の笑顔を曇らせたい』のフィギュア……、についてくるお菓子だ」

「なんでメインがないんですの!?」

 そうそう、こういう反応だよ。

 藍のもの言いたげな視線は無視。

「冗談ですよ。ほら、フィギュアの方。これ、持ってないって言ってた奴ですよね?」

「あぁっ! そうですわ! 『光りのない目で歪に笑う妹』!」

 すっげぇマニアックなタイトルついてるのな……。この部分だけ見れば、俺よりも先輩の方が余程の変態だと思う。口にはしないが。

「実は藍向けのも、買っておいたんだ」

「いつのまに……。すっごく嫌な予感がするね……」

 コンビニの棚に並んでいた、自己啓発本とかの間で見つけたHowto本。

「はい、『幼馴染との良い関係の築き方』」

「馬鹿にしてんのかっ!」

 すっげぇ叩かれた。


「んじゃ、またなー、スズキ」

「犯罪だけは、起こさないようにしなさいね」

「性犯罪はだめだよー」

「字は似てるけど、軽犯罪じゃなくて、性犯罪だからな? 絶対にやめてくれよ」

「お前ら別れの挨拶がわりに最悪な心配してくれるなっ!?」

 笑いながら四人は闇夜に消えていった。

 何て言い方をすると、すごく怪しくなって、なんだか楽しい。

「……下らんことを考えてないで、片づけするか」 

 部屋に戻り、のんびりと片づけをし始めた。

 それも終わりかけた頃、不意に携帯が鳴った。

「何か忘れ物でもしたか?」

 栄太だろうと適当にあたりをつけ、確認もせずに電話を取ると、

「やー、元気?」

 ナンシーだった。

「よう……」

「今晩はお楽しみでしたね。でも……、スズキが求めてた物とは、ちょっと違うんじゃないかな」

「……」

「違うよね。頑張ってるねとか、すごいねとか、スズキなら大丈夫とか。そんな励ましを求めてるんじゃない。君は、哀れんでほしいんだ。辛いね、大変だね、頑張ってるね、かわいそうだね。……そんな、同情がほしいんだろう? 知ってるよ、私はスズキの欲しい物を知ってる。私なら上げられる。スズキの求めに答えて上げられる。だから、私と二人の世界にしようよ。悲しい世界。それが、スズキの望む、場所なんだから。ね?」

「……」

「答えはいずれ、また会った時に期待してるよ」

 そしてかかってきた時と同じく、唐突に電話は切れた。

 意味深に、言葉を残して。

 



