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ほら穴、傘.

作者: あれすぅ

幼い頃に僕は山に囲まれ乾いた町に住んでいた。

 僕が住んでいたのは、山を切り開いて出来た新興住宅地だった。

 そこは、酷く退屈な場所だった。

 新しくできた住宅が団地を形成し、周りにはコンビニエンスストアが二、三店舗点在するだけだった。

 そのコンビニエンスストアも通学路に外れた所で店を開いていたため、放課後の道草をすることもできない。

 とにかくも無駄に自然が溢れている地域だった。

 通学中、綺麗に舗装されたばかりの陸橋で、顔を横に向ければいくつもの山が並び、車一台やっと通れそうな砂利道の横に古ぼけた民家が建っていた。

 住んでいる団地は真新しい家が立ち並び、そこから少し歩いていけばただの田舎がある。

 夏になれば、小川に蛍がエメラルドの輝きの如く緑の星を携えて乱舞しささやかな一夏の宴を開く。

 冬になれば、辺り一面雪景色となり、くすんだ灰色の空と冷たくも真白な地の淡い色彩の世界が出来上がる。

 その中を歩くと、まるで卸されたばかりのワイシャツについた小さな黒いシミになったような気分になった。

 

 そんな奇妙な地域で僕はある不思議な体験をした。

 いつも通りの下校途中。元来、物静かで人付き合いの苦手な僕には友達と言えるような存在はいなかった。

 当然一人で居る事の方が多い。その日も僕は一人で帰り道を歩いていた。

 他の生徒が通る道をあえて避け、僕は普段誰も通らないような裏道を使う。

 地面が剥き出しになっている獣道を歩き、天へと手を伸ばし続ける竹林の中を行く。

 夏の陽光が、いくつも枝分かれたした笹の葉の網に遮られ木漏れ日となり、小さく生えた雑草や黒いシミのような僕に降り注ぐ。

 熊出没注意の看板。

 何度もここを通った事はある。だが幸いと言うべきか一度も熊と遭遇した事はない。

 たまには、出て来ても良いのではないかと思った。むしろ、熊が生きていて元気であるのかどうか心配になるほどだ。

 そんな事を考えていると、突然雨が降り出す。あいにく傘を持ち合わせていない。

 どこか雨宿り出来る所はないか。

 獣道の途中で、地蔵が祭られている小さな祠があった。

 しゃがんだ自分がやっと納まるような場所でで雨宿りをしようとするが風も吹いて来て体中に雨を浴びてしまう。

 動く事のない地蔵もその雨を無防備に浴び、その石の色を暗くさせられていた。

 他に雨宿りできる良い場所はないだろうか。

 周りを見渡すと竹林の先の急な斜面にぽっかりと開いたほら穴が見えた。

 あそこなら雨露を防ぐのに打って付けだろう。

 ぬかるんだ地面を蹴り、ほら穴へ向かって走る。

 透明な水の矢が頬に突き刺さり、痛みを感じる。

 

 ほら穴の入り口で、僕はしばらくの間、雨がやむのを待っていた。

 風に向きを変えられ、強弱を付けられて降り続ける雨は、風というタクトを持つ指揮者に従って演奏するオーケストラのようだった。

 地面に落ちる音がリズムを奏で、雷鳴がそのリズムの合間に響き渡る。

 辺りを暗くじめじめとした空間に形成しながらも、自然の荘厳さを紡いでいる。

 決して優しい感情を表現するような調べではなく、力を持った壮大な物を感じさせる調べだった。

 そんな調べを十分くらいは聴いていただろうか。

 雨と風と雷鳴の絡み合う調べは、鼓膜の奥に張り付いてくる。

 いつまでも聴き続けるのは退屈な物だ。

 振り返り、ほら穴の暗闇に視線を向ける。そこには、キャンパスにべったりと塗りたくられた純粋な黒が漂っている。

 そのほら穴の深さを確かめるため大きな声を発してみるが、こだまで自分の声が返ってくることはなかった。

 もっとも自分の声はオーケストラの調べに掻き消されただけなのかもしれない。

 聴き飽きた調べから逃れるため、ほら穴の奥へ歩いていく。

 中はなだらかな坂道になっており、そこを壁に手を沿えながら下っていく。

 雨の調べと光は届かなくなり、体中に闇が纏わりついてくる。

 闇と僕の境が曖昧になり、同化して僕の存在なんか無くなったかのように思えた。

 だが、手から感じられるザラザラとした土の感触と、濡れて冷たくなった靴からの土を踏む音が、僕を確固とした一つの存在として維持し続けていた。

 

