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第一話

季節は冬。雪の様な羽虫がふわふわと枯れた景色を彩り、動物達は新たな春を待ちわびて、静かに土や葉っぱのベッドに身を寄せる。

「えーと、だな……。実は、明日から渡米しようと思ってまして……」

 そんな静かな季節に、俺は未練を断ち切ろうと奮闘していた。

「だからお願い! おっぱいを揉まさせてください!!」

「は?」

「頼む! 後生だ! この国で最後の頼みだ!」

 アパートの一室、開いたドアの向こうへひたすら頭を下げる。

「いや、まて、待つんだ。突っ込みどころが多すぎる……」

 眼鏡を片手に、頭が痛い、とデコをおさえているのは渚藍なぎさあい。幼馴染だ。

 かなりの近眼なせいで、目つきが悪く、常に睨んでいるように見えるのと、人見知りが激しいため、近寄り難い雰囲気を感じるが、実際のところはとても面倒見の良い奴で、理想的な幼馴染だ。やたら長く豊かな黒髪が自慢だとか。

 コンプレックスは女子にしては高い身長。

「悩むな! 胸張ってイエス! と答えるだけでいいんだ!」

「ノーだ! 勢いで押す詐欺みたいな手法はやめろ」

「やめたら揉ませてくれるのか!?」

「どれだけがっつくんだ……。まず、理由を話せ」

「ふむ……、色々あって海を越える事にしたんだが、それにあたって童貞な事は、まぁいっそ諦めるとしても、だ。おっぱいすら揉んだこと無いというのは、困った事態に遭遇するんじゃないかと思ったんだ。それで、俺の幼馴染であり、とても立派な物をお持ちな(あい)が一つの解決策ではないかと――」

「かと、じゃない! どうでもいい部分を長々と!」

「痛いですっ!」

 頭を思いっきりどつかれた。殴りたくなる気持ちは分からないでもない。

「いや、どうでもよくないんだ! 答えてくれ! 揉ませてくれるか否か!」

 何度叩かれようと、俺は絶対に諦めないぞ!