「畜産家か!」

 今日も元気に、気持ちのいい目覚め……。

「なわけあるか! なんだこの、コケコッコー! でもクックドゥードゥルドゥーでもない!微妙なニワトリの鳴き声は!」

 ケキョーケキョー! という、中途半端な鳴き声だった。

「なんか、目が覚めたな……。行くか」

 起きたところでやることもない。しばし悩んだ後、昨日休んだ分、早く基地へ行く事にした。

 簡単に準備を済ませ、外へ出る。

「おばよう」

「……? おはよう、ございます?」

 と、どこからか、声が聞こえた。

「あじもど……」

「足元? おぅっ!?」

 声の通りに見てみれば、花を踏んでしまっていた。

「なんだ、これハナか」

「なんだとはなんだ! 花を踏むかな、普通」

「いや、昨日までなかっただろ、この花」

「そりゃ、話すためにさっき生やしたからね」

「なんだそりゃ、さすが神様だな……。あれ? でもハナってスマフォもってるじゃん」

「電話代がもったいないでしょ」

 ぐぅの音も出ない正論なんだがなんか納得いかない。

「で、今日はハナ忙しくてね。悪いんだけど、基地に来てもらっても意味ないし、スマフォは今渡しておくから、その脚で怪人調査行ってくれる?」

 しゅるしゅると蔦が伸びると、花の中からスマフォを取り出し、俺の手へと乗せた。

 なんだろう、言いたい事が多すぎるせいか、口の中が渋滞して言葉が出なかった。

「えっと、……何時ぐらいにあがればいいんだ?」

「んー……。今が十時だから、十九時でいいよ。あ、ちゃんと一時間休憩とってね、最近はやたらと労組がうるさいから」

 労働組合あったんだな、この仕事。神様的な人達が一生懸命、残業時間の管理とかしてるんだろうか……。なんか、ありがたみが薄れる。

「じゃあそれぐらいで」

「うん。お願いね。それじゃまた」

 別れを交わすと、目の前の花がその時間を加速させて、一気に枯れ、土へ還った。

「……国民的アニメ映画で、似たような現象を見たな」

 そういえば、タイムカードとかないのに、どうやって時間の管理するんだろう。

「気にしても仕方ないか」

 何となしに呟いて、どこに行こうか考えた時、ふいに思いついた。

 昨日今日と俺を目覚めに導いてくれている、ニワトリを見に行こう。調査の一環として。

 スマフォのアプリを使う事無く決めて、脚を家の裏へ向ける。

 特に親交のないお宅なので、ニワトリを見させてほしい何て頼みにくいし、裏から覗く事にした。

 そろそろ刈らないと、何て事を考えながら雑草を踏み分け、裏の垣根越しに、隣の家を見た。

「……?」

「……?」

 すると、見知らぬ人と目が合った。

「どなた様?」

「ひぁぅ!?」

 その子は、頭から太もも辺りまでをフード付きの長いコートですっぽりと包み、コートに覆われていない膝から下は、真っ白なタイツと、黄色のブーツに隠されている。

 服装だけを見れば、ただのおしゃれさんだ。しかし、いかんせん、ニワトリ小屋に上半身を突っ込み、今まさに卵を盗んでいるのがいただけない。

「……窃盗は、犯罪だぞ?」

「ま、待って! 違う! 違うヨ! ぁイタイッ!」

 偉いコミカルに慌てながら出てきたな。声や雰囲気からして、女の子っぽいが……。

 ともあれ、チャンスだ。

「……ふははははは、警察に突き出されたくなければ、――分かっているな?」

 自分でも分かっていないが、一度言ってみたかったので挑戦。

「えと、何すれバ?」

 相手も分かっていなかったので、俺もどうして良いやら分からない。俺は馬鹿か。

「……。いや、君、貴方?」

「チンって言います」

「呼び難いから、名前変えてもらってい?」

「ワタシの名前なのニ!?」

 何か、女の子をチンって呼ぶのは嫌だ。

「じゃあ……、クーって呼んで下サイ」

「クーか。チンよりよっぽど可愛いな」

「で、デスか……」

「俺の事は、スズキって呼んでくれ。よろしく!」

「スズキ! ご理解!」

 良い雰囲気で自己紹介を終えたが、不法侵入しているっぽい女と垣根越しに喋っている状態であり、状況としては最悪だった。

「とりあえず、垣根を越えてこっちに来た方がいい。その家のおばちゃん怖いぞ」

「は、ハイ!」

 コートに脚をとられながらも何とか、こちらへやってきたクーだが、手に三つほど卵を抱えていた。

「そんな堂々と卵もたれたら、いくら俺でも見ないふりができないな……」

「だから、違いマスて! ワタシおばちゃんに頼まれテ、卵とってタ! 盗む違う!」

 ……そういえば、この家のおばちゃん杖ついてたっけ。

「まて。なら何故こっちに来た」

「なんと、ナク?」

 首傾げられても困るわ。

「ともあれ、勘違いして悪かった。仕事を続けてくれ」

「あっ! あの、チョトお時間頂いても、よろし?」

「うん? あぁ、邪魔しちゃったしな。何でも聞いてくれ」

「ホントですか! 邪魔されるのも、ワルくないですネ!」

 それはどうだろうな。


