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「いちおう確認したいんだけど」
すべての攻撃を完全にいなされて、警戒心もあらわな女性のねめつけは殺意にさえ昇華しそうな勢いだったが、それをどこ吹く風と棒立ちのハルミが問いかける。
「…ぼくが《そのようなもの》だと教えられているんだろうけど、見れば分かるけどまだ5歳で身長もウェイトもハンデ戦が過ぎると思わない?」
幼児のしゃらくさい発言など聞くまでもないとばかりに、女性は動いた。
上に下にと息つく暇もなく蹴りの連撃を繰り出し、それがすべて空を切ったと察知するなり蟷螂が斧を収めるように膝溜めに脚を引いて威嚇に入る。
「《蟷螂拳》っぽいかと思ったけど、ムエタイとかもやってるの?」
女性の柳眉がぴくりと跳ねる。
「…ずいぶんとお詳しいようですね」
ようやく女性の反応を得て、ハルミはほっとしたように微笑んだ。
「長生きすると、なかなかやることがなくてね。とくに昔はパソコンもテレビもなかったから、身体動かすぐらいしか暇つぶしがなくて」
「お国は北印なのですからあちらのものが専門かと思いましたが」
「広く浅くってやつさ」
「足使いに《走圏》のくせが見えました……《八卦》もおやりになられるのですね」
「だってこんな身体だし。化勁しないと」
ふっと、女性の口元に笑みが見えたと思った刹那、
「ならば!」
ふたたび激しい蹴りの弾幕がハルミに襲いかかった。コーナーに相手を追い込んだシューターが止めのラッシュをかけるがごとき激しさである。
化勁とは相手の攻撃を受け流して無力化する技術であるといわれる。だがそれは肉体を持って接触をしているわけで、わずかずつでもダメージを蓄積し続ければ、いずれその防御も崩壊する道理である。
「さすがに潰し方を知ってる…」
身長差からローキックがもっともうっとうしい。本来なら脛のあたりに来るキックが脇腹に直撃するのだから、紙防御の幼児としては食らえば即致命の一撃と化すだろう。
ハルミが蹴りを嫌ってわずかに距離をとろうとすると、女性はさらに踏み込んで相手を逃がさない。女性の笑みが、深まりつつある。
と、そのとき。
「身体も小さいし」
ハルミが構えらしきものを初めて見せた。
「まだ筋肉も全然ないけど…」
ゆっくりと。
不真面目にラジオ体操する子供のようにゆるゆると振り出された右手が、殺到するまさかりのごとき女性の右足を叩いた。横ではなく、わずかに上へと向けて。
「くっ!」
ほとんど何の意味もなさなそうな弱々しい反抗であったにもかかわらず、女性の脚は意外なほどに跳ね上げられて、攻撃目標を見失った。
どこにそんな反発力を秘めていたのか。跳ね上がった女性の足首をそのまま右手で掴み上げ、ハルミの身体が動いた。女性の脚線をそのままレールとしたような吸い込むような移動。
突き出されたハルミの小さなこぶしが、身長的なものから女性の下腹に突きこまれようとした。スピードそのものは、子供がじゃれつくような程度に過ぎない。だがその瞬間、女性は圧倒的な何かに打たれたように凍りついた。
ハルミのこぶしは、女性の身体に押し付けられる寸前で動きを止めた。
下から見上げてくる5歳児の透き通った微笑み。
「まさか……《無勁》とは…」
四肢の硬直を解いた女性は、たったいままでこぶしを交わしていた相手を呆然と見ていたが、
「あの…」
と短く注意を喚起されてようやく我に返った。
乱れた前髪を素早くまとめ、女性は神妙な面持ちで子供たちに一礼した。
「主のもとに御案内いたします」
時を止めていたエスカレーターが動き出した。
案内の女性に導かれ、ハルミたちはカルガモの子のようにそのあとについて行く。習い性で左側一列に並んでしまった彼らは、「他にお客はおりませんが」と女性の苦笑を誘った。
「…《無勁》とはおみそれいたしました。まさかこんな極東の島国でマスタークラスに出会うとは思いもしませんでしたわ」
「ズルみたいなもんだよ。何度も老境を迎えたし、奥義を極める機会には不足しなかった。ただそれだけだし」
気負いもなくそういうハルミに、女性は軽く首を振ってやんわりとその考え違いを正した。