「なんでそんな……。もう、わかった。その意気込みに免じて少し考えてやろう」

「ほ、ほんとか!? よし、ではさっそ――」

「待て。君は見境のない兎か」

 藍は焦る俺の頭を手で上から押さえ、考えるようにする。――屈辱だ。

「俺が身長を気にしてるの知っての愚弄かこの野郎!」

「あぁもう、待てというんだ」

「うぐぐぐ。早くしてくれないと、焦る気持ちでリビドーがジャストドゥイット!」

「うるさい。まず一つ近所迷惑だ、家に入れ」

 そういえば、玄関先だった。ここで騒ぐのはよくないな。

「ん。では、お邪魔します!」

 促されるままに、開いた玄関へと入り、靴を脱ぐ。

 そしてマンションにありがちな長い通路を真っ直ぐ進み、リビングへ向かうドアの一つ手前にある、藍の部屋へ入った。

「ちょっと、飲み物入れてくるから、大人しくしてて」

 仕方なくソファに座って、すぐ立ち上がってタンスを漁りつつ――ブラジャーでっけぇ――待っていると、藍が紅茶の入ったカップをトレイに乗せて戻ってきた。

「……」

「っ……」

 そして無言で紅茶をテーブルに置いたのち、俺の頭をトレイで叩いた。なんとなく俺も無言で痛みを堪えた。

 そしてまた言葉もなく、テーブルに向かい合って座る。

「条件その2。落ち着いて、この紅茶を飲むこと」

 そっと置かれた紅茶は程よい熱さで、すぐにでも飲めそうだった。

「うめぇな!」

 ので一気飲み。

「紅茶を飲む態度か、それが」

「熱いうちに、と思って」

「気遣いどうも……」

 言って、藍が自分の紅茶を口に含んだ。

「何はともあれ、落ち着いたぞ。条件はまだあるんだろ?」

 尋ねると、藍はカップを置いて手を突き出し、指を三本立てた。

「じゃあ、落ち着いたところで、三つ目、最後の条件だ」

「おぉ! 気前がいいな!」

「海外に行くに至った理由を話せ」

「わかった帰るよ」

 仕方ない、諦めよう。

「いやいや。なんで急に物分りがよくなるんだ。さっきまでの勢いは? 揉みたいんだろ?」

 焦ったように両手を机に置いた藍が、机へ前のめりになって確認してきた。胸が強調されていて、色んなところがヤバい。

「藍、前借りって出来るか……?」

「どこみて言ってんだよ!? ダメに決まってんだろ! 真面目に話せ!」

 ちっ……。

「いや、だな。落ち着いて考えると失礼な話だと思って。無かった事にしてくれ」

「テンションの上下が激しいな……。というか、そこは僕に聞く前に気づいてくれよ」

「何だろう、海外行きが決まったらやたらテンションが上がってな。正直、何故そこまでおっぱいにこだわりを持っていたのか、自分でもわからない」

 いや、今でも視線を動かせないぐらいには興味あるが。

「家の前で揉ませろ揉ませろと、連呼された僕は一体……」

「貴重な体験ができてよかったな?」

「……悪い事したと思ったら?」

「ごめんなさい」

 目が怖かった。

「それでいい、謝って許される事は世の中二割ぐらいはある」

「心狭いな、世の中」

「世間は狭いって言うからね」

「色々違うような」

 こいつ、何か微妙にひねてるな。俺が言えた事でもないが。

「で、理由」

「いや、準備残ってるからさ、帰るわ」

 俺は押しに弱い。藍相手だと尚更だ。なので三十六計、逃げるにしかず。

「逃げるんじゃない! ほら、揉む揉まないに関わらず、理由を話せ」

 逃げ出そうとしたが生憎、藍のほうがドアに近かったため、道を塞がれた。

「……どちて?」

「三歳の男の子のような反応をしても、許さないからね」

 小さく、鍵の閉まる音まで聞こえた。

「後ろ手に鍵を閉めるか……。分かった。そこまでして聞きたいのなら、話そう」

「ほほう、素直じゃないか」

 実際、隠すような事ではない。言ってしまっても問題はないんだが、何となく藍がどういう反応をするのか、想像がついたので言いにくかった、というだけだ。

 だから……、覚悟を決めよう。

「学校に飽きました」

「は?」

 首傾げて固まる藍。

 うん、予想通り。

「え、いや、それだけ?」

「おうとも!」

「帰れ」

 勢いよくドアを開け放った藍に背を押され、部屋の外へと追いやられる。そのままぐいぐいと押しに押されて、ついに玄関の前まで到着。

「っとと。ほら! そんな反応すると思ったから嫌だったんだ!」

「やかましい! 思春期の子供みたいなこと言って! 今回のセクハラに関しては目を瞑ってやるから、さっさと家に帰ってエロ本でも読んでろ!」

 思春期とか言われると、確かにそんな感じもする。

「しょうがない、帰るわ。迷惑かけたな、元気でやれよ! 体冷やしすぎるなよ! 葉酸とれよ! 重たいものは持つなよ!」

「妊婦か僕は! ……本気で海外へ行くつもりなのか?」

 トーンを落とした藍の声が聞こえた。すでに背を向けてるので、顔は見えない。

「そうだ」

「そんな、飽きただなんて下らない理由で、君は海外へ行くっていうのか」

 振り向くと、暗い顔をした藍がいた。身長が高いせいか、余計にそうに見える。

「そう言われても仕方ないな」

「あ、いや、責めてる訳じゃ……、ないこともないこともないんだが……」

 どっちなのやら。ともあれこれ以上、藍のこんな顔を見ていたくはない。それを取り除く手段も、今の俺はもっていない。三十六計役立たず。

「藍は相変わらず面白いな。それじゃ、またいつか会おう! 愛してるぜ!」

「なっ、この、ばか!」




 世の中には、考え無しで突発的な行動なんてものは存在しない。

 元々頭の片隅のどこかにあったものだ。いつかどこかで考えたことがあったんだ。

 それが、何かの弾みに爆発したってだけのこと。

『まさかあの子が』何てそりゃそうだ。俺は犯罪を犯したいんだ、なんて顔して歩いてる奴がいるはずない。ぱっと見て分かる顔なんて、暗いか明るいか。そんなもの。

 それもまたその日の機嫌しだい。

 というわけで、俺もまた何かしら思うところは前からあったわけで。そんなこんなの、突撃幼馴染の家~ロマンを求めて~だった。

 失敗したけれど。まぁ俺の事なので、揉んでいいとか言われても、未遂で終わっただろう。

 なんてことを考えながら歩いていると、不意にポケットの携帯が震えた。

 電話だ。

 かけるのは好きだけど、かかってくるのは嫌いだ。

 無視しにくいから。

『君、今どこにいる』

 そしてかけてきたのは藍だった。

『……宇宙船地球号に』

『奇遇だな、私もだ。どこに行くつもりなんだ』

『聞かれてもな。俺、船長じゃねぇし、むしろ何かもう立ち居知的に言うなら、密航者』

『この船に乗ったら皆、強制的に乗組員だ。密航者も客もないんだよ。というわけで、密航したにしろなんにしろ。君は乗組員だ。仕事をしろサボるな』

『まじかよ。厳しいな地球号。いや、優しいのか? よくわからん。何にしろ、働く気なんて毛頭ないぜ!』

『胸を張って言う事か、それが。もう……、少しはまともに話ができないのかなぁ……』

『っても、俺からする話はもうないぞ?』

『僕からはあるの』

『ふぅ……。藍は小学校の頃から変わらんなぁ』

『小学校?』

『うむ。あれは三年生の時だ。嵐の日、藍の両親がでかける事になったから、俺が藍の家に泊まったんだ』

 そう、夜になってますます雨は酷くなって、そのせいで藍の親も帰れなくなり、仕方なく寝ることにした。勿論、別々の部屋で。

 布団に入って暫くすると、雷まで鳴り始めた。

 小学生らしく、雷や風の音にワクワクしていると、不意に、部屋のドアの開く音がした。

