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第二話

 エレベーターの閉じたドアを見ながら、ぼうっと朝を思い出す。

 今朝は登校時間に目が覚めた。今までは一度もそんなことが無かったのに。

 とはいえ、学校はもう辞めてしまっているので、二度寝した。

 すると眠りに落ちるより早く、藍から電話がかかってきた。

 寝起きの声で対応したら、寝ぼけてんじゃない、と一言目で怒られた。

 やっとの思いで電話を終わらせメールを見れば、電話で言われたのとほぼ同じ内容が綴ってあった。

 することもないので、昼前まで教育番組を見ていた。学校の休み時間ごとに送られて来る藍のメールに返事をしながら。

 やたらと注意するような文面が多かったので、子供を心配する母親みたいだね、と優しく指摘すると、ぴたりとメールが止んだ。

 またぷりぷり怒っているのだろうから、指輪でも贈って許してもらう事にした。

「仕事終わったら、街の方で見繕うか」

 呟くと同時に地下へ到着。

 通路の花に、何となく片手を上げて挨拶をし、ドアを開く。

「相変わらず綺麗だなぁ、花畑」

「ありがと、褒めてもらえると嬉しいね」

 声の方を見ると、昨日と同じ位置に、向日葵が咲いていた。

 ぱっとみた様子では造花には見えないし、触れてみても生花のみずみずしい感触がする。

 一体どうやって声を出しているのやら。

「だ、だめだょ……、そんなところ触っちゃ……」

「えぇっ! 俺今どこに触った!? めしべか!? めしべに触れちゃったのか!?」

「い、言えないよ、そんな事……」

 気のせいか、何やら恥かしげに揺れる向日葵に、胸の動悸が早く――はっ!? とまれ鼓動!   

 いや、止まったら困るんだが。しかし、花に興奮なんてしてたまるか。

 ところで花に興奮する場合、何フェチなんだろう?

「さて、……さて? なぁ、今気づいたんだけど、俺あんたを何て呼んだらいいんだ?」

「え? うーん」

「女王様とかメスブタとか雑草野郎とか?」

「チョイスが最悪だよ! こっちは君の雇用主なんだからね!?」

「いや、周りに僕っ娘とかいるからさ、個性が必要かなって」

「しらないよそんな事! もう、ハナって呼んでくれたらいいよ」

「まぁ……、安直すぎるけど一周して可愛いかもな?」

「何で上から目線なんだよ!」

 何でもいいけど、ハナが突っ込みついでに葉っぱで叩いてきて、そこそこ痛い。

「何かもう頭痛いよ……」

「頭どこだよ」

 やっぱ本体は別の場所にいるのか?

「うるさいなぁ。じゃ、これからについて詳しい説明始めるんで、ちゃんと聞くように」

「りょーかい」

「怪人の話だけど、普段は人の姿に擬態してるから見分けがつきません。なので、今から渡すレーダーを使って、探して下さい。見つけ次第、とっちめてやってくれればいいから。そういえば、つい最近怪人の方に一人幹部が増えたらしいんで気をつけてね。以上」

「短っ! 説明まとめすぎてね……?」

「うるさいなぁ。ハナはオープニングとか、チュートリアル飛ばすタイプなんだよ」

「何の話だ。……ところで、どうして自分の事を名前で呼び始めた? もしや個性を?」

「ち、違う! 違うからね!」

「そうだな、違うな」

 棒読み。

「こ、このっ……! もういいから、ほら。君、携帯出して」

「携帯? いいけど、はい」

 懐から折りたたみ式のそれを取り出し、向日葵へ向けた。

「ガ、ガラケーって……」

 落胆の言葉と共に、周りに咲いていた花々が、一斉に枯れた。

「どういう意味だ、おい」

 場合によっては出るとこ出るぞこの野郎。

「別に……。仕方ない、ハナのスマフォ貸してあげるよ」

「スマフォなんて持ってんのか……」

 それはそれで何やら負けた気分であり、少し悔しい。いや、ガラケーで十分だけどね?

「そこの棚にあるのか?」

「いや、ここだよ」

 言葉と共に、ツタが伸び、向かった先は傍に咲いていた大きなウツボカズラの中。

「もし、そのまま渡してきたら、俺は除草剤を手に戻ってくる」

 何やら、粘着質な液体で濡れテカり光っていた。

「怖い事言うなぁ……。ケースの中に、ちゃんと綺麗な本体が入ってるから」

「なんだ、フェイクか。くそぅっ、面白いことするじゃねぇか。見直したぞハナ」

「そんなことで見直されても……、兎も角、はい」

 蔦で器用にケースを開くと、そのままスマフォをこちらへ向けてくるハナ。

 それを受け取る。何の変哲も無い、スマフォだった。

「ばかお前、ここで触ってみたらこんにゃくだった! ぐらいしてくれよ!」

「なんのダメだし!?」

 ちっ、どうせならもっと突き抜けてくれればいいのに。

「友達の触ったことあるから、大体操作は分かるけど、これでどうしたらいいんだ?」

「えーと、アプリみて。あ、パスワードは8787ね」

 言われたとおり、慣れないながらも操作をしていく、と。

「……怪人レーダーってアイコンあるけど、これ、もしかして……」

「そうそう。それを使ってね」

「アプリかよ!」

 合理的だけど、だけど何かなぁ……。

「これ、自作?」

「上から支給されたんだよ。緊急用の番号も入れてあるから、何かあったら電話して。んじゃ、ハナは用事あるからそろそろ行くね。レーダーのところに、説明書もあるから、必要ないと思うけど、読んどいて」

「お? おぉ、了解。頑張らせてもらうよ」

「期待してるね」

 そうハナが言い終えたと同時に、追い立てるように、大げさな音を立てて部屋の奥から順番に明りが落とされていった。

「なんかせわしねぇな」

 呟いて、まだ明かりのついているエレベーターへと向かった。


「しかし、ほんとにこれで見つかるのか……?」

 レーダーはとても簡単なつくりだ。魚類探知機の様に画面を波が走り、怪人を見つけると、その場所が点滅する。

「何が怪しいって、基地でた時点でもう反応でてんだよな」

 壊れてんじゃないかと心配になったが、聞きに戻るのも面倒なので、半信半疑ながら、レーダーの示す方向に進んでいる次第である。

 やたらと入り組んでいる住宅街を、右に左にと抜けて行くと、やがてレーダーが強く反応を示す方向に、不思議な屋台を見つけた。

 その屋台は、人一人分ほどの狭い路地にあって、店主はこちらから見て屋台を挟み反対側にいる。

 つまり、屋台越しに話すか、反対側に回り込まなきゃならないのである。

 不合理にもほどがある……。

 ともあれ、何か理由があるのかもしれない。聞いてみるか。

「あのー、すいません」

「え、あ!? お、お客さんですか!?」

 背の高い屋台なので、屋根と商品を挟むと顔の辺りしか見えないが、どうやら店主は女の子のようだった。

「き、きい、きっ、聞いて! あの、これ、商品! 売り物なんです! 良くて! 安いし、簡単で!」

 凄い嬉し顔で必死に説明してくれてるこの子は、客じゃないと言ったらどんな顔を見せてくれるんだろう。とてもサディスティックな考えが浮かんだ。

 しかし、そうさせるだけの笑顔を彼女は秘めている。

「なんていうか、一部の方にとても人気が出そうな笑顔をお持ちですね」

「え、はい? あ、ありがとうございます……?」

 一応オブラートに包んで警告しておいた。包みきってしまったため、恐らく伝わってない。

「何を売ってるのか、聞いてもいいかな」

「あ、はい! えっと、あ、申し送れました、私、音子ねこといいます!」

「どうも、スズキです」

「よろしくお願いします、スズキさん。それでですね、音子が紹介致しますこの商品! その名も『働け蟻!』」

 なんだか、過激な名前だな……。

「薬みたいな物でして、服用しますと男性の方は七割の確率で働き者に。三割は怠け者に。女性が服用すると、生涯で一度しか――」

「ちょっ、ちょっと待て!」

 そんな人生丸ごとギャンブルみたいな商品あってたまるか!

