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第六話 五.道を閉ざしてしまうわけ

 何の前触れもなく、ローリングサンダーのリーダーがアパートに電撃訪問していた頃、ここは最寄駅西口の繁華街に店舗を構える「串焼き浜木綿」。

 ぼんやりと灯る赤提灯に、焼き鳥を自慢する真っ赤なのぼりを掲げるこの店でも、アルバイトを終えた住人が一人、不平不満をぶつけようと電撃訪問していた。

 その住人、なおかつバンドメンバーでもあるジュリーは、客足の少ないいつものカウンター席にちょこんと座り、オヤジくさい焼酎の水割りをあおっていた。

「おいおい、ジュリー。その話、本当かい?すごいじゃないか!」

 注文を承った焼き鳥をせっせと焼きながら、お店のマスターである榎竹幸市が唖然とした声を上げた。それにつられるように、従業員兼看板主婦でもある紗依子も、散らかったテーブルを拭きながら感嘆の声を上げた。

「プロに憧れてたジュリーには願ってもない話じゃない!」

 まるで自分のことのように浮かれるお店の関係者二人。ところが、その当人はというと、グラスのお酒をグイッと飲み干し、しゃがれた声で愚痴をこぼし始める。

「嬉しいはずなのに、ぜんぜん嬉しくないんだヨ~。わたしぃ、どうしたらいいのか、わかんなくなっちゃったのヨ~。」

 ジュリーの意味不明な繰り言に、キョトンとした顔を見せ合う幸市と紗依子。二人がどういうことか詮索する前に、彼女は身振り手振り動かして、昨日の「パンジー楽器店」でのひと悶着をぐちぐちと語り出した。

 店主でもあるバンドリーダーの栄輔に報告したところ、理不尽にも、聞く耳も持たずに真っ向から否定されてしまったジュリー。理由を尋ねてもはぐらかされて、非情なまでに冷たく跳ね返された彼女は、悔しさと悲しさのあまり悲痛な思いをにじませていた。

 未熟者の時代から今まで、娘のように親身になって指導してくれたリーダー。彼なら応援してくれると信じてやまなかったジュリーにとって、その無慈悲な仕打ちはあまりにも残酷過ぎるものであった。

「わたしはね、ただ彼に認めてほしかったノ。バンドを脱退することも、プロとして活動する心構えを、わたしの不安な気持ちをすべて彼に聞いてほしかったのヨ。・・・それなのに、それなのに~。」

 ゴクゴクと焼酎を浴びるように飲み切り、ジュリーはもう一杯とおかわりを要求した。彼女が来店してからほんの30分ほど。このおかわりは、本日三杯目の水割りだった。

「ちょっとジュリー。いくらお酒に強いあなたでもペースが早すぎるわ。少しだけ休みなさい。」

「放っておいてよ、紗依子!わたしはお客ヨ。焼酎じゃ酔えないから、ワインでもブランデーでもウォッカでも、何でもいいから持ってきなさいヨ。」

 急ピッチのせいで酔いが回り、ジュリーはとうとう歯止めがきかないほど荒れてしまった。紗依子や幸市にも見境なく当り散らし、お酒をじゃんじゃん持ってこいと言わんばかりの荒れ模様だ。

 お客である前に大切な友人なのだからと、紗依子は負けん気の強さでそう諭しつつ、ジュリーに投げやりにならないよう厳しく言い聞かせる。マスターの幸市も苦渋の面持ちで、大切な常連客の一人を気遣い、紗依子と一緒になって苦言を呈するのだった。

