表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/67

第二話 一.闘う女性たちの悲壮感

 それから数日が経過したある日曜日のこと。

 赤みを帯びてきた木の葉がゆらゆら揺れて、秋風が身にしみるそんな朝8時過ぎ。アパートの玄関先では、今朝も日課とばかりに、管理人の真人の庭掃除する姿があった。

 それを傍目から見たら、とても二十歳の青年のやることではなく、青春を謳歌できない彼の宿命に、正直哀れな思いを抱かずにはいられない。

 とはいえ、管理人としての自覚がより強くなった真人にしてみたら、これこそが己の人生なのだろうと、半ば諦めモードでそう自分に言い聞かせていたようだ。

「これだけ綺麗にしておけば、じいちゃんがいつ来ても、ぐちぐち小言を吐かれなくて済むだろう。」

 ゴミも枯れ葉すらも落ちていない庭を見つめて、うんうんとうなづきほくそ笑んでいる真人。

 真人の祖父である八戸居太郎は、管理人を彼に引き継いだ後も、ちょくちょくアパートに姿を見せては、ちゃんと掃除せんかと愚痴をこぼしていく。

 居太郎は現在、このアパートの近所で独り暮らしをしているが、しばしばここまで足を運んでいるのは、きっと寂しい思いをしているからなのだろうと、真人は心にそう思い、身近な肉親には優しくしようと頑なに誓うのだった。

「おはよう、管理人。」

 真人の背後から、低い声をした住人の挨拶が聞こえた。彼は反射的に、クルッと後ろに振り返る。

「ああ、あかりさん。おはようございます。今朝は早いお出掛けなんですね。」

「ええ、まあね・・・。」

 あかりは少しばかり浮かない表情をしている。夜型の彼女のことだから、まだ目が覚めきっていないのだろうと、真人は彼女の顔色からそう感じ取っていた。

 シックな色のスーツを着て、軽めに化粧までしているあかり。漫画の原稿を持っていないところを見ると、いつもの出版社までのお出掛けではないようだ。

 どこに出掛けるのか真人が尋ねると、あかりはぽつりと一言、彼女が来てしまった・・・とだけつぶやいた。

「彼女って、もしかして?」

「そう。あなたの頭に思い浮かんだ人物よ。」

 真人の頭にぼんやりと浮かんできた人物とは、あかりのたった一人の姉妹である真倉夜未まくらやみのことだった。

 あかりと夜未は異母姉妹であるが同年齢、しかも、お互い実家の道場の師範代という立場で、よき理解者であり、よきライバル同士でもある。

「真倉さんはやっぱり、あかりさんを道場へ連れ戻そうとしてるんですか?」

「はっきりと口にはしないけど、そこは否めないわね。彼女、思いのほか執念深いから。」

 夜未は道場主の父親の命を受けて、あかりを実家の道場へ連れ戻そうとした過去がある。拳と拳のぶつかる真剣勝負の末、あかりはアパートに留まるという結果に落ち着いたわけだが・・・。

 そんなあかりが語るに、夜未は今でも、しつこいまでに彼女を道場に引き戻そうと画策しているという。ただ、戦闘にはこだわっていないらしく、それだけが救いだと、彼女は溜め息交じりで苦笑していた。

「今朝、始発の新幹線で、ついさっき東京駅に着いたらしいの。今回は東京観光したいから、道案内してほしいって連絡が入ってね。」

 過去数回に渡り上京した時は、あかりとの勝負ばかりに執着し、まともな観光もできなかった夜未。あかりはいささか怪訝に思いつつも、たった一人の姉妹のために、貴重な時間を割く覚悟を決めたというわけだ。

「そんなわけだから、管理人、悪いけど、今日は留守番をよろしく頼むわ。遅くなるようなら電話するから。」

 久しぶりの再会なのだから、姉妹水入らず東京散策でもしてくださいと、真人はにこやかにあかりを気遣った。彼女は少しばかり照れくさそうに、行ってきますとだけ告げると、最寄駅の方角へとしなやかに歩き出していった。


 =====  * * * *  =====


 その頃、ここは朝の優しい光が射し込むアパートのリビングルーム。

 室内の真ん中にあるソファの上で、猫のニャンダフルがあくびをしながら心地よさそうに丸くなっている。その一方のテーブル席では、向かい合って腰掛けている二人の住人がいた。