「はい……?」

「ご、ごめん、電話が!」

 何かミスをしたんじゃないか、といった感じで不安そうにしている音子とやらを横目に、屋台の影に屈み、画面が一杯に埋まるほどの点滅を繰り返しているスマフォを操作して、緊急時用の番号へコールした。

『お、おい。なんかトンでもない効能の商品を怪人らしき女が売ってるけど、これもしかして本当に効きめあったりすんのか!?』

『もう怪人を見つけたんだ。すごいね。うん、怪人が売ってるものなら、効果がどんな物であれ、本物だと思うよ。ジョーク商品って事はまず無いね。どんな効果なの?』

『すまん、急いでるんでまた後で報告する。それじゃ』

『ちゃんと報告してよ? 頑張ってねー』

 のんきな声に、少し肩の力を抜いてもらえた気がした。とてもとてもポジティブな言い方をするのならば。

 さておいて、スマフォを懐へ戻し立ち上がって、不安そうな顔をしている音子へ、苦笑を向ける。なんとしても、商品の流通を阻止しないと。

「悪いな。えっと、あの、これってもう誰かに売っちゃった……?」

「い、いえ……。こんな良い商品なのに、まだ誰も買ってくれて無いんです」

 商品云々よりも、場所が問題だろうな。

「もしよかったら、コレ全部売ってくれないか?」

「え!? ぜ、全部買ってくださるんですか!?」

 この瞬間を固めてフィギュアかなんかにしたい、ってくらい幸せそうな満面の笑顔で、音子が言った。

「ただ、現金がなくて……、スマフォで払える?」

「はい! ここにかざして貰えれば……、届きます?」

 音子が、配達の兄ちゃんなどが持っているような長方形の機械を一所懸命、屋台の隙間から手を伸ばして、こちらへ向けてくれる。

 その先端の光っているところへスマフォの画面を向けると軽快な音が鳴り、画面に支払いの額と暗証番号を求める画面が出たので、ロックのパスワードを入力すると、無事に通ったので、そのまま決済ボタンを押した。

 数字が七桁に達してたように思うが……。正義に犠牲はつきものだしな。仕方ないね。

「ありがとうございます! 本当に、本当にありがとうございます!」

「いえいえ、良い買い物をさせてもらいました。あ、ついでと言っちゃなんだけどさ、この屋台、貸してもらえないかな? モノを運ぶ方法がなくて」

「いいですよ! というか差し上げます! おまけです! 持っていってください!」

 剛毅なサービスだなぁ……。

「ありがとう。じゃ、ありがたく貰っていくな」

「はい! それでは! またお会いすることがありましたら、よろしくお願いします!」

 音子はうきうきと、全身で喜びを表現しながら路地を去っていった。……その背を、こっそりと追いかけていく。

「ふんっふんっふ~」

 路地を出ると、鼻歌交じりにご機嫌な様子の音子が見えた。

 で、どんな服を着ているのかと思えば、とても地味なグレーのコート。しかも毛はごわごわしていて、触ると手に刺さりそうなぐらいだった。

「あの金で、少しでも良い服を買ってくれたらいいな……」

 そんな切ない気持ちになりつつ、ストーキングを開始する。音子は俺が来たのとは、逆の方向へと帰る様だ。

 

 十分ほど音子を追いかけていると、ナンシーと初めて会った件のロータリへと消えていくのが見えた。

 そしてレーダーの点滅も、音子が駅に入ったところで動かなくなった。

 これは、まさか……?

 少し早足で駅の構内へ入る、が既に音子の姿は、なかった。

「すいません、このぐらいの背の女の子、見ませんでした?」

 自分の首下辺りに手で線を引き、改札横の駅員に尋ねる。

「今さっき来た子かな? エレベーターに乗りましたよ」

「ありがとうございます」

 ソレならば、という事で近くの券売機で入場券を購入。

「まさか、エレベーターを使うのも一緒とは」

 違うだろうとは思いながらも、一応エレベーターでホームまで上がってみた、がやはり音子の姿は無かった。

「やっぱ地下に行ったんだろうなぁ……。適当にボタンを連打してみるか」

 思い立ったらすぐ早速。

「何事もチャレンジだ。……っと?」

 もう一度エレベーターに乗ろうとしたところで、ふいにスマフォが鳴った。

「もっしもーし?」

「キミ、今どこにいる?」

 すわ怪人からかと思ったが、そんなはずもなく。雇い主様からだった。

 不機嫌さのにじみ出る、抑揚のない静かな声なのが、どうにも怖い。

 怒ってる、のか?

「ちょうど良かった。敵の基地のすぐそばに居るっぽいんだ。これから入れるか試して――」

「何してんのさ! 初日に敵の基地に行く馬鹿がいるかな!? それにそこは基地じゃなくて、工場だよ! 偵察のために泳がせてる工場!」

 どうやったらそんなでかい声が出せるのやら、耳が痛い。

「……なんだ。知ってるなら最初に教えてくれよ」

「あ、あー……。言うつもりだったんだよ? ただ、馬鹿な会話してるううちに、すっかり忘れちゃってたね」

 この上司で大丈夫だろうか、俺。

「兎も角! 話があるから今すぐ帰ってきて! じゃあね!」

 そして受話器を叩きつける音を最後に、電話は途切れてしまった。

「いまどき、固定電話ってのも珍しいな……」

 心底どうでもいい感想だった。

 兎も角、屋台の事も気になるし戻ろう。

「あ、そういえば」

 言い忘れてたことを思い出し、再びハナに電話をかける。

「なぁ、ハナのスマフォで怪人の商品、買い占めたけど、良かった?」

「はぁ!? 良かったも何も、もう買っちゃったんでしょ!? 何してんのさっ! ばかばかばか! 帰ったら説教だよ! ほんとばかっ!」

 むちゃくちゃ怒られた。


「君ね、敵に塩を送るってまさにこの事だよ? 別に夜まで張り込めばよかっただろ!? それをなんで! わざわざ全部買っちゃうんだよ! あれハナのお金だよ!? ハナの! シャレにならない額とられてたよ! しかも! 屋台ごと買うもんだから運ぶ方法なくて、業者に頼む事になったし! 内緒でやってもらったから、それもお金かかったんだよ!?」

 基地に戻った途端に、ハナからの猛烈なお説教だった。

 植物にこれだけ怒られる人類は、俺が最初で最後ではなかろうか。中の人いるかもしれないが。

「張り込む事に関しては、俺も考えたんだ。ただ、思考が早すぎて流れてしまった」

「どんだけ空回りしてんのさ! このポンコツ!」

 酷い言い様をされたが、金の恨みは恐ろしいからな。仕方ない。とはいえ、正当な理由もあるので、それを黙っておく必要はないだろう。

「確かにやりすぎだったかもしれない。ソレは謝ろう。でも考えてみてくれ、あの商品の効能を信じなくても、面白そうだからって買っていく奴が居たかもしれない」

「うぐぐ……。そう、だけどさ。だったらそれはそれで、一言相談してくれてもいいだろ? ハナは君のボスなんだから。頼むよ」

「オーケー、ボス。今度から買い物をするときは、連絡入れてからにするよ」

 真面目な話なのに、何だかお小遣い勝手に使って叱られてる子供みたいだな。

「分かってくれたらいいけさ……。あ、そうそう。これだけははっきり言っとくよ。君の任務は怪人の行動を妨害すること。壊滅なんて、それこそ特撮物のヒーローみたいな事はしなくていいからね。危険だしさ」

「そういえば、何も考えず動いてたな」

「考えようよ! ……大丈夫かなぁ」

 どうやら、お互いに疑問を持ち合っているらしい。。

「初犯って事で今回は多めに見るから、今度からはもっと慎重に行動してよ? んじゃ、解散。今日は疲れただろうし帰っていいよ」

「なんか、変に優しいな?」

「やり方はアレだけど、初日にしては頑張ってくれたから、ね」

 うぅむ、飴とムチが上手いな……。妙な好意を持ってしまった。

「ありがとな」

「ふんっ……」

 ひまわりが、ゆるく上下に跳ねて、それが何やら照れている――小麦色の健康的な肌をした、髪は短く、服装もボーイッシュ、小さな頃は男の子と間違われた事もあり、今でもそれがコンプレックス。女の子らしさに憧れ、褒められる事に弱い――女の子を彷彿とさせた。

 詩的な表現をするつもりが、間に俺の好みが混じったせいで、何やらマニアックな妄想になってしまった。まぁいい。思想は自由である。

 というか、俺もしかしてハナに萌えてしまっている……? ま、まさかな!