『藍……?』

『……ぅん。ね、雷、怖いでしょ? 一緒に寝てあげる』

 この頃の藍はまだ男勝りな口調ではなかった。

 ともあれ、藍が雷を怖がって部屋に来たのは察せられたので、俺は男らしく、

『大丈夫だよ。藍は優しいなぁ。おやすみ』

 断った。

『なんで!? ね、ねぇ、強がらなくていいよ、一緒に寝よ?』

『冗談だよ。しょうがないなぁ』

 流石に二度も断ると、藍が怒りそうだったので、妥協案を出すことにした。

『胸を触らせてくれたらいいよ』

『やだよ!?』

 断られた。

『お、お胸はやだけど、じゃあ……、えっと、お尻ならいいよ?』

 子供らしく、俺は両手の拳を握り締め、天高く上げた。子供らしさってなんだ。

『それで手を打とう』

『うん……。何か君、手の動きが怖い……』

 ほどほどに藍は怯えたままだった(俺のせい)が、約束は約束なので揉ませてもらった。

『暖かい……』

『んー、柔らかい』

『……何か、変な感じするから、もうおしまい』

 思い返せば、このとき、一体どんな感じがするのかを問いただしておけば、今頃俺は大人の階段をもう2ステップほど登れていたんじゃないかと思う。

『はいはい。じゃー、寝るか』

『ぎゅってして、頭も撫でて』

『藍、これ好きだなぁ』

『うん。キミに撫でられるの好き。あ、で、でも他の人にいっちゃヤだからね?』

『わかってるよ……。おやすみ』

『うん。おやすみ』 

 翌朝、藍に腕枕したまま寝ているのを、藍の母親に見つかり、婚姻届を手渡された。

 目がまじだった。

『――なんて事があった』

『わぁぁぁぁぁ!?』

『うおっ! 電話で叫ぶ奴があるか』

『というか今の話! どこが繋がってるんだ!?』

『いや、思い出したから言いたくなっただけだ』

『このばかっ! その話は二度と禁止! わかった!?』

 こうやって、日々藍との約束が増えていく。

『二人だけの秘密だな』

『甘酸っぱい言い方しても騙されないからな!』

『ところで、何の話してたっけ』

『海外行くのを辞めろって話だよ!』

 そうだったっけ。

『だとしても、今更、急にキャンセルなんて無理だ。準備もしちゃったしな』

『だから! 前もって話しといてくれればよかっただろう!?』

『いや、連絡したぞ?』

『……手段は』

『栄太に手紙を渡すよう頼んだ』

『貰ってない、ぞ?』

『あぁ。藍が何も言ってこないから、どうしたのかと思ってたら、渡されてなかったわけな』

『……栄太を殺そう。それから、もう一度話し合おう。な?』

『こわっ!?』

 な? じゃねぇよ。

『お、落ち着け藍。あいつに渡した俺も悪かったんだ、殺人はまずい』

『そう、そうだよ! 君、なんでわざわざ手紙なんかで渡そうとしたんだ』

『うん、ピンク色の紙に、ハートマークのシールで封をした。ここまでいえば、わかるな?』

『ドッキリじゃないか!』

 有体に言ってしまえば。

『何で君はいつもいつも、そんな下らないサプライズを用意したがるんだ!』

『どこぞの誰かが言っていた。ハチャメチャが押し寄せてきて、泣いてる場合じゃないから、ワクワクを百倍に――』

『長い! 関係ないとこから引用を始めるな!』

『つまり、いつかすげぇ奴になれるんだ』

『どこがどう、つまりなんだ……』

 恐らく、藍は電話の向こうで頭を抱えている。

 良い刺激になっていそうだ。成功!

『君、今ガッツポーズしてるだろ』

『何故わかった!?』

『勘だよ……。っと、あ! もうこんな時間……』

『バイトか?』

 藍のバイト、コッペパンとかいう名前のパン屋。

『そうだよ。兎も角、またバイト終わったら電話するから! 絶対とるように!』

『ん。待ってるよ』

『ふんっ! じゃあね』

『おう。またな』

 電話を切り、一息。

 さて、と。今度こそ準備を済ませよう。

 七輪が一番確実で、安心だろうな。他人に迷惑もあまりかからない。

 テントは用意済み。遠足の前とか寝れないタイプなので、ちゃんと睡眠薬も用意して、さらに念を入れ昨日は寝ていない。その代わり今は眠気がかなりキてる。

 田舎というのは良い。山だらけだ。人も中々入り込まない。

 何度か足を運んで、下調べもしておいた。

 暗い時間はさすがに怖かったので、明け方から日が沈むまでしか居なかったが、誰とも会わなかったし、大丈夫だろう。

 山の奥、めぼしを付けておいた場所で小さなテントを立てよう。その上から落ち葉を乗せてカモフラージュもすれば完璧だ。

 少し寒くなるが、床の部分を切らないとダメだな。土に早く還れるように。

 出来る限り早めに済ませたかったが、まだ明るい。この時間から入ると、姿を見られる危険性もある。それまでどうしてようか……。

 あぁ、そうだ。電話しておかないと心配する奴がいた。

 毎日のよう連絡を取り合ってる相手、愛称ナンシー。知り合ってもう、六年ほどになる。

『よぉー! もしもし!? 俺だよ俺! お母さんだよ!』

 電話をかけた時、すぐにとってくれると嬉しい。かけるのが好きな理由の一つだ。

『……どうして、そんなにお母さんの声は低いの?』

『いつか映画の吹き替え声優になるためだよ』

『どうして映画の吹き替え声優には、タレントさんが良く使われるの?』

『大人の事情だよ』

『どうして、大人は皆、大人の事情で物事を済ませてしまうの?』

『これ以上関わると、命の保障は出来ないぜ、お嬢ちゃん』

『映画の吹き替え声優さんみたいっ!』

『まじで!? 目指そうかなぁ』

『チョロい』

『チョロいって何だ!? そんな言葉遣いばっかりして! お母さん怒るわよ!』

『もうわけがわからないよ……』

いや全くもって。

『俺もだ、というわけでこんばんわ』

『前フリ本当に長いよね、こんばんわ』

 構ってもらえるとつい、はしゃいでしまう。

『突然なんだが、俺しばらく海外留学することになってさ』

『ほんとに!? どうしたの! 海外は好きだけど行きたくはない、とか変な事言ってた癖に』

 そんなに変だろうか。

『そのつもりだったんだけど、まぁ色々あって。せっかくの機会だし、行ってみようってさ』

『またなんか、頼みごとされたんじゃないの? スズキってイエスマンだし』

『ちがうやい! じ、自分で考えたんですー!』

『はいはい。でも、どの道メールと電話しかしてなかったから、そんなに変わんないね』

 そう、実は一度もナンシーと会ったことはなく、メールや電話で話したのが、交流の全てだ。

 聞いた話によると、どうやらナンシーは近くに住んでいるらしいので、個人的には、顔を突き合わせて会話したいんだが、向こうがやたらと嫌がるので、ついぞ実現しなかった。

 そして、どうやら永遠にその機会は訪れなさそうだ。

『それなんだけどな。実は向こう、かなり田舎らしくて、そういうインフラが壊滅なんだと。だからメールすら送れなくなりそうでさ。今回はその報告』

『え? うそ……? じゃ、じゃあ一年もお話できないの!?』

『そうなるな』

『な、なんで! そんな! 突然すぎるよ!』

『うん、非常に申し訳ないんだが、そういう事だ』

『……いつ?』

『明日、だな』

『本当に突然じゃないさ! もー! 今日、会うから!』

『なに!?』

『今日会う! 場所は、えーと……、駅! 近い方! それで今何時……、ってもうお昼!? うー、一時間じゃ、むり……、いや、でも何とか頑張るしか……。髪して……、うぅー! よし! 一時間後に集合! じゃあね!』

