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08






はたして、それはエナ・ティラカ・サラシュバティ・ウルリクにとって、あまりに筋書き通りの展開となった。


「ティラカ前王陛下、お初にお目にかかります。わたくし、ティム・イリヤー・サラシュバティ・レクリア、…ティメト王の娘にございます」


イリヤー姫。

ティメト王。

むろん、どちらも知らない名前である。

今現在一七歳というイリヤー姫は、逆算すると内乱勃発当時一二歳ということになる。ルン王国の王族の一二歳の姫となれば、すでにそのころから婚礼の話は入っていたであろうし、血族婚の多いルン王族内のこと、当たり前のように若き国王につがわせようと彼の元にも縁談が舞い込んでいたに違いない。

しかし、そんな名前の姫君は聞いたこともない。それどころか、新国王となったティメトという男ですら、ハルミの脳内人名簿に登録の形跡すらなかった。

血族というのもはばかられるほどのとてつもない遠縁か、さもなくば革命政府とやらの用意したまったく偽者の王族か、どちらかしか考えられない。


「ご不審に思われるのは当然でございます。わが父ティメトは、三代前にイギリスに遊学に出たのち現地の娘と恋に落ち、そのまま駆け落ちした王子の末にございます。三年前、高校の教鞭をとっていた父のもとに、ぜひにもと招聘の話がまいりまして…」


三代前の、駆け落ちするような浮薄者……頭をめぐらせていたハルミは、ひとりの当該者を見つけ出して、思わず手を叩いた。


「アマルか!」


彼の口にした名前に、ようやくイリヤーの緊張しきった顔がほころんだ。


「曾祖父の名前です」


彼の答えが、そのままハルミ自身の正体を証立ててしまったわけだが、そこは転生を重ねる者の厚かましさで、無関係をよそおうことになんらためらいはない。


「…で、ぼくのいまの名前は、野分ハルミなんだけどね」

「は…?」

「血縁もないし、とりあえず関係ないよね」


ががーんっ!という擬音がイリヤーの脳天にこだましたようすがありありと見えたが、ハルミはむしろそれを面白そうに眺めた。


「ま、そういうことです。イリヤー姫殿下」横で黙って聞いていたミユウが、突き放すように目配せする。その目配せが京都風にいえば「ブブ漬け」を出しましょうか(出てってもらえます?)を意味することは明白であったが、イリヤーは気丈にこぶしに力を入れると、まっすぐにハルミの目を見つめた。


「ルン王国をお救いください」


その強いまなざしからハルミを守るように、ミユウがふたりの間に割ってはいった。


「手を噛むどころか主人を食い殺した愚か者たちに、どんな救いが必要だとおっしゃるので? 王女殿下。…願う筋が違うことを理解したのなら、もうお帰りなさい。あなたの国へ」


イリヤーの燃えるような視線に対して、ミユウのそれはこんこんと湧く泉の水面のように静謐である。しばらくして、音を上げたのはイリヤーのほうだった。

イリヤーは声もなく泣き崩れた。






場所を遊具室に移して正解だった。

イリヤーが何かを叫びだしそうな気配にいち早くミユウが動き、彼女を桃組の教室から遠ざけた。職員用トイレと遊具室の二者択一でトイレを選んでいたら、彼女は衛生状態のあまりよろしくない場所でひざを突いてしまったことであろう。


「ルンは、外国に切り刻まれて壊れてしまったんです…」


嗚咽しながら独白したイリヤーの言葉が耳を離れない。


「《チベットの奇跡》を目当てに、彼らは軍部に過剰な投資を行い、革命を裏であやつっていました。彼らは力尽くで接収したダイヤの鉱山がほとんど尽きかけていたことに腹を立てました。…それで甘言を弄して呼び寄せた父を、国王の席に縛り付けてから激しく責め立てたんです」


《彼ら》とは、東南アジアを本拠に全世界に活動拠点を広げる強大な資本統合体である。いくつかの企業を核として巨大グループを形成した彼らは、その莫大な資金力で世界各国の資源権益に食い込み、国際資源メジャーの一角へと急成長を遂げた。

その巨大企業が、《チベットの奇跡》ルン王国の国営ダイヤモンド鉱山に目をつけたのは、納得はいきかねるが自然の成り行きではあったのだろう。

だが、すでに潤沢な資金を保有していたルン王国に、外国資本の参入する余地はなかった。

そうして、《彼ら》は冷徹な判断を下したのだ。食い入る余地がないのなら、その余地を『作って』しまえばいい。

《彼ら》は愚かな不平分子をそそのかして、革命による王室財産の接収という絵図を描いたのだ。


「彼らはいうのです! ルン王室は秘密のダイヤモンド鉱脈を国のどこかに隠していると! 我が家がルン王室から分かたれて、どれだけの時間がたったと思うんです! もしもかりそめに秘密があったとしても、それを部外者に等しい父が知っているはずなどないというのに!」


イリヤー姫の痛切な叫びは、遊具室の外にも届いていたに違いない。幸いであったのが、それがルン語であったことである。


「ルンの玉座にお戻りあそばしてください! 父をお助けください!」


そういって、イリヤー姫はハルミの手を押し戴いて、しばらく離さなかった。






まだ大人というには早い娘であったとしても、手を握る力は幼児の比ではない。まだ痛みの感覚が残る手をぷらぷらさせながら、ハルミはタイヤの遊具に腰を下ろしてつぶやいた。


