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「見つけた! 臨時ボーナス!」


小さな声であったが、声変わりまで10年ほど待たないとならない幼児の声は廃墟の暗闇にことのほかよく響いた。

そこは最上階のひとつ下、俗に言う飲食店街の一角にあった。

放置されてからの数ヶ月という時間がうっすらとした埃となって人造石の床に積もっている。《現株式会社GEKKO》警備部の面々は、その埃の層に残された敵の足跡を辿ることで、案外にあっさりとターゲットまでたどり着くことができた。彼らは散乱する割れガラスを一片たりとも踏むことなく、まさしく無音でその場に接近した。

かつてはそれなりの値段で料理を提供していたのだろう高級そうな中華料理店が組細工の窓からわずかな明かりを放っている。


「…一番乗りはおれらっスね! やった、ボーナスもらい! オレそのボーナスで新作ゲーム大人買いして…ッ!」


場所をわきまえず騒ぎだすバカの口を後ろから押さえて、そのまま酸欠で落としにかかろうとするリーダーを周囲が慌てて制止する。


「静かにしろ……子供の声は響く」


言っている本人も立派な子供なのだが、場をわきまえればしごくまともな意見であっただろう。子供の甲高い声は必要以上によく通る。


「隊長、踏み込みますか?」

「う~ん、どうすっかな…」


警備部一課の課長、斉藤ケンタ(5)はひげのないつるつるの顎をしごいて思案するふうだったが、そのときふと何かに気がついたように煤けた天井を見上げた。


「おっ、…陛下が無事《掌握》したみたいだな…」


にっと口の端が笑みにゆがんだ。


「よっしゃ、オレら無双確定」


事情を察した数人がにやりと歯を見せて笑う。

目標の店の窓から漏れる明かり。そのわずかな明かりが床に落ちたそのシルエットの端によく見れば不思議な揺らめきがある。

まるで水面の反射光のなかに小さな《虹》を見つけるように、そこには色分解したプリズム光のような揺らぎが見つけられた。


「あれが陛下の『掌握斑』だ。難しいことはよく分からんが、光の進路座標が少しずつずれてアレが起こるらしい。今後のために知らんやつはちゃんと覚えておけ」

「ヤー」


感覚が鋭い者なら、その空間に侵入した瞬間、収まりの悪い違和感を覚えたことであろう。警備部1課の面々はまるで水に潜るときのようにしっかりと息を詰め、ターゲットへの接近を開始した。

そうしているあいだに、同僚の二課隊員らが駆け寄ってくる。リーダー同士が頷き合い、お互いにより効率的な襲撃を行うべく配置につく。

わずかな首肯のみで即座に決行に移る。

人質救出戦。

部屋の中央に拘束されたイリヤー姫がぽつんと座っているのは確認している。思い切りよく警棒を手になだれ込んだ警備部の面々は、入りしなから手荒な歓迎を受けることとなった。

ズガガガガガッ!

耳を劈く銃撃音。壁際に積まれていた椅子が瞬く間に木片に変わり、強化ガラスのウインドウは細かな砕片となってしぶいた。

威嚇などという要素はこれっぽっちもない。確実に相手を殺害する目的の銃弾は、部屋に侵入した黒ずくめの幼児たちに向けて容赦なくばら撒かれた。

その間、数秒。

弾切れで銃声が止んで極端なほどの静寂が訪れる。

うっすらと立ち籠める硝煙のベールの向こうに、いままで隠れ潜んでいたのだろう人の動きが大きくなる。容赦ない銃撃の成果を露ほどにも疑わなかったのだろう敵方の人影。


「あれだけ叩き込めば防弾羽織ってようがぐしゃぐしゃのミンチになっちまいますぜ」

「油断はするな…」


奥の厨房に潜んでいたのだろう男たちは、火薬の匂いを払いながらおのが戦果を確認すべく近寄ってくる。侵入者たちの無残な亡骸を捜していくつもの目がサーチライトのようにあたりを見回している。

手に手に国内では手に入れることの不可能な銃火器を構えるいかつい男たちのあいだから、明らかに戦闘員ではない小柄な老人がしなりと進み出る。一見して集団の首魁と分かるその老人は、部屋の中央で恐るべき虐殺シーンに愕然としているイリヤー姫を見、そして彼の指示によって無残なミンチとなったであろう幼児たちの転がる入口のほうを見た。

その瞬間まで、老人はおのれの勝利を信じて疑ってはいなかったであろう。うっすらした笑みをたたえて周囲を見渡した老人は、首をひと巡らせするうちに表情を面白いように激変させた。

『目を剥く』という表現がまさに適切であったろう。


「無駄無駄無駄~」


現れたのは無傷の幼児たちであった。

斉藤ケイタが小さな身体を哄笑にゆすりながら、手に持った警棒をくるくるともてあそんでいる。こっちも負けず劣らずのドヤ顔である。


「な、なぜじゃ…」

「日頃の行いがいいから神様がえこひいきしてくれたんじゃねえの」


銃撃を受けた幼児たちにはかすり傷ひとつ見えない。

弾痕は彼らをきれいに避けるように、その周囲にドーナツ状に集中していた。


「ありえん! そんな、そんなバカな!」

「現実から目を背けるのは大人としてよくないと思うぞ。…蹂躙しろ!」

「ヤーッ!」


襲い来る幼児たちがおのれの成功に満ち溢れた輝かしい人生の幕を閉じようとしている現実を、老人はなかなか理解しようとはしなかった。ただ立ち尽くしたままインシュロックで手足を戒められ、最前までのイリヤー姫への乱暴をそのままその身に返されるように突き転がされる。

