第一話 二.夜に輝く婚約指輪
数日後、肌寒い夜風が吹くある夜のこと。
ここは、「ハイツ一期一会」の住人たちが集う庶民的な居酒屋「串焼き浜木綿」。営業していることを告げるように、赤提灯と暖簾を風情のある軒先にぶら下げていた。
アパートからそう遠くない、最寄駅西口の繁華街に佇むこの浜木綿。客層は仕事帰りのサラリーマンが多いものの、そのほとんどが常連客のせいか、心の交流が楽しめる味わいのある居酒屋であった。
「はいよ。生、四つね。ちょっと待っててね。」
威勢のいい声で注文を伺うこの男性こそ、この居酒屋を取り仕切るマスターの榎竹幸市だ。常連客や住人たちから、親しみを込めてマスターと呼ばれている。
スポーツ刈りの頭に捻じり鉢巻を巻いて、いなせな甚平がやたらと似合い、きっぷの良さからお客の評判も上々の男であった。
「あ、マスター、運ぶのだけは手伝いますよ。」
マスターを気遣うように声を掛けた、エスニック柄の服を装う女性。彼女の名前は九峰紗依子。ここ浜木綿の従業員であり、自称”看板娘”だ。
短めのストレートヘアに、黒目がちな小さい目、そして穏やかそうに見える丸顔が、お店のマドンナに相応しいほど愛らしい。
「ああ、いいよ。サエちゃんは主役なんだからさ。今夜はのんびり飲んじゃってよ。」
マスターの幸市は明るく笑って、立ち上がろうとした紗依子を制止する。主役と呼ばれることに慣れないせいか、彼女は照れくさそうに苦笑いしていた。果たして、彼女はいったいどんな物語の主役なのであろうか?
浜木綿にただ一つある個室の座敷。ここには、アパートの管理人である真人と住人の麗那が、そんなはにかみ屋の主人公と向き合って座っている。
さらに紗依子の隣には、凛々しい端正な顔立ちをした男性が腰を下ろしていた。彼も彼女と同じく、苦笑しながら恥じらいをごまかしていた。
「もう、マスターったら、変に気を回すんだから。そんな大層なことでもないのに。」
紗依子がぼやくような声を上げて、隣にいる男性へチラッと目配せすると、彼は正座した足を触りながら、緊張したカチンコチンの表情で相槌を打った。
どこか落ち着きのないこの二人のことを、麗那と真人は呆れたような眼差しで見つめていた。
「何言ってるのよ。あなたたちにしたら、大層なことじゃない!」
「本当ですよ。お二人にとって一大決心ですからね。もう少しシャキッとしてもらわないと。」
あまりの不甲斐なさに、お向かいさんに叱られてしまった紗依子たち。それでも彼女たち二人は、頬を赤らめながらとても幸せそうに笑っていた。
微笑む紗依子のそばにいる男性、彼の正体は、彼女とかねてから交際していた「胡蝶蘭総合病院」の小児科医であった。実はこの二人、愛を育んだ成果が実を結び、ついに将来を誓い合うまでの仲になっていた。
というわけで、今夜、ここ浜木綿の座敷にて、不器用なこの二人の婚約発表会と相成ったわけだ。
「まずは、彼のことを改めて紹介させてもらうわね。フィアンセの沢美弥祐次さん。二人も知ってる通り、総合病院のお医者さんよ。」
「どうも。・・・一桑くんには本当にお世話になってしまったね。この場を借りて、もう一度お礼をさせてもらうよ。どうもありがとう。」
真人はかつて、紗依子と祐次のトラブルに巻き込まれて、この二人を元のさやに収めるべく奔走したことがあった。その時の真人の無謀な行動がなければ、この二人はきっと、こんな微笑ましい表情を向き合わせることなどできなかったであろう。
凛とした表情を緩ませて、小さく会釈したフィアンセの横で、突然彼の腕をバチンと叩いた紗依子。彼女は小さい目を細めて、ムッとした顔で口を尖らせる。
「どうしてあなたはいつも上から目線なの?マサくんは、わたしたちのキューピッドなのよ。ちゃんとしたお辞儀でお礼を言わなきゃダメじゃないのよ!」
紗依子に咎められて、慌てふためいて大きくお辞儀をしてしまう祐次。彼の方が年上なのだが、反論できないところを見ると、もうすっかり尻に敷かれてしまっているようだ。
頭を上げてくださいと、真人は戸惑いながら、小児科医のひれ伏す姿に訴えかける。さすがにキューピッドは大げさだろうと、彼は恥ずかしさを隠し切れない様子だった。
みんなのクスクスと笑い合う声が飽和して、浜木綿の奥座敷は、ほのぼのとした和やかな雰囲気に包まれていくのだった。
「ほーい、生、四つお待ちどうさまー。」
マスターがビールジョッキを抱えて、みんなのいる座敷へと駆け上がってきた。
テーブルの上に手軽な小料理が並び、全員の手にジョッキが握られると、いよいよ、待望の婚約報告会を兼ねた祝賀会の幕が上がる。
未来ある二人の仲人的立場のマスターが、乾杯までは付き合うからと申し出て、乾杯の音頭を声高らかに叫んだ。
