1、告 白
これは、2004年の3月に書いた、私の7作目の作品です。
本当の友情とは何か、相手を思う心とは何か、そんなことを考えながら書きました。
今までの作品の中で、1番入り込んで書いた作品かもしれません。
自分の大切な人を思い出しながら読んで頂けると嬉しいです。
煙突からのぼる煙が、澄んだ青空を泳いでいく。私たちは精一杯の笑顔で空に向かって手を振った。風に揺られた煙は、まるで私たちに手を振り返しているようだった。
1、告 白
クリスマス前の日曜日、私は吹きすさぶ風に肩をすくめながら、待ち合わせ場所へ向かっていた。
「貴子!」
自分を呼ぶ声に、マフラーに鼻先までうずめたまま目線を前にやると、春菜と佐智子が車の中から手を振っていた。
車に乗り込むと、寒くて固まっていた肩から徐々に力が抜けていく。
「ふー、生き返ったぁ」
私がようやくマフラーをはずしながら言うと、佐智子が笑って言った。
「貴子ったら、おおげさね」
「ね、それより萌は? 今日来れるんでしょ?」
「うん、そう言ってた」
「てことは……」
「いつも通りってことだ」
私たちは声を揃えて言い、肩をすくめて苦笑いした。
萌は遅刻の常習犯だ。毎回毎回、必ず少しずつ遅れてくる。「待つのが嫌だから、最後になるようにわざと遅れてくるんだ」などと変な理屈をこねて、あっけらかんと笑う。初めは文句を言っていた私たちも、今ではもう諦めている。
「ま、それを見越して待ち合わせ時間を決めてるから、芽衣の家には時間通り着くはずよ」
「さすが佐智子だね」
私は感心して言った。
私たちは今から約10年前、高校1年の時に知り合った。厳密に言えば、出会ったのは入試の日だから中学3年の時ということになるのだろうか。
専願だった私は、午後の面接のためにお弁当持参で入試に臨んだ。試験が終わって昼休みになると、ほとんどの人が食堂に食べに行ったので、私のようなお弁当組が数人残っただけだった。
お互い見ず知らずだったので、みんなが黙ってお弁当を食べていた。静まり返った中で食べるお弁当はとてもまずく感じた。外へ出て食べようか、いや、それは感じが悪いだろうかなどと考えていると、誰かが声を出した。
「せっかくだから、おしゃべりしながら食べない? 黙って食べてると、なんだか喉がつまっちゃう」
私はもちろん、他の人たちも同じように感じていたようで、このひと言をきっかけに私たちは自己紹介をしあいながら賑やかに食事をした。
そのおしゃべりのお陰でリラックスして面接に臨めた私は無事合格し、満開の桜の下、校門をくぐることができた。
入学式を終えて教室に行くと、壁に全員の名前が貼りだされていた。何となくそれを眺めていると、見覚えのある名前を見つけた。
「同じクラスだね」
肩を叩かれて振り向くと、当の本人、春菜だった。
「よかった、知ってる人が1人でもいて。これからよろしくね」
私がほっとして言うと、春菜は教室の後ろを指さしながら言った。
「1人じゃないよ」
春菜の指先をたどると、そこには入試の日に同じお弁当組だった佐智子と萌と芽衣がいた。
4人とはそれ以来の付き合いだ。
春菜は積極的でハキハキしているリーダー的存在。入試の日に、最初に話し掛けたのが春菜だ。私たちをいつもまとめて引っ張ってくれている。
佐智子は細かいことを考えるのが得意で、裏リーダーとも言える。常に冷静で、何があっても落ち着いている。
萌は自由奔放でわがままで、泣いたり怒ったり、感情を出したいだけ出す。だから周りにいる私たちはいつも振り回されているのだが、なぜか憎めない。手のかかる妹のようなものだ。
芽衣はいつも明るくて元気なムードメーカー。芽衣がいる時といない時とでは、私たちの間に漂う空気さえ違うような気がする。
