表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

再会は恐怖の調べ

作者: 野良にゃお

再会は恐怖の調べ



 うとうと。

 ゆらゆら。


 ………。


 頭のすぐ上で緩やかに穏やかに、まるで僕という本体から離れたがっているかのように、僕の意識が僕から離れて浮かび上がろうとしている。そして、僕の母体であるところの身体はその逆を行くかのように、下へ下へと沈みかけている。もしかしてこれって、分離中だったりしてね……。


 ざ・幽体離脱?


 勿論、そんなワケがない。浮かび上がろうとしている僕の方から沈んでいく僕を眺めているワケではないし、かと言ってその逆でもなくて、言うなれば第三の存在にして本体である僕の魂? は、浮かび上がろうとしている僕と沈んでいく僕の中間で、冷静に状況を見守っているからだ。だってほら、こんなふうに実況中継しているくらいだもん。


 そんなワケで。


 時間にしてどのくらいなのかは判然としないこのひとときはもしかしたら、至福と表現しても何一つ差し障りないのではなかろうか? と、思わずにはいられない感じずにはいられない僕は今、そんな至極の状態にいるのだけれど、回りくどく言わず簡単に言ってしまえばガン寝まで残り僅かといったあたりを漂っているって事です。


 むにゃむにゃ。


 朝晩だけでなく、日中でも寒さを実感し始めだしてきた九月の終わり。そんな頃に訪れた、久しぶりのポカポカ陽気。所謂ひとつの通勤ラッシュの終わりのあたり。朝と昼の間の少しだけ昼寄りな時刻。普段は移動の殆どにスクーターを使用している僕だけど、今日のような場合は決まって電車を利用している。なので、帰りも電車です。僕は今、ガタンゴトンという息をたてながら走る電車の中。僕がいるこの車両には、今のところ僕しかいない。先程の駅で降りた人が二人いたが、僕が乗り込んだ時にはその人達しかいなかったので、その女性二人以外に誰が乗っていたのかは知らない。先程までいたその二人のうちの一人には興味を持ったけど、他にどんな人が乗車していたかなんていう興味は少しもない。そして、ジロジロと観察したり声をかけてこの出会いを引き寄せてみるという勇気はないので、よく見てもいないままその出会いは敢えなく終了。しかし、後悔する程の事ではない。声をかけた方が後悔するし。万が一で女神が微笑んでくれたりなんかしたとしても、天国滞在期間は短い時間だけで、その後はきっと地獄まで真っ逆さま。僕は嘘や隠し事が下手なのです。約束破って余所見なんて度胸もない。むにゃむにゃ……むにゃ。程よい暖房。椅子の下からも暖かい風。程よい振動。座っていると、ゆらゆら、ゆらゆら。う~ん心地良い。飼い主が住んでいるアパートがある駅まで、まだあと11駅もある。長いよね。やっぱり眠っちゃおっかなぁ……実籾って遠いよね。だから、行き帰りは電車を利用している。しかも、三回くらい乗り替える。今日の場合とは、つまりそういう事。世間一般でいうところの恋人でありステディーであり彼女である僕の飼い主は実籾に住んでおり、そこで僕の到着を心待ちにしてくれている。世間一般でいうところの恋人でありステディーであり彼氏である相方の僕は、夜勤明けの寝不足な状態のまま職場から飼い主宅へと直行中。待っていてくれるって嬉しいものでむにゃむにゃ……なんだかもう限界みたい。睡眠の世界へ、いざ行こう……。



「トモさん」


 ん?



 邪魔されたみたいです。誰かが呼んでいる。しかも、聞き覚えのある声。


「ねぇ、トモさぁ~ん」


 あ、里奈の声だ。


 ふにゃっとした柔らかな声。


「トモさぁーん」


 懐かしいな……あれ?


 でもどうして、里奈の声が聞こえてくるんだろ……。


「ん……」僕はゆっくりと目を開けた。まだ睡眠世界の住人登録を終えたばかりだったけれど、気分はすっかり古株だったから、ゆっくりとじゃないと開かなかった。

「……ん」その視界の左端、至近距離に朧気に、何らかの気配を感じる。

「……リナ?」徐に瞳を横に回転させると、隣に座っている里奈と視線がぶつかった。やっぱり里奈だったか。いつから居たの? 二人掛けのボックス席に座っているのに、今の今まで全く気づかなかったよ。そういえば里奈って、音もなくスーッと傍に来て背中越しに抱きついてきたりするんだよな。何年ぶりになるのかな……頭が思うように働いてくれない。


「起きたですか?」

 いや、起こされたんですけど里奈さんアナタにね……ん?