「う~、二人までわたしをいじめるのネ~。もういいわヨォォ~。」

 ジュリーは恨みつらみをぶちまけながら、カウンターの上に泣き顔をうつぶせていた。

 怒ったり泣いたりわめいたり。今夜のジュリーはまるで信号機のように顔色を変えていたが、ここに来て、ついに赤信号となって動かなくなってしまった。

 ぶつぶつつぶやく恨み節も静かになっていくと、ジュリーは疲れ果てたかのように、かすかな寝息を立てて眠り込んでしまうのであった。

「ありゃりゃ。せっかく焼き鳥が焼き上がったのに、ジュリーのヤツ、寝ちまったね。」

「ふぅ、本当に困った子ね。言いたいこと言い切っちゃたら、はい、おやすみなさい、だもの。」

 すっかり呆れ果てた幸市と紗依子は、カウンターの上に突っ伏しているジュリーを見つめて苦笑する。

 丁度テーブル席にもカウンター席にも他のお客はおらず、この後も来客は少ないだろうからと、二人はジュリーをそのまま寝かせてあげることにした。

 友人の体調を気遣うように、薄手のウインドブレーカー一枚のジュリーの肩に、体を冷やさないよう、紗依子は自らのエスニック柄のカーディガンをそっと掛けてあげた。

「ジュリーが閉店までに起きてくれたらいいけど、もし、寝たままだったらどうします?」

「ははは、そん時はそん時だよ。何なら、オレが車でアパートまで送るまでさ。」

 紗依子の心配をよそに、マスターは愛想よく気さくに笑った。この持ち前の人情家らしい振る舞いこそ、彼女やアパートの住人のみならず、常連客からも支持される人柄なのであろう。

 安心してかホッと胸を撫で下ろす紗依子。店内に閑古鳥が鳴いていることもあり、仕事らしい仕事もない彼女は、ジュリーの隣の席にどっこいしょと腰を下ろした。

「それにしても、ローリングサンダーのリーダーは、どうしてそんなに拒んだんでしょうね。」

 長い間一緒に活動してきた仲間であれば、プロになる夢を実現するチャンスを素直に喜ぶのでは?紗依子はどうにも、リーダーの栄輔の態度が腑に落ちない様子だった。

「ああ、それなんだけどね。ちょっとだけ思い当たる節があるんだよ。」

「それ本当ですか、マスター?どんなことなんです?」

 うつぶせているジュリーを一瞬チラ見して、マスターは内緒話のような口振りで語り始める。

「もうずいぶん昔のことだけど、リーダーの谷さんがここへ飲みに来た時にさ、酔っぱらった弾みで愚痴をこぼしてたんだ。・・・プロになんかなるんじゃなかった、ってね。」

 幸市はその時、栄輔の口から漏れてしまったその言葉の真意を、根掘り葉掘り聞くような野暮なマネはしなかったらしく、詳しいところまでは知らないという。しかし、言葉の節々に、マネジメント側と何かしらトラブルになっているような雰囲気だけは漂っていたそうだ。

 それから数年経ったある日、栄輔がここ浜木綿に久しぶりに来訪した時、彼はすでに、アマチュアバンドを結成して再スタートを切った後だったとのことだ。

「なるほど・・・。ということは、リーダーはプロに嫌悪感というか、不信感みたいなものを抱いてるんですかね。」

「ジュリーがプロにスカウトされて、それを真っ向から突っぱねたってことは、そういう事情があるのかも知れないね。」

 真実かどうかまだはっきりしない辛い現実に、幸市と紗依子は困惑の表情を浮かべる。

 二人の哀れむ視線の先には、目元にちょっぴり涙を溜めたジュリーの寝顔があった。どうにも解決しようのないもどかしさの中、彼女はこの時、いったいどんな夢を見ていたのだろうか・・・?


 =====  * * * *  =====


 ジュリーが「串焼き浜木綿」のカウンターで愚痴っていた頃、物語の舞台は、再びアパートのリビングルームへと舞い戻る。

 事前の連絡もなく突然アパートを訪問した、ローリングサンダーのリーダーである栄輔。ジュリーのことで助けてほしいと頼まれてしまっては、管理人を任される真人としては無碍に断ることもできない。

 楽しかった麗那との晩餐会を不本意にもお開きにして、リビングルームへゲストを迎え入れた真人。もちろん、酔いもすっかり醒めた彼女にもメンバーに加わってもらい、夜な夜な、意味深な相談事を語り合う座談会がこれから始まる。

「リーダー。さっそくお話してもらえますか?今回は、ジュリーさんについてどんな相談を?」

 ”今回は”という箇所にアクセントを置き、真人は複雑そうな表情で相談に耳を傾けようとする。

 過去にも、いきなり来訪してきたリーダーから、当時メンバーではなかったジュリーに無理やりボーカリストを頼み込まれたことがある真人。今回も無理難題なのではないかと、正直なところ、彼の気持ちは穏やかとは言えなかった。