 それから、クーが卵をおばちゃんに渡すのを待って、垣根越しの会話を再開した。

「あ、邪魔ですネ」

 言って、クーがフードを外すと、日に焼けたのとは違う、地であろう褐色の肌をした、やや幼い感じのする顔がお目見えした。

 下がり気味の眉に、パッチリとした小さな目が、よりその童顔さを際立たせている感がある。

 そして肌の色によく栄えるボリューミーな赤髪……、って。

「クー、外人だったのか!」

「ナウデス!?」

 外人って、ナウとか本当にいうんだな。びっくりなう。

「名前とカ! 違うデショ!?」

「キラキラネームかと思った、って分からないか」

「あ、分かル! 月って書いて、キラって読むですネ!」

「色々間違ってるが、大体あってるから良しだな」

 ネタが若干古いのは、海外だと発売が遅いとかの関係だろう。

「それで、聞きたいことって?」

「あ、それがですね――」

 何やら鈍い音が、クーのお腹の辺りから聞こえ、同時にクーの口が閉じた。

「アハ、アハハ、く、クーのお腹から、クーってなりました、ネ?」

「いや、そんな可愛い物じゃなかったと思うが……、誤魔化すためにそんなネタを使う勇気に免じて、そうだったとしようか」

「全然してないデス! ヨくないデス!」

 面白いなぁ、この外人さん。

「そうだ。腹減ってんなら、どっか行くか。立ち話もあれだしな」

「せ、節約チュなので……」

 節約中、か。

「うむ。遥々海を越えてやってきたクーの努力を評価して、俺がおごろう」

「ホントです!?」

 これだけ目を輝かされると、奢るかいがあるというもんだ。

 そういえば、近所に美味しい丼の店ができたとか聞いたな。

「よし、んじゃ行くかー」

「お頼み!」


 というわけで住宅街のど真ん中にある丼専門の店にやってきた。

 少し時間が早いせいか、客の姿は皆無だ。

 親子丼が有名だと聞いていたので、それを頼む事にして、クーの方を見てみると、眉間に皺を寄せ、随分と悩んだ様子でメニューを見ていた。

「ゆっくり考えてくれ」

「いえ、違いマス。字、よめまセン」

「……なるほど」

 そうか、そもそも注文ができないのか。

「んじゃ、俺と同じなのでいいか? この店のお勧めらしいしな」

「お願い!」

 そうして店員を呼び、親子丼を二つ注文した。

「楽しみデスネー」

「だなぁー」

 人の居ないお陰か、三分ほどクーが足をパタパタしていると、親子丼が運ばれてきた。

「お、おー! キレイ! すごい!」

「うむうむ。熱いうちに召し上がりな」

 見た目だけで、料理番組の芸能人みたくはしゃぐクーが微笑ましくて、思わずオカン口調。

 俺が作ったわけじゃないが。

「頂きマス! ――あぁー!」

「うおっ! 号泣!?」

 な、何でこの子泣き出した!?

「どうした? 殻でも入ってたか?」

「お、美味しぃ……! 美味しですコレ! すごい! 今まで食べたゴハンで一番美味し! イチバン!」

「美味しくて泣いてたのか……」

 美味しくて涙出るなんて初めて聞いた。

「うむ、そこまで喜んでもらえると、嬉しいな」

 そうだ、この料理の名前を覚えて帰ってもらおう。

「ふふふ、それは親子丼と言ってな、鶏肉と卵を使った料理なんだ」

「トリ、ニク……? タマゴ……?」

 瞬間、先ほどまでの喜びようはどこへやら、クーは虚ろな目で、丼を見つめ、茫然自失とばかりにその動きを止めた。先日先輩に上げた、『光の無い目で歪に笑う妹』に似ていた。

 こ、これは、……もしや。

「信じる物とか、あがめてる物とか、諸々の理由により、食べちゃいけなかったのか!?」

「……違う。違うヨ」

「そ、そうか」

 良かった……。危うく俺のせいで、聖戦が始まってしまうところだった。

「う、うぅでも、美味しかタ……。これ、何の鳥?」

「親子丼だから、鶏だろうな」

「あぁーー!」 

 さらなる号泣だった。

「うわぁぁ! ご、ごめんな! 良かれと思ったんだ!」

「うっ……。食べたの、ワタシでよかっタ。そう思う、からいい。アリガト」

「そうか? 無理するなよ?」

「無理、ナイから。やさしネ」

「お、おぅ?」

「あぁ、オイシ……、オイシよぉ……」

 泣きながら親子丼を平らげるクーに、何と言えばいいのやら……。

 俺が戸惑っている間にもバクバクと食べ進め、

「ハァ、美味しかっタ……。えっと、その、聞きたいコト。話してもイ?」

 最後の一口を食べ、涙も止まったところでクーは改めて、話し始めた。

「あぁ、よしよし。何でも話してくれ。今なら俺の出来る限りをさせてもらうぞ!」

 悪いことをしたような気がして仕方がないので、兎に角出来る限り、この子の役に立つ事をしよう。

「実ハ、ワタシの本当の仕事、セールスなんです。屋台で売るデスけど、全然売れない」

 ……いや、まさかな。

「そうだな、まず商品を見せてもらってもいいか?」

 違ってほしい、が……。

「コレデス」

 コートのポケットから取り出されたのは……、小さな缶ジュース?