 植物萌えに開花しつつある(ハナだけに)自分に戦慄し、向日葵を見ないよう、振り向かずに真っ直ぐエレベーターへ乗り込んだ。




 昨日と変わらない時間に基地を訪れると、しかしハナはいなかった。

 部屋の灯りは仄かにしかついておらず、植物は不思議な事にどれも枯れてしまっている。

 何ごとかあったんじゃ……、と心配してあたりを見渡すと、すぐ傍の棚に点滅しているスマフォと、大きな睡蓮の葉を器用にくりぬいて、伝言が書かれていた。

『少し用事で出ています。スマフォ置いといたので使ってください。お腹が減ったら、奥の赤い扉の部屋にある木の実をとって食べてもらって構いません』

「母親かよ。……木の実ってなんだ? 見に行くか」

 スマフォの灯りを頼りにして、花を踏まないよう進んで行くと、横開きの大きな赤い扉が目に付いた。

「これかな?」

 扉に『KEEPOUT』と書かれていたが、気にせず手をかけ開いた。

 ――ドリアンが実っていた。

「くっさ! げふぉっ、えふぉっ、目がぁっ!?」

 その、たまねぎに似た刺激を持つ香りは、驚くべき速度で俺の目と鼻を潰し、地面へ這い蹲らせ、行動不能に追いやった。――ここで倒れていては呼吸困難で死んでしまう、なんとかしないと……!

「う……。ぐぅっ……、はぁ、はぁ……」

 必死にはいずり、現況である部屋の扉に再び手をかけ……、閉めた!

「や、やったぁ! ってばかっ!」 

 なんで怪人じゃなくて、味方の親玉に殺されかけなきゃならないんだよ!

「ふぅ……。よし」

 落ち着いたところでスマフォを取り出し、すぐさま緊急の番号にコール。

「お前アホだな!? 地下でドリアン育てるかよ普通! 死にかけたぞ!」

 そして怒鳴った。

「っうー!? 突然叫んだら耳がキーンってするだろ!」

 ……耳? いや、今はいい!

「ばか! 俺は目と鼻を潰されたんだぞ!? 匂いで死にかけた事があるか!? 拷問に使えそうな暴力だったんだからな!?」

「あー……、かなり臭いとは聞いてたけど、そこまでだったんだ。ごめんね?」

「謝ってすむ問題じゃない、……と言いたいが、そういえば俺も昨日の事があったな……」

 うぅむ……。文句も言ったし、この辺にしておくか。

「というわけで、お互い様ということにしておいてやるよ!」

「なるほど。そういう風に罪悪感につけこんで、さらに許す事で器が広い優しい男である様にみせかけると。チョロいの女の子なら即オチかもしれないね?」

「悪し様にとりすぎだよ。俺をなんだとおもってんだ」

「照れ隠しだよ。案外良いとこあるから、ドキッとしてさ」

「心にも無い事を……。まぁいい、用件はそれだけだ」

「ん。それじゃ、体に気をつけて頑張ってね。バイバイー」

 どうして連日の様に、下らない問題が起こるんだろうな……。ま、喧嘩するほど仲が良いって具合に、仲を深めている過程……、だといいなぁ。


 地上に出て、綺麗な空気を吸う。

 昼過ぎののんびりとした空気の駅前に、相変わらず人影は全くない。

 早速レーダーを起動……、すると、点滅した。

「またかよ。そんで、この方向って同じ場所じゃないか?」

 もう商品を補充したのだとすれば、昨日の俺の行動は完全に無意味だが……。なにはともあれ、行ってみるしかない。

 思考をさっさと打ち切り、昨日と同じ道を進んで、さらに同じ路地を覗いて見れば、案の定、音子が居た。

 新品なのか、綺麗な屋台だ。前のより背が低いのと、商品が数えるほどしかないので、今日は全身がちゃんと見える。

 しかし、服は昨日見たのと変わらないグレーのコート。ボーナスとか出なかったんだろうか。

「うーっす?」

「っ!? 昨日の良い人、ですね?」

 何故か音子は体を一瞬すくませ、怯えた視線でこちらを確認した。

「よいしょっ! この正党め!」

 そして屋台の上によじ登ってから、こちらを指差し叫んだ。

「いや、どうして屋台に乗った。正党って、悪党の反対か?」

「何で素なんですか!?」

「いや、テンション上げて欲しいなら、もう少し前フリとかくれねぇと。今のタイミングで乗るのは無理だ、すまん」

「冷たい! これだから正義は! 自分が正しければ何しても良いと思いやがって!」

 口悪いな、この子。

「何か知らんが、正体ばれてるみたいだな」

「昨日! 私の後、つけてたな!」

「気づいてたのか!」

「えっと、その……、は、はい!」

 目が泳いでるわ不自然に体揺れてるわ脚を落ち着かなさそうに動かしてるわで、嘘を付いてる人の見本、みたいな動きだった。

「……うん。まぁそうな。そういう事にしとこう」

「信じてないなぁ!? もういい! いざ、尋常にしょう――」

「スズキ、そんなとこで何してるんだ?」

 音子は飛び降りようとして、けれど声に驚いたのか、タイミングがずれ、屋台から転げ落ちてしまっていた。背の低い屋台でよかったな……。

「どうして藍がここに居る! 学校はどうした! サボりはだめだぞ!?」

「辞めた君に言われたくないな……」

 それはそうだ。

「今日は推薦の受験日でね、半日授業だったんだよ。その帰りにスマフォなんて似合わない物を睨んでる君を見つけたんで、気になって追いかけてみたら、これだ」

 スマフォが似合わないとかいう必要あったかな、今。

「こ、こいつは誰だ! お前の知り合いだな!?」

 振り返ってみると、屋台に登り直した音子が藍を指差していた。屋台の上好きだな。

「うん? あぁ、紹介するよ。俺の幼馴染の渚藍だ。男兄弟が居るわけでもないのに男口調の変な子だ」

「そんな風に思ってたのか!?」

「まぁな……、っと?」

 答え、藍へ視線を向けようとした瞬間、顔の真横を白い何かが通り抜け、地面へ当たり、コンクリートに、――穴を開けた。

「音子?」

 振り返ると、コートから針の様な毛をパラパラと落としている音子がいた。

 体の芯から頭の後ろまで、冷たいモノが通り抜ける。

 ――あぁ、こういうのは、嫌だなぁ。

「へぇ、その子、幼馴染なんだ。とっても親しそう……。今のは逸れたけど、次は当てる。あなたが避けたら、幼馴染の子に当たるからね。わかった?」

「生憎、長文読解は苦手なんだ」

 強く拳を握る。右手は音子を攻撃するべく。左手は藍を逃がすべく。――右手だけ、異常にチカラが入った。

「穴だらけになれ」

「くっ!」

 コートを再び翻そうとするのを止めるべく、音子へと踏み込む。――足が、コンクリートを踏み砕いた。

「えぇっ!?」

 音子へ向けたその一歩はまさしく弾丸の如く体を前へ、景色を彼方へ押しやって、しかし、そのまま止まりきれず、屋台に突っ込んだ。

 数え切れないほどの乾いた音が飛び散り、世界が鈍く揺れる。――そういえば、つい数時間前に、匂いのせいで似たような経験をしたな。

「藍! 逃げろ!」 

「あ、あぁ!」

 木屑にまみれた体を起こしながら叫ぶと、藍はまごつかず、脚を驚きにすくませているものの、走り出してくれた。

 その背を、家々の壁を器用に走り伝い、音子が追いすがって行く。

「なんで藍を! ちくしょう!」

 疑問を隅に追いやって、二人の後を追って走り出した。

 