『待て、近い方――』

 ってどっちだよ。相手の居ない電話に向かって呟き、空を仰ぎ見る。

「南の方かねぇ……」

 行くしかないか……、っと考えたあたりで勢いに押されて、いくつかの問題をお互い見逃している事に気づいた。しょうがないので、ナンシーへ再びコール。

『何!? 今更やめるなんて駄目だよ! 他に話があるなら今忙しいから会ったときに――』

『いや、どうやって見つけりゃいい?』

『あ……』

 お互いに、顔すら知らないのだ。

『ご、ごめんね。何かテンパっちゃって……』

『そんなナンシーも愛してるよ』

『それさ、誰にでも言ってるでしょ? やめたほうがいいよ。勘違いしちゃうから』

『その注意はよくされる』

 主に藍から。

『でしょ』

『大丈夫だよ、ちゃんと、相手を見ていってるから』

『それはそれで、お前に脈なんてねぇんだよ、と言われてる気がして、乙女的にはどこか悔しい思いが残るね……。じゃない! 時間ないんだって! えっと、携帯を目印にしよ! 私のは、血を凍らせて磨いた様な輝かしい紅!』

 もう少し、ましな例えはなかったんだろうか。なんか、グロい。

『月曜の朝を思い出しそうな青だ』

『憂鬱になるわっ! そんな持ってるだけで病みそうな色の携帯、よく見つけたね……』

 血の色した奴に言われたくない。

『それと、近い方って、南のでいいのか?』

『うん、そうそう! じゃあ、準備するから! 後でね!』

 ほいほい、と返事をして、今度こそ携帯をしまった。

 さて、どんな子が待ってるんだろう。実は男でした、なんてオチじゃなけりゃいいけど――いや、それはそれで、面白いな。


 


 田舎の駅なので、人を探すには容易かった。目印があるなら尚更だ。

 しかし、それが本当に出会う予定の相手なのかを判断するのは……、少々難しかった。

 身長は、俺よりも低く見えるので、150センチ無いだろう。首にかかる程度のショートながら、前髪は目元が隠れるほどに長く伸ばされていて、とても大人しそうな印象を受ける。それにあわせるように、服装も飾り気の無い落ち着いた白のセーターに黒のスカート。

 と、そんな全体的に地味な少女が、一際目立つ携帯を胸に抱えるようにして、人待ち顔で立っていた。

 ナンシーが目印にした携帯と色が一致している。――本当に赤黒く、艶やかな紅だった。

 けれど、携帯で話しているナンシーから受けるイメージは、もっと活発な物で、地味な服装だとしても、ジャージやらそういうのを着ていそうな感じだ。

 一応、駅を一回りしてみたが、そんな人は見つからなかった。

「ためしに、声をかけてみるか」

 間違ってたらそんときだしな。

 気楽に考えて、少女に近づくと、こちらに気づいたのか、俯かせていた顔をかすかに上げた。

 それで分かったのは、線の細い黒のメガネをかけているという事だけだった。

「あの、まちがってたら悪いけどさ、もしかして……」

 あ、今気づいたけどナンシーって口にするの、すごい恥かしい。

「これ」

 なのでまず最初に、自分の携帯を見せた。

「……! っ! っ!」

 女の子は何度も頷くと、携帯を口元に寄せた。

「そうかそうか。始めまして、スズキです」

「は、じめまし、て。ナンシー、です」

 ナンシーの目が上下左右、縦横無尽に回り、最終的に下で落ち着く。

 緊張しすぎだろ……。本当にナンシーか。

「よし、こんなところで立ち話ってのもアレだ。どっか入るか」

 なんであれ、腰を落ち着ければ少しは緊張もほぐれるだろう。

「は、はい。分かり、ました」

 なんで丁寧……?

 兎も角、ナンシーらしき少女は、俺の数歩先ををしずしずと歩き始めた。

 うーむ、電話と印象が違いすぎる……。内弁慶か? というか、実はナンシーが悪戯で妹をよこした、とか? いや、一人っ子だって言ってたよなぁ……。うーむ、うっかりこけてM字開脚しても大丈夫なぐらいスカートも長いし……。

 そんなことを考えつつ歩いていると、いつの間にかナンシーが大分先を歩いていた。見た目の割りに早い。

 少し早足で追いつこうとした、その視線の先、ナンシーは横断歩道を渡ろうとしていた。けれど足の速さは落とされておらず、さらに顔を俯かせ、周りを見ていない。

 そこへ、とても嫌な予感をさせる速度で、――トラックが迫っていた。

 自然、駆け足になる。

 悪い予感ほどよくあたる。そういう時ばかりを、覚えているだけなのだろうけど。――そう、思考もこんな風に妙に冷静になるんだ。

「ナンシー!」

「?」

 俺が恥ずかしいのをこらえて叫ぶと、ナンシーが振り向いた。横断歩道の真上で。

「バカっ止まんな!」

 きょとんとしているナンシーに向けてもう一度叫んで、一足飛びに踏み出して、ナンシーがとても近くで見えて、それで間に合ったのだと気づいて、……同時、トラックの余りにも遅いブレーキ音が聞こえた。