「これは、ジュース?」

「現状打破、言います」

 何か似たような商品、あったような……。

「これはデスね! 例えば、お仕事が全然、進んでないトキ! 飲んで下サイ! 何だか、終わってるような気持ちに、させてくれマス! 現状打破!」

「できてなくね!?」

「いえ、でも忘れられマスよ?」

「現実逃避だなそれ!」

 これもう、絶対怪人の商品だよ。

 しかし、今回もまた、いろんな意味でハシャいだ商品作ってんな……。

 しかし、人が死ぬとかじゃないって事は、ナンシー関わってないんだろうか。

「っと、携帯が……、ちょっとまってな」

 一応スマフォを確認してみれば、やはり画面いっぱいに点滅していた。

「お待たせ。よしよし、それでだな。もう、どこから突っ込んでいいかわからないレベルで、問題だらけなんだが。指摘したほうがいいか?」

「お願いしマス!」

「全部ダメだ」

「身モ蓋モ!」

 ガシャーン、とクーがテーブルに額をぶつけた。

 リアクション面白い。

「どうしても、これを売らないとダメなのか」

「ハイ……。ワタシのお姉ちゃん、みんないなくなったカラ。ワタシしないと」

 机から顔を起こしたクーが、赤くなった額を押さえながら涙目で言った。

 お姉ちゃん、ね。

「……。いや、どうしてもこの商品じゃないと駄目なのか、聞きたい」

「あ、それもハイ。他の商品、ない」

 買い占めて妨害兼援助としたいが、前科もちの為、再びやるとハナに殺されてしまう。

 はてさて、どうしたもんか。――責任を感じる必要は、ないんだろうが。

「何本売らなきゃならないんだ?」

「二万本デス」

 ゼロが四つ……?

「諦めるか」

「もうデス!?」

 二万て。買い占める気にもならんわそんなもん……。

「クーの会社はダメだ。今すぐ辞表をだして来た方がいい」

「そこまでデスか!? でも、辞めたら行くとこナイです……」

 ……待てよ?

「なら俺の働いてる所に来たらどうだ? 今は俺一人しか働いてないし、もし辞めるなら紹介できると思うんだ」

「ど、どんな会社デス?」

 しまった。説明できるわけがない。

「それは……、入ってもらってからしか説明、できないんだ、が」

「……」

 あぁ、すごい疑いのまなざし……。

「いや、聞かなかったことにしてくれ」

「ハイ……」

 出す手出す手が上手くいっていない。何か方法を考えないと。

「まぁ……。デザートでも食べるか?」

「ご馳走!」

 涙が引っ込んで、代わりにヨダレがあふれ出ていた。

 ……もしや、このまま餌付けを続ければ、こっちに引き込めるんじゃ。


 まぁ、そんな簡単に行くわけもなく。

「色々お世話、なりました。ありがとです」

 ああでもないこうでもないと頭を捻っていたが何も案はでず、いつまでも席を占拠しているわけにもいかないので、店を出てきた。しかし、このままクーを解放するわけにはいかない。

「今からまた、売り始めるのか?」

「ん、もう少し、売り方考えマス」

「それなら、売り方を一緒に考えないか?」

「いいデス!?」

「勿論。それじゃ、そうだな……、この辺に来たのは最近か?」

「はい、三日ほど前デスね」

「すごい最近だな。じゃ、まず町の案内でもするか」

「オォ! ありがト!」

 今は、時間を稼いで取っ掛かりを探すとしよう。

「腹ごなしついでに、少し遠目のところから行くけど、いいか?」

「デス!」

「うん、じゃあ行くか」

「ドコまでも!」

 その意気込みやよし。

 しかし、ここまで純真だと、悪い奴に騙されてほいほいついていきやしないかと、心配になるな。いや、この子こそ、悪なんだけれど。

 考えながら、歩き始めると、不意に服が引っ張られた。

「どうかしたか?」

 振り返り、何故か服を掴んでいるクーに尋ねる。

「え? あ、ごめなサイ。私、昔よくお母さん、こんな風してタカラ」

「……そうか。あんまり強く引っ張らないでくれよ、のびるからさ」

「あ……、ハイ!」

 クーを連れてゆるい坂を下る。

 そのうち住宅街を抜けると、段差を挟んで田園風景が広がってきた。といっても、枯れ草ばかりの茶色い田んぼだが。

「おっきー田んぼですネー」

 小学校の頃、毎日の様に見た光景だが、クーにとっては珍しいようで、ご機嫌だ。

 海の方に生息……、住んでいたんだろうか?