 どういう原理なのか、一度力の入り方に気づいてしまえば、まるで普段からそうであったように、高速で動く手足は、違和感なく体を前へと進ませてくれる。

 おかげで、壁を屋根をと、道など関係なく走っていく音子の後に追いすがる事はできたのだが、捕まえようとすると、

「シッ!」

 と全身の針を尖らせるため、つかめない。かといって立ちふさがると、

「すとーっぷ!」

「シャァッ!」

 毛針を散弾の如く飛ばして来る。近隣の家にモロに針が刺さっていて危険極まりない。そういう事もあり、藍が追いかけられている限り妨害ぐらいしかできそうにもなかった。

 やがて徐々に家屋がなくなり、森が広がって、山の中へと入り込み、……急に藍が足を止めた。場所は木々が全てなぎ倒され開けている防音シートに囲まれた道路拡張工事の現場。かなり深く山を切り崩しているため、一部は崖になっている。

 急な停止に対応し切れなかった音子は崖ぎりぎりで停止し、逆に俺は藍を背に立っていた。

「怪我はないか?」

「う、うん」

「にしても、工事現場か。本当にヒーロー物っぽくなってきたな」

「……」

 追いかけ始めて少ししてから、音子は返事をしなくなった。

 それも仕方ない。……あの姿では、人語を喋るには、難しいだろう。

「ニャァ……」

「何言ってるか、わかんねぇよ」

 移動途中に音子は段々とその姿を変えていった。

 コートは身の一部になり、そこから太い毛が全身に広がる。耳が生え、口も裂け、見える歯は鋭く。そうして現れた人サイズの獣にはかわいさなどなく、あるのはライオンと向き合うかのような恐怖。

 そして尾でバランスを取って四本の脚で立ち、こちらを睨む切れ長な瞳は、話し合う余地を感じさせない。

「なぁ」

「シャッ」

 それでもと、思った矢先、音子が無造作に放った毛針が脚に突き刺さった。

「大丈夫か!?」

「いっ! てぇ。けどどうってことねぇよ」

 道中で知ったが、どうやら強化の能力は傷の治癒も早めてくれるらしく傷口はあっという間にふさがり、その関係か、痛覚も鈍くなっていて、……なんとも都合の良い体だ。

「覚悟を決めるか……。藍、下がってろ」

「うん……。無理、するなよ」

「任せろ。ちゃんと隠れといてくれよ」

 音子をけん制しながら、背後の排水用に掘られた深く大きい溝を視線で示すと、藍は不安そうな目で俺を見上げながら、溝に入った。

「さて」

 今度こそ、向かい合って一対一。

 任せろとは言ったが、いくら強化されたといっても、人は人だ。肉食動物が相手では、勝てるかどうか分からない。しかも、素手じゃ触れる事も不可能。

 だから、できる事は一つ。

 やる事、手順を確かめながら、徐々に右半身へ重心を傾ける。

 そして、音子へ向かい強く右脚で、踏み込んだ。――地面を、深く抉りながら。

 飛ぶと同時、即座に左蹴りを出し、振り子の要領で後ろへ。そして、右の蹴りを繰り出した。

 空中二段蹴りの形だ。

 威力なんて全くないがそれでいい、様は、防がれないようにフェイントをいれて、そして土の塊が付いた靴で毛に気をつけて蹴る。

 脚がふわりと、反撃に伸びた音子の手を抜けて、額へ着いた。

 瞬間、強く、蹴り押した。

「ギッ!」

 強烈なプッシュに音子が四肢を地から離し、そして俺は、

「なっ!」

 ――太ももを貫く毛針に驚いていた。

「うそだろっ!」

 結果、音子の体と共に、俺も一緒に崖下へと吹き飛んでいた。

「ガァッ!」 

「いてぇよっ!」

 崖下へと落下しているというのに、音子は空いているそのライオンの様にでかい前足で俺の脚を引っかいてきた。というよりは、俺が邪魔で着地の態勢がとれないので、邪魔な足をちぎろう、という事か。

 目前、下りのジェットコースターの様な速さで地面が近づいていた。目を閉じたくなる恐怖の中考えるのは生き残るすべ。

 俺がするべきは……、

「こんのぉっ!」

 音子の頭を、つかむ!

 何本もの毛が掌を、指を貫くが関係ない。

 できる限りの力で押しやるように掴んで、音子の体を下に、そのまま着地した。



「スズキ! おきろ! おきろってば!」

「ん……?」

「起きたか! 痛むところは!?」

 目を開けると、涙目の藍がいた。腕と足をしきりに気にしてか、視線が移動していた。

「こ、股間の辺りが……」

「一生寝てろ!」

「いちっ」

 殴られる、かと思いきやでこぴんだった。つまりめちゃくちゃ心配してる、という意味だ。

「音子、は?」

「猫? 猫なら、そこに……」

 と、藍の指差す先、すぐ傍に音子の着ていたコートだけが、落ちていた。

「あのコートの下で……、死んでる」

「……誰かが死んでた事にホッとするってのは、良い気分じゃないな」

 体を起こしてみると、無事に治癒はされたようで、体に痛むところはなかった。しかし血の跡までは消えてくれないらしく、全身血まみれだった。ちょっとしたホラーだ。

「藍も、怪我はないのか?」

「うん。でも、説明して。何があったのか、なんでそうなってるのか、ちゃんと説明して」

「……わかったよ」

 

 そうして、鉄骨の狭い仮階段に隣り合って座り、これまでの事を話した。

 遠めに見れば恋人同士のそれだが、話している内容が現実離れしすぎてて、ムードの欠片もない。

 あまり人目には付かないが、万が一を考えて上着は脱いだ。

「さっきのを見てなかったら、とてもじゃないけど信じられない。でも」

 藍はオレンジに染まり始めた空を見上げると、言葉を一瞬止め、吐息を漏らした。

「それがスズキの身に起こったとなると、何だか……、あまり驚きがないな」

「現実離れしたイケメンだからな、俺は」

「そういうの本当につまらないから、やめたほうがいいよ」

「なんかそこまでドン引きした顔で言われると、まじで改めようと思うぐらい凹むわ……」

 表情でこれだけ人を傷つけるって、一種の才能だと思う。

「というかもう少し真面目に会話しようよ。僕の良い言葉台無しだよ、今」

「っても、湿った感じで話す程の事じゃなければ、ムード作って喋る関係でもないしな」

「そうなんだけどさ。……まだヒーローを続けていくつもりなの?」

 言外に、あんなことがあったのに、と含ませて、俺の目を見ながら藍は言った。

「ヒーローなんて、似合わないと思うがな、でも、楽しいんだよ。普通に学校行ってるより、何か充実してんだ」

「死にそうになったりしないしね、学校に行ってれば」

 すっげぇ嫌味。 

「それに、似合ってると思うよ、正義の味方」

「そりゃありがとよ」

「皮肉じゃない。本当にそう思うんだよ」

 不意に、藍の口調から棘が抜けて、代わりと言うように、重みを帯びた。

「キミはいつも自分のしたい様にしてる。誰が言っても止まらないし、誰も止めようとしない。だって、それは誰かの為になる事なんだから」

 それは果たして正しいんだろうか。実感はない。

「……ま、藍がそういうなら、そうなんだろうな」

「そうだよ。君はみんなに優しくて誰でも助けるんだ。それこそヒーローみたいに。――ほんと、良く似合ってるよ」

 最後に一言をぼそりと付け足して、藍は口を閉じた。

「でも藍だって似たようなものだろ?」

「藍は誰でも、じゃない。大事な人だけ」

「本当かよ」

 愛はけれど答えず、暫く俯いて地面を見た後、顔を上げた。

「……なぁ、スズキは本当に海外へ行っちゃうつもりだったんだよな」

 再び口を開いた藍から出た言葉は、やっぱり重たくて辟易したが、心配をかけたのは俺なので答えないわけにはいかない。

「そうだな。そのつもりだったよ」

 本当は死のうとしてたわけだが、そこまで言う必要もないだろう。

「だよな……。君はそういう奴だ。嫌味なほどに有言実行でさ、出来ない事は言わない。……本当は止めたかった。でも、君がやる事に今まで間違ってた事なんて、一つもなかったから。……しょうがないのかなって」

