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第一話 四.裏切り、そして悔し涙

 夜8時過ぎ、ここは東京都内のとある歓楽街。

 無数の煌びやかなネオンサインがひしめき合い、ここは夜なのだろうか?と思わせるほど、真っ暗な夜空を青白く輝かせていた。

 条例が厳しくなった昨今でも、男性客を誘い込もうと、黒服を着た呼び込みが所狭しと徘徊している。誘われるがままに入店する者、知らん顔を極め込んで冷たくあしらっていく者。この歓楽街でも、よく見かける日常茶飯事な光景が見受けられた。

 その歓楽街のど真ん中で、一際派手な照明で縁取られた看板があった。店名は「ホワイトローズ」、潤が務めるキャバクラである。

「もー、大遅刻しちゃって、散々だったよぉ。」

 薄明るいシャンデリアの下、ベロア製のソファに腰掛けて、隣に座る男性客と談笑している潤。巻き髪をふんわりとさせて、薄青色の光沢があるドレスを着こなす彼女は、キャバ嬢らしく、愛くるしい笑顔で男性客をもてなしていた。

「へぇ、潤ちゃんは美容関係の学校に通ってんのかぁ。もしかして、お店を辞めて、その関係に就職するつもりだったりして?」

 少しだけ憂いを見せる男性客に、潤はまだ辞めるわけないじゃんと、声高らかに否定する。

 今以上に女を磨くため、潤は学校に通うことで、美しくなる秘訣の習得を目論んでいた。それもすべては、このお店でナンバーワンに返り咲くこと、そして、いつかはモデルとして晴れ舞台に上がるために。

「もっともっと綺麗になっちゃうよぉ。そーしたらキミはぁ、あたしにますますゾッコンになっちゃうかもね♪」

 ラメで彩った魅惑な瞳を潤ませて、潤はあどけない仕草で男心をくすぐる。彼女の細い人差し指で、グリグリと胸を押し当てられた男性客は、完全にハートを撃ち抜かれたように放心状態と化していた。

 客を引き寄せる潤のテクニックは相当なものだ。子供みたいにじゃれてくると思いきや、時折見せる、色っぽい上目使いと艶々のリップを武器に、これまで常連客の山を築いてきた実績がある。

 そんな魅力ある潤でも、売上ランキングでただ一人勝つことができない相手がいた。それは、モデル雑誌に取り上げられてから人気が沸騰した、彼女の憎きライバル・・・。

「・・・!」

 潤は唐突に唖然とした表情となった。彼女の見開かれた目は、お店の出入口付近に向けられている。

 ここホワイトローズに入店してきた一人の男性客。どういうわけか、潤はその男性に釘付けとなっていた。いったい彼女に何が起こったというのか?

 その来店客は慣れた足取りで、ボーイに案内されたソファへと腰を下ろす。

 どっかりとソファにもたれながら、その男性は薄明かりに照らされる店内を見回していた。そして、彼の視線は、ほぼ正面で接客していた潤の視線とぴったりと重なる。

「あ・・・。」

 潤の存在に気付いた男性は、負い目を感じるように彼女から目線を逸らしてしまう。それでも、彼女の方は一瞬たりとも、彼のうつむいた顔から目線を離すことはなかった。

「どうして・・・?」

 今にも口から飛び出しそうな言葉を、何とか喉元で食い止める潤。心が動揺するあまり、彼女は知らず知らずのうちに、その華奢な体を小刻みに震わせていた。

 どうかしたの?と、そばにいる男性客は潤の異変を気遣う。しかし、その声は空しくも、彼女の鼓膜まで届いてはいなかったようだ。

 そのすぐ直後、潤の変調をさらに拡大させる事態が起こってしまった。

 潤の見つめる先にいる男性のもとに、真っ赤で派手なドレスを身に着けたキャバ嬢がやってきた。ネックレスとイヤリングがキラキラと瞬き、その顔立ちと風貌すべてがゴージャスな印象を植え付ける。

「お待たせしましたぁ。ごめんなさいね。」

 黄金色に輝く巻き髪、アイラインでくっきりとした目元、真紅のルージュに彩られた唇、まるでお姫さまのようなそのキャバ嬢。彼女は小悪魔のような微笑を浮かべて、潤の見据える男性の隣の席へと腰掛けた。

「・・・こんなの、ひどい。・・・絶対に許せないぃ。」

 うわ言のように震えた声を漏らした潤。眉を目一杯吊り上げながら、彼女は行き場のない怒りに唇を噛み締めている。その怒りの矛先は、正面の座席で余裕の笑みをこぼす、人気ナンバーワンのライバルただ一人に向けられていた。