 雨の音が聴こえなくなった。

 そこで、歩みを止めてもよかったのだが何かに誘われるように僕は暗闇を進み続けた。

 やがて、奥の方から水色の光が届いてくる。

 何か工事をしているのかとも思ったが、水色の照明というのも不思議だと思った。

 僕はそこへ向けて歩いていく。


 そこには、小さな泉があった。

 縦方向に規則良くおうとつが彫られている四本の石膏の柱。そしてその柱を繋ぐように石膏の足場が泉を取り囲んでいる。

 頭上に目を向けると天井は見えなく暗闇が漂っており、照明など無かった。

 水色の光を放っていたのは、その泉だった。

 そして、その泉の中央には秋の淡い青空を連想するような水色の長い髪を持つ少女がいた。

 少女は肩から腰にかけてなだらかで美しい曲線を描く背を僕に向け泉の水を手で掬い取り、華奢な裸体に浴びせている。

 太腿は泉に沈み、淡い水色の髪から僅かに覗かせる首は、天使の羽を思わせるように白く、すぐに折れてしまうのではないかと思う程に細かった。

 長い指先をそっと閉じて、その小さな掌で水を再び掬い取り肩に浴びせる。 

 僕はその泉に近づいた。僕の足音に気付いたのか少女は水がしたたる長い髪を静かに靡かせ僕の方へと振り返った。

 

「いらっしゃい」

 