「たとえ何度老人になったとしても、その境地にたどり着くことは常人には至難です。わが師もいまだその境地に届かず煩悶しております」
上階に上がるたびに、建物の荒廃のさまを目にする。
売り場だったのだろう暗がりの中にうち棄てられたマネキンが横たわり、陳列棚は横倒しに、試着室のカーテンは引き千切れてだらしなく垂れ下がっている。わずかに非常口の明かりが奥にまたたいている。
2階、3階と過ぎ、最後にはショーケースのガラスが割れ散る暗い飲食店街の廃墟を横目にする。そこでエスカレーターは吹き抜けと決別し、最上階のフロアへと吸い込まれて行った。
そこはもともと催事場のたぐいのフロアなのだろう、シャンデリアは埃をかぶってはいたが十分な明るさを足元に落としている。柔らかなじゅうたんに、ハルミは入念にその抵抗力を足裏で探った。
エスカレーターの終点には、美術展などに使われていたのだろうパーテーションで区切られた空間が大きく広がっていた。その待合用であるのだろうソファーセットが町の夜景を見下ろす窓際に置かれていて、すでにそこに先客たちが陣取っていた。
「陛下…」
クロードの声に、ハルミは顔を上げた。
「ようこそ。お待ちしておりましたよ、ティラカ王」
ソファーのひとつに腰をおとしていた男が立ち上がる。招じられるままに歩み寄ったハルミに手を差し出したのは。
「申し送れましたが、わたしはダムサカ・バディと申します。陛下」
慇懃には応えているが、なんでこんな子供に敬語を使わねばならないのだと不満を大いに表した顔で、ダムサカは薄ら笑いを引き攣らせている。
差し出された手を無視して、ハルミはダムサカの人となりを検分して、ゆっくりと男のまわりに警護人よろしくたたずんでいる黒服の男たちを見回した。
そうしてそのうち、一人の男に目をとめて、
「どうしてそんなところに立っているんですか」
不思議そうに問いかけた。
無視されたダムサカは屈辱に顔を真っ赤にしてわめきだした。
「このガキが! 目上の人間に対する礼儀を…!」
ハルミのまなざしの先にいる男が、短く「黙れ」というと、ダムサカは蒼白になって押し黙った。主人に一喝された飼い犬のように、見えない尻尾を丸めてすごすごと引き下がっていく。
男はその強烈な存在感で一瞬にして場の支配者となると、ハルミの正面位置で悠然と一礼した。仕立てのよい背広姿からは、わずかに香のような焚きしめた甘い香りがした。
笑んではいるものの、その眼差しの温度は低い。
目に付いた通行人に職務質問する警察官のそれのように、表面上のにこやかさなどまるで当てにできない断罪者特有の『悪意』とでもいおうか。話を聞く前からすでに犯人と決めつけているような感じのするあれだ。
「お初にお目にかかります、ティラカ王……不思議な技を伝える一族とは聞いていましたが、その変わり果てたお姿、どうやらヨタ話でもなかったようだ」
不遜な態度を示しつつも、男の目はハルミを検分し続けている。
「…野分ハルミ、10月28日生まれ、父中山ハルオミ、母野分リツコ、…父方の血統はなかなかに興味深いですね……古代の呪術師一族とか。…ずいぶんと著名なオンミョーマスターをご先祖にお持ちのようだ」
聞かれてもいないのに、ぺらぺらとハルミの素性を延べ挙げていく。
そうすることでおのれの所属する組織の調査能力を誇示しようとするかのように。
「《ハレノキ幼稚園》モモ組。主要な交友関係は藤倉マナミ、八神レナ、諏訪リョウジ…」
「…そろそろ待ちくたびれたんだけど、座っていいかな」
いつまでも続きそうな言葉の腰を強引に折ると、ハルミは尻を投げ出すようにソファに腰を落ち着けた。身体に対してやや大振りな肘掛に手をやって、ニマニマと笑った。
とっとと本題に入ってよ。
無言のアピールに、男が肩をすくめて応えた。
「これは失礼をいたしました。…申し遅れましたが、わたしは《焔》の東北地区支配人、李陽文と申します。陛下」
東北地区支配人、李陽文。
これが目の前の敵だと心に刻むように、ハルミは笑ったまま男を見上げていた。
そうして首脳同士が相手を認め合った瞬間、新生ルン王国と《焔》との会談は始まったのだった。