 潤の豹変ぶりを見るに見兼ねて、隣にいた男性客は血相を変えて、噴火寸前の彼女をなだめるような声で呼びかけていた。

「潤ちゃん、ちょっと、大丈夫!?どこか具合が悪いのかい?」

「ご、ごめんねー。心配ないよぉ。ちょっぴり考え事しちゃった。ははは・・・。」

 自分自身も接客中だったことに気付き、潤は慌てて冷静さを取り戻そうとする。しかし、頭の中が錯乱し、心が混迷という渦に飲まれていた彼女は、隣にいるお客に作り笑いで応えるのが精一杯だった。


 =====  * * * *  =====


 夜も更けた午後11時過ぎ。ここは「ホワイトローズ」の控室だ。

 四畳半ぐらいの狭いスペースの室内で、何やら言い争いをしている男女二人。

「オーナーぁ!ちゃんと聞いてるんですかぁ!?彼女のしたことって、間違いなくルール違反じゃないですか!」

 廊下にも響かんばかりにつんざく潤の叫び声。止め処なく繰り返される彼女の大声に、控室で尊大に構える男性は、飽き飽きしたような顔で両耳に指を突っ込んでいる。

 紹介するまでもなく、この男性はホワイトローズの若きオーナーである。つまりは、店長や男性スタッフ含め、潤たち女性従業員の勤怠を管理する立場でもあった。

「いいから落ち着けよ。彼女からは、お客さんの方から指名してきたと聞いてる。あのお客さんには、指名するよう脅迫も強要もしていないそうだ。」

 オーナーのいうお客さんとは、潤の視線の先にいたあの男性客のことだ。彼は何を隠そう、もともと彼女の常連客だったのだ。それにも関わらず、その男性客は彼女ではなく、人気トップを誇るあのお姫さまを指名したというわけだ。

 キャバ嬢たちの間では、他店ならまだしも、同じお店の女の子同士の常連客の奪い合いはタブーであり、この業界において暗黙の了解であった。

 ライバルのまるで泥棒猫のような裏切り行為を、潤はとにかく許すことができなかった。彼女はひたすら息巻いて、オーナーから彼女に是正を求めるよう直談判していたのだ。

「そんなのウソに決まってるもん!あのお客さんが、あたしのことを裏切るなんて信じられないしぃ!」

 オーナーの言葉をまったく聞き入れようとしない潤。彼女は巻き髪を振り乱して、あのお姫さまなキャバ嬢のことをただ非難し続けている。

 自らのことを慕ってくれるお客に不誠実な人などいない。潤はこの時、常連客一人一人に対する思いやる気持ちを垣間見せていた。

 従業員に一方的にわめかれて、オーナーは我慢の限界だったのだろうか、ついに苛立つような尖り声を上げる。

「おい、潤。おまえ、少し自惚れすぎてるんじゃないか?」

 潤はドキッと鼓動を震わせて絶句する。オーナーの冷酷な目つきに、彼女は背筋が凍りつき震え上がってしまった。

「人気ナンバーワンに嫉妬心を抱くのはいいが、大遅刻してくるようなおまえが、そこまで堂々と文句が言える立場なのか?」

 空気の抜けた風船のごとく、完全に委縮してしまった潤。オーナーの言う通りなだけに、彼女は反論できず悔しそうに口をつぐんでいた。

 もう話はここまでだと、オーナーは強引に話を断ち切って、ささくれ立った神経のまま控室を出ていく。遅刻した時間分を給料から減額しておくと、意気消沈とした潤にそう吐き捨てながら。

 潤はしばらくの間、静寂の控室にただ一人立ち尽くす。小刻みに体を震わせて、彼女は痛恨の表情をうつむかせたままだ。そして、冷たいタイルの床の上には、数滴の悔し涙がぽつりぽつりと落ちていった。


 =====  * * * *  =====


 漆黒の闇夜、日付が移り変わる午前0時。

 小さな街灯に照らされたアパート沿いの街路に、一台の自動車がゆっくりと停車する。助手席から降りてきたのは、マネージャーと一緒に食事を終えて、アパートまで見送ってもらった麗那であった。

 麗那が小さく手を振っておやすみを告げると、マネージャーの景衣子は笑顔で応えて、自動車を暗闇の中へと静かに走らせていった。

 一日の労働の疲れに吐息を漏らし、麗那はアパートの玄関目指して重たい足を向ける。

「・・・え?」

 すっかり明かりの消えたアパートの玄関前で、麗那は心の中で驚きの声を上げて立ち止まる。それもそのはずで、玄関のドアの前には、携帯電話を耳に宛がいそわそわしている住人の姿があったからだ。

「・・・ジュリー?そこで何しているの?」

「Oh、麗那!?」

 ジュリーは携帯電話を耳から離すと、麗那のもとに駆け足で近寄ってきた。暗がりではっきりわからないが、彼女はホッとしたような表情を浮かべている。

「よかったワ。麗那、あなた玄関のカギ持ってる?」

「うん。ここ最近は帰宅が遅いからね。もしかして、カギが締まってるの?」

 ジェスチャーを交えながら、困惑した顔でうなづいたジュリー。アルバイト先の先輩に呼び出された挙句、こんな時刻まで付き合わされたと、彼女はぼやくような愚痴を漏らしていた。