 とっさに、ナンシーを突き飛ばした。

 ナンシーは変わらない表情でこっちを見ていた。――微笑を返した。

 こんな終わり方なら、良いかな。




 誰にも知られないままひっそりと山奥で人生を終えて、あやふやに片付けられれば幸せ。そう思っていたのに、神様は優しいのか残酷なのか、素敵な終わり方を用意してくれた。

 それは勿論、余りにも独りよがりな考え方だ。

「行旅死亡人という表示にあこがれたんだけどな。……じゃなくて、俺は何してんだろうか」

 あたりは真っ暗だった。それなりに時間が経って、そろそろ目が慣れているはずなのだけれど、何も見えない。或いは、何も無いのかもしれない。

 そもそも、何故そんな事を考えられる状態にあるのか。

「もしかして、死後の世界とか言う奴か? おいおい勘弁してくれ……」

「いや、違うよ。そういうのもあるけどね」

「ん?」

 突然、声が聞こえた。高めの、女の子っぽい声だった。

 それはなんとも気味の悪い事に、耳元で聞こえているようにも感じれば、はるか彼方から聞こえているようにも感じ、どこから聞こえているのか分からない。

「なぁ、どうやって、話しかけてる?」

「そうだね……。『スズキ……、スズキ……、聞こえますか……? 今、貴方の心に直接話しかけています……』」

「まじか! すごいな!」

「……信じてるよこの子」

「あれ。馬鹿にされてる?」

「あはは、冗談だよ、冗談。それでさ、君、死んだらどうなるか知ってる?」

「いや、知らない……、知ってるのか?」

 何やら声についてうやむやにされている感があったが、興味深い話題なので、遮るのはやめておくことにした。

「では問題です。1、死後の世界に行く。 2、何にも無い。 3、生まれ変わる。どれだと思う?」

「じゃあ、2で!」

「今さっき死後の世界云々言ってる君に、そういうのもあるって言ったろ?」

「裏をかいて、ありえるかなと思ったんだ。それで正解は?」

「正解は全部なんだ」

「なんで問題にした!?」

 つーか2でも正解なんじゃねぇか。

「予定では、1って答えた君に、ところが全部正解でした、しかも実は例外もあるんだよーってなるはずだったんだ。すっかりぶち壊しだよ」

「俺もう死んでい?」

 何か相手するの、めんどくさくなってきた。

「まぁまぁ最期まで話を聞いて。誤字じゃないよ?」

 誤字……?

「実はとても良い話があるんだ。先着一命で求人があってね。誤字じゃないよ? で、それも本当は埋まったんだけど、君だけ特別! 今ならその仕事を紹介するよ! やってみない?」

「あんた、びっくりするぐらい宣伝下手だな」

 一昔前のスパムのようだった。

「気にしているのに……。まぁいいや。さ、どうする?」

「何か面白そう……、だけどいいや」

「君の望みは、もう叶っているから?」

「……物知りだなあんた」

「みんなにできるだけ迷惑をかけないように、――死ぬ。……立派だね」

「それほどでも」

「ま、その話は今はいいんだ。ただ君を……、ってそうそう自己紹介忘れてた。こっちの事はまぁ、なんだ。神様的な何かのリクルーター、だと思ってくれるかな」

「軽い口調ですごい事カミングアウトしたな」

「コレぐらいで驚いてちゃだめだよ? 君は今、天使への階段を登ってるんだからさ」

 天使……? 天使っていうと、

「お、俺は裸に弓なんて、犯罪的格好をするのか? やったぁ!」

「なんで喜んでるの……? そんなの誰も求めてないよ。願い下げだよ、お断りだよ」

 そりゃそうか。ちっ。

「そうだね、天使より、正義のヒーローって言った方が正しいかな」

 恥かしさで言えば、どちらも変わらないように思えるな。

「ん? まてまて、ヒーローが居るってことは怪人が居るのか!」

「エクセレント! スバラーシ!」

 何でカタコト……?

「その通りだよ、いるんだ悪の怪人が。もちろんそこらの特撮みたいに、分かりやすくなんかないよ? 闇に紛れ人に紛れて、誰にもばれずこっそり彼らは活動してる」

 怪人と言うよりは、なんかの犯罪組織みたいだな。

「君に力を授けるから、そいつらを倒してほしいんだ」

 また重大な所をさらっと言ってくれやがる……。

 何が問題って、すっごい楽しそうなんだよなぁヒーロー。

「それが、君に頼みたいお仕事。求人情報だよ」

 でも、残念。良い話ってのは、悪いタイミングでくる。

「それは確かに面白そうだ。是非やってみたい、と思う。けど、知っての通り、俺は今日死んで、この世から消え去るつもりだったんだ。だから、断る」

「ところがどっこい。君の望む消失は出来ない。何故なら、死後の世界へ行くからだ。君はそこで働くんだ。死後の世界の住人としてね」

 死後の世界で、働くって……、なんだその罰ゲーム。というか、地獄?