 そういう過去があるからだろうか、栄輔本人もちょっとだけ気兼ねしているようだ。それでも彼は、頼れるのはアパートの関係者だけだと思い、相談の内容について重々しく口を開く。

「きみたちは、ジュリーからもう、プロのスカウトのことを聞いているかな?」

 栄輔から明かされた衝撃の事実に、目を見開いてびっくりしている真人と麗那。実はこの二人、まだジュリーから嬉しい報告を知らされてはいなかったのだ。

 真人も麗那も初耳だったことに、それぞれ腑に落ちない思いを吐露する。あのジュリーの性格であれば、こんな喜ばしい話題ならもったいぶったりせず、すぐにもみんなに伝えるのでは?と思ったからだ。

「それはきっと、ジュリーにも迷いがあったんだろうね。彼女にとっては、難しい決断のはずだから。」

 気難しい顔をしている栄輔は、まるで何もかも察しているかのように、ジュリーの戸惑う心境を代弁した。住人たちに報告しなかった彼女に代わって、彼はこのたびのスカウト劇の詳細について語っていく。

「ジュリーを誘ってきたのは、ビオラレコードの営業マネージャーの小山田という男でね。実をいうと、小山田とわたしは、一時期一緒に仕事をしていた間柄なんだよ。」

 ジャズミュージック専門レーベルの会社「ビオラレコード」はかつて、経営的不振に陥り、倒産寸前まで追い込まれたことがあった。その窮地を救うべく、当時から敏腕マネージャーだった小山田が注目したのは、当時アマチュアバンドで活躍していた栄輔だった。

 小山田の強引ともいえるスカウトに根負けし、当時のバンドを脱退してまで、プロミュージシャンとしてスタートを切った栄輔。彼と小山田はそれこそ二人三脚で、会社の再建と知名度向上のために、それぞれの分野で情熱を注いでいったという。

「まあ、彼とはいろいろ遺恨もあってね、わたしはプロから引退して現在に至るわけだが・・・。」

 栄輔が振り返っていく昔話を、真人と麗那は興味津々な表情で聞き入っている。しかし、彼の口調に苛立ちが混じっていくことに、少しばかり動揺を隠し切れない二人だった。

 プロの一線から身を引いた後も、小山田は栄輔のアマチュアバンドを絶賛し、しばらくの間は、もう一度一緒に活動しようと働きかけていたそうだ。しかし、一向に首を縦に振ろうとしない栄輔に痺れを切らした小山田は、ついにボーカルのジュリーの美声に目を付けたのだという。

「彼はわたしの店に顔を出しては、一言目にはジュリーと話をさせてほしい、だった。そのたびに、わたしは取り合うこともなく門前払いにしていたんだがね。」

 ここまで話し終えた栄輔は、疲れ切ったような表情でうつむいた。口寂しそうな仕草をする彼に、真人は戸棚に片付けてあった汚れのない灰皿を差し出すのだった。

 栄輔はくわえたタバコに火を点し、灰色の溜め息とともに紫煙を吐き出す。タバコの一服で間を置いてから、彼はいよいよ相談の本筋について打ち明ける。

「・・・相談というのは他でもない。」

 不安と緊張のあまり、ゴクリと生唾を飲み込む真人と麗那。

 これから語られる栄輔からのお願いは、ここまでの話を聞いていた二人には、それとなく予測できることだったが、それ以上に予測したくない内容でもあった。

「ジュリーに、プロになることを諦めさせてほしいんだ。」

 プロになること、それがジュリーにとって夢と希望なのは、アパートの住人たちなら誰もが知っていること。真人と麗那は当然ながら納得できず、どうしてなのか?と語気を強めて問いただすことしかできなかった。