「かんぱーい、おめでとう、お二人さん!」
「カンパーイ!」
それぞれの思いを胸に、ビールジョッキを重ねていく参加者たち。お祝いというおいしさが加わり、この時の生ビールののど越しはまた格別であっただろう。
「いやぁ、とうとうサエちゃんが嫁いでいくんだね。嬉しくもあり、寂しくもありってヤツかな。」
マスターは胸が熱くなったのか、ちょっぴり感慨深そうだった。その表情はまるで、家を離れていく娘を見送る父親のように見えなくもなかった。
感動に浸るマスターを見ていた真人が、紗依子に今後の仕事についてそれとなく尋ねる。
「紗依子さん。行く行くは結婚したら、お店とかどうするんです?やっぱり専業主婦ですか?」
「う~ん、それも考えたんだけどね・・・。」
紗依子は正直なところ、浜木綿のアルバイトを辞めることも真剣に考えたそうだ。しかし、マスターの幸市や馴染み客の顔が思い浮かんだらしく、もうしばらくは、このまま仕事を継続することを決意したという。
婚約者の祐次も専業主婦を望んではいるものの、彼も今では浜木綿の常連であり、顔見知りのもとなら安心だろうと、拒否することなく容認してくれたとのことだ。
それに看板娘がいなくなってしまうと、お店の売り上げも半減するからと、お店の経営を危惧する紗依子は、茶目っ気いっぱいに愛らしく笑っていた。
「ははは。ありがとうね、サエちゃん。でも、半減まではオーバーじゃない?」
店主と従業員の息の合った掛け合いに、毎度毎度、穏やかな気持ちにさせられる真人。おいしい料理とお酒を楽しみながら、彼はすがすがしい気持ちでいっぱいだった。
仕事のために席を離れたマスターを見送ると、残ったメンバーたちは、冷やかしたり冷やかされたりといったお祝い談義に興じる。とかく、親友同士の女性二人のテンションは異様なほど高かった。
「これからは、祐次さんのこと心配させられないんだから。もう変わったものを探しに、海外に一人旅なんてしちゃダメよ、紗依子。」
「うー、それが一番痛いところよねー。まぁ、これから式まで慌ただしいし、この身が落ち着くまでは、極力自粛しなくちゃだよね。」
世界中に散らばる珍品取集が趣味の一つである紗依子。それを我慢しなければいけない現実に、彼女は苦虫を噛み潰したような顔で落胆していた。
女性たちの会話をそばで聞いていた祐次は、極力自粛という言葉に内心穏やかとは言えなかった。彼にしてみたら、婚約者となった彼女にだけは、もう二度と危険なマネはしてほしくないといったところか。
「もう結婚式の日取りは決まってるんですか?」
真人の問いかけに、来月11月3日の文化の日、さらに大安吉日だと、紗依子は嬉しそうに即答していた。
披露宴の招待状を送るから期待していてと、満面の笑顔でそう話していた幸せカップルは、それはもうお熱すぎて、見ている真人たちまで恥ずかしくなってしまうほどだ。
結婚を間近に控えた二人のことを、憧れの眼差しで羨望している麗那。そんな彼女の視点は、いつしか、紗依子の薬指で眩しく光るエンゲージリングに魅せられていた。
「綺麗なプレゼントね。羨ましいなぁ。」
「フフフ、お給料三ヵ月分ってヤツよ。」
麗那は紗依子の左手を掴み取ると、愛の証しである婚約指輪を食い入るように見つめる。
光り輝く宝石というものは、どんな世界の美女をも虜にしてしまうのだろうか。麗那は感嘆の声を口にしながら、その美しさにすっかり魅了されていたようだ。
「ちょっと麗那、いくら何でも食いつき過ぎだって。」
「はは、ごめんなさい。つい見惚れちゃって・・・。」
ペロッと舌を出して、麗那はばつが悪そうに照れ笑いを浮かべている。女の子らしい彼女の振る舞いを眺めながら、真人たち三人は微笑ましい顔を向き合わせていた。
それからしばらくの間、浜木綿の座敷では、賑やかな歓談のひと時が流れていった。そのほとんどが幸せカップルののろけ話ばかりだったが、真人と麗那は呆れつつも、そんな二人と一緒に喜ばしい気持ちに満たされていた。
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「毎度あり。またいつでもおいで。」
丁度夜9時を過ぎた辺り。「串焼き浜木綿」の出入口付近で、マスターの幸市としばしの別れを惜しむ真人たち一行。
おいしい料理に舌鼓を打ち、楽しいお酒に酔いしれた仲間たちは、後ろ髪を引かれる思いのまま、それぞれの帰宅の途につこうとしていた。
「それじゃあ、お二人ともお気を付けて。」
紗依子と祐次の二人に、真人と麗那は小さい声を掛けて小さく手を振る。
