第二話 二.苦痛の中で出会った少年
その日のお昼過ぎのこと。舞台は埼玉県にあるサッカー競技場に移る。
この競技場では本日午後3時より、埼玉に本拠地を置く女子サッカーチーム”さいたまブルータス”と、千葉をホームグラウンドにするチーム”千葉フューチャーズ”の公式戦が行われる予定だ。
千葉の選手たちは競技場に到着するなり、休む間もなくウォームアップジャージを脱ぎ捨てて、サッカーフィールドの外周を走って基本トレーニングを開始する。そのチームでレギュラー争いをする奈都美も、もちろんその中の一人であった。
「よし、この足の調子なら、いけるな。」
痛めている右足をかばいつつ、競技場の外周をジョギングしている奈都美。強く巻いたサポーターのおかげもあってか、彼女は自信ありげに、本日の試合のベンチ入りを確信していた。
それから数十分ほど経ち、基本トレーニングを終えた彼女たちは、コーチングスタッフに声を掛けられて、全員が競技場内のミーティングルームに集合した。いよいよ、本日の試合のベンチ入り選手が告知される。
レギュラーを確実にしている者、成績不振により、いつレギュラーから外されるかわからない者、そして、好調をアピールして、レギュラーをその手に掴もうとしている者。それぞれの思いが交錯する中、一人一人の選手の名前が呼ばれていく。
「・・・六平。今日の試合、おまえはスタートから右サイドに入ってくれ。」
「は、はい!?」
コーチングスタッフの一言に、つい耳を疑ってしまう奈都美。せいぜいベンチ入りだろうと予想していた彼女は、思いも寄らない先発メンバー入りにただ呆然とするばかりであった。
念を押すようなコーチングスタッフの確認に、我に返った奈都美は胸を高鳴らせて、この上ないほどの歓声で了解の意思を示したのだった。
「奈都美、今日はよろしく。」
先発メンバーたちは一人一人、幸運を掴んだ奈都美とハイタッチという挨拶を交わしていく。今日の試合にかける意気込みを、メンバー全員で分かち合うかのように。
「それじゃあ、時間まで、それぞれ練習を続けてくれ。無理のない程度にな。」
戦術的な打ち合わせも終わり、ミーティングルームを後にした選手たち一同。彼女たちは再び、競技場のフィールドに戻って、ボールを使いながらの練習を始めていた。
奈都美は意気揚々と、ボールを巧みにコントロールしながらピッチを走っている。彼女のドリブルの好調ぶりは、コーチングスタッフだけではなく、同じチームの選手たちの目にも明らかであった。
「ちょっと奈都美!あなた、試合前からハッスルし過ぎだよー。」
「ははは、ごめんごめん!嬉しさのあまり、ついつい舞い上がっちゃって。」
顔をポリポリと掻きながら、奈都美は嬉しそうに照れ笑いを浮かべている。彼女は右足の怪我のことなどすっかり忘れて、チームメイトとのパス練習に輝かしい汗を流していた。
チームメイトの蹴り出したボールが高い高度で浮かび上がる。そのボールを食らいつくように追いかけていく奈都美。彼女はこの時、すぐ後ろのピッチの上に、同じチームの選手が倒れていることに気付かなかった。
「奈都美!止まって、あぶない!」
その叫び声に驚き、奈都美は咄嗟に背後へ視点を向ける。転んでいた選手を踏んでしまいそうになった彼女は、踏ん張った右足を軸にしてそれを避けようとした。
何とか、選手を踏みつける事態は避けられたものの、奈都美はバランスを崩してしまい、芝生の上に無理な体勢で倒れ込む羽目となってしまった。
ピッチ上に倒れている奈都美たちのもとへ、心配そうな顔で駆け寄っていく同じチームの選手たち。
「ちょっと奈都美。あなた大丈夫!?」
奈都美は苦笑いを浮かべて、大丈夫、大丈夫と口にしながら、チームメイトの差し伸べた手をそっと握り締めた。
チームメイトの手に引き寄せられた瞬間だった。奈都美は過去に感じたことのない激痛に表情を歪める。いくら我慢強い彼女でも、その右足に走った鈍痛は、ごまかし切れないほどの痛烈な痛みであった。
「いったぁぁぁ!」
苦悶の表情で自らの右足に手を宛がう奈都美。右足の痛みを和らげるように、彼女はサポーターで巻かれた足首を必死にさすっている。