「へ~。これが由依さんが書いた台本なんだ。難しい漢字とかいっぱい使ってるんだね。」

「少しだけ背伸びしただけなんです。その方が、格好のいい本に仕上がると思いまして。」

 演劇の台本を眺めながら語り合っていたのは、たまたま午前中の仕事がオフになった麗那と、この台本の制作者である由依の二人であった。

 今日は日曜日ということもあり、由依は根詰めていた受験勉強をお休みして、リビングルームで演劇制作に精を出していたところ、たまたま立ち寄った麗那に声を掛けられていたというわけだ。

 由依は暇さえあれば、自作の演劇台本の執筆活動をしている。女子高生という遊び盛りの年代にも関わらず、彼女は友人と電話したり遊んだりすることもなく、自室やこのリビングルームでペンを立てる生活を送っていた。

「ねぇねぇ、どんなストーリーを作ってるの?ほんのちょっぴりでいいから教えて。」

 お姉さんの強引な問い詰めに、由依は少しばかり困惑してしまう。

 由依の頭の中には、漠然としたストーリーは浮かんでいたものの、まだパズルのパーツが揃っていないような展開で、麗那にどう説明したらよいのか正直わからなかったのである。

「ごめんなさい、麗那さん。まだ叩き台の段階でして、お話できるようなものでは・・・。」

 お許しくださいといった感じで、伏し目がちにお断りを入れる由依。頬づえをついていた麗那は残念と一言つぶやき、テーブル席の奥にどっかりと腰を沈ませた。

 静かな時間の訪れとともに、由依は凛々しい顔で執筆活動へと戻っていく。そんな彼女の邪魔をしちゃ悪いと、麗那もテーブル席から離れるなり、ソファで横たわるニャンダフルと戯れだした。

 それから数分後のことだった。リビングルームにそーっと入室してくる一人の住人がいた。彼女はにわかに表情を曇らせながら、戸棚の引き出しを開けて何かの捜索をし始める。

「奈都美、何探してるの?」

 麗那の呼びかけに、その住人である奈都美は振り返らないままに答える。

「湿布。あたしの持ってたの、なくなっちゃって。」

 奈都美は怪我を示すように、右足でとんとんと床を叩いている。朝のトレーニングの時、落ちていた石を避けようとして、軽く右足を捻ってしまったのだという。

 ここリビングルームには、住人たちが共有する救急箱が置いてある。奈都美はそこから湿布を拝借しようと思い、戸棚の引き出しを隈なく探し回っているわけだ。

「救急箱なら、そこじゃなかったはずよ。」

 知ってる素振りをする麗那は、奈都美のそばを通り過ぎると、そのまま流し台の上に備えてある、食器棚の扉をおもむろに開けた。

「あら、ここじゃないわ。この前、確かここで見かけたと思ったんだけど。」

 人差し指を顎に宛がい、不思議そうな顔を横に捻っている麗那。

 救急箱が食器棚にあるわけないと、奈都美が困惑めいた顔でそうツッコミを入れると、麗那はそれもそうねと、舌をペロッと出して苦笑するだけだった。

「・・・救急箱なら。」

 由依はおもむろに席を立ち、当てもなく捜索を続ける奈都美を尻目に、掃除道具を片付けている物置の方へ歩いていく。物置の扉を開けた彼女は、ごそごそと中をまさぐった後、手提げの付いた木製の小さい箱を手に戻ってきた。

 その木箱こそ、絆創膏に消毒スプレー、それに感冒薬や湿布などが窮屈そうに収まった救急箱そのものであった。

「あー、由依ちゃん!これだよ、これ。よく在り処がわかったね。」

「はい。つい最近、管理人さんが邪魔だからと、この物置に入れていたのを憶えていましたので。」

 マサのせいかーと、呆れた声を張り上げる奈都美。ちゃんと元の場所に片付けろと、彼女は口を尖らせて、煩雑な整理整頓をした管理人を糾弾していた。

 奈都美の憤慨ぶりに、最初こそ、戸惑うあまり目をパチクリさせる由依だったが、奈都美が本心で言っていないとわかると、彼女はクスクスと愛らしく頬を緩めていた。

「これでよし、と。」

 右足の付け根に湿布を貼り付けて、はがれないようしっかりと包帯でテーピングした奈都美。スポーツリハビリを学習している彼女にとって、こういう怪我のケアなどお手のものであった。