「そうだなぁ……。あぁ、田んぼを挟んだ向こう側に、屋根が四角い家あるだろ? あそこの物干し竿の傍にある小屋、あれは鶏小屋だ。ちなみに、その隣の家の庭にあるフェンスで囲われた小屋も鶏小屋だし、少し遠いが、向こうに見える鉄塔の傍にも、二、三件ほど鶏を飼ってる家がある。仕事が欲しかったら行くといいかもな」

「卵とる以外の仕事もしマスよ!?」

 親切心でいったんだが、何やら不評だった。

 ともあれ、畑を横目に真っ直ぐ行くと、途中で道が別れる。

 小学校へ行くのなら整備された道路の方に行くが、今回は公園を目指すので、砂利道の方だ。

 車がたまに通るせいか、ところどころがくぼんでいて歩きづらい。

「まだ少し歩くんだが、いいか?」

「だいじょぶデス!」

 胸前で小さく両拳を握るクーが、エイトカウントでファイティングポーズをとるボクサーみたいで可愛かった。……例えが可愛くないな?

 砂利道を抜けると、道路を挟んだ向こうに川が見えてくる。大して深くないので、釣り人は余りいないが、子供が網を持ってきて魚を捕まえているのを良く見る。 

 道路を渡り、その川に沿って作られた遊歩道を下っていく。

「あ、魚デス!」

「でかいな……。鯉、かな?」

「コイ? 美味しいデス?」

「美味しいんじゃないかな? 骨が多いから、あんまり食べられてはない」

「骨、ですか……」

 いまいちピンときていないようだ。……そうか、鳥は丸のみだもんな。

 突っ込みたいのを我慢して、定期的に魚やカメを見つけて足を止めるクーに、服を引っ張られながらさらに進む。

「あ、子供、沢山デス!」

 その最中、前に二十人ほどの野球のユニフォームを着た子供の列が見えた。

「野球をしてたんだろうな。今向かってる先で、少年野球をよくやってるんだ」

「へぇー……」

 子供達とすれ違うと、それまで物珍しそうに見ていたクーは、身を隠すように、体を寄せてきた。

「何だ、子供は苦手か?」

「少し。みんな、ヤンチャですカラ」

「なるほどな……」

 正体はハトあたりだろうか。あいつらいつも、追い回されてるし。

 保護者らしき人と会釈を交わし、子供達が見えなくなった辺りで川が終わり、代わりに大きな湖と、そこへ出島の様に突き出た公園が現れる。

 遊具の類はないが、十分な広さがあり、島の中心にフェンスで囲われた野球場、その奥は湖を見渡す展望台、バーベキュー用の簡易施設、そこら中にワームやルアーのひっかかった浜などなど、手広く遊び場がある。そして車でも来られる道、それに広い駐車場まであるので、老若男女関係なく、人気のある場所だ。

「どうだ、商売するにはいいんじゃないか」

「おぉー……。デスね! あ、あ! 屋台! ありマス!」

 興奮気味にクーが指差したほうを見ると、人形焼の屋台が出ていた。

「へぇ、駅とかでなら良く見るけど、こんなところにもきてるんだな」

「人形焼……、って食べ物じゃない、デス?」

 心なしか、残念そうに言うクー。

「名前だけ見ると喰えそうにないが、食べ物だ。カステラみたいなもんだよ。しってるか?」

「カステラ! しってます! 甘いナッ!」

 何故決め台詞っぽく言った? 