奈都美は悔しくも、自分自身の力で立ち上がることができなかった。仕方なく、選手たちの肩を借りる形で、何とかその場に起き上がることができた彼女だが、歩くことすらままならない状況が、怪我の具合の深刻さを物語っていた。
「コーチ!奈都美が足を怪我しちゃいました。すぐにトレーナーを呼んでください!」
右足首の痛み具合から捻挫であろうと、チーム帯同のトレーナーはそう判断したが、念には念を入れて、精密検査を受けさせるため総合病院へ搬送するという方針を打ち出した。
念願の先発メンバー入りが決まった日に、試合に出ることも叶わず病院へと連れ出されていく奈都美。不運な彼女の失意といったら、それはもう、言葉では表現できないぐらい計り知れないものであろう。
チーム専用のバスの中で、奈都美は歯ぎしりしながら、怪我した右足首に氷嚢袋を押し当てていた。痛みからくるものなのか、それとも、悔しさからくるものなのか、彼女の閉じた目尻から数滴の涙がこぼれ出していた。
===== * * * * =====
時刻は午後2時を過ぎていた。
少しばかり風が強くなり、路面に佇む枯葉がカサカサと小刻みに揺れている。上空に浮かぶ雲も心なしか、急ぎ足で流れているように見えなくもなかった。
アパートへとつながる路地を、買い物袋をぶら下げて歩いている真人。留守番を住人のジュリーにお願いした彼は、管理人の仕事とばかりに、日用品の買い出しから帰ってきたところだった。
「これだけ買い込んでおけば、しばらくは補充の必要はないだろうな。」
真人はにわかに疲労の顔を浮かべつつ、重たくなった買い物袋を覗き込んでいた。
管理人が一人、そして住人が六人のアパートでは、リビングルームや洗濯場の日用品の消費は、予想以上に著しい。あまつさえ、住人たちが浪費を気にしない淑女ばかりだから尚更なのだ。
重たい荷物に重たい足取り、さらに、重たい溜め息をつきながら、真人はてくてくとアパートまでの道のりを急ぐのだった。
「あれ・・・?」
アパートの玄関先でウロウロしている男性を目撃し、真人は思わず立ち止まる。
紺色の背広を羽織り、銀色のアタッシュケースを持った挙動不審な男性は、玄関の方へ顔を覗かせては、顔を引っ込ませるといった動作を繰り返していた。
そのあからさまな怪しい行動に首を傾げながら、真人は忍び足のままで不審者のもとへ歩み寄っていく。不審者は辺りを警戒している割には、真人が近づいていることに感づくことはなかった。
「あの、このアパートに何か御用でしょうか・・・?」
「おお!?」
真人にいきなり声を掛けられて、怪しい男性はビックリ仰天で振り返った。
このアパートの管理人だけど何でしょうか?と、真人が訝るように尋ねると、その男性はうろたえながら上擦った声を上げる。
「いやー、実はその、ちょっと人を探してましてねー。ははは。」
作ったような笑みをこぼし、頭に手を置いている年齢三十代ほどの男性。さっぱりと刈り込んだ髪型と、頬がこけた細めの顔立ちは、どこか軽薄っぽい印象を与え兼ねない風貌だ。
その男性は手をパチンを叩いて、出会った相手が管理人ならばと、思いついたように真人に問いかけてくる。
「管理人さんだったらご存知と思いますが、このアパートに、三樹田ジュリーって女性、お住まいですかね?」
ジュリーの名前を軽々と口にした男性に、真人は懐疑的な視線を向けていた。ここは正直に申し出る前に、まずは、この男の正体を探ってみようと企んだ。
「あの、差し支えなければ、お名前を頂戴できますか?一応、これでも管理人という立場なもので。」
「あ、あー、そうですねー。う~ん、どうしようかな、はっはっは。」
高笑いするばかりで一切名乗ろうとしない男性。この素振り、どうみても怪しさでいっぱいである。
その数秒後、また改めてお邪魔しますとだけ言い残し、怪しい男は逃げるような足つきでその場から去っていった。その一部始終を見ていた真人は、安堵からかホッと胸を撫で下ろすのだった。
「カバンを持ってたし、あくどい訪問販売か何かだったのかも知れないな。でも、どうしてジュリーさんの名前を知ってたんだろう?・・・念のため、ジュリーさんには伝えておくか。」