 とはいうものの、軽度の捻挫をしていることもまた事実。奈都美は右足をかばいながら、リビングルーム内でゆっくりと歩行練習を始める。

 右足を負傷しているにも関わらず、奈都美は負けん気が強いせいか、今日の試合のベンチ入りを志願しているという。それを聞いた麗那と由依は、さすがに心配そうな顔色をごまかせなかった。

「ちょっと奈都美。あなた、その足で試合なんて出られるわけないでしょう?」

「無理してしまうと、怪我の悪化につながり兼ねません。お休みすることをお奨めします。」

 住人二人の引き留める言葉に、奈都美は一定の理解を示すも、プロとしてのプライドを捨てることはできないと頑なに拒んだ。

 熾烈なレギュラー争いを繰り広げてる奈都美にとって、一試合の欠場だけでも、争奪戦からの離脱を意味するといっても過言ではない。その勇ましさこそ、ど根性娘の切なる言い分であった。

「大丈夫だよ。向こうに着いたら、もっとちゃんとしたテーピングするから。それにね、サッカー選手なんて、このぐらいの怪我はよくあることなんだ。だから、心配ご無用だよ。」

 不安げな面持ちをする二人を気遣い、奈都美は気丈に明るく振る舞う。もう大丈夫と言わんばかりに、その場でジャンプする彼女を、麗那と由依はもうわかったからと、慌てて止めに入っていた。

「それじゃあ、あたし、そろそろ時間だから行ってきます。」

 敬礼のポーズを決めて、奈都美は軽やかな歩調でリビングルームを後にした。

 颯爽と出掛けていくスポーツウーマンを見送った麗那と由依は、複雑な心境を覗かせるように、お互いの苦渋な顔を突き合わせるのだった。


 =====  * * * *  =====


「あれ、メチャメチャのっぽやなぁ。通天閣より高いんちゃうか?」

「当たり前やろ。通天閣は大阪一でも、あっちは世界一の電波塔やもん。」

 隅田川に架かる橋の上で、完成を来春に控えた”東京スカイツリー”を見上げる女性が二人。軽やかな関西弁で会話している、五浦あかりと真倉夜未の姉妹であった。

 上流の方角からそよぐ空っ風に、艶のある長い黒髪を晒している夜未。男っぽい切れ長の目を大きく開いて、彼女は東京名物になるであろう建設途中の電波塔に目を奪われていた。

「あのてっぺんから落ちたら、ひとたまりもないやろなぁ。」

「・・・あんた、思いつくことがちょっと暗いな。」

 あかりと夜未の二人は東京駅で合流してから、東京観光とばかりに、上野のアメ横から浅草浅草寺をぶらりと散策した後、この電波塔を望む絶景ポイントへとやってきていた。

 これまで数回、あかりを実家へ連れ戻そうと、東京まで足を運んでいた夜未だが、観光らしい観光もないまま帰宅していたせいか、今回ばかりは、観光地を巡るたびに胸を躍らせて興奮していた。

「それにしても、あんた。ずいぶん買い込んだみたいやけど。父さんと母さんたちには多すぎるとちゃう?」

 夜未の両手はすでに、紙袋やビニール袋といったお土産で塞がっていた。ここへ来るまでの間、彼女はアメ横の店舗や浅草寺の仲見世を巡っては、あらゆるジャンルのお土産を買い込んでいたのだ。

「門下生にも買うてやるって約束したさかい。ほら、道場の方も、入門生が少しばかり増えたしな。」

「・・・で、そのお土産が雷おこしというのも、いささか味気がないわね。」

 そんな他愛のない話題で語らう二人きりの姉妹。格闘家として育てられ、道場の師範代にまで上り詰めた二人は、言い争うことがあっても、お互い理解し合える親友同士に見えなくもなかった。