 腰に手をあて、屋台を指差す謎のポーズ付き。

「どれ……」

 いくつか買ってみるか。多分、クーも喜ぶだろう。

 決めポーズのまま固まっているクーを置いて、屋台へ行き、中サイズの物を貰った。

「お待たせ」

 袋を抱えて戻ってくると、隠し切れないわくわくに、胸の前で握った両拳を上下させるクーが袋を見つめていた。

 手を出そうとして、しかし行儀悪いと思ったのか、引っ込ませる様子が可愛い。

「ほれ、食べよう」

 一つ自分の口に放り込んでから、袋を差し出した。

「貰って、ばかり、だカラ……」

「遠慮すんな。どの道、俺一人じゃこんなに食いきれない」

「あ……、じゃあ、頂きマス!」

 袋ごと渡すと、抱えるように持って、一口。

「んぅーー!」

 頬を押さえ、瞼を強く閉じるクー。

「美味シィッ!」

 そして一気に見開くと、輝きに満ちた目を向けてくれた。

「うんうん。好きなだけ、食べてくれ」

「ありガトッ!」

 二度と離さないとばかりに、袋を強く持ち、クーは一生懸命に頬張り始めた。

「食べながらでいいから、ついてきてくれ」

「ふむっ! ふぁんふぁ」

「食べながら喋る必要までは無い」

「んっ! んっ!」

 そんなに振ったら、口の中の出ちゃうんじゃ? ってぐらいクーが頷いていたので、頭を抑え動きを止めてから、歩き出した。

 放っておくとどこかに行きそうなので、両手の塞がっているクーの、肩を掴んでおく。

「野球場は見ての通りだから割愛して……、そうだな、釣りとかしたことあるか?」

「んーん」

 横に振られる首。

「そうか。割と大きめの魚がつれるらしくて、雑誌でも紹介されるぐらい人気なんだとさ、この釣り場」

「むー?」

「わからないか。俺も何回か釣りに来た事はあるけど、小さいのならよくかかるから、初心者向きだと思うぞ。今度、一緒にやるか?」

「んっ。いいデスカ!? やりタイ!」

「んじゃ、また来よう」

 当初の目的をすっかり忘れて、素で誘ってしまっていたが、結果オーライ。

「少し戻って、あのベンチがあるとこが展望台。あんま高くないけど」

「はい……、アァっ!?」

「ど、どうした?」

「一人デ、食べまシタ……」

 見ると、抱えていた袋がすっかりしぼんでしまっていた。なかなか食い気にとんだ子だ。

「おうおう、それだけ気に入ってもらえると、嬉しいな」

「いいノ……?」

「クーはちょっと、遠慮しすぎだな。んー……。兄貴とか、姉とかいるか?」

「ん、たくさん……」

 鳥類だもんな。

「じゃあ、俺を兄貴だと思え。それぐらいの接し方でいい」

「アニキ! 兄貴……。お兄ちゃん?」

「そう、それだ。お兄ちゃんだ。さ、どうする? 展望台、いってみる、か?」

「……うっ、ううぁ……、ひっぐ」

 な、泣きだした!?

「あぁー」

 そして三度涙腺決壊。

「ど、どうした?」

「わた、し……、姉、いま、シタ……。う、うぅぅぅ」

 ……知ってるよ。

「そうだなぁ。ちょっと、展望台のベンチまで行こう。そこで聞くよ」

 込み入った話の様なので、移動した方がよさそうだ。

「んぅっ……」

 と、クーの頭が胸に入ってきた。

 柔らかくぶつかったクーの額が、もどかしそうに左右へ振られる。

「……分かったよ。ここでいいから、話してみな」

「ワタシ、お姉ちゃん、居ました。……本当じゃない、義理の」

 ……。

「大変な、シゴトだから。居なくなる、わかってまシタ。でもやっぱり、さみしぃデス……」

 さみしい、か。

「そこら辺の奴らよりは、その気持ちは分かるよ。俺も、一人だ」

「……?」

 顔を上げたクーの目に溢れるほどたまった涙を、ぬぐう。

 本当に、よく泣く子だ。

「俺が、兄貴になると、姉ちゃん思い出して寂しくなるか?」

「ナイです! 沢山、なくしまシタ。でも、お兄ちゃん、なってクレルから、嬉しくテ、嬉しのに、涙、でまシタ」

「……そっか。じゃあ、また釣りに来て、そんで人形焼買おう。そうやってさ、クーの寂しいとこ、俺が埋めてやる。そしたら、もう泣く必要はないだろ? な」

「……ハイッ!」

 涙がはじけるほどに、勢い良く頷いて、クーは無邪気な笑顔を浮かべた。


 それから、あっと言う間に笑顔を戻したクーは、兄妹なのだから、と手を繋ぎたがり、それを拒む理由もなく、喜んで受け入れ、それこそ本当の兄妹の様に、歩き続けた。

 図書館に行き、クーの故郷の事を聞いた。

 学生に人気の揚げ物屋によって、また買い食いをした。

 店員のおばちゃんが、可愛い外人さんに、とおまけをしてくれて、クーは揚げ物の袋を抱え、知っている限りの言葉で、感謝していた。

 ゴルフ場を外から眺め、今はもう動いていない観覧車に触れ、俺の通っていた学園を紹介し、そして……、歩いて歩いて、家に程近い公園へたどり着いた時、日はもう傾きを迎えていた。