 このアパートの住人たちは、玄関のカギを持たずに出掛けてしまうことがあるため、締め出されないよう、玄関のカギは開けっ放しだったりする。しかし、それではあまりにも不用心なので、最後に帰宅してくるであろう潤が、最後にカギを締めるルールが常習化していた。

 そんなわけで、締め出されてしまったジュリーは、潤の携帯電話に電話を掛けて、今どこにいるのか尋ねようとしていたわけだ。

「ところがネ。潤の携帯につながらないのヨ。さっきから何回もコールしてるんだけど・・・。」

 ジュリーは戸惑いの表情を浮かべて、アパートの二階にある潤の部屋を見上げている。彼女にならうように、麗那も潤の部屋へと視線を合わせた。

 潤は帰宅していないのだろうか、それとも、もう就寝についているのだろうか、彼女の部屋の窓はこの闇夜のように真っ暗だった。

「まだお仕事かな。でも潤のことだから、仕事終わってから、寄り道してるかも知れないよ。」

「・・・そうネ。帰ってくるにはまだ早い時間だし。麗那の言う通りかもネ。」

 このままでは体が冷えて風邪を引き兼ねないと、麗那とジュリーはそそくさと玄関のカギを開錠して、眠りに落ちたアパート内へと入っていった。

 先頭に立つ麗那が、廊下の照明のスイッチを点灯する。すると、一寸先も闇だった廊下が、ぼんやりと薄明るい光に照らし出された。

 静かな足音を立てて、玄関前の廊下を歩いていく二人。丁度、リビングルームや階段のある方向へ曲がった途端、彼女たち二人は驚愕な光景を目の当たりにする。驚くのも当たり前で、横になった女性の両足が、階段付近からわずかに見えていたからだ。

「ジュリー、あそこ!人が倒れてるわっ!」

 麗那とジュリーは大慌てで、倒れている女性のもとへと駆け出した。

 ヒールの高いパンプスを廊下に投げ出して、太ももまであらわにした生足の持ち主は、携帯電話とハンドバッグを握ったまま、階段の途中でうつぶせている潤であった。

「潤!?ど、どうしたのよ、いったい!?」

 麗那は青ざめた表情で、腹ばいになっている潤のそばに近寄る。うつぶせている潤の顔色を窺おうとした瞬間、アルコールの甘い香りが、彼女の鼻をほのかに掠めた。

「・・・もしかして、酔い潰れてるの?」

 よく観察してみると、潤は目頭や頬を赤らめて小さな寝息を立てていた。どうやら彼女は酔いのせいか、自室へ帰る途中で、眠気という誘惑に負けて力尽きてしまったようだ。

「この子、お酒二杯以上飲んじゃってるわネ。」

「自力でここまで帰ってきたってこと?いったい、どこで飲んだのかな。」

 潤はキャバ嬢でありながらも、決してお酒に強いわけではない。二杯以上飲酒してしまうと、すぐに酔いが回って眠りこけてしまうのだ。

 いずれにせよ、潤の身に危険があったわけではなかったことに、麗那とジュリーの二人は呆れつつも、互いに安堵の顔を向け合っていた。

 酔っぱらってしまうと易々と起きてはくれない潤。そんな彼女のことを知ってか、麗那とジュリーは協力しながら、眠り姫の体をゆっくりと抱き起こす。

 余程深い眠りに落ちていたのか、二人に触れられている間も、潤はやはり目覚めることはなかった。時々、荒い息遣いと一緒に、寝言のような小声をつぶやくだけだった。

「う~ん、マサぁ・・・。年下のくせに、えらそーにしちゃってぇ・・・むにゃ、むにゃ。」

 麗那とジュリーはクスクスと微笑しつつ、潤のために自らの小さい肩を貸してあげた。

「いつもマサくんの役目だから、わたしたちをマサくんだと思ってるみたい。」

「そうネ。それにしてもこの子、寝言でもマサのことを子供扱いしてるのネ。」

 麗那とジュリーは慎重な足取りで、一段また一段と、階段から転げ落ちないよう踏みしめながら上っていく。酔っ払いを運ぶことに慣れていない彼女たちは、この時、真人の苦労を身にしみて痛感するのであった。

 そんな二人の苦労などお構いなしに、抱えられたままの潤は、顔をしかめたり歪めたりして、愚痴っぽい文句をただ吐き続けていた。

「見てなさいよぉ。・・・いつか必ず、みんなから注目されるモデルになってやるんだからぁ・・・!」

 潤の怒気を含んだ寝言を耳にして、麗那は思わず戸惑いの表情を浮かべる。

 モデルという職業に憧れる潤の気持ち、そして、その熱意を肌で感じた麗那は、応援していこうという前向きな思いと一緒に、やり切れない複雑な気持ちを抱かずにはいられなかった。

 この長い夜はそれぞれの思いのままに、そっと静かに時を刻んでいくのだった。


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