第九話 一.曇り空の下で誓った決意
季節は12月、いろいろと慌ただしくなる師走。色鮮やかな秋も鳴りを潜めて、厳しい寒さを呼ぶ冬の到来である。
上空には風景を薄暗くするような鉛色の雲。肌から艶を奪うような乾燥した風が吹くある日の午後、ここは、東京都杉並区の阿佐ヶ谷にある墓地の一角。
御影石で建立された立派な墓石の前でお参りをするのは、アパートの住人の一人である麗那。彼女のすぐ隣には、無二の親友である紗依子の姿もあった。
この地に眠る大切な人を慈しむように、墓石には落ち着きのある色でまとめた仏花が飾られている。そして、ほのかに立ち上る線香の白い煙が、上空の曇り空へとゆっくりと吸い込まれていった。
「先輩。わたし、これからはわたし自身のためにがんばってみます。きっとこれからも、迷ったり立ち止まったりすると思うけど、その時は遠くの空からアドバイスしてくださいね。」
墓石の前で両手を合わせて、神妙な面持ちで祈りを捧げる麗那。尊敬してやまないモデルの先輩に、彼女はこれからの将来について報告をしていた。
数十秒間のお参りを済ませて、麗那はつむっていた瞳をそっと開く。静かに立ち上がる彼女に向かって、紗依子は微笑みながら声を掛ける。
「どう、麗那。先輩からの声は聞こえたの?」
「フフ。はっきりじゃないけど、あなたの決めたことを応援するって、そう聞こえた気がするわ。」
それがたとえ冗談でも、どんなジョークでもクスクスと微笑し合えるこの二人。同じ出身地で同じ短大を卒業し、モデルとしても活動していた間柄ならではの、切っても切れない絆のようなものが垣間見れた。
そんな何でも話せる親友だからこそ、麗那は紗依子にすべてを告白していた。そして、これからの将来のことも相談し、麗那はようやく選ぶべき希望を導き出すことができた。
「もう、迷いはないのね?」
突如真剣な表情をして、麗那を問い詰めるように話しかけた紗依子。
「そういう聞き方はしないで。迷いがなかったらこんな苦労はしてないよ。だけど、わたし自身で出した結論だから、後悔はしてないわ。」
「・・・それはよかったわ。それなら、わたしも安心して、あなたのことを応援し続けられる。・・・あたながどこへ向かおうともね。」
麗那と紗依子の二人はおもむろに遠くへ視線を向ける。彼女たちの視線の先には、果たして何が映っていたのだろうか?それは麗那にとって、海外へ旅立つという希望の道なのか、それとも、一人の女性として幸せを追い求める道なのか?
人気ファッションモデルとして一つの結論に辿り着いた麗那。内心ホッとしているかと思いきや、彼女の心中はまだ晴れやかとは言えなかった。それを悟られてしまったのか、紗依子からその悩みのタネをズバリと指摘されてしまう。
「ねぇ、麗那。このことだけど、住人のみんなにはちゃんと話したの?」
うつむき加減で口を閉ざし、麗那は否定するように首を横に振った。
海外デビューの話が決まって以来、管理人の真人や他の住人たちと何度も顔を合わせていたものの、みんなの反応を恐れるあまり、今日まで言い出せるタイミングを掴めないままでいた。
とはいえ、このまま内緒にしておくわけにはいかない。麗那はそう思ってはいても、伝えるべき決心と、踏ん切りがつかないもどかしさとの葛藤に苦しんでいた。
「気持ちはわかるけど、黙ったままというわけにはいかないでしょう。」
紗依子は麗那の心中を察するも、このまま秘密にしておくのはよくないと諭す。遅くなればなるほど言い出しにくくなり、かつ、真人や住人たちのショックも大きくなるとわかっているからであろう。
もちろん、麗那自身もそれは重々承知していること。彼女において重大発表となるであろうこの告白、それなりの勇気と心構えで臨むつもりなのだという。
「まずは、マサくんに話そうと思ってるの。彼ならいいアドバイスもくれるだろうし、他のみんなに伝えやすくなるかなと思って。」
麗那はこれまで、小さな悩みや大きな相談のほとんどを、管理人である真人に包み隠さず打ち明けてきた。彼の周囲の状況を見据えた判断力、そして何よりも、彼の人を思いやる包容力に、彼女は幾度の危機も救われてきたのだ。
紗依子も納得したようにうなづき、麗那の的確とも言える意見に同調した。真人の人間味溢れる人柄を、紗依子も過去の経験から存分に知っているからだろう。
そんな会話のやり取りから数秒後、紗依子は意味ありげにクスリと微笑する。それを不思議に感じた麗那は、彼女のにやける顔にふと視点を合わせた。
「やっぱりマサくんは、麗那にとって、いつの間にか大きな存在になっていたのかしらね~?」
何かにつけて真人に頼る親友をからかい、冷やかすような細い目をぶつけている紗依子。恥らう声で反論する姿を期待した彼女だったが、麗那から返ってきた反応は、その期待をあっさりと裏切ってしまった。
「ええ、彼はとても大きな存在よ。一人の親友としても、もちろん、一人の男性としてもね。」
「・・・すがすがしく言い切っちゃったわね。からかい甲斐がないわよ、もう。」
その好意とも取れる発言に、紗依子はチクチクと執拗に詮索するも、真人の存在は他の住人と同じくかけがえのない大切なものだと、麗那は必要以上に真意を語ることはなかった。
それでも、海外デビューのことを真剣に考えていた時、他の住人の誰よりも、頼れる管理人の顔が一番に浮かんでいたことだけは、偽りではないと打ち明ける麗那であった。
「冷えてきたわね。どこかでコーヒーでも飲んでいこうか。」
「そうね。できれば、おいしいチーズケーキのあるお店がいいわ。」
いつもの親友同士のような、微笑ましい表情を向け合う二人。たとえお互いがどんな道に進もうとも、心の絆まではきっと離れることはないだろう。
肌を刺すような冷たい北風を上着で凌ぎつつ、麗那と紗依子は先輩のお墓にしばしの別れを告げる。そして、安らかに眠る故人を起こさぬように、静寂に包まれた墓地をゆっくりと後にするのだった。