 少女の第一声は歓迎の言葉だった。

 そして、その声とともに泉から蒼白く光る雫が飛び出し、少女を取り囲むように浮かび、微動する。

 雫に照らされた少女の裸体はより一層白く見え、少女自身が光っているかのように思えた。

 瑞々しい果実のような紅色の瞳、葉の先の様に細く長い睫毛、整った高い鼻筋、淡く散るサクラのような色をした唇。

「こんな所で何をしているんですか?」

 艶やかで、水を弾いている乳白色の小ぶりな双丘に戸惑いながらも疑問を口にしてみる。

 少女は薄暗い中、後姿で見たときよりも、腰は思った以上に細かった。

 そしてその腰の中央は水色の茂みに薄く覆わて、重力に従い体を伝ってくる露を垂らしていた。

「何って水を浴びているのよ。わからない?」

 少女は裸体を晒しているにも関わらず臆面も無く言葉を発している。 

「それは見ればすぐにわかりますよ」

 なぜ、彼女はこんな所にいるのか。しかも、水浴びをしている。おまけに漂う雫に、光を放つ泉……

 夢を見ているのだと僕は思った。

「それにしてもよくここまで来れたわよね。長い事誰も来た事がないというのに」

 少女は目を瞑り、顎に手を当てて神妙な顔付きで語る。

「ほら穴を進んでいったらここに辿りついたんです。雨宿りをしようと思って」

 少女は、目を開きを僕を上から下までなぞるように見てから、なるほど、と頷いていった。

 歳は、僕より少しいくつか上だろうか。

 少なくとも未成年だろうとは思った。

 だが、決して子供というわけではなく、これから大きな花を咲かせるだろうと思わせる”つぼみ”のような女性になるつつある体つきだった。

「濡れているようだし、水浴びしていく? なんなら背中を流してあげてもいいのよ?」

「いや、いいです」

「恥ずかしがらなくてもいいのよ?」

 恥ずかしいというのも、もちろんあったが得体の知れない泉に入るというのも抵抗があった。

 下手したら最後、どっかの偉人のように洗礼された後に、磔にされて死ぬ事になるかもしれない。

「いや、結構です」

 少女は、口を尖らせて不満そうに、釣れない子ね。乙女がこうやって裸を見せてあげているっていうのにと何やらぐちぐちと呟いていた。


 押し売りもいい所だ。


「まあ、キミが最後のお客さんになるかもしれないわね」

「どういうことです?」

「私は、困った人たちを助けるお手伝いをしているの。けれども、そろそろ私もお勤めご苦労さん、する時期なのよ」

 なるほど。第一声がいらっしゃいだったのもそういうわけだったのか。

 それにしても、泉で水浴びをして、手助けするような人なんて聞いた事がない。

 おかしな人だと思った。

「わざわざ、ここまで来たのだから、大体の事なら叶えてあげられるわよ。何か願いはある?」

 いきなり願いと言われても、困ってしまう。

 色々と面倒な事はある。

 学校の事や、家の事。不満を言い出したらキリが無かった。

「何かある?」

 少女が紅色の瞳をこちらに向けながら聞いてくる。

 特に思い当たる願い事はなかった。

 だが、あえて、あげるとしたらそれは……

「傘」

「え?」

「傘をください。早く家に帰りたいんです」

 外のあの状況じゃ家に帰れそうになかった。

 傘があれば、なんとか荷物を濡らさずに帰り、ゆっくりとゲームで遊ぶ事もできそうだ。

「本当にそれでいいの?」

 少女は目を大きく見開いて口を大きく開けている。

 鳩が豆鉄砲を喰らったというのはおそらくこういう表情のことを言うのだろう。

「ええ。傘をください。ゲームが早くしたいんです」

 そう言うと少女はお腹を抱えて、ほら穴全体に響き渡るような大きな笑い声をあげた。

「そんなに変な願いでしたか?」

「……いや……今までと違った願い事だと思ってね……クククッ……」

 必死に笑いを堪えようとするが一向に、その笑い声は収まらない。

 そんなに笑われると馬鹿にされたようで、気分が悪い。

「昔は良く、病気を治して欲しいだとか、作物が枯れそうだから雨を降らせて欲しいだとか、良く言われて大変だったんだけどね……もう私自身も潮時のようね……」

 笑い声は止み、少女は過去のことを振り返っているのか目を瞑り、淡々と喋る。

 それにしても、こんな少女に無理難題を要求した人間がいたのだと不思議に思った。


「わかったわ。傘でいいのね」

 彼女は深呼吸をし両手を泉へと沈み込ませていった。

 そうすると泉が強く輝き、波紋を拡げていく。微動していた雫が急に激しく乱舞しだし、少女を中心として風が渦巻く。

 僕はその光景に驚き腕で顔を隠しながら、少女を見る。

 長い髪は風とともに揺らめき、沈んだ両手は未だ強い水色の光を放ち、辺りを照らし続ける。

 やがて、風が止み長い髪は下ろされ、強い光は失われた。

 先ほどまで、乱舞していた雫は先ほどのようにゆっくりと微動しながら、夜空に浮かぶ星のように漂っていた。

 少女はゆっくりと両手を泉から上げた。

 その両手には、横になった傘が収められていた。

 確かに、傘なのかもしれない。

 だが、それは傘は傘でも大きく鮮やかな緑色をした茎の長い木の葉の傘だった。

「いやいや、待ってください! 確かに雨露は防げるかもしれないけど、もっとまともな傘にしてくださいよ!」

「うーん。傘っていわれてもあまりよくわからないのよね。それに私にはもう力はほとんどないわけだし」

 少女はその大きい葉の茎を持ち、泉の前にいる僕の方へ、小さな波音を立てながら近づいてきた。

 そして、僕の手を掴みその茎を握らせた。

 さすがに間近に来られると胸の鼓動が高まった。

 手に程よく収まりそうな砂漠の砂丘を思わせる胸の膨らみ。その感触は果たしてどのようなものなのだろうか?

 もしかしたら弾力などはなく、掴んだら砂の如く掌から零れ落ちてしまうかもしれない。

 それほどまでに、綺麗な乳白色をしていた。

 そして、その丘にはオアシスの木になるような瑞々しい果実が、砂漠と色を隔てて存在している。

 生まれて初めて他人の少女の裸体を見ているというのに、鼓動が高鳴りつつも、冷静に観察している自分に驚いた。

 それは、もしかしたら少女が現実離れした容姿をしているからかもしれない。

 まるで図画工作の教科書で見た石像を見ているようにも思えた。

「……ありがとうございます……一応……」

 多分、今の自分の頬は赤く染まっているだろう。

「素直でよろしい!」

 そう言うと少女は僕の頭を揺れた右手で撫でてきた。

 僕よりも身長が低く、少女は自然と背伸びする形となり、目の前には小さな砂丘が目の前に迫る。

「やめてくださいよ!」

 僕は後ずさりして言った。

 なぜ、彼女はこうも恥じらいがないのだろうか。そして、ひどく年上ぶっていてまるで母親か何かに思えた。

「ふー。さて、これで私の役目もおわりね」

 やっとすべてが終わった。そんな安らぎに満ちた笑顔を少女は浮かべた。

「気をつけて帰りなさいね」

「ありがとうございます。じゃあ僕はこの辺で帰ります」

 元来た方へと歩みを進めようとした時、後ろから、待って、という声が聞こえてきた。

「最後の人だから……これをあげるわ」

 少女が掌に乗せていたのは、蒼く透き通った珠で紡がれた数珠のブレスレットだった。

「お守りよ。大事にしてね。私自身みたいなものだから……」

 ブレスレットを受け取り、傘を持った手と反対の左手首に付けてみる。

 きつ過ぎず、緩みすぎる事も無く、ちょうど良い締め具合だった。

「帰りはまた私の裸を見ようとして振り返っちゃ駄目だからね。絶対」

「見ませんよ……色々とありがとうございました」

「うん。さようなら」



 僕は来た坂道を登り、地上へと戻ってきた。どのくらいあのほら穴の中にいたのかはわからない。

 すでに陽は沈み、雨も風も止み、ただ地面には大きな水溜りがあちらこちらに出来上がっていた。

 結局木の葉の傘を使うことなく僕は無事に家にたどり着いた。


 それから、少ししてまたあの獣道を通る事があった。もう一度あのほら穴を見てみようと探したが、どこを探しても見つからなかった。

 木の葉の傘は枯れてしまいすでに土に還ってしまっていた。

 あの出来事は夢だったんだろうかと思う。


 だが、僕の左手首にはあの日の泉と少女の髪の色を思い出させる蒼く透明な数珠のブレスレットが輝き続けている。


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