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すでに椅子として見る影もなくなった弾痕だらけのソファを蹴りつけるように竜人は飛び出した。
いまだ悠然と座ったままであるハルミめがけて、その鋭い爪を突きたてようとしたものか。宙を舞った全長4メートルにも及ぼう怪異の過剰な暴力が無防備な幼児を虫けらのように握りつぶすかに見えた刹那……その不可思議は起こった。
竜人の像がわずかにぶれて、次の瞬間パズルをばらしたようにまったくあらぬ方向へとその姿が吐き出される。そこに放置されていた給仕用のワゴンに体当たりするような形でぶざまに竜人が転がった。
「な…ッ」
ハルミの間近で絶句していた不運な傭兵は、次の瞬間竜人に弾き飛ばされてきたワゴンに横合いから強襲されることとなった。恐るべき硬度の外皮に包まれた怪物であるならいざ知らず、生身の人間に金属のワゴンは脅威である。
そちらでは残念ながら奇跡が起こることもなく、ワゴンに衝突した傭兵が万歳の格好のままくの字に折れ曲がって飛んでいった。ちょっとした交通事故レベルの衝撃映像だった。
目の前で何が起こったのか理解できぬげに、四肢を着いた竜人がうなりながら体勢を立て直す。その琥珀色の双眸に嚇怒の炎が燃えあがった。
ハルミは気もそぞろにソファで頬杖をついたまま、冷め切った茶を口にしている。
「…まずいな」
その短かな言葉は、事態の進展に対しての寸評ではなく、単に冷め切ったお茶に対してのものであったろう。
「なにが入れられているとも知れません。妙なものはお口になさいませんよう…」
「さすがに交渉前から毒なんて盛らないでしょ」
「…そういう油断は恐れながら『負けフラグ』と申すものでございます」
主従に交わされる場にそぐわない暢気な会話に竜人が苛立ちの咆哮をあげた。
(未開人風情がッ!)
竜巻のように身を翻したと見えた次の瞬間、うなりをあげる長い尻尾が主従を薙ぎ払うべく殺到する。
が、その攻撃が当たる一瞬、ハルミたちの姿がぶれて存在感が急速に薄まった。まるでホログラムにでも攻撃したかのようなあっけない空振り。
怒りに任せた乱打がさらに彼らを襲ったが、すべての攻撃が見事にかすりさえしなかった。
戸惑ったように竜人は立ち尽くした。
(…なぜ、当たらぬ)
その独白に、応えるものがある。
(…もう諦めたほうがいいと思うよ)
(……ッ!)
(どれだけがんばったって、たぶんぼくには勝てないと思うし)
竜人の縦に切れ上がった瞳孔が、薬物を飲んだようにすぼまった。
その狂おしい眼差しにさらされてなお、ハルミは平静なまま言い放った。
(念話とかできないと思った? …辺鄙な星域の野蛮な未開人だから?)
(きさまは……我らのことを知っているのか)
(少なくともあなたが他人の米びつに手を突っ込むこそ泥だということだけは知ってるよ。どうせお手軽に《焔家》の上級幹部とか恐れられて、いい気になってたんだろうけど)
メディア慣れした薄っぺらな笑みを浮かべて、ハルミはクッキーをほおばっている。
信じられない事実をつきつけられたように目を見張った竜人は、試すように再び尻尾を振るってみて、それが完全に透過されるのを確認するとわずかに身じろぎした。
(それは……何かの『能力』か)
(本当は手を抜きたいんだけどさ、ちょっとした経緯があって評議会の『判定官』がギャラリーしてるからね。ぼくは絶賛再検定中で、《王》としての力を証明しなきゃならないんだ)
(《王》だと…? この星は『レンジE』にも満たない未開惑星のはずだ。…現にここにやってきて数旬巡(地球年)、それらしき高レベルの支配種は報告されていない…)
(ああ、それはね)
ハルミはようやく合点したように、横にいる主従と目を交わし合った。
三人に揃って見つめられて、竜人はひるんだように顎を引いた。
(…察しの悪い御仁ですね)
ミユウの声が竜人とハルミとの念話の間に割り込んでくる。
(わがルン王室の古き血に伝わる『秘儀』……死して新たな生を得る万世渡りの奇跡は、『死』もって『生』を呼び込むもの……死して来世までのいくとせを『器待ち』する空白期、われらは完全にこの世から『消え去って』しまっているのです)
黙って立っていれば日本人形のように美しい少女であったが、生粋の『貴種』にのみ備わるのだろう人を人とも思わぬ恐るべき傲慢さが彼女をあまたのなかから浮き上がらせる。
(いつごろ調べたのかは知らないけれども、たまたま『空位』のときに調べたのなら、それはもう運が悪かったとしかいいようがないわね。中央星団のアカシックコードを参照しなかったこと自体がそもそも杜撰なのだけれど……この地球には、『レンジBB+』種族が存在し、これを治めている)
(『レンジBB+』だと!)
竜人の叫びはもはや悲鳴に近かった。
驚きのまま硬直する竜人の様子をさもありなんとどうということもないように受け止めたミユウは、淡々と言葉の穂を継いだ。
(《寿命の螺旋》のもっとも深遠に進んだおそるべき八賢族が定めた《律》は、種の寿命とその尊貴はまさに比例するとしています。生物は長命を得るほどに貴き高みに登る……まさに賢者の法則の通りに、《寿命の螺旋》の深遠へと進むわが王は、数々の《異能》を得るに至りました)
(《寿命の螺旋》…ッ! まさか!)
(わたくしは主上の守護の剣、王国近衛隊指揮官、ティシャ・クランウル。見た目はアレですが、このわたくしですら当年とって生体齢1092標準単位になります)
わたくしですら。
竜人の目がミユウを見、それからおずおずとその脇に佇むハルミへと向けられる。
わたくしですら……それは彼女の主君であるルン国王、この得体の知れぬハルミという名の幼児がそれ以上の齢を重ねていることを意味している。
『転生』の秘儀。
それが一個の生命の無限の延命を意味するものならば…。
(この地を領有する主権者として、汝、李陽文なるまれびとに命じます。現地経済への不当な介入により得た財貨をすべて放棄し、速やかに当地球領域外へ退去するように!)
幼児三人ににたりと笑われて、竜人は目尻をひくつかせた。
が、次の瞬間無駄な足掻きとばかり再度尻尾を振り回し、それが空振りするのを確認さえせずに脱兎のごとく逃げ出した。
それはもう惚れ惚れするほどの見事な逃げっぷりだった!