「今日は、ずっとありがトウ」

「結局、案内だけで終わったからな。大した事はしてないさ」

「うぅん、ジューブン」

「なら、よかった。次はいつにする?」

「ふふっ。次あるって、いいデスネ」

 目を細め、口を緩めて、クーは言った。

「じゃあ、ちょと、上の人に、ききマス」

 言って、握った手を外し、クーは懐を探ると、スマフォを取り出した。

 偶然にも、俺の持っているのと同じ物だった。仕事用に人気のモデルなんだろうか。

「あ、ワタシです!」

 特に緊張した様子もなく、笑顔で通話をしているのを見ると、上司との関係も良いらしい。

 そんな事を考える自分が、何やら本当の兄のようで、少しおかしかった。

「ハイ! ……ハイ?」

 通話をするクーの笑顔が、……不意に曇った。

「でも、……ハイ」

 怪訝な様子のまま、スマフォを耳から離すと、何事か操作をして、そして……

『やぁ、スズキ』

 ――ナンシーの声が、スマフォから響いた。

『もしかして、驚いてくれてる? そうだと嬉しいなぁ』

 何故、俺はこんなにぼけてしまっていたんだろう。可能性の欠片ほども、頭に浮かんでいなかった。当然の、展開なのに。

『ねぇ、うちの子を騙すの、辞めてくれないかな?』

「……人聞きが悪いな。騙してなんかねぇよ。あんまり可愛いから、単純に仲良くなりたかっただけだっての」

『あぁー。分かる分かる。妹系だよねー。お兄ちゃんとか呼ばれてたりして?』

「……」

『……。うん。いいけどね』

 何がいいんだろう。

『でさ……、君』

 さぁ、覚悟を決めよう。

『君、ヒーローなんだから」

 楽しい時間は御仕舞、

『怪人と仲良くしちゃ、だめでしょ?』

「どいう、コト?」

「クー。念のため、言っておくぞ。俺は騙してなんかない。ただ、クーと仲良くなって、戦わずに済めば、それが一番だと思った。クーみたいな子と、戦いたくないからだ」

 分かっていた。

「ヒーローだなんて、初対面のクーに話したら戦いになってしまうからさ。仲良くなってから教えよう、そう思ってたんだ」

 こんな言葉で解決するのなら、また明日なんていらない。

「頼む、クー。俺は戦いたくないんだ。話し合おう、な?」

 釣りに行く予定なんて、必要ない。

「ドウシテ?」

 首をかしげるクーは、笑顔を貼り付けたまま、涙を流していた。

「イイ人会えた。嬉しカタ。でも、お兄ちゃん、ダメ。私の義姉、殺した。ドウシテ……?」

 微かな罪悪感を持っていた。どうであろうと、人の形をしていた者を殺したことに。……でも、そんなものではなかった。そんな程度の問題ではないんだ。

 だって、クーからすれば……。

「許さナイ……。許サナイ。ゆルサナイ。ユルサナイ。ユルサナイユルサナイユルサナイッ!アァァァァァァァァァ!」

 怨嗟の呟きは、数を重ねて絶叫になって。流れる涙は真っ赤な血になって。

「フゥゥゥゥッ!」

 赤い髪はトサカに、全身を覆うコートは羽になって、かわいらしい唇は凶悪な嘴を伸ばし、手は翼になって、ブーツは硬質の皮膚になって、爪を持って。……女の子は、怪人になった。

「――――!」

 腕で頭を庇った、瞬間、体は宙に浮き、地面へ叩きつけられた。

 人の頭よりはるかに大きな、爪で蹴られたんだ。

 その威力はすさまじく、クーの姿が彼方にあった。

「あっ……、ぐぅっ!? ……なんだ、こりゃ」

 ――腕が、ない。左腕の肘から先が! 