「…もっとはやく、わが《王国》を復興させなきゃなんないかな?」

「さあ、それは」


隣のタイヤにはミユウが行儀よく足をそろえて座っている。

なんとも写真映えのする二人をひとつ離れたタイヤから嫉視して、マナミとレナがハンカチ噛みしめ地団太を踏んでいるのだが、ハルミはまったく意にも介さない。


「お早くとお望みでしたら、《例の鉱山》にお手を伸ばしてみてはいかがですか?」

「それはまだ時期尚早というものだと思う。まずはぼく自身の《力量》を示さないと。あれどもは一筋縄では統御できはしないよ」

「わたしがもう少し成長したあとでしたら、婚姻の形で我が家の資産をハルさまに譲渡できるのですが」

「ああ、もうそんな仮定の話はいいから。ティシャと結婚? うわっ、想像できない…」

「主上であっても、それは失礼というものですよ? …それに今生の容姿は、そう捨てたものではないと踏んでいるのですが」


立ち上り、くるりと体を回して見せるミユウ。そのつま先立ちの回転は、舞踏会慣れしたお姫様のように軽やかで優美だった。傍観者に落ちたマナミとレナは、後頭部をレンガで殴られたような衝撃を受けたという。


「それはまた別の機会に考えておくよ。…それよりも」


声をひそめたハルミに、ミユウが静かに顔を近づける。


「お気をつけになられたほうがいいのは間違いないですね。あの姫君にみつかってしまったのは、王室の《秘儀》について何らかの言い伝えを父祖からもたらされていたからと考えられますが、それだけでは一族が転生しつつある国が《ここ》という事実にたどり着く理由になりません」

「転生を果たした一族のなかに、裏切り者がいるとでも?」

「本人には《裏切っている》という自覚はないかもしれませんが……故国に戻りたいと願うものが出ないとは申せません」

「国許に連絡したばか者がいるのか…!」


そっと、ミユウがハルミの耳に口を寄せる。


「そう声を荒げられますな。聞く者が多うございます」


愛らしい幼児二人の『ナイショ話』の構図は、腐女子たちの心に世界を制する左ストレートを炸裂させた!


「しゃっ、写真よ~っ!」


いけない熱にうかされた保育士たちが、またいっせいに携帯のシャッターを切った。



*****



「ほんとうにバスに乗らなくていいの?」


帰りの送迎バスにひらひらと手を振って、ハルミはひとり帰り道を歩き出した。ゆっくり考え事に浸りたくなったのだ。

ならあたしも歩いて帰る、とマナミが騒ぎ出したが、ハルミは必殺技《乗ったふりして寸前脱出》を成功させた。未来の旦那さまのいけずな必殺技に、マナミの心は川原の枯れススキのようにざわざわと揺らめいたという。


「現時点での資産は…」


自分専用で作ってもらった通帳を広げてみる。

約二十万弱。

クイズ番組出演で幼児チームは百万円の賞金を手に入れたが、四人で分けて二十五万……さきのフリーマーケットの収益と合わせたら勘定が合わないことになるが、国庫横領犯は非常に近しい身内だったのでこれはいかんともしがたい現実として受け止めねばならなかった。

思い出すだけで血の気が引いてくる。収録日の一週間後、衝撃の事実がハルミを待っていた。


「…これ、なに?」

「ん~、マッサージ椅子」


ハハサマのここ何年来の希望商品だったのだそうだ。

で、だからどうして?


「だって~、臨時収入があったし」


うい~ん……気持ちいいのは分かったから。

原因は、テレビ局のバカチン経理がお金を現金書留で、ハハサマにチョクセツ渡してしまったためだった。残金はそんなときばかりに発揮される親の強権で、普段はしない外食やら洋服やら、予想外の浪費コンボに次々費やされた!

なんとか「子供の将来のために」というまっとうな理由をハハサマに思い出させることに成功して、半額ほどは回収できた。それで、二十万弱。


「あとは例の仕事(ジャリタレ)で小銭を稼ぐとして……はぁー」


ため息をつきながら歩いていると、そこへミユウの乗った黒塗りの高級車がすうっと横付けした。


「適当にそのあたりを流させますから、考え事なら車の中でされてはいかがです?」


考え込むのに歩くことが必須というわけでもなかったので、ハルミは素直に車に乗り込んだ。運転主がにこやかに幼いお嬢のご友人に挨拶した。五十がらみの、おそらくはミユウ専属の護衛兼執事なのだろう。

大人か…。

五十路を数えて適当に熟成された観のあるその運転手を見て、思わずため息をつく。

そうなんだよな、もうちょっと大人であれさえすれば、資金集めも別の展開が可能なんだけど…。

そんなことをふと思ったハルミの耳に、悪魔がささやいた。


「とりあえず賭け事で増やされたらいかがです?」


見ると、ミユウが珍しく口元に笑みを浮かべている。

そのときこの元近衛隊長の青年が、前世に非常に《高邁》な趣味を持っていたことを思い出した。

元手は少ないけれど、ともかく急いで増やさなければならない。

賭け事という響きにいやな感じはしたが、ハルミは臣下の助言に、是とした。






新生ルン王国の経済復興はなるのか?

エナ・ティラカ・サラシュバティ・ウルリクは、危険な賭けに出ることを決心した!


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