 徐々に涙を帯びる声を聞くと、うかつにボケるわけにもいかず、黙って耳を傾けた。

「君があの時、行くのをやめたってメールくれて、安心した。良かったって思った。本当に嬉しかったんだ。それでやっと気づいたんだよ。止めるべきだったんだって。君にとってそれがどれほど正しくたってさ、突然お別れなんて、寂しいだろ」

「……すまん」

「変な奴に襲われてさ……、ヒーローになる時だって、死に掛けたんだろ? ……あんまり心配、かけるな」

 いつも理知的に、内容をしっかりまとめて話す藍にしては言葉が乱れていて、それを知る身からすると、これ以上てきとうに誤魔化してはいけないと感じた。

 藍は卑怯だ。

「……本当は分かってたんだよ。俺がいなくなったら、藍は泣くだろうなって。でもな、生まれて初めて何も気にせず、本当に後先考えず、自分のしたいようにしてやろうと思ってさ、そう考えたら驚くほどに気楽で、バカみたいだけどさ、ワクワクしたんだよ」

 今まで、自分が気を使っていた何て思いもしなかった。好きにしているようで、その実、後先考え、計算高く動いていたらしい。情けない事だ。

「でも、幼馴染泣かせて、正しい事なんて何もねぇよな。何にも相談せずに決めた俺が間違ってたよ。……許してくれるか?」

「……次は、ないからな。ばーかっ」

 藍は軽く肩をぶつけ、そのまま寄りかかって来た。

 そういえば、子供頃はよくこんな事があった気がする。

 今の歳になってみると、彼氏彼女に見えるのかもしれない。

 何て事を考えながら、気持ちの良い沈黙に、暫く身を委ねた。


 日が暮れた頃、藍は名残惜しげに、帰らないと、と言って立ち上がった。

「応援するけど、でも、本当に危ないことはするなよ?」

 照れ隠しか、上目遣いの拗ねた様子で念を押された。

「任せとけ」

「まぁ、いっか。……あっ! 忘れ、てた……」

 藍が突然声をあげ、そのまま肩を落として項垂れた。

「ん? 何か忘れ物か?」

「買い物する予定だったんだよ。……いや、まだ間に合う! 行くぞ!」

「おぉ!?」

 藍は涙目のまま、何事か決心すると、俺の袖を掴み走り出した。

「二人きりで買い物か。新婚さんみたいだな?」

「だからスズキはなんで、すぐそういう事をっ!」

「わはは、ほれ、早く行こう。閉まるぞ」

「うー!」

 顔を赤く、涙目のまま睨んでくる藍の手を、逆に引いて、走り出した。




「あいつら、路地の事どれだけ信頼してんだよ」

 藍に色々ばれちゃった翌日。今日も今日とて、お仕事に励んでいたところ、前回見つけたのとはまた別の路地に、怪人の反応があった。

 見つけ次第片っ端から殴り倒すというのもやりたくないので、まずは観察だ。何を売っているのかも気になるところだしな。

「さて……」

 そうして向かった先の路地の出入り口は二つあったが、両方とも出てすぐ家やらの塀があるので、観察してたらすぐバレてしまいそうだった。

 何か高くて、観察のしやすい良い場所……。と、きょろきょろしていると、一つ道を挟んだ向こうに、高台に作られた墓場があった。

「これだっ!」

 というわけで、移動。そしてえっちらおっちら坂を上って、墓石の影に隠れて観察開始。

 さてさて、見たところ、いつのまに回収したのか、使っている屋台は、音子が使っていたのと同じ物だ。

 続いて怪人の衣服に着目してみれば、真っ白な板前服。手には本物かどうか、包丁。

 この時点で、一般人に見つかったら通報されそうなので、何やら変な所にも気を使う必要が出てしまった。

 警察に任せて良い物じゃないだろうし。

 観察している最中に気づいたが、怪人に対する強化能力の一つに、視力の強化もあるらしい。

怪人の周囲だけ、やたらとはっきり見える。

 怪人の居る場所が場所ならば、もしかしたら覗きなんて事も出来るかもしれない。

「こういう事を考えるから、能力にリミッターをつけられんだろうな」

 気を取り直して……、板前姿から推測するに、販売している物はSUSHIとかSASHIMIの類だろうか。しかし、いくら寒い季節とはいえ、ナマモノを外で販売するのは問題が多い……、いや、怪人だからそれでいいのか。いいのか? 

 何か混乱してきたが、そもそも、あいつらは何のために謎のアイテムを販売してるんだ? 謎の商品で社会を混乱させるためか、はたまたお金の為か。いや、両方か?

 だとすれば、考えていた以上にクレバーだが、販売のやり方や場所を見ると、一概にそうと言い切れない気もする。

 ヒーローアイ(今名づけた)で商品を詳しく見ようにも、微妙に他の電柱が邪魔で見えないし、はてさて、どうしたものか。

「お? 少女Aが怪人に気づいちゃったな」

 見ていると、正面側から路地へ入ってきた少女が、怪人を指差し何事か言っていた。

 少女は手振りを交えつつ会話をし、やがて怪人が袋状にパッケージングされた商品を一つ、レジ袋っぽい物に入れ、少女に渡した。

 そして少女が、ご機嫌そうにスキップしつつ路地から出て行く。

「……チャンス! とうっ!」

 この時を逃さず、すぐさま怪人へめがけジャンプ、そしてそのまま真上を跳び越した。

 怪人に対する強化能力を生かした、応用技である。

 路地の真上を抜けて、向かい側の家の塀の上に着地。少女の後姿めがけ、走った。

「こーんにーちはー」

「……? こんにち、は」

 首をかしげ挨拶を返してくれた少女は、同時に片手を背後にまわした。その手に握られたのは、防犯ブザーだ。

 こいつ……。

 今時系女子は中々立派な危機感をお持ちでいらっしゃる。

 このままでは、怪人より先に俺の両手が背に回ってしまう。

「待て、話を聞いてくれ。今、そこの路地で何か買っていたな?」

「……はい」

「それは非常に危険な物なので、俺に渡して欲しい。勿論、お金は返す、返すといわず、むしろお小遣いまであげよう。どうだ?」

「……」

 少女は胸に抱えている袋を、中身が壊れそうなほど強く握り締めた。

 そのままの勢いで、防犯ブザーも押してしまいそうだった。

「よ、よし! じゃあこうしよう! 少女よ、携帯とか気になるお年頃じゃないかい? 今ならなんと、このスマフォを差し上げよう。いかがか」

「えっ!? ほ、ほんと!?」

 たちまち目を輝かせ、饒舌になるあたり、お子様らしくて可愛い。

「勿論だ、じゃあまず、そっちの商品を地面に置いてくれ。次に俺が、その隣にスマフォを置こう」

 とある映画でみた取引方法だった。その時、交換されていたのは、麻薬と金貨だったが。

 いそいそと少女は、先ほどの渋っていた様子を異次元へかなぐり捨てて、今やゴミほどの価値もないとばかりに、袋を地面へ置いてくれた。

 特に何も考えず、その隣に、ハナのスマフォを置く。

「よし、じゃあ、交換だ」

「わーい! あ、これパスワードは?」

「8787だよ」

「ほんとだー!」

 少女は、文字通り小躍りしていた。

 喜ぶ子供の姿は良いもんだ。

「それじゃ、お兄さんはこっち貰っていくな。ありがとうねー」

「うん、いいよ! じゃあねー!」

 ばいばい、と手を振り少女を見送って、一息。

「さて、さっそく見てみるか」

 袋を開けて、取り出してみると、スナック菓子っぽい袋が出てきた。

「何々……?『無免許チップスふぐ刺し味』……?」

 一枚食べると舌がびりびり、二枚で手足がビリビリ、三枚食べるともうご臨終! 男らしさ溢れる貴方にお勧め!