「これが本当の第二の人生。キミは親より先に死んでしまったからね、報われない石積みを永遠としてもらう。もしこの話を断るなら、だけどね」

「ヒーローになります。ならせてください」

「君ならそう言ってくれると思ったよ!」

 どうにも納得のいかない部分が多々あるが……。仕方ない。

 となれば、後はもう前向きに行こう。

「でもどうすりゃいいんだ? 俺もう死んでるんだよな?」

 死んでからヒーローになるんだろうか。毎日夜中になると地面から出てきて、怪人を捜し求めてさまようヒーロー。ゾンビじゃねぇか。

「ヒーローゾンビとか、新感覚すぎるな」

「君は何を考えた……? 今、勧誘のために、死ぬ一歩手前で時間を止めてある。だから、今から授ける力を使って、生き残ってくれ」

「まじか、すごいな」

 勧誘受けなかったら、そのまま死んでたのか。

「詳しい説明は後にするよ。とりあえず目が覚めたら、すぐに前へ飛んでね。その後、今一緒に居る子とは別れといて。電話するから。それじゃ、また」

「一番大事なとこが雑だ……」

 小声の感想に、けれど返事は返ってこなかった。その代わり辺りが、テレビをつけたかのように、突然光りを取り戻して――


「危なかったなぁー!」

 数秒前のこと、俺は間一髪、トラックを数ミリの差で避けた。

 ただ、どうやったのかは、自分でも分からなかった。これも“授ける力”とやらの一部なんだろうか。

 ともあれ、トラックはクラクションを鳴らしながらそのまま過ぎ去り、危ない目に合った責任を感じているのか、何やら小さくなっているナンシーと二人、歩道脇に立っていた。

「ご、ごめん、なさい!」

 いつものナンシーらしさが欠片もないせいで、どうにも調子が狂うな。

「二人とも無事だったんだ、気にすんな」

「で、でも……!」

「それで、さ。いきなりで悪いんだが。俺やっぱり考え直すわ。海外へ行くの、やめる」

 放っておくと、ひたすら謝り続けそうだったのでナンシーの言葉を遮って、強引に話を切り出した。

「え……!? ほ、ほんと!? 嘘じゃないよね!? あはっ! 嬉しい!」

 あまりに不自然な心変わりに、突然何を言い出すんだ、と責められてもおかしくないと思ったのだが、ナンシーは無邪気にはしゃいで喜んでくれた。

 理由とか気にならないんだろうか……? 聞かれたところで困るだけではあるが。

「そんなに喜んでくれると、俺も意思を変えた甲斐があるってもんだ」

「うん!」

「……それで、その事を今から伝えに行かなきゃならんので、会ったばかりで本当に悪いんだが。今日はお開きにさせてくれ。今度、絶対に埋め合わせするから」

「あ……、うん。本当は私も、ちょっと用事あった、から。いいよ」

「そうか。ならよかった。それじゃまた、電話するな」

「……まってるね」

 何の不都合なく別れられた事に一抹の疑問を抱きながら、ナンシーに手をふって、足早に駅から離れた。




「はてさて、嘘か真か。こんなとこになぁ……」

 藍へ渡米を辞めた旨のメールを送っている最中かかってきた電話で指定された場所へは、一分とかからずたどり着けた。

 というのも、向かったのは、ナンシーと待ち合わせをしていたのと同じ駅だったからだ。

 一番安い入場券を買って、改札を抜け、最近出来たばかりのエレベーターに乗る。

 けれど、目的はホームではない。

「上、上、下、下。九十度左に頭を傾けて……、下、上、下、上、開、閉」

 傍から見れば悪戯でしかないボタンの連打は、電話で指定された物だった。この順番で押すことで、隠された地下へといけるのだとか。

「こんなゲームの裏技みたいなんで本当に――」

 呟いた瞬間、まるで正解とでも言うかのようにアラームが鳴り、同時に軽い震動をもって、エレベーターは動き出した。

 こんな田舎の駅には存在しないはずの、地下へと。

「本当に動いた……」

 すぐに、もう一度、今度は階下に到着したことを知らせるアラームがなり、ドアが開く。

 まず見えたのは、真っ白な通路と、壁際に置かれた椅子、そしてその椅子の上に置かれた、大きな白い花の植えられた植木鉢だった。

「ようこそ、秘密基地へ」

 一歩踏み出した瞬間、声が響いた。

 前回とは違い、今回は、どこからの声か分かった。

「すげぇ、花が喋った」

 椅子の上、白い花からだ。

「そうそう。こら、触らない。マイクとかついてないから。今は先に進んで、細かいことはその先の部屋で説明するよ」

「ほいほい」

 花びらをいじる手を止め、通路の先をみると、場にそぐわない観音開きのドアがあった。

 近づき、ノックをしてみるが、返事はない。

「見かけによらず、律儀なんだね。勝手に入ってくれていいよ」

「じゃ、遠慮なく」

 背後からの声に答え、ドアに手を乗せる。

 はてさて、鬼がでるか、蛇が出るか。

「……へぇ」

 その場所は大きな体育館の様だった。

 だだっ広く、けれど物が全くない。壁際にいくつかのドアと、申し訳程度の棚などが置かれている程度だ。が、そんな事よりも何よりも目に付くのは、――床一面を覆う花だ。

 これでは、部屋というよりは花畑と呼ぶべきかもしれない。

 香りも良いし、花も綺麗、どこか空気も綺麗な気がする。ただ、悪い言い方をすれば、なんだか工場のような無機質さが漂っていた。

「なによりの問題は、全くヒーロー活動をするための空間として機能していない事か」

「いいじゃないか。綺麗だし」

「出たな!?」

 空手っぽい構えと共に、花畑を見回す、が、どこにも人影はなかった。

「(私は今……、花を使って……、話しかけています……)」

「デジャヴ?」

「そういえば似たような事したっけ」

 声の方へ目を向ければ、一輪の大きな向日葵がこちらに花弁を向けていた。

 部屋に入ったときは確実になかったんだが……、自由に花を咲かせられるんだろうか。