婚約はしたものの、この二人はまだ同居しておらず、紗依子はまだ古めかしい単身アパートで暮らしていた。そのため、彼女は祐次に送り届けてもらうため、彼と一緒に同じ道のりを歩いていく。
「ありがとう。そっちも気を付けて帰ってね。」
同じアパートで暮らす真人と麗那に、紗依子と祐次も手を振りながらお別れを告げた。
寄り添い合うカップルが夜闇に消えるまで見送ると、わたしたちも帰ろうかと、麗那は真人とともに、まだ明かりの絶えない繁華街を後にする。
ほろ酔い加減の真人と麗那の二人は、歩き慣れた市街地をのんびりと歩いていく。気持ちが高ぶっているせいか、目に映る馴染みのある街並みは、いつもと違って、とても華やかで雅やかに映し出されていた。
お互いの手が、触れるか触れないかといった間隔で並んでいる二人。このアパートまでの帰り道、男女二人は終始表情をほころばせていた。
「紗依子さんたち、とっても幸せそうでしたね。」
「そうだね。・・・いいなぁ、紗依子。わたしを置いて、幸せをゲットしちゃうんだもの。」
羨ましがっているのか、それとも悔しがっているのか、麗那は目を三日月のようにしつつも、ジェラシーな胸のうちを口からこぼしていた。
麗那の焦れるような口振りは延々と続き、今すぐにでも素敵な紳士のもとへ嫁ぎたいという思いが、すぐ横にいる真人の心にまで伝わるほどだ。
「やっぱり麗那さんでも、お嫁さんに憧れますか?」
「当然でしょう?その質問、うら若き乙女には失礼な質問だよ。」
麗しの唇を尖らせて、真人のおでこを軽く突いた麗那。彼女ぐらいの年頃の女性なら、誰しもが綺麗な花嫁姿に憧れるのは当然であろう。しかも、親友のそんな姿を思い浮かべた後なら尚更のはずだ。
「勘違いしないでくださいね。悪気のある言い方じゃなくて、ほら、麗那さんは今、お仕事一辺倒じゃないですか。だから、そんな余裕があるのかなって思った次第でして。」
それはそうだけどさーと、納得せざるを得ないと思いつつも、どうも釈然としない麗那であった。
麗那は現在、ファッションモデルの第一人者として活躍中だ。露出度も日増しに増えて、テレビCMにも起用されるほど人気はうなぎ上り、男性とデートをする暇もないほど、忙しくも慌ただしい日々を過ごしていた。
「それはお仕事も大事だけど、やっぱり、わたしだって一人の女だもん。結婚は憧れちゃうよー。」
麗那の赤らんだ横顔は、夜景に映えるほどに魅力的だった。長めのストレートヘアを、しなやかな手でとかす仕草に、つい生唾を飲みこんでしまう真人。
真人は興奮するあまり、ドクドクと心音を強く高鳴らせる。あと数センチも近づけば密着してしまう憧れの女性の隣で、彼は酔いが醒めてしまうほどに高揚していた。
呆けたような真人の視線が、艶やかで麗しい麗那の魅惑の目とピッタリ重なる。
「マサくん、どうかした?わたしの顔に何か付いてる?」
「あ、いえ。何でもないです。」
冷や汗を飛ばさんばかりに、ハイスピードで顔を横に背ける真人。麗那に憧れるほのかな感情が、彼の赤らんだ横顔から見て取れる。
真人は正面に向き直りおもむろに思い浮かべる。業界を席巻するかのように活躍するモデルに、自らの感情など、所詮は叶わぬ儚い想いなのだと。
数センチほどしか離れていないその隙間に、目に触れることのない格差というバリケードがあるのだ。真人はこの時、意気地のない弱虫な自分がやるせなくて恨めしかった。
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数日後の夜のこと。ここは東京都内にある某撮影スタジオ内。
真っ白い空間に設置されたストロボやアンブレラ、そして、一眼レフを持つカメラマンにスタッフたちが慌ただしく出入りし、スタジオ内は物々しい雰囲気に包まれていた。
キャップ帽子をかぶったカメラマンが大きな声を上げる。そんな彼の覗き込むファインダーの先に映るもの。それは、ファッショナブルな衣装に袖を通し、華麗なまでにポーズを極め込む麗那の艶やかな姿であった。
麗那はこの日の夜、専属雑誌に掲載する写真撮影の仕事をこなしていた。
「それじゃあ、もう少し右の方に角度を変えてみようか。そうそう、そんな感じ。」
カメラマンが指示するがままに、麗那はポーズを巧みなまでに切り替えて、魅惑ある表情をファインダーに突きつける。
蝶のように可憐に舞うかと思いきや、すぐさま、蜂のような鋭い目線を飛ばして大人らしさを表現し、絶世のモデルはその実力を如何なく発揮していた。
「はーい、OK。今日の撮影はここまでにしようかー。」
カメラマンのその一声で、撮影スタジオ内に関係者達の安堵の息が漏れる。
独特の緊張感から解放されたのか、モデルの麗