「思わずふぐぅってうめいちゃう、……ってくだらねぇな!」

 なんでこうもゆるい感じなのか。

 ともあれ、説明文どおり、コレを食べると死んでしまうんだろう。シャレにならん。

 まずはハナに連絡するか。

 思って、スマフォを取り出そうとして、先ほど上げたのを思い出し、自分の携帯を出した。

「あ、もしもし? ハナ?」

「……。君さ、僕のスマフォ、どうした?」

「女の子にあげたけど、何かあったか?」

「いきなり、その女の子のお母さんから電話かかってきたんだよ!」

 そういえば、プロフィールに緊急連絡先としてハナの番号のってたな。

「スマフォ返してもらう約束と、お詫びと、全部ハナがしたんだからね!」

 待て、渡してからまだ数分だぞ。どんだけ対応早いんだ。すごいな、ハナ。

「悪かったよ。多分、そうなるだろうなと思って渡した」

「渡さないでよ! どんだけ悪戯好きなんだよ!」

「まぁまぁ、その話はまた来世」

「遠いよ!」

「ハナ、来世とか信じてる派?」

「今その話はいらないだろう! もう!」

「だから、来世にしようって」

「あぁー! 頭がおかしくなるぅ!」

「よし、じゃあその話はおいといて、本題に入るな」

「くっそー!」

 ハナさん大興奮。

「でさ、なんかヤバめな商品が売ってるんだよ。食べると死ぬとか言う。それ、どうにかしてほしいんだけど、できるか?」

「あらあら。なんとか回収班を送ってみるよ」

 回収班とかいるんだな。予想以上に組織として機能しているようだ。

「ん、頼む。場所は、分かるか?」

「君が今居る場所でいいの?」

 やはりというか、なんというか。どうやっているのかは知らないが、俺の位置は監視されているらしい。能力を貰った時に、一緒に発信機でも付けられたのかもしれない。

「そう、その近くの路地だな」

「ん、了解。君は、戻ってくるの?」

「それなんだけどな」

 これからどうするかを決めてはいたが、言うと止められそうなので少し悩んだ。

 しかしスマフォを渡しても尚、居場所がばれているのなら、一緒か。

「敵の工場に入って、生産を止めようと思ってる。まずいだろ、死ぬのはさ」

「……分かったよ。素直に話してくれたし、特別に許可してあげる。行っておいで。でも無茶はしないように。今はまだ偵察の範囲で帰って来るんだよ?」

「おぉっ! 話がわかるなぁ! 愛してるぞハナ!」

「な、何言ってんだよ! ほんと、調子いいなぁ……。じゃあ、そろそろ切るね。また」

「ありがとな!」

 さて、許可も貰ったことだし行って見るとするか。

 携帯を閉じ、駅の方へと、歩き出した。


 着いてから思い出したが、地下への行き方、知らないのだった。

 ハナに電話してみようか考えながらエレベーターに乗り、何の気なしに、いつもの調子で秘密基地のと同じ様にボタンを押してみる、と。

「……おい、降り始めたぞ」

 エレベーターは地下へと向かい始めた。

 つまり、正解だったわけだ。

「どんな偶然だよ、敵の基地とパスワード同じって」

 初期設定がこれなのか、あいつらにとってはありふれたパスなのか、さっぱりわからないが、後でハナに伝えておく必要が在りそうだ。

 やがて無事階下に到着すると、ドアが開いた先もまた、そっくりだった。

 真っ白な通路に、観音開きのドア。但し、通路の途中に椅子はあっても、花は置かれていなかった。

 通路へ一歩踏み出す、と、

「な、なんだ……?」

 洪水のようなごうごうとした音を立てつつ、白い煙をあげて奥のドアが勝手に開いた。

「いらっしゃいスズキ」

 そして開いたドアから現れ、警戒している俺の名を、あっけらかんと呼んだのは、

「……ナンシー?」

 三日前に会ったばかりの内弁慶娘だった

「まぁまぁ、はいってよ」

「いや、そんなあっさりでいいのか」

 敵だろ、お互い。

 しかし、俺の疑問をよそにナンシーは奥へと戻っていく。……まぁ、なるようになるか。

「いやー、スズキがヒーローやってるって聞いて、爆笑したね」

「気持ちは分からんでもないがな。ナンシー……、お前怪人になったのか」

 客室へ案内され備え付けのソファに座ると、向かい合う形でナンシーも座った。

「あはは、怪人側についただけで、怪人になったわけじゃないよ」

 ナンシーは屈託なく笑いながら、手を振りつつそう言った。がしかし、その雰囲気は以前に駅で待ち合わせた時と全く違っている。いや、電話の時に戻った、と言うべきかもしれないが。

 しかし、それよりも気になることがあった。

「ナンシー……、その服装は、コスチュームか?」

 ふっりふりのひっらひらだった。しかもピンクと白。甘ロリっていうんだっけこういうの。髪型はあんまり変わっていないのに服だけすごい変わりようだな。

「ううん? 趣味だけど。可愛くない?」

「可愛いし、似合ってると思う。けどこの前はもっと普通の服だったからさ」

「あー、あの時は急いでたからね。地味だったでしょ? 本当はこういうのが好きなんだ私。スズキは嫌い?」

「似合ってさえ居れば、何でも良い派だ」

 こだわりがない、を言い換えるとこうなる。

「そっかそっか。それにしても、本当にヒーローになったんだねぇ」

 腕を組んでしみじみというナンシー。

「なぁ、ナンシーさ――」

「で、どうする? スズキはヒーローなんだよね。悪の怪人の幹部と出会ったら、やっぱり戦うの?」

「そりゃ……、ってお前、幹部なのか!」

 出てくるのはやくね!?

「そだよ。入って初日に、ボスになれって言われちゃった。あふれ出る才能がそうさせたのかな?」

 そうか、ハナの言ってた最近増えた幹部って、ナンシーの事だったのか。

「いやいや、俺なんて一人きりだぞ……。役職なんて貰ってないし……。怪人になろっかな」

「今来ても、ヒラなんじゃない?」

 そうか、そうだよな。そんなに幹部の椅子空いてないよな……。

「まぁまぁ、でもさ、どうせだったら敵対してる方が楽しいじゃない」

 楽しい、か。そういえば、ナンシーはどうして怪人になったんだろう。

「ナンシーも、勧誘されたのか」

「うん。私はね、つい三日前に勧誘されたばっかりなんだよ」

 同じ日じゃねぇか。

「つまらない人生を、バッと面白くしようと思って、なったの」

 そんな理由で、と言いかけて、同じ理由だったのを思い出し止めた。

「スズキがヒーローだって聞いた時は嬉しかったなぁ」

 ナンシーの声は、徐々に熱を帯びて、気のせいか、瞳も恍惚とし始めていた。

「やっぱり、スズキだけなんだね。私に、この世界の楽しさを教えてくれるのは」

 なんだろう、少し不気味だ。こう、場違いに紅潮とした顔とか、雰囲気とか。なぜか分からないが、少し、寒気がする。

「スズキだってそうでしょ? つまらない事ばかりだから、ヒーローになったんじゃないの?私達、お似合いだね」

 両の手のひらを広げ、こちらを迎え入れるかのようにして言うナンシーは、私の言葉は正しいでしょう? と、言っているかのようだった。

「それは違う」

 だから殆ど条件反射で答えてしまっていた。

「楽しそうだと思ったのは、確かだ。でもな、ナンシーが怪人になって、俺はヒーローになった。だから、違うよ」

「そうかなぁ……?」

 俺はナンシーを救った時、そのまま死ぬとしても、後悔はなかった。その上で、ヒーロー以外の選択肢、死後の世界と言う新しい場所で生きてみる、というのも実はそれなりに楽しそうだと思った。

 ならなぜ、生き返らせてもらったのか? それはやっぱり、ヒーローとしての勧誘だったからだ。

「……スズキ?」

 あぁ、また考え込んでしまっていた。

「っとそうだ。ナンシー幹部なんだったらさ、無免許チップスの販売やめてくんね?」

「え、やだよ」

 理由がわからない、とばかりに、ナンシーは即答し、首をかしげた。

「……それはどうして?」

「あれ、私が提案したの。何かぬるい商品ばっかり作ってたからさ。本当の悪って奴を教えてあげようと思って」

「おい……?」

 私が提案、それはいい。いいんだ。仕事頑張ってるなって感じだ。

「本当の悪って、どういう事だ」

「うん? 世界を滅ぼすぐらいの、完全な悪の事」

 世界を、滅ぼす? 

