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「…なんだそりゃ? 笑えねえぞ」


携帯電話を相手にしばらく押し問答していた藪沢ギンジは、電話が終わると『シケモク倉庫』の上着ポケットをあさり始めた。その指先が、比較的長めのシケモクをとらえ、口元へと運んでいく。

「なにかありましたか」ごみ収集ボックスの陰にしゃがみこんでいたユウタ刑事が、携帯モバイルの画面から顔を上げた。


「無線がまわってきた。…あの姫君が、ほんとうにテロ集団に拉致されちまったらしい」

「へえ、そうですか…」


普通に聞き流しかけて、何かの違和感に再び顔を上げるユウタ刑事。

ふたりの視線が無言のまま交差する。ギンジは察しの悪い若い相棒に、なんとなくスマイルを作ってみた。


「マジっスか! E国大使館に潜伏していたあの王女さまをどうやって拉致できるっていうんですか! テロ集団? この国にそんな過激な奴らがいるなんて聞いたこともありませんよ!」

「仕方ねえだろ。当の大使館から直接捜査依頼が入ったんだ。他国の警察に頼るなんざやつらにとっちゃ噴飯モノだろうが、そんだけ見栄も外聞もなく慌ててるってこったろう。んな恥ずかしいことでウソなんかつくかい」


よれよれのシケモクはなかなか火がつかない。何度も火を着けなおしているギンジの平然としたようすにユウタ刑事は地団太を踏んだ。


「うちの班が何人も張り付いていたんですよ! その目の前で拉致られたんなら、大失点じゃないですか!」

「一応追跡はしてるらしいぞ。…ふんっ、やつらもやっと根性が一人前になってきやがった」

「そういう問題じゃなくってですね…」


えーっと、とこめかみを引きつらせながら言葉を探すユウタ刑事であったが、元来ボキャブラリーの豊富なほうでもなく、どうせしたたかな先輩警部補にのれんに腕押しをやられるほとんど確信に近い想像にたどり着くと、勝手に意気を粗相した。


「…もう自分らもこんなところに張り付いてる場合じゃないと思うんですけど」


淡々と正論を述べてみたが、ギンジはまったく動揺すらしなかった。


「もう本庁の刑事部が総力戦で動き出してらあな。オレらがいまから後追い参加したって、ムダムダ。それよりもこっちに張り付いたほうが、事件の核心に迫れるとオレの勘がささやいてる」


そこは大通りから一本入った裏通りの、さびれた商業ビルが立ち並ぶ界隈。

そのなかのとくに小汚いビル。

ヤスダビルヂング。『ヂ』のあたりが年代感をかもしているが、待て待てそこまで古くはないだろうと突っ込みを入れたくなるような廃ビルである。

地階入口にあるテナントプレートには、七階に一社だけ存在していることが示されていた。


《株式会社GEKKO》。


聞いたこともないような名前である。むろん零細なベンチャー企業などこの町には掃いて捨てるほど存在はしているのだが。

奇異なことは、やたら幼児が出入りしていることだけである。


「《株式会社GEKKO》ってな、託児所か何かだと思うか?」

「そのくらいしか考えられませんけど、託児所ならあんな自由に子供を出入りさせたりはしないでしょう。最近流行の『三つ子の英才教育』ってやつじゃないんですか」

「あんな小さい子供、親が一人で寄越すわけないだろうが。…それで見つかったのか? その便利なパソコンで」

「パソコンって……ああ、勝手にさわらないでくださいよ! いま見つけたのを出しますから!」


ユウタ刑事が小さな画面を差し出した。最近老眼気味のギンジは、すこしだけ目を凝らすなど努力を払ってから、降参して老眼鏡を取り出した。


「ちょっと、灰を落とさないでくださいね。その端末買ったばっかなんですから」

「なんだ、番組のスポンサーなんかしてやがるな! そんなカネに余裕があるなら、けっこう大きい商売をしてるんじゃないか」

「…で、これも見て下さい。本庁からも頼んでデータを送ってもらいました。PDFですが、最近の官報に…」

「設立二〇一五年って、今年じゃねえか」

「ここはまだ設立されて半月も経ってない会社みたいですね。…ギンさんじゃないですが、たしかに怪しすぎますね」


ふたりの刑事は、七階建ての廃ビルを見上げて目つきを鋭くさせた。

くしくも同じような顔をみせた老若コンビであったが、若い方がその『同じような』という感想を喜ぶかどうかはさておき。

そのとき一台の外車がビルの前に停車した。

そのシルバーメタリックのベントレーから、異様な風体の男が降り立ったのを見たとき、ギンジの口からシケモクがポロリと落ちた。

大使館公用車。その英字をあしらった独特のナンバープレートを見ただけで、日本の警察官なら迷わず回れ右したことだろう。公権力の権化たる彼らには、『外交官特権』はマングース並みの天敵だった!

そこから降り立ったのは、見覚えのある黒いスーツに身を固めた巨漢の男であった。

その頭には痛々しいまでに包帯が巻かれ、歩くにもすぐ脇に寄り添った看護士の助けが必要であった。

車に向かってなにかれとしゃべっていた男は、そのまま看護士に付き添われてビルの中へと姿を消した。


「ありゃあ、あんときの護衛だな…」

「忘れはしないですよ。自分はあいつにタックルかまされて、柔道の教官にのされて以来の強烈な失神を食らったんですから!」

「拉致られたイリヤー姫の護衛がのこのこあらわれたところを見ると……こいつは大当りかもしんねえぞ」

「めずらしくギンさんの予想が当たりましたね! こいつは万馬券かもしれないですよ」

「万馬券、万馬券」


言いながら、刑事たちは果敢にも男の消えた廃ビルへと動き出した。

捜査令状も持たずにいきなり突入というのは誉められたことではないが、刑事としての勘がふたりを突き動かした。国内で大使館を襲うようなテロリストが活動中なのである。段取りにこだわっていては、天が与えてくれた『この一時』を逃してしまうかもしれない。

しかし。

かれらが相当にルン王国の警備力を侮っていたのは事実である。

数分後にふたりの刑事は、その教訓をきっちりと体に教え込まれることになるのだった!



*****



イリヤー王女付き護衛官、ゼッド・ソアンは非常な焦りに駆り立てられていた。主人をなすすべもなく眼前でかどわかされ、その後英国大使館の協力で追跡を試みたもののすでに敵の足取りは都会の雑踏のなかにまぎれてしまっていた。

懸命な捜索はまだ続いているものの、怪我人である彼にやれることはあまりに限られている。本国でもすでに孤立している王党派に与力する者は少なかったが、外国であるこの地では協力を求める伝手がほとんど皆無であった。


「ここにティラカ前王陛下が…」


王族に伝わるという転生の秘術に、彼は懐疑を抱いていた。主人であるイリヤー姫が信じるものに異を唱えるつもりはない……その程度の迎合でしかなかった。

しかしいまはもう、頼る伝手はここにしかなかった。

古ぼけたエレベーターの操作ボタンの接触の悪さにイラつきながらも、目的の7Fに降り立ったとき。彼は会ったこともない《先輩》たちの歓迎にさらされることとなった。

彼はいきなり数人の幼児に取り囲まれた!


「ここはブガイシャ立ち入り禁止だ!」


おのれのひざにじゃれつくぐらいの幼児が四人。

なんのゴッコ遊びかと彼が思ったのは束の間である。彼にはあまり時間の猶予は残されていなかった。

無視して押し通ろうとした彼は、そのとき驚愕した!

幼児のひとりに腕をとられたと自覚が及んだのは一瞬後のこと。看護士の肩に回ったほうとは反対の自由な腕を、指関節によってきっちり決められてしまっていた!


「ぼうずたち、オレは遊びに付き合っている時間は…!」


簡単にはずせると思った幼児の関節技がはずせない。人差し指一本を小さなこぶしで握りこんで、巧みに締め上げてくる。膝裏に蹴りが入れられ、大男の彼がよろめかされた。膝をつかされた彼の鼻先に、玩具かと見まがうような小さな棍が構えられた。


「シンニュウシャを確保!」

「コウソクののち別室に放り込め!」

「まっ、待て! 待ってくれ! オレは害意があってここに来たわけじゃない! オレは……自分はルン王国王室付き近衛隊副長、ゼッド・ソアンだ!」


甘さのかけらさえ見て取れない幼児たちのまなざしにやや気圧されつつも、ゼッドはスーツの襟章を子供の目線に合わせてアピールした。

近衛隊入隊が決まったときに支給されたユキアオイのバッジは、彼の最大の宝物だった。


「…なんだ、こいつ。後輩か」

「最近の近衛隊はそうとうにぶったるんでるな。幼児に確保されてんじゃないよ、オロカモノ」


散々言いたい放題言われて、部屋の中へと通される。

ここにくるまでに相当に逡巡していたゼッドであったが、室内の様子を見ておのれの逡巡がまったくもって正しい感覚であったことを認識した。

室内に置かれた接客用のソファには幼児たちがお菓子とジュースを食い散らかし、事務用机には子供マンガ雑誌が積みあがる。

そして部屋全体を使っていままさにテッケンジャーごっこに興じていた幼児たちがフリーズしたようにその場に凍りついた。

壁際の給湯室で食器を洗っていた諏訪リョウジが顔をのぞかせて、事件の出来に目を輝かせた。彼は生涯初めてテッケンジャー役取り合戦に敗北し、喫茶店のマスター役に身をやつしていたのだ。


「ぷっ…」付き添いの看護士が吹き出した。

「こちらがあなたの言う『最後の切り札』なんですか?」


二十代前半と思われる金髪の女性看護士は、かわいらしい英語で笑い崩れた。

いかつい大男のゼッドが赤面すると、自然と室内の幼児たちが恥ずかしそうに居住まいを正した。

そのときパーティションで分けられた奥の部屋から、ミユウが現われた。その日本人形のようなかわいらしい幼女が室内を見回すと、全員が直立不動の姿勢をとった!


「まだ訓練が足りないようね。明日から二時間追加します」

「「「ヤ、ヤーッ!」」」


部下たちの半噛みの唱和に鼻を鳴らしてから、ミユウは来訪者ふたりに手招きした。


「『社長』がお会いになられます。こちらへどうぞ」






否応なく混乱に巻き込まれようとしているルン王宮。

《株式会社GEKKO》代表取締役社長エナ・ティラカ・サラシュバティ・ウルリクは、招かれざるふたりの客を前にすることとなった!


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