「これだよな?」

「そ、改めてこんにちわ、まじで強いスズキ」

 指を差して確認すると、向日葵が頷くように縦へ揺れ、声を響いた。

「……ん? ちょっとまて。今の呼び名は、なんだ」

「言ってなかったっけ。君のヒーロー名だよ。ちゃんと覚えてね、まじで強いスズキ」

「ただ名前に“まじで強い”って付けただけじゃねぇか!」

「格好いいでしょ?」

「よくねぇよ! 絶望どころか、滅亡的なネーミングだよ!」

「そこまで言うっ!?」

「あぁ言うね! 初対面だろうと俺は遠慮しないね!」

「いいじゃん! 名前ぐらい好きにつけさせてよ! 名乗らなくていいからさぁ!」

 子供か……。

「分かったよ。どうせ名乗る機会も、そうそうないだろうしな……」

「物分りがよくて嬉しいよ! よしよし……。それじゃ、前ふりはこれぐらいにしておいて、説明を始めようか」


 ――二時間後。

「君、なんか他人事みたいにもう四時かーって言ってるけどさ、半分ぐらい君が無駄にボケたせいだよ? 分かってる?」

 藍などとは違い、好き放題にボケさせてくれるので、少々調子に乗った感は否めない。

「話をまとめると。俺の力は肉体強化。但し、怪人に対してのみ使用可能。お給料はちゃんと出る。休みは応相談。以上、だな?」

「急に真面目になるし、極端だなぁもう」

 ソレに関しては、お互い様だと言いたい。

「細かいとこを補足すると、怪人に対してしか使えないのは、リミッターね。いつ何時でも使えたら、明日にでもオリンピックでれちゃうだろ」

 確かに、そんなこと出来たら、怪人探しなんてしないで遊んでしまいそうだ。

「特に君みたいな暴走機関車だと、本当にとんでも無い事してくれそうだし」

「あ、言ったな! 俺はコレでも女友達の家へ行って、胸を揉ませろとわめいた挙句、実際もめるとなると怖気づくぐらいのチキンだぞ!?」

「そしてゲスくて小さい話を自分でしてしまうぐらいに、馬鹿なんだね」 

「そんな事は置いといて、一つ質問があるんだ」

 図星をつかれ言い返せない時は、さらりと話を代える。藍との日々で、身についた技術。

「怪人たちの目的はなんだ?」

 そらした先の話とはいえ、一番気になる問題でもあった。

「そりゃもう、決まってるでしょ。世界征服だよ」

「世界制――」

「いっとくけど、制服じゃないからね」

 さっき説明している内になれてしまったのか、べたなボケ一つさせてもらなくなっている。ちくしょう。

「……で、征服する理由は?」

「さぁ? 流石にそこまでは知らないな。交渉なんて、しようとした事がないから」

「そうなのか」

 じゃ、まぁ第一目的は、話し合いをする事、かな。できればだが。

「よし、後は……、制服ってないのか?」

「必要? そこのタンスに準備はしてあるけど」

「あるのか」

 花を踏まないように指定されたタンスへ近づき、一番上の棚を開いて覗き込むと、何やら赤い布が入っていた。

「……ハナ、お前これ、いくら俺が相手だからって、馬鹿にしすぎじゃないか」

 その布を持ち上げてみると、水着だった。しかも、スリングショット。所謂ヒモ水着である。一瞬、本当にただのヒモかと思った。

「あ、ごめん。それ女性用だ。男性用のはその隣だね」

「おい待てよ!? それむしろ問題だろうが! 一つお尋ねし忘れてましたがね! 現在俺以外にヒーロー、特に女性の方はいらっしゃるんですか!?」

「なんかすごい楽しそうにしてるとこ悪いんだけど、君しかないし、他に入れる予定も無い。だから、もし女性を勧誘してきてもだめだよ」

「じゃあこんな夢とか希望とか詰まったもん入れてんじゃねぇよ畜生!」

「どんだけ怒ってんのさ……」

 藍を誘おうと思ったのに。期待させやがって……!

「はー、もうなんか一気にやる気なくしたわ。帰ってい?」

「そんなに絶望する程の事……? ともあれ、いいよ。今日は説明だけのつもりだったし。制服はいいのかい?」

「着なきゃならないなら、明日にでも見るよ」

「いかにもヒーローです! なんて格好されても困るし、おまわりさんとかに質問されちゃうから、着ないほうがいいと思うよ」

 え?

「最初からそれ言ってくれよ! 今さっきのくだり完全に無駄だな!」

「君が欲しそうにしたから出してあげたのに。ちぇっ」

 そういやどうして、スリングショットなんて持ってたんだろ。趣味か? 聞かないほうが良いかもしれんな。性癖です、とか言われたら怖いし。

「帰るわ。明日は何時にくればい?」

「んー、お昼ぐらいかな? 適当でいいんじゃない?」

 アバウトにもほどがある。本当に給料もらえるのかこれ。

「遊びに出かける時でも、もう少し具体的に決めると思うが。じゃあまぁ、そこらの時間に来るわ」

「はいはい、お疲れ様。またねー……、っと、そうだ一つ渡し忘れ」

「うん?」

「これ、定期券。入場用の奴ね。今回の分はまた給料に足しておくから」

 細かい……。

「じゃあ今度こそ、またねー」

 言葉と共に、咲いている花が一斉に体を左右に揺らした。

 それが余りに綺麗だったので、暫く見惚れた後、手を振り返した。


「晩飯どうしようかなぁ、っと?」

 懐から鍵を取り出し家の玄関を見る、と人が立っていた。――まさか、早速怪人か!?

「おかえり、スズキ」

 と思ったら、渚さん家の藍ちゃんだった。

「た、ただいま。藍」

 怪人だった方がまだやりやすかったかもしれん。

「気が変わったなら、詳しい説明をしろというんだ。何回も電話かけたのに……」

 いわれて携帯を取り出してみると、……なるほど、十件以上の着信が並んでいた。

「あぁ、ちょっと立て込んでたもんでな、すまん」

 拝むようにして頭を下げる。と、藍が一歩近寄り、目を少し伏せて、俺の頬を撫でた。

 え? 何このしめやかな展開。もしかしてキス、後に胸を揉ませてもらえるんでは……?

