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生存反応

作者: moki

「自殺をしてはいけない」なんて言うのは、社会にいる強い人間達のエゴイズムだと私は思う。社会で不自由なく生きていけるからそんなことが言えるのであって、自殺をしたい人達のことを考えて言っている訳じゃない。他人が自殺をしたって強者である彼らには何も関係はないはずだ。それなのに彼らが「自殺をしてはいけない」と言うのは、自分は自殺をする者とは違って強いんだ、という自己アピールが含まれているからだ。たった一言言うだけで、思いやりのある人間だと社会から賞賛を受けことが出来る。だから大っぴらに彼らは「自殺をしてはいけない」なんて言うんだ。私からすればただのエゴイズムでしかないことが見え見えなのに。

 じゃあ、あなた達強者は弱者である私達を救うような何かをしてくれるんですか、と私が訊いても彼らは無言で私から目を逸らすだろう。それが彼らの本質だ。自殺をしたくなる程、現実の私は絶望的な局面にいるのに、彼らは救いの手を差し伸べようともしない。助ける気なんか全くないんだ。「自殺をしてはいけない」なんて大口叩いているくせに、自分の発言に責任を持っていないじゃないか。ふざけている。小学生でも「自分の発言には責任を持ちましょう」と習ってきっと実行出来ているのに、社会に出ている彼らは小学生よりもたちが悪い。そんな責任を持てない彼らが、私のような弱者が自殺をすることについてとやかく言う資格なんかないはずだ。

 最早、私は自殺をするしか道はないんだ。人生は謳歌するものだと私は習っていたが、実際の人生はそんなことはなかった。強い彼らがいつも私を迫害するのだ。どんなに私が彼らに気に入られようと振る舞っても、彼らはいつも、まるで道端に転がっている糞を見るような目を私に向けて、たまに暴力も振るってきた。何故私のことが嫌いなのだ、とかつての私は彼らを問い詰めても、彼らは再び私に罵倒を浴びせるだけで、私のことが嫌いな理由を言わない。結局理由は今でも分からない。八方ふさがりとはまさにこのことだろう。私にとって人生は謳歌するものではなく、ただ私が虐げられるものだった。私はそんなのはもう、これ以上はごめんだ。こんな地獄からは早く抜け出したい。

 今すぐ自殺をしよう。どんな方法がいいだろうか、と考えてみても、手首を切る、ロープで首をくくる、川に飛び込む、焼身など、考えついた自殺方法はどれも、痛そうだし苦しそうなものばかりだ。何故だ。人生が苦しくて、痛くて、嫌でたまらないのに、人生から抜け出す方法もまた、何故私を苦しめるものばかりなんだ。自殺とは弱者を救済するものなのだから、自殺は楽で、痛くなくて、安らかなものがいい。それ以外は嫌だ。何か、何か他に楽ですぐに自殺出来る方法はなかったかだろうか。

 ああ、困った。他にいい案が思い浮かばない。今すぐ楽に自殺したいのに出来ない。これも社会にいる強い人間達のせいなんじゃないかと思うと、とても腹立たしくなってくる。ああ、本当に嫌だ、人生なんかまっぴらだ。餓死を待つにしたって、更に七日待たないといけないことを考えると、私はまた気が滅入ってくる。どうして私の思い通りにならないんだ。だから人生は嫌なんだ。


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