 なんだこれ、畜生。腕が無いって、お前、こんなんヒーローの力でも治んのかよっ!

「はぁ、ぁ……。俺の、腕……。あ、った」

 くそ、ちぎられた腕を見つけたから、何だってんだ。

 肘から先をなくし、うめいてる俺に、けれどクーは何も感じていないのか、クチバシをガチガチ鳴らし、向かってきていた。……止めを、とでも言うかの様に。

 死ぬのか? 憎まれ、嫌われ、恨みの中で……、殺される?

「――――!」

「っ!」

 耳障りな甲高い声で、咄嗟に体が動いてくれた。

 すぐ横をかすった、冗談みたいに大きなクチバシから、出来る限り遠ざかる。

「畜生……。死ねるかよ」

 まだ死ぬわけには行かない。藍にも約束した。

「なら……、やるしかないだろ」

 自分に言い聞かせる。

 あの鳥は、針金の毛皮を持たない。あの鳥は、高速を持たない。

 あれはもう、――クーじゃない。

「アァァァァァァ!」

 血が飛び散るのもかまわず、叫んだ。

「――――!」

 答えるように叫んだクーが、僅かに空へと浮きながら、獰猛な意思をもって爪を繰り出す。

「こんのぉっ!」

 ソレに対して、地面に落ちた自分の腕を拾い、――投げた。

「――ェッ!」

 俺の腕は、避けられたものの、しかしクーの顔に血糊をぶちまけた。

 そして一瞬怯んでいる間に、一足跳び。すれ違う。

 ――目の前の生き物の、見開かれた瞳に滲む血は、数時間前の出来事を、全て塗りつぶしてしまったのだろう。

「ごめんな」

 すれ違うと同時、その瞳へと、指を突きこみ、頭蓋を掴んで、――地面へ叩きつけた。

「アッ……」

 甲虫を潰したような、気味の悪い感触が、手に伝わった。

 ……それで、終わりだった。余りにもあっけない、お別れだった。

 守るものがなければ、片腕だけでも動くなら、俺はこんなにも強い。

『さすがだね、スズキ』

 その強さが、悲しかった。


『今日も電話なんだね?』

 基地に戻り、ハナに怒られながら腕をくっつけてもらったその帰り道。藍に電話をかけていた。

『メールって味気ないだろ。あんま好きじゃないんだよな』

『それはそうかもしれないが……、やっぱり何かあったんだろ? 仕事かい?』

 クーを殺した後、血まみれの状況でどうしようかと思ったが、地面に付いた血は全て、都合良く霧へと消えてくれた。

『何にもないって』

『……君、公園でニワトリを埋めてたろ』

 そして、片腕で何とか、クーの亡骸を地面に埋めた。

『どうして、知ってるんだ?』

『パパが、自治会長なんだよ。地域の人から連絡が回ってきたらしくてね。君の事だから、たまたま死んでいたのを埋めてあげてただろうって事で落ち着いたけどさ。一応理由を聞いといてくれって言われてるんだ。さ、話して』

 隠してくれているのか、本当に知らないのか、全てがバレている訳ではないようだ。

『なんでもないさ。その通り。ただ、死体があったから、埋めた。それだけだ』

 だとしたら、話す必要も無いだろう。

『そう。なら、それでいい』

 幼馴染というのは、ありがたく、けれど接するに難しい。

 距離が近ければ近いほど、お互いに痛みを避けようとしてしまうから。

 ハリネズミだけじゃない、誰だって、もどかしい思いをしてるものだ。

『君が言うなら、どんな理由でも信じる。でも、心配だ。いつも心配してる。スズキの事を』

 遠くではなく、近くの事を心配をする。それが本当の優しさだと、誰かが言っていたっけ。

『ありがとな。でも、大丈夫だ。心配すんな』

『うん……、分かった』

 ……。

『そういや、明日休みもらったんだ。暇か?』

 さて、俺らしくない思考は捨てて、楽しい話をしよう。

『あぁ、暇だよ。どこか行こうか? 皆も喜ぶよ』

『久しぶりに、二人で出かけないか?』

『へ? いいよ。ほんとに久しぶりだね』

『だな。じゃ、明日。起きたら連絡でいいか?』

『出来るだけ早めにね。――無理だと思うけど』

『ばっか、俺はやるときはやる男だっての! 明日覚えてろよ! じゃあな!』

『お休み』

 ……お休み。

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