「そんな事して、何になる。人が死ぬんだぞ?」

「他人が死ぬからなんだって言うの? どうでもいいじゃない」

 やっぱりここは、死後の世界なんじゃないだろうか。

 だって、ナンシーは明るくてノリがよくて楽しい奴で、俺の下らない話を面白いとずっと聞いてくれる、そんな良い奴で。

「ねぇ、スズキ。こんなゴミ溜めみたいな世界を終わらせて、二人で作りなおそ?」

 こんな事、一度も言わなかったのに。

「ナンシー……」

 いや、でもそうだ。俺は知ってるじゃないか。世の中には、突発的な行動なんて存在しない。元々頭の片隅のどこかにあったものなんだ、ってさ。

 そう、ナンシーが、口に出さなかっただけなんだ。

「何て顔してるのさ。大丈夫? 休む?」

 それに、何がどうあろうと、ここが俺の世界なんだ。

「駄目だナンシー。それは、面白くない」

 止めないと。

「あー……、そっか。スズキはヒーローだもんね。そう言わなきゃ駄目だよね。ごめんごめん、あたしって楽しくなると他の事、考えられなくなっちゃうんだ。気をつけなきゃね」

 チロりと、舌をみせ、悪戯っぽく言うナンシーを、俺はテレビの向こうの人を見るような目で、見ていた。

「ナンシー。どうしたら、やめてくれる?」

 聞いてみたものの、答えが来るとは思えない。

 悪になったからなのか、元からなのか。ナンシーはもう壊れてしまっている。

 何かに固執して、他の全てを台無しにしてしまう人はもう、駄目だ。

「うん、やっぱり正義と悪っていったら戦い! 戦って止めなきゃ! ここじゃ狭いし、……地上でやってきてくれる?」

 ナンシーが指を鳴らし、――同時、姿が遠のいた。

「ごっ……」

 背中の痛みと、間の抜けたアラームで、エレベーターに叩き込まれたのだと理解できた。

「ふ、ふぅ……。ちく、しょうが……。怪人相手じゃなかったら、死んでたぞ……」

 呟き見れば、俺の腹にがっしりと体をぶつけている女の、脱力しそうな牛柄の帽子が目に入った。

 俺の体が原型を残しているのだから、こいつは怪人だろう。

 痛みにうめいている間に、エレベーターが勝手に動き出し、上昇していった。

 ……やがて停止したのは、最上階、駅のホームだった。

 俺が叩きつけられた側のドアが開き、到着すると同時に、ホームへ吐き出される。

 そのまま後ずさり、距離をとってから立ち上がると、一拍ほど置き、怪人もゆっくりホームへ歩み出てきた。

 牛柄の帽子に、牛の尻尾を彷彿とさせる細長いポニーテール(この場合はカウテールとでも呼ぶべきかもしれない)。ロングネックセーター、スカートに黒いタイツと地味な服装だが、牛柄のエプロンを巻き、蹄があしらわれたブーツを履いている。何がモチーフの怪人か、一目瞭然だった。

「なるほど、胸の大きさも牛の服装に違和感ないな……」

 しかし、正義のヒーローが女とばっか戦うのって、どうなんだろう。衛生教育上さ。

 せめて変身前から怪人らしい見た目をしていてくれればいいのに、やりづらい事この上ない。

「やれやれ……。あ!」

 ふと、一番大事な事に気づき、駅を見回した。駅のホームなんかで怪人と戦えば、周りへの被害が止められないじゃないか。

 しかし、それは過ぎた危惧だったようだ。

「誰も、いない……? どうなってんだ」

 謎は残るが、ひとまず安心して良いようだ。なら、目下の危機に集中しよう。

「話とか、通じるか?」

「フゥゥゥ……」

 返って来たのは、静かに吐き出される真っ白な呼気の音だった。

 目は血走った何て可愛い物ではなく、瞳孔がそもそも赤いかのようだ。

 兎に角一度、物陰に隠れるなり、体制を立て直したい。が、目を逸らせばすぐにでも、あの突進が再びくるのではと思うと、とてもではないが動けなかった。

 牛子ちゃん(仮)に動きはない。赤い目を、睨むでもなくこちらへ向け、見つめている。

 不意に、地面から僅かな震動を感じ、やがて視界の隅に、小さく電車が見えてきた。幸いな事に、通り過ぎる車両のようで、スピードを落とす気配はない。

 ――けれどそれは、俺にとっての幸運ではなかった。

 数秒の後、電車が通り過ぎる瞬間、パンダグラフと電線の間で小さな火花が散った。その音は、恐らくもっと小さくすれば似ているのではないだろうか。――指をスナップした時の音に。

 まずいと思った時にはもう、宙へ浮いていた。

 思考が間に合わない速度での突進。初動も、動作も、格好も分からない。分かったところでどうしようもない。

 走馬灯の原理だろうか、恐らく一秒の十分の一に満たない時間でそれだけ考えて、後は何も分からなくなった。

 衝撃は体から五感を奪い去り、最後には考える力までも根こそぎ彼方へと運んだ。


「……うっ?」

 どれほどの時間気絶していたのかは分からない。頭に鈍い痛みを感じるが、とりあえず、まだ生きているようだ。

 軽く頭を振って状況を確認してみると、どうやら吹き飛ばされた挙句、エレベーターの出口から、間にあった椅子や、待合室の壁を突き抜けて、最後にはホーム端の鉄柵に引っかかったらしい。

「ハッ……」

 振り返り、体の形に歪んでいる鉄柵を見ると、笑うしかなかった。

 当の吹き飛ばした張本人は、数メートル手前で俺を見下ろしていた。

 音がない限り、動かないらしい。

「闘牛、じゃねぇか……」

 名前は闘子ちゃんに変更だ。白黒の牛なんて可愛いものじゃない。

 安定しない視界の中、目の前に注意を払いながら、鉄柵から体を起こす。

「よっ、とと」

 軽い貧血の様なものを感じたが、それよりも腕を引き抜いた時、操り人形のそれの如く、ぶらぶらと不自然に揺れる両腕の肘から先を見て、再び気絶しそうになった。

 ヒーローとしての能力のおかげで痛みはないが、そのせいで余計に気持ち悪い。

「……やれやれ。さぁ、どうしたもんかな」

 闘子ちゃんに動きはなかった。ただ試しに左右へ移動してみると、闘子ちゃんもそれになぞって体の向きを変える。

 何か目印があるのかと、自分の服を見たが赤色もなければ、ひらひらと揺れ動く部分もない。

 ひらひらといえば、ナンシーの方が格段にしていたしな。

 完全に俺をターゲットしていて、かつ、動くのは炸裂音などに対する反射でのみのようだ。むろん、攻撃を仕掛ければどうかわからないが。

 そこまで考えたところで、再び脚に小さな震動を感じた。時間がない。

 後ろに下がり、歪んで斜めを向いた鉄柵へ、足をかけた。

「フッ、フゥゥ……」

「おちつけ。もうすぐ終わるから」

 どっちかがは、わからないが。

 じっと、耳を済ませて待つ。

 そういえば昔、こんなゲームをやったことがある。いつなるか分からない合図、それが鳴った瞬間ボタンを押し、早かった方の勝ち。

 生憎、さほど得意じゃなかったけれど、今はヒーローとしての能力がある。

 さぁ、時間だ。

 新幹線が走り、電線がゆれ、パンダグラフに当たり、離れ……、ハジけた。

 ――瞬間、景色が灰色になり、新幹線に降り注ぐ火花の一つ一つが見え、かすかな風の音が何倍にも増幅されて聞こえた。

 ……走馬灯の原理は簡単だ、死の際に瀕した脳が、瞬時にして今までの記憶から、危機を回避する方法を検索する。感覚も増幅され、さらに通常の何倍もの速度で回転した脳は、時が遅くなったように感じさせる。――それをさらにヒーローの能力が強化した。