 どうして里奈が居るの?

 どうして? 何故?


 えっと、えっと、えっ……。


「と、いつからそこに?」落ち着こうと言い聞かせながらも、ぎこちなさ全開だった。


「伺おうと駅を出たあたりでお見かけしまして、それで後をついてきまして、隣の車両から熱視線をずっと送ってたですが、トモさんがねむねむってなったあたりでにんにん、横に座ってみました」


「そ、そそ、そうだったんだ……あああのさ、ひさ、ひさっ、久しぶり、だね」あきらかな動揺をみせてしまっているだろうと自覚しつつも、なんとか笑顔を作ってみる。


「はい。トモさんに捨てられて以来です」

 里奈のその声にトゲトゲしさは感じられなかったが、微笑んだその表情は僕の眠気を完全に吹き飛ばした。


 目だけが、

 笑っていなかったから。


「あうっ、く……痩せたね、リナ」あの頃も華奢で小柄ではあったけれど、それでも気づくくらいに痩せ細っている。拒食症と診断されても間違いではないくらいだ。


「はい。やつれちゃったんです……トモさんが捨てちゃうから」

 ヤバい。墓穴を掘ってしまった。さながら自爆だ。でも、捨てたっていうかあれはさ……。


「そ、それは」里奈が、その……。


「あ、冗談ですから気にしないでください。イニシアチブをとろうと目論んでるだけです」

 慌てる僕を横に、里奈が再び微笑む。

「トモさん何も言わずにお引っ越ししてたですから、捜しちゃいましたよぉ……ってアタシ、隔離されちゃってたから仕方ないですよね」

 自身を納得させるかのようにそう言うと、里奈はうんうんと頷く。


「出てもよくなったの?」すっかり眠気が覚めたので、この状況が意味する事態を早急に考えようとすると、途端にイヤな予感が背筋を寒々とさせる事で自己主張してきた。


「はい。半年くらい前に漸くです。でもトモさん、携帯電話も替えちゃってたですから連絡できませんでした。それに、職場も」

 里奈はそう説明すると、ちょっと拗ねた感じで頬を膨らませる。


「行ったのか?」

「勿論ですおー」

 そして柔らかに微笑む。目、以外で。


「だって、会いたかったですもん」

 そして、柔らかな声。


「そっか……」けれど、僕は固まる。里奈から目が離せず、何も出来ない。



 ぶっちゃけ、怖い!



「捨てられたんだっていう事実を飲み込むのに時間がかかりました。どうしたらイイのか判らなくて壊れちゃいそうにもなっちゃいました。でもね、トモさんにはトモさんの事情があったんだろうって、そう思いました。そう思ったです。捨てちゃう事情があったんだって。自分の事ばかり考えちゃダメだって。アタシ、成長したでしょ? あの箱の中に居た頃に、成長しないと捨てられちゃうって怯えてたですから、だから頑張ったです。そしたら出られたです。捨てられちゃってましたけどね。でも、トモさんのおかげなんです。成長したアタシを見てもらいたかったから。でも、トモさんは居ない。何処にいるのか判らない。見てもらいたいのに。見てもらえば、トモさんは優しいから、アタシを、また……ね?」

 里奈の表情から、柔らかな微笑みが徐々に徐々に消えていく。

「だからアタシ、奇跡を待つ事にしたです。滅多に起きないのが奇跡。だけど、頑張って生きてれば起こるかもしれないのが奇跡。アタシはその奇跡に縋るしかなかったです。だって、死ぬ勇気なんてないですもん」

 視線を定めず、独り言のように、けれどまくしたてるように、思いの丈を話し続ける。

「だから、死んでやるなんてウソ。アタシを捨てたら死んでやるなんてウソです。あれはトモさんを繋ぎとめる為のおまじないでした。死んでやるって唱えれば、トモさんはいつだってアタシを優先してくれた。アタシが独占できた。アタシだけのモノでした。でも、使いすぎたからなのかな……おまじないは効力を失い、アタシはトモさんに捨てられた」