 栄輔はこの時も、プロの世界の険しさや厳しさといった現実を語るのみで、ジュリーの夢と希望に、応援するどころか目を向けようともしなかった。

「もちろん、すぐにとは言わない。ゆっくり時間を掛けて、それとなく話題に触れてから、波風立てないよううまく説得してもらえると助かる。」

 半ば一方的に頭を下げてお願いされても、わかりましたとおとなしく即答できるはずもない。麗那は親友を想う気持ちが高ぶり、失礼とわかっていてもつい声を荒げてしまう。

「いくら何でも身勝手過ぎますよ!ジュリーの気持ち、谷さんだってわかってるはずでしょう?それなのにどうして!?」

「もちろんわかっている。だが、時期尚早過ぎるんだ。プロでやっていくには、実力だけじゃなく、それなりの心構えも必要なんだよ。」

 麗那と栄輔の行ったり来たりの意地の張り合いが続いた。冷静さを欠けば欠くほど、話はますますこんがらがり、結論すら見出せない無意味な時間ばかりが流れていった。

 このままでは埒が明かないので、二人が話し合って出した結論とは、いつも面倒な事から逃げられない性分の真人に委ねることであった。つまりは、彼に最終的な判断を下してもらおうというわけだ。

 こんな役ばかりと自虐気味に嘆く真人は、委ねられたからには中途半端は許されないと、気持ちを引き締めて、自分なりの慎重かつ厳正なる決断を下すのだった。

「リーダーには申し訳ないですけど、オレは麗那さんと同じ意見で、とても容認できません。」

 ジュリーを表舞台に立たせる前回とは違い、今回は、夢や希望といった生き甲斐すらも奪いかねない重大な問題だとし、真人はリーダーからの頼みとはいえ、拒否権を発動する決意を全面に打ち出した。

 だからといって、このままではどちらにも歩み寄ることができず、それこそジュリーと栄輔の関係もギクシャクしてしまう。そう考えた真人は、解決策を探るべく一つ提案を思いついた。

「当事者が不在のここで議論することじゃありませんよ。だから、関係者全員をここに集めて、そこで議論し、最善の結論を出しませんか?」

 当事者であるジュリー、そしてレコード会社の小山田も交えて、関係者たちで意見や要望を出し合い、みんなで平等な討論をしようと発案した真人。もちろん、オブザーバー的な役割として、彼と麗那も参加する前提だった。

「えー、やっぱりわたしも参加しなきゃダメ?ちょっとだけ気が重いなぁ。」

「ここまで来て、それはないですよ。麗那さんもよろしくお願いしますね。」

 やはりジュリーの苦心の顔を見たくないのか、尻込みしてしまい泣き言を述べていた麗那だったが、真人から逃がしてもらえるわけもなく、渋々ながらも参加する羽目になってしまった。

 この場で渋っていたのは麗那だけではない。栄輔も戸惑いの表情を浮かべて、関係者が集った方が余計にこじれてしまうことを懸念し、真人の提案に賛成の意思を示せずにいた。

 気後れしているのか、自信喪失してしまっている栄輔。そんな彼の弱気に発破を掛けようと、真人は強気の姿勢できっぱりと物申す。

「今さら自信を失う間柄じゃないでしょう。長い間、まるで親子のように一緒に活動してきた二人なら、真剣に話をして、真面目に耳を傾ければ、どんな揉め事だってこじれたりしませんよ。違いますか?」

 真人から諭されるように問われて、栄輔はグゥの音も出ないといった表情を返した。

 お互いに励まし合い、慰め合って、切磋琢磨しながら成長してきたバンドメンバーの二人。そんな気の置けない二人なら、どんな葛藤も軋轢も、きっと話し合って解決できるだろうと、栄輔はそんな結論に辿り着き、目からウロコが落ちる思いだった。

「そうだね。・・・管理人さんに頼らずとも、わたしはもっと、ジュリーと自信を持って接するべきなんだろうな。」

「こちらも御膳立てはしっかりやります。だからリーダーも、ジュリーさんや小山田さんと真剣に向き合う心構えを持ってください。」

 やっと栄輔らしい穏やかな笑みがこぼれる。彼は真人と固い握手を交わすと、関係者への参加の号令は自分に任せてほしいと申し出るのだった。

 これにより、ジュリーの将来について協議する会合が、後日、ここリビングルームで開催される運びとなった。真人と麗那の二人は、この会合の行方に今から戦々恐々としていたが、何よりも、リーダーである栄輔が一番気が気でなかったであろう。

 それから数時間後、浜木綿のマスターから車で送ってもらい、無事アパートに到着したジュリー。まさかここでそんなやり取りがあったことなど、酔いどれレディと化した彼女に当然わかるはずもなかった。


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