本能的に抵抗した他の男たちは、容赦なく警棒によって滅多打ちにされ、1分後には鼻水をたらしながら5歳の幼児に命乞いをし始めていた。

それら敵対分子を沈黙させた幼児たちに戒めを解かれ、おのが身の自由を取り戻したイリヤー姫は、手を引かれるまで腰が抜けたように呆然と座り込んだままだった。


「王女殿下、歩けますか?」

「…あなたたちは」

「陛下の命であなた様を救出にやってまいりました。身体がこの大きさですので、担ぎ上げるわけにもいきません。できましたらご自身の足でお歩かれいただけますよう」

「陛下……ティラカ陛下もこちらに?」


乱れた髪も、殴られた跡だろう頬についた痣も気にならぬように、イリヤーは尋ねた。おのれの無事よりも何よりもそれが重要……そうであることが当たり前とでもいうように余裕のない表情で問う彼女に、場の最上位である警備部第一課長斉藤ケイタはかしこまったように「おられます」と応えた。


「王女殿下の御身をご心配あそばされ、御自ら《焔》との交渉に臨まれておられます……我々は交渉の不利を排除すべく秘密裏に殿下を…」

「あのような危険な輩どもと陛下自ら交渉など……危険すぎます!」


かっと、そのときイリヤーの面に血の気がさした。

おのれの身にも向けられた理不尽な暴力を思い出したのか、少しだけ言葉に詰まったあと、いやいやと勇を鼓すように頭を振って眼差しに力を籠めた。


「交渉はどこでやっているのですか! …わたしがお止めしなければ」

「えっ? いや、その必要は…」

「陛下はどこですか!」

「えっと、…この上の階ですけど」


その答えを得るや否や、イリヤーは駆けだした。

もともと箱入りなどとは言い難い、他国で一般人として生まれ育ったイリヤーの身体能力は意外にも高い。邪魔な厚手のスカートを勢いよくまくりあげるさまはワイドショーあたりが高く買ってくれそうなほど色っぽいショットであったが、その手のことに反応する年代でもない幼児たちは、うわっとあからさまにめんどくさそうな顔をした。

身柄の安全を確保すべき警備部の面々は慌てだしたが、ふんと鼻を鳴らした二課隊長、角倉アスマ(5)が手を上げて仲間たちを押しとどめた。


「もう陛下が《掌握》してんだろ? なら慌てるこたあないだろ」


そんなことも気付かないのかとバカにしたようなアスマの顔を見て、僚友であるケイタが困ったように頭を掻いた。


「そりゃあそうだがよ」

「なんか問題でもあんのか」

「…あるだろ、あれが。…確保で臨時ボーナス」


幼児たちがはっとしたように互いの顔を見合わせた。


「王女様をちゃんと捕まえとかねえと、ティシャさまに臨時ボーナス没収されっかも知れねえぞ。いじめるの大好きな人だからな!」

「全員! 走れ!」


わあっと、幼児たちはイリヤーの消えた非常階段の方へと駆けだしたのだった。






完全にその正体を現した目の前の怪異に、護衛たちは本能的にまろぶように距離を取った。


「にっ、人間じゃねえ!」

「バケモノッ!」


ハルミたちに向けられていたはずの銃口が、本来の雇い主に向けられたのはまさに生存本能からであったろう。雇用関係としては本末転倒なその反逆行為は、しかしおのが生存を希求する生物としてはまったくもって正しかった。

その姿は、巨大なトカゲであった。

鰐のごとき濃緑の外皮に包まれた巨大な爬虫類。さらにはコウモリのような皮膜の羽を持ち、まだら模様の長い尻尾は鞭のようなしなりを見せている。

さらすその姿は、さながら人と翼ある竜を掛け合わせたような竜人。

竜人はおのれのさらした姿に戸惑うようにかつて仲間であったはずの護衛たちを見回していたが、その隙を見逃さずミユウが警棒で腹を殴打すると、苛立ったように人外の咆哮を上げた。


「シギャアアアア!」


その瞬間、金に絶対の忠誠を尽くす護衛の傭兵たちが、心を折られた。

生と死が篩にかけられる地獄のような戦場で、彼らがこれまで命を永らえてこられたのは、暴力に秀でていたことよりもなによりも、死を回避する『直感』に優れていたからだ。

彼らは目の前の怪物を、おのれの生存を危うくする敵性体であると認めていた。

誰がそうしろと指示したわけでもなく、傭兵たちはかつての雇い主に対して引き金を引いていた。


(未開人どもが!)


銃弾は竜人の硬質な外皮にほとんど弾かれてしまったが、羽の皮膜にはやすやすと穴をうがっていった。

竜人の身が踊った。

長い尾が数人の傭兵をまとめて薙ぎ払い、鋭い牙が武器を握るもうひとりの傭兵の肩を噛み砕いた。


(役に立たんなら死ぬがいい!)


「キシャァァァ!」


絶対的な捕食者が獲物を前に恫喝の咆哮をあげるように。

この瞬間、国際テロ組織との戦いが、なし崩し的にSF宇宙大戦系になぞの昇格を果たしたのだった!


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