 その声が震えを帯びて大きくなっていく。

「それでも、死ぬ勇気なんてありませんでした。だからアタシは、生きるしかなかった。奇跡を信じて奇跡を夢みて、生き続ける毎日でした。奇跡が起これば、しがみついて軌跡にしてやる……って、そう思ってたです。毎日、毎日、毎日、毎日! 毎日毎日毎日毎日毎日!」

 定まっていなかった視線が僕を捉えるや否やピタリ、そのまま捉え続ける。

「毎日ですよ毎日……朝も、昼も、夜も、何をする時も、何をしている時も、どんな時も、呼吸と同じ休まる事なく、トモさんだけを思い浮かべながら生きてきたです。そしたら、奇跡は起こりました。トモさんを見つけたです」

 その表情が微笑みを纏う。

「えへへ……アタシ、飲み込んだですけど受け入れる気はないですから」

 両の目、以外は。

「愛してるです、トモさぁん……」

 その顔が近づいてくる。小さな手が二つ、僕に絡みつき、両の目が閉じられる。


「う、リ、リナ……」僕は固まったまま動けず、僅かな時間を要した後、唇が優しく重なる。更に僅かして唇が離れると、今度は舌が頬を這いずる。ぺろっ、じゅる、れろっ、じゅるる。二度、三度、何度も。


「トモひゃん……」

 それから暫しした後、それを堪能し終えた里奈は、頬を合わせるようにして僕に抱きつく。

「ところで……何処に、行くですか?」

 そして、僕の耳のすぐ横でねっとりとした声を響かせた。

「もしかして、あの女の……アタシの担当医だったあの女の所、ですか?」

 発した言葉とは裏腹に、確信に満ちた問いかけだった。


「アタシからトモさんを横取りしたあの女、死んじゃったみたいですよ」


「ええっ?!」僕の顔から血の気が失せていく。まさか……。


「罰があたったですね、きっと」

 僕の心臓が激しく鼓動する。

「あ、これは奇跡です。これこそ奇跡奇跡奇跡ですよぉー! 邪魔ですから、あの女。いなくなってよかったです。トモさんもそうでしょ? だってこれで、何の躊躇いもなくアタシを……ね?」

 それに呼応するかのように、身体の震えが強くなる。

「今まではアタシが隔離されちゃってたですから、他の女を代用するのは仕方ないです。だから恨んでなんかないですお。だって、アタシのせいですもん。ホントにそう思ってるです。成長したでしょ? でも、こうして出てきたですから、もう浮気なんかしちゃダメですおー。しかも、あんな勘違い女なんかと……でも、トモさんの連絡先が判らなかったですから連絡できなくて、だからトモさんはアタシが出てきた事を今の今まで知らなくて……うん。だからトモさんは、何も悪くない。悪いのはあの女! あの女です! 出た事を教える為と、これからまた何かあったら宜しくお願いしますって言う為に、アタシは病院を訪ねたです。そしたらまた、定期的に通う事になった……監視と洗脳をする狙いだったんですよあの女! トモさんの事を隠し続けて、忘れなきゃダメとか言い続けて、アタシが拒み続けると強制的に入院させようとして……でも、それで判ったです。あの女、トモさんの事をトモって口走っちゃった。半年も騙して! 隠して! 偽ってたのに! あの女、トモさんの事を松原くんとか彼とか言ってたのに、ついつい親しげにトモって言っちゃった……あはは! ずっと担当医だったから信頼してたのに、バレたら豹変してただの浮気相手の分際が性欲処理の道具が本妻気取りで! だからあんなのあんなヤツ死んじゃえばイイんですよぉー!」

 繋がった。たぶん、全てが繋がった。そっか……香織さん、知ってたんだ。それで、急に僕を束縛するようになったんだ。僕が里奈を選ぶと思って。里奈ちゃんを忘れなきゃアナタもダメになる……そんなにも大切に想われてる里奈ちゃんが羨ましい……もしも私が恋人だとしたら、私でもそこまで大切にしてくれるのかな……か。僕はまんまとオチたけど、香織さんとの毎日を幸せに感じていた。だからかな、カラクリを知った今も騙されたとか裏切られたみたいな感覚はない。でも、里奈からしてみればそれは……仕打ちであり、裏切り。

「アタシ、今でも憎いです……殺してもまだ殺し足りないです!」

 あの女は死んだと里奈は言った。


 そんな事、

 いつ知ったの?


「ねぇ、トモさん……帰ろっか」


「………」そんなの決まってる。


 だって、


『殺しても』


 殺し足りないのだから……。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