 結果、己以外の全てが止まった世界で、前へと、飛ぶ。

 真下を突風が過ぎ去った。


「いってー……」

 地面にはいつくばったまま、デコを抑える。うまく闘子ちゃんの突進をよけれたのはいいが、起こした風に体を引かれ、頭から地面へ落ちたのだった。

 顔を起こすと、先ほど俺を受け止め、その後踏み台になった鉄柵は、根っこから引き抜かれたらしく、影も形もなくなっていた。

 闘子ちゃんと共に、何処までも続く線路の彼方へ旅立ったようだ。

 後を追いかけるように、新幹線が過ぎ去る。

「……帰ろう」

 立ち上がろうと、地面に両手を着いて、気づいた。骨折が直っている。

「俺も怪人みたいなもんだよなぁ」

 体の痛みもほぼなくなっているし……、便利だけどさ。

 そういえば、怪人から受けた傷じゃない場合は、どうなるんだろう? どうでもいいか。

「ともあれ、今日のところはいったん帰るか」

 少々疲れた。作戦を練る必要がありそうだ。ハナに報告して、対応を考えてもらうとしよう。

「作戦は失敗だな……」

 帰る手段だが……、エレベーターに再び乗るのは、少し怖い。

 勝手に地下へ降りる、なんてトラップがあったら、どうしようもない。

 それに、服もぼろぼろなので、こんな格好で人前を歩くのは、年頃の男としても避けたい。

「なんでまぁ、有名な映画を参考にして帰りますか」

 回りを確認してから、線路へと降りた。

 幸いな事に、この線路を辿っていけば、トンネルを抜けたあたりで近所の道路傍へ出れる。

 電車が少々怖いが、のんびり帰るとしよう。

「うぇんざなーい、はずかーむ」

 古い曲をくちずさみながら、歩き出した。




 そんなこんなで、秘密基地へ戻ってきた。

 途中、家へ寄ったので、服も着替えてある。

「ハナー?」

「はいはいー? あ、おかえり」

 数歩進んだところで、どこからともなくひまわり柄のパジャマを着た女の子が歩いてきた。手に持ってるお煎餅がウェービーな金髪に、全く似合っていない。

「って誰だよ!?」

「ハナだけど?」

「ほ、本当にハナだとしたら、ストライプの下着をつけているはずだ、見せてみろ」

「どうぞ?」

 ぶわっと持ち上げられた上着の下には、何もなかった。

「パイッ!」

 な、生! 生!

「お、お前はぁ! 恥じらいを持ちなさい恥じらいを!」

「恥ずかしくなんかないよ。なぜなら自分の体に誇りを持っているから……!」

 か、かっこいぃー!

「その意気やよし! お前を俺の上司である、ハナだと認めよう」

「何、この茶番」

「急に素に戻るのやめろ。ていうかどういうことだ、それが本当の姿なのか……?」

 改めてみてみると、大体中学生ぐらいだろうか、映画の子役でもやってそうな美少女だった。

「うーん。本当の姿というか、人間形態?」

 変形したのか……。

「ほらほら、ハナの格好なんてどうでもいいから、報告してよ」

「まぁいいか。で、報告だが……、すまん、失敗だ。敵の怪人を倒したが、ヤバくなったんで撤退した」

「ありゃ、そっか」

 ぼりぼりと、おせんべいをひと齧り。

「何か、軽くね?」

「いや、だって、一人で敵の工場潰せました、なんて言われたほうが驚きだよ」

 それはそうかもしれんが……。変にリアリストだな。

「何はともあれ、無事帰ってきてくれて安心したよ」

「お、心配してくれてたのか。結婚するか?」

「展開速い! ハ、ハナに結婚なんてまだ、早いもん」

「もんいうな。そんでさ、これ以上攻撃しようにも、敵の幹部に怪人をけしかけられたりして、大変なんだ。援軍とかもらえるのか?」

「うーん。君が見つけた商品の流通は、止められるかもしれないけど、それ以外は厳しいね」

 ハナはそばに咲いていた大きなひまわりの葉をちぎって、くるくると回しながら言った。

「なんだ? 上の奴らには頼めないのか?」

「ま、そんな感じ、かなぁ?」

「っても、命がかかってんだぞ? それでもなのか」

「命なんて、そこらじゅうで賭けられてるだろ? 皆何するにしても、命がけってさ」

「そんな言葉遊びじゃなくて、現実的に、冗談でなく人が死のうとしてるんだぞ?」

「んー、だからさ、どこでもそうなんだってば。いちいちかまってたら、人がいくら居ても足りないだろ? ここだけじゃないんだよ? 怪人がいるの」

「いや、それ初耳だよ俺」

 テレビの影響か、怪人って一部地域にしか居ないとすっかり思いこんでた。

「言ってなかったっけ?」

「じゃあなにか、ご当地ヒーローとか、ご当地怪人とかいるのか?」

「そんな町おこし系のもんじゃないけど……、怪人は全国区にいるよ。だって組織だもの」

 そうか……、そうだよな。工場とか持ってるのに、ここだけなわけないか。

「え、じゃあヒーローってもっと居るの?」

「それなりにね。少数精鋭ではあるけど。詳しい数は秘密」

 なんつーか、相変わらず謎ばっかりの組織だよなぁ。

 こんなんでは情報開示社会では生きてけないぞ?

「兎に角、そうだね、君はいわばとかレンジャーとかSATみたいな存在で、ハナが連絡したのは自衛隊とか警察とか……、そんな感じの組織だと思ってくれたらいいよ」

「つまり……、つまりなんだ。俺はジョン・マクレーンとかランボーみたいな役って事か」

「どうして映画に例えたのかわからないけど、大体あってるよ」

「あぁ、そうだ。それで思い出した。ダイハードほどじゃないけど、駅の自動販売機から待合室ぐらいまでの物、色々壊しちゃったんだよ。大丈夫か?」

「だ、大丈夫じゃなわけないだろ!? どうして真っ先にソレを言わないんだよ!?」

「ついでに多分、牛が電車に轢かれた」

「牛が!? ちょ、ちょっと君なにしてんの!? あー、あー……、もう!」

 殆どが怪人のせいであり、俺は悪いところなんてないのだが……。

「物損に関しては、君がやったんじゃないだろうし、とやかく言わないけど……、他に何もなかった?」

「そういえば、新しく入った敵の幹部? あれ、俺の友達だったわ」

「……え。キミ、戦えるの」

 それに関しては簡単だった。何一つ悩む事は無い。

「平気平気。全然戦えるよ。もしあいつを殴れって言われたら、容赦なくいけるぜ!」

「……それはそれで、どうなんだろうね」

 おかしいな。喜んでもらえると思って意気込んで答えたのに。何やら引かれてるぞ。

「君のそういう性格を見込んで、勧誘したような物だからいいんだけど。面と向かって言われると、何かこう……、怖い」

「そこまで言う必要ある?」

 軽く凹むわ。

「あはは、ごめんごめん。ともあれ、戦えるならいいんだ。ハナからは何も言わないよ。後はもう、何もない?」

 大体全部報告したよな……? あ、忘れてた。

「この基地のつくりとかパスワードが敵の工場とそっくりなんだよな。危なくないか?」

「……へぇ。ソレは確かに、問題だね。報告しておくよ」

「あぁ、そうしたほうがいい」

「さ、今日は疲れたろ、話は以上だからもう帰ってくれていいよ。それと明日は休みね」

 え? 休み? もう?

「働いてたった三日で休みをくれるとは……、もしやこの仕事、ちょろい?」

「いやいやいや。君死に掛けたんだよ? 消防士とか並にハードだろ」

 そういえばそうだった。やっぱどっかずれてんだな俺。

「じゃ、お言葉に甘えて休ませて貰うわ。お疲れさん」

「ま、経過は兎も角、無事に帰ってくれて、よかった。また明後日ね」

 エレベーターへ向かう去り際、背中にそんな言葉がかかった。

 なんと返すか悩んで、結局片手を軽く上げるだけに留めた。

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