 この二人は多くを語らずとも、お互いの胸に秘めた信頼といったものを、醸し出す雰囲気としてほのかに伝え合っていたようだ。

「なぁ、夜未。」

「ん?」

 あかりは夜未に問いかけながら、隅田川の流れる川面を見つめている。

「あんた、いきなり東京へ来たの、わたしのことを道場へ連れ戻すためとちゃう?」

 表情を険しくするあかりを前にして、夜未はこの格好を見てみろと、シックなジャケットをお披露目しながら首を大きく横に振っていた。

 あくまでも東京観光が目的であり、道場にいる家族たちへのお土産を買うために上京したと、夜未は苦々しい顔でそう断言していた。

 川面に視線を向けたまま、クスリと微笑するあかり。その目線をなぞるように、夜未も川の穏やかな流れへと視点を移した。

 隅田川沿いの木々は、にわかに黄金色や朱色に染まりつつある。哀愁を感じさせるその色合いと川のせせらぎが、二人の女性の気持ちを心なしか和ませてくれたようだ。

「父さんと母さん、元気にしとる?」

「ああ、相変わらずや。父上にいたっては、毎日毎日、道場で暴れとるよ。」

 夜未の苦笑する顔を見て、あかりはホッとしたように安堵の息をつく。

 あかりは実家を離れてから数年間、ほとんど家族と連絡を取ることがない。帰省すらも、正月やお盆時期に一度あるかないかで、それこそ頻繁なコミュニケーションなど皆無であった。

 強靭な肉体と精神を宿す父親と、そんな彼を影で支える肝っ玉な母親。そんな二人だからこそ心配無用だろうと、あかりは自分なりにそう決め込んでいるのだろう。

「・・・あかり。あれでも、立派なオヤジやで。時々でええから、連絡ぐらいせぇよ。」

「・・・わかってる。わたしも無視しとるわけやないしな。近々、電話してみるわ。」

 少しばかり気まずい雰囲気が漂い、二人は言葉を交わさないまま、天を突き破るような電波塔のてっぺんを見上げていた。

 ここ東京の都心を吹き抜ける秋風が、姉妹二人の長袖の下の地肌をも突き抜けていく。その風に肌寒さを感じるなり、彼女たちはブルッと華奢な体を震わせた。

「冷えてきたな。そろそろ行こうか。東京駅まで見送るで。」

 寒さを紛らわすように腕組みして、橋の歩道から一歩踏み出そうとするあかり。そんな彼女に、夜未は微笑みながらボソッと声を掛ける。

「あかり、今日はここでええわ。」

 半日ほど、わがままに付き合ってくれてありがとうと、夜未は滅多に見せない感謝の意を示していた。虚を突かれたあかりは、そんな気遣いはいらんと言って、新幹線に乗車するまで見送ると言い張る。

 ここはお互いに頑固者。意固地になって、見送らんでいい、見送ってやるの応酬を繰り返し、橋のど真ん中で通行人たちの注目の的となってしまった二人。

 この消耗戦で負けを認めたのは、周囲の視線に晒される恥ずかしさから、先に顔を背けてしまったあかりの方だった。

「・・・わかった、もう諦めたわ。あんたの好きなようにしいや。わたしはもう行くから。」

 あかりは呆れた顔でお別れを告げると、一人きりで、浅草駅の方角に向かって歩いていく。

 夜未はもの思わしげな表情で、あかりの後ろ姿をじっと見つめていた。そして、彼女は人波をも貫くような大声で、去ろうとするあかりの背中を呼び止める。

「あかり!」

 その大声にあかりは咄嗟に振り返った。それを見るなり、夜未は細い目をより鋭くしながら、説教じみた言葉を語り始める。

「あんたは漫画家やろうけど、道場の師範代でもあるんや。ええか?空手の腕が鈍らんよう、毎日こっちでも鍛錬するんやで。うちがどんなんなろうとも、また勝負するさかい、あんたは強いままのあんたでいるんやで。約束やからな!」

 ほんの一瞬だけ、あかりはポカンとした顔をしたが、すぐさまニヤッと微笑んで、がってん承知と言わんばかりに頭をコクンとうなづかせていた。

 同じ道場の師範代同士、しのぎを削り合う好敵手同士として、夜未とあかりの二人は、鍛え抜かれた空手家のままで再会を誓い合うのだった。

 この時、あかりはまだ知る由もなかった。夜未が道場へ帰ってすぐに、空手道場を守るべく悲壮な闘いに臨むと決意していたことを・・・。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