私はと言うと、どうということはない。と言っても、これは別に自分を卑下しているわけではない。確かに以前は、4人のような個性を持ち合わせていない自分はつまらない人間だと思っていたのだが、芽衣に「だからいいのよ。中和剤になれるじゃない。それはすごく重要なパートよ」と言われて以来、『どうということはない』のもひとつの個性なんだと思うようになった。
こんなにバラバラの私たちだったが、なぜかとても気が合った。多感な時期に3年間同じクラスだったので、もちろん喧嘩は数え切れないほどした。
「もう絶交よ!」
「こっちだって!」
こんなやりとりは何回も繰り返されたが、その度にお互いの必要性を感じて、絆が深まっていった。
今まではお互いのツボを心得ていて、喧嘩をすることはほとんどない。意見が食い違っても、感情的に言い合わずにすむので、逆に自分にとってプラスになるのだ。
佐智子の、相変わらずの手回しのよさに私と春菜が感心していると、窓をコツコツと叩く音がした。見ると萌がニコニコしながら手を振っていた。
「おはよ。今日は寒いねぇ」
車に乗り込んできた萌は、遅刻をわびるでもなく、あっけらかんと言った。そんなことにも慣れている私たちは、「ほんとだよね」などと相づちを打ちながら車を発進させた。
ちょうど30分後、私たちは芽衣の家に着いた。
芽衣は親元を離れてひとり暮らしをしている。実家が遠いわけではないのだが、いろんな意味で自立するためにと始めたひとり暮らしは、芽衣にとっては大成功だった。今まで苦手だと思っていた掃除や料理などの家事一切に、芽衣はめきめきと頭角を現した。今ではそこらへんの主婦よりも優秀だ。
「いらっしゃい」
インターホンを押すと、すぐに芽衣が顔を出した。
「ごめんね、わざわざうちまで来てもらっちゃって。さ、入って入って」
「お邪魔しま〜す」
私たちは口々に言いながら、出されたスリッパに足を入れた。
リビングに入ると、食欲をそそる匂いがたちこめていた。
「うわ、なんかおいしそうな匂い!」
手土産のケーキを渡しながら言うと、芽衣はいたずらっぽく笑いながら答えた。
「この前ドタキャンしちゃったお詫びに、今日は特別に腕をふるったの」
「そう言えばそうだったね。体調悪いって言ってたけど、もう大丈夫なの?」
佐智子が聞いたのだが、芽衣の答えを聞く前に萌が声をあげた。
「あ〜ん、私、急にお腹すいてきちゃった。ねぇ、もう食べようよ」
わがまま娘、萌の一言で少し早めのランチを始めることが決まった。もっとも私たちもお腹がすいていたので、今回ばかりは萌を誉めてあげてもよいくらいだった。
芽衣の料理はまたレベルアップしていて、これで商売ができるんじゃないかと思うくらいおいしかった。私たちはくだらない話をしては大笑いしながらランチを楽しんだ。
「もうダメ、お腹いっぱい」
萌が絨毯の上にごろんと横になった。
「萌、そんなことしたら牛になっちゃうよ」
佐智子が冗談まじりに注意すると、萌は開き直って言った。
「いいもん。だってもう動けない」
「へぇ、じゃ、萌のケーキはみんなで分けちゃおっか」
春菜がニヤニヤしながら言うと、コーヒーを入れていた芽衣も調子を合わす。
「んじゃ、コーヒーも4つでいいよね」
「やだ、食べるわよ。それは別腹だもん」
慌てて飛び起きた萌に、私たちは大笑いした。
ジャンケンをして、順番に好きなケーキを取っていく。私はこの争奪戦が得意だ。今日ももちろん勝ったので、1番のりでケーキに手を伸ばす。
ようやく全員にケーキが渡って食べ始めると、芽衣が口を開いた。
「私、ガンなんだって」
あまりに唐突で、しかもごく普通にケーキの周りのフィルムをはずしながら言うので、私たちは混乱した。
「今なんて言ったの?」
「ガンだって」
「誰が?」
「私が」
「ガンって何?」
「ガンはガンでしょ」
一瞬の沈黙の後、やっと頭の中に芽衣の言葉が浸透した私たちは、途端に口々にしゃべりだした。
「どういうこと!?」
「どこのガンなの?」
「なんで芽衣が」
「いつ分かったの?」
芽衣はその様子に苦笑いしながら言った。
「そんなに矢継ぎ早に質問されても答えらんないよ」
そんな芽衣に、珍しく春菜が声を荒げた。
「ちょっと! 何のんきに言ってんのよ。そんなね、話を振るだけ振っといてほったらかしにしないでよ!」
泣き虫の萌はもう泣いている。佐智子は黙っていた。私はどうすればいいのか分からなかった。
「ごめん。そういうつもりじゃなかったんだけど、あんまり深刻にならずに聞いてほしくて……」
芽衣は素直に謝った。
「分かった。じゃ、みんな、落ち着いて聞こう」
春菜が言うと、佐智子が促した。
「芽衣、初めから順を追って詳しく説明して」
芽衣はコーヒーを1口すすってから話しだした。
「2、3ヶ月前かな、お腹の下のほうに何かしこりがあるように感じたの。初めは気のせいだと思ってたんだけどね、なんだか気になってきちゃって、病院に行ったの。そしたらもっと詳しく検査をしようってことになって。その検査が、この前みんなとの約束をドタキャンした日にあったの」
「それならそうと言ってくれたらよかったのに」
春菜が不満そうに言う。
「でも心配させたくなかったし、検査結果が出てからでいいかなって思って」
「それで? 続きを話して」
佐智子が芽衣をせっつく。
「うん。で、いろいろ検査をした結果、卵巣ガンだって確定したの」
私たちがかける言葉を探しながら戸惑っていると、佐智子が冷静に現実的な質問をした。
「で? 現状はどうなの? 今後どうやって対処していくの?」
「とりあえず、来週入院して手術することになってるの。手術日はまだ決まってないんだけど、卵巣2つともと子宮、全部取っちゃわないといけないみたい」
「卵巣2つともと子宮!?」
私は思わず声を上げた。
卵巣も子宮も取ってしまうということは、赤ちゃんを産むことができないということだ。まだ若くて独身の芽衣にとって、これほどショックなことはないだろう。
見回すと、春菜も佐智子も萌も、何ともいえない表情をしていた。きっと3人も、私と同じことを考えているのだろう。
言葉を失って黙りこくっている私たちに、芽衣は明るく言った。
「心配しないで。手術しちゃえば治るんだし、子供を産めなくなることも、私、そんなショックじゃないんだ。前からあんまり子供好きじゃないって言ってたでしょ? ちょうどいい言い訳になるってもんよ」
「うん……」
「深刻にならないでって言ったでしょ。ほんとにすぐ治っちゃうんだから」
芽衣が苦笑いをしながら言ったので、私たちもようやくいつもの私たちに戻った。
「萌もいつまでも泣いてないで。泣きやまないと、ケーキ食べちゃうよ」
「ほら、ティッシュ」
春菜は萌に箱ごと渡しておいて、芽衣に言った。
「病室とか、はっきりしたら教えて。いるものがあったらいつでも言ってね」
「うん、分かった。ありがと」
「そうだ、毎日みんなでお見舞いに行っちゃおっか」
「えー、そんなことされたら、うるさくて治療なんてできないわよ」
「何よ、迷惑だって言うの? よし、ほんとに毎日行ってやろっと」
「やだー!!」
私たちは笑った。
卵巣ガンについての知識なんてなかったが、治ると信じていたから、いつものように笑っていられた。
知らないということは、とても幸せで、とても残酷なことなのかもしれない。
私たちはまだ、笑うことの難しさを知らずにいた。