「左、向いて」

「お、おぅ! あの、もしかして胸を揉ませアヒィッ!?」

 こ、こいつビンタを――

「そうそう、分かってるじゃないか。右の頬をぶたれたら、左の頬を差し出すんだ」 

「ヒギッ!?」

 差し出したわけではなく、右頬の痛みを堪えようと抑えたら結果的に差し出した形になっただけであり、そんな状態でも容赦なくぶってくる辺り、この女の本気が知れる。怖い。

「藍……、ち、乳ビンタって知ってるかグゥッ!?」

 おわん状にした手で、両耳を思いっきりはさまれた。

 あ、すごいこれ、耳がキーンってして、立てなく、なる……。

「ゴフッ」

「治ったら呼んで。本、読んでるから」

 冷酷すぎんだろ……。

「い、いや、大丈夫だ」

 お、女の攻撃でやられてちゃぁ、男がすたるぜ……。

「で、何があったの」

 よろよろと起き上がった俺に対して、いたわりの言葉もなく最初から本題とは……。

「そうだな、俺も良く分からんのだが……。事故で死にかけたんだ。そしたら、死んでも良いことないからヒーローになれって言われたんで、やってみる事にした。詳しい内容の説明は、明日だってさ」

「へぇ……。明日って、学校とかどうするつもりなんだ?」

「あー。学校はもう、退学届け出したから問題ない」

「問題だらけだろうに……。まぁ、そっか。働くんだ」

「おう。そういう事だな」

 そして沈黙。

 あれ? どうしてこいつ、何も突っ込んでこないんだ? もしかして……

「相手するの面倒だからって、突っ込み放棄したな、藍」

「君との付き合いは幼稚園からになるけど、やっと気づいてくれたんだね」

「今までもしてたのかよ!」

「君は全く、気づいてなかったけどね」

 まじか……。よく考え事するなぁ、とは思ってたが、まさか露骨な無視だったとは。

「死のう……」

「明日から働くんだろ?」

「そうだった。よしよし、それじゃ俺、明日は昼からだし、この辺で」

「待て。まだ七時にもなって無いぞ。どれだけ眠るつもりなんだよ」

 ちっ。上手い事、逃げれたと思ったのに。

「君ねぇ! 藍に散々心配かけといてその態度は酷いだろ!?」

 あ、まずい。藍が自分を名前で呼び出した!

「藍は昔から素が出ると、一人称が名前になるよな」

「今は関係ないだろ! もぅっ!」

 指摘したら少しは冷静になるかな、と思ったが火に油を注いだだけでした。

「悪かったよ。こんなつもりじゃなかったんだ。全部な」

 仕方ないので、ちょっと真面目に。

「いいよ、もう……。君は昔っから何言っても聞いてくれた事がない」

「そうか? 確か中学の時、ダンスで相手がいないからって、強引に俺とぺアなったろ。せっかくクラスのアイドル千波ちゃん誘って、ペア組んでたのに」

 真面目タイム一言で終了。

「あ、あれは緊急事態だったんだから、仕方ないだろ!? ていうかそんな事忘れろ!」

 余談だが、そのせいで前から流れていた藍と付き合ってるという噂が本格的に広まり始め、俺は千波ちゃんから二股野郎として侮蔑のまなざしを受けた。

「そんな事よりも! 君、本当に学校辞めたのか!」

「そうそう、何だかんだで最後には突っ込んでくれるからさ、無視されても気づかなかったんじゃないかな、俺」

「話を誤魔化すな!」

「どうにも真面目モードって難しくてな」

 赤くなっちゃって、かわいいかわいい。

「さっきの話は全部本当だよ。一つも嘘はねぇって。藍の乳に誓うよ」

「パーツに誓うな! もう……、君はいっつも変な事ばかり言って、しかもそれが大体本当だから嫌なんだよ……。ヒーローってなんなんだ?」

「と言われてもな……。仕事、みたいなもんなんじゃね?」

 そういや俺、もし話し合いができなかったら、怪人とか殺さなきゃならんのだろうか。相手がなんであれ、殴る蹴るするのは嫌だな。

「呆れた、ちゃんと確認せずに引き受けたのか……」

「うん。なんか面白そうだったし」 

 頭を掻きながらいうと、藍はわざとらしく大きなため息をついた。

「もういい、君にまともな説明を求めた藍が馬鹿だった。……君、本当にもう学校来ないんだな?」

「あぁ」

「そっか……、分かった。じゃあね」

 寂しそうに丸めて、藍が歩いていく。背が高いせいで、漂う哀愁が尋常ではない。

「居なくなるなんてもう言わないからさ、許してくれねぇかな?」

 そんな姿を、見過ごすにはやや俺の心は弱く。

「……許すも何も、ないだろ」

「じゃあ、どうしてわざわざ家の前で待ってたんだ」

「た、たまたま通りがかっただけだ。待ってたわけじゃない」

 学校行く時ぐらいしか、こっち来ないくせに。

「藍も少しは俺を見習って、素直になった方がいいんじゃないか?」

「君が素直なのは、やらしい事にだけだろ!」

「自分に素直なんだ」

「よく言うね、隠し事ばっかりな癖に」

 藍が両手を組んで、不満げに言う。

「悪かったよ。今度なんかする時は、ちゃんと前もって言うからさ」

「反省してる?」

「あぁ、藍の胸の谷間より深く」

「場所に誓うのはやめろって言ってるだろ!」

「痛いっ!」

 叩かれた。

「だって、そんな胸してるのに、腕組むから……」

「お、重たいんだよ……」

 そこまでなのか……。くそう、罪深すぎる。

「だから、胸を見つめるのはやめろ。……ちゃんと反省してるのかなぁ」

「自分で言うのもなんだが、どうも俺は真面目になりきれんな。いや、反省はしてるんだ」

「いいよ、知ってるから。許してあげるけどさ、その代わり、これから毎日メールして。電話でもいいから。仕事とかで何があったか、教える事」

 心配してくれるのか……。優しいなぁ、こいつは。

「何かアレだな、浮気がばれて怒られてる旦那みたいだな俺」

「な、なな何がっ! ……はぁ。君ってほんとバカだよね。帰る」

 突っ込んでいるとキリが無いのに気づいたのか、藍が冷静になった。つまらん。

「おう。またな」

「ふんっ!」

 肩を怒らせ去っていく藍は、けれど寂しそうじゃなかったので、ひとまずよしとしよう。

 それを見届けて、家に入った。

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