アパートの玄関を潜るなり、その足のままでリビングルームへ向かう真人。そこでは、留守番をしているジュリーが彼の帰りを待っているはずだ。
リビングルームに近づくにつれ、ジュリーとは別の人の話し声が聞こえてきた。真人が耳を澄ませてみると、彼にとって馴染みのある男性の声だとわかった。
「ただいま戻りました。」
リビングルームに辿り着いた真人を迎えてくれたのは、待ち焦がれていたジュリーともう一人、彼の祖父である八戸居太郎であった。
「おかえり、マサ。ついさっき、ハッちゃんが遊びに来てくれたのヨ。」
「おう、マサ。買い出しご苦労だったな。」
湯飲み茶碗の上がったテーブルで向き合うジュリーと居太郎。どうやら真人を待っている間、二人はお茶請けのお煎餅を頬張りながら、賑やかに談笑していたようだ。
居太郎は管理人を退いた後も、気軽な話し相手として住人たちから親しまれていた。彼の方も住人たちを気に掛けているらしく、誘われても嫌な顔一つせずに、彼女たちとの触れ合いを楽しんでいた。
「何だ、じいちゃんがいるなら、留守番代わってもらってもよかったのに。」
真人はこれからアルバイトに出掛けるジュリーのことを気遣った。まるで、元管理人の祖父に、一人ぼっちの留守番を押し付けるかのように。
「ちょっとマサ!それはハッちゃんに失礼ヨ。ハッちゃんはね、わたしが一人で寂しくないよう、一緒に留守番してくれたんだから。」
「そうじゃぞ。だいたいおまえは、わしのことをすぐにないがしろにするからな。血縁関係じゃなかったら、おまえなんて、当の昔にここから叩き出してやったわい。」
そこまで非道なことを言ったつもりのない真人は、不本意ながらも、二人から容赦ないお叱りを受けてしまった。耳が痛いと言わんばかりに、彼は購入してきた日用品の整理をしようと、流し台へそそくさと逃げていった。
真人が帰ってきたにも関わらず、まだ居太郎と世間話を続けているジュリー。とても楽しそうに、嬉しそうな顔をしている二人の会話には、40年以上の年の差など微塵にもなかった。
「あ。そうだ、そうだ。」
流し台の上にある戸棚を片付けていた真人は、ふと何かを思い出したように声を上げた。それは言うまでもなく、ついさっき、玄関前で出会ったあの不審な男性のことである。
真人はジュリーに声を掛けると、あの不審者の印象や特徴を説明し、知っている人物かどうか尋ねてみた。すると、彼女は知らぬ存ぜぬといった感じで、ブロンドの髪の毛を左右に振り回していた。
「それは解せん話じゃな。まさか、ジュリーちゃん。これは世にいう、すとーかーというヤツじゃないかね?」
「Oh!?それは怖いワ!わたし、変な男に付きまとわれる覚えなんてないのに・・・。」
ジュリーは恐怖のあまりゾクッと全身を震わせる。リビングルームの窓へ目を移し、誰かが覗き込んでいるのではないかと、彼女はキョロキョロしながら警戒を強めていた。
そんな怯えるジュリーを見つめながら、真人はある疑問を抱いていた。もしストーカーなら、付きまとう相手の名前など人に告げないだろうし、しかも、人目の付かない夜に行動するのではないかと。
それでも、名前を名乗らないところから、あの男が不穏な人物であることに変わりはない。真人はそう独り言のようにつぶやき、あえて口を挟むようなことはしなかった。
「おい、マサ。電話が鳴っておるぞ。」
ご年配であっても、聴力の衰えだけは感じさせない居太郎。彼はアパートの電話の着信をキャッチして、管理人の真人にすぐに電話に出るよう促した。
祖父に急き立てられて、真人は慌ててリビングルームそばの廊下にある電話機まで急いだ。けたたましく鳴る電話の受話器を取り上げ、彼はすぐさま耳に宛がう。
「もしもし、お待たせしました。ハイツ一期一会ですが?」
受話器の先から聞こえてきたのは、真人にとって身近な人物の、息を殺したような小さい声であった。
「あ、もしもし。あたし、奈都美・・・。」
電話の相手が奈都美とわかった瞬間、真人はびっくりして唖然とさせられる。それもそのはずで、彼女はこの時刻、サッカーの公式戦のために競技場の中にいるはずだからだ。
「奈都美。ど、どうしたんだ?何か急用でも入ったのかい?」
「・・・うん。急用と言えば、まぁ、急用だね。」
いかにも気まずそうな口調で話している奈都美。その後、彼女は一言だけ、怒らないで聞いてほしいと、電話の先にいる真人に囁きかけた。
少々身構えつつも、怒らないから話していいよと言った真人は、奈都美からの告白に、またしてもびっくりして唖然とさせられてしまうのだった。
「今ね、胡蝶蘭総合病院にいるんだ。あのね、あたし、今日このまま、入院することになっちゃいまして。」
「にゅ、入院!?」
真人の驚愕の叫びが余程大きかったのか、リビングルームにいたジュリーと居太郎が、廊下にいる彼の方へ顔を覗かせて聞き耳を立てている。
入院することになった経緯など、奈都美から詳細を伝え聞いた真人。彼は受話器を握り締めたまま、うんうんとわかったように頭を何度もうなづかせていた。
「とにかく、これから出掛ける準備するからさ。ああ、わかったよ。それじゃあ。」
受話器を静かに電話機に戻した真人。それを眺めていたジュリーと居太郎は、緊迫した事態を察してか、すぐに彼のもとへと歩み寄っていく。
何があったのか?と尋ねてくる二人に、真人は戸惑いの表情で事の次第を打ち明ける。
「奈都美からの電話で。・・・彼女、練習中に足を怪我したらしくて、入院しなくちゃいけないって。」
思いもしなかった衝撃に、それはもう愕然とした顔でおののいたジュリーと居太郎。
ジュリーは唖然としたままだが、居太郎はというと、孫娘のようにかわいがっていた奈都美のことだけに、息せき切って、真人に詰め寄ってくる始末であった。
足首を捻挫した奈都美は、彼女の希望により、アパートの近くにある「胡蝶蘭総合病院」へ運び込まれた。彼女はこの後、致命的な怪我がないか精密検査を受けるため、今日一日検査入院することになるという。
入院する手続きには、入居先などの個人情報が必須となる。奈都美の場合、アパートへ居候している関係上、入院手続きには、居候先の管理人である真人の署名が必要となるわけだ。
「そういうわけなんで、オレ、これから病院へ行ってくるよ。じいちゃん、申し訳ないけど、あかりさんが帰ってくるまででいいから、留守番をお願いするよ。」
自分のことは気にするなと、居太郎は病院へ急ぐよう真人に発破をかけた。
真人は不安な気持ちを隠せないままに、居太郎とジュリーに見送られながら、奈都美の待つ胡蝶蘭総合病院へと足を向けるのであった。
===== * * * * =====
奈都美のいきなりの電話から30分ほど経過した頃、呼び出される格好になった真人は、「胡蝶蘭総合病院」のロビーまでようやく辿り着いていた。
今日は日曜日で外来の受付は物静かであるが、薄明かりのロビーでは、入院患者を見舞う人たちや、患者たちの歩く姿がちらほら見受けられた。
「奈都美、確か、ロビーで待ってるって言ってたけど、どこだろう?」
総合病院の広いロビーを見渡してみる真人。彼は椅子に腰掛けている女性の姿を一人一人確認していく。
日曜日で人がまばらだったおかげで、探し求める女性は思いのほかすぐに見つかった。受付窓口にほど近い椅子に座る奈都美の短い後ろ髪を、真人はその目でしっかりと捉えていた。
長袖のジャージを肩から掛けて、奈都美はガックリと肩を落としている。右足首は真っ白いギプスで固定されており、彼女の言ったことが、冗談でも偽りでもないことをそのまま示していた。
そんな奈都美のそばへ、真人は逸りながらもゆっくりと近寄っていく。彼の到着に気付いた彼女は、ばつが悪そうな苦笑いを浮かべていた。
「マサ。ごめんね、ホントに。」
「奈都美ほどのスポーツウーマンでも、やっぱり怪我したりするんだね。」
真人の嫌味っぽい台詞に、突っ込む元気もなかった奈都美。足首の痛みもあるのだろうが、彼女の場合、精神的な苦痛の方が大きかったようだ。
松葉杖を両脇に挟む奈都美に付き添われ、真人は受付窓口において、検査入院への書類手続きを済ませる。彼女と同じ歳でありながら、まるで保護者のような署名をすることに、どこか違和感を覚える彼であった。
「へへへ、お恥ずかしい話なんだけど、スターティングメンバーに選ばれたせいで、すっかりテンション上がっちゃってね。注意力散漫になっていたようで。」
真人は署名の用事が済んだ後も、しばらくの間、ロビーの椅子に腰掛けながら、奈都美と一緒の時間を過ごしていた。
会話のやり取りの最中、奈都美の口から漏れるのは、自己管理ができていなかった自分の愚かさを猛省する言葉ばかり。試合に出られなかった悔しさが、隣にいる真人にも痛いほど伝わっていた。
「捻挫だけで済めば、リハビリを終えても、一週間ほどで練習できるまで回復すると思うけど。でもね・・・。」
奈都美の表情は曇りっ放しである。先発メンバー入りを果たした矢先に、この故障離脱。早期復帰できたとしても、こんなチャンスは巡ってこないのではないかと、彼女は悲観的な思いを拭うことができなかった。
古巣の東京多摩FCから勧誘の話がなくもなかっただけに、奈都美にしてみたら、ポジション争いから一歩出遅れるわけにはいかない気持ちが強かったのだろう。
「大丈夫だって。奈都美は実力があるから選ばれたんだ。今は安静にして、怪我が治ってからがんばれば、またチャンスはやってくるさ。」
「・・・そうだね。こんなことでめげるなんて、あたしらしくないもんね。」
真人に励まされたおかげで、奈都美はちょっぴり傷心が和らいだようだ。丸くて大きな目を緩めて、彼女は照れくさそうに微笑んでいた。
アパートの留守番のこともあり、あまり長居できない真人は、奈都美にいったん別れを告げて、静寂な病院のロビーを後にすることにした。
奈都美は慣れない松葉杖を動かして、そんな真人のことを正面玄関まで見送ろうとする。
「ああ、いいよ奈都美。あまり無理すると、足首に負担がかかっちゃうぞ。」
制止してはみたものの、心配無用と意固地になって真人の後ろをついてくる奈都美。当然ながら、松葉杖をつきながらの歩き方は、おぼつかなくてどこか危なっかしい。
奈都美のいじらしさにふぅっと溜め息をこぼして、真人は足の動きを彼女の歩調に合わせるのだった。
二人が丁度、あともう少しで正面玄関まで辿り着こうとした時、屋外の方から、自動ドアを開けて入ってくる男の子がいた。その子は偶然にも、奈都美と同様に、松葉杖を手にしながら歩いている。
これまた奈都美と同じく、松葉杖が不慣れな少年は、ふらふらとした足つきで歩行していた。やはりというべきか、お約束というべきか、ここで予想通りの事故が起こってしまう。
「あ、あぶない!」
その少年はよそ見していたために、正面にいた奈都美を避けることができず、倒れ込む形で彼女にぶつかってしまった。いくら運動神経のある彼女と言えど、片足をかばうことが精一杯で、少年を抱きかかえる格好のまま、コンクリート床の上に尻餅をついてしまった。
「おい、奈都美!大丈夫か?」
真人が慌てて具合を尋ねると、奈都美は足に問題はないと強調するも、乗っかられた少年のウェイトに耐え切れず悲鳴を上げるのであった。
一人の力で立ち上がることのできない二人を、真人は一人ずつ手を差し伸べて、ゆっくりと起き上らせる。松葉杖を駆使して、何とか安定姿勢を保つことのできた奈都美とその男の子。
「ゴ、ゴメンなさい!ボ、ボクのせいで。」
幼げな顔立ちから、この男の子は小学生であろうか。スポーツ刈りの頭を必死に振り下ろし、少年は奈都美に向かってひたすら詫び続けた。
心配ないから頭を上げてと、奈都美は少年に対して優しく接する。足にギプスをはめている者同士、ちょっぴり恥ずかしそうに笑い合う二人だった。
その小学生はお別れを告げると、さっきよりもゆっくりとした歩調で、ロビーの奥の方へと消えていった。身軽な着衣からして、この病院に入院している患者だったのかも知れない。
「それじゃあ、オレは帰るよ。入院中は安静にしてること、わかったね?」
「りょーかい。あたしだって子供じゃないもん。みんなには、よろしく伝えておいてね。」
持ち前の明るさで、自動ドア越しで手を振り続ける奈都美。彼女に見送られながら、真人は後ろ髪を引かれる思いのままに白亜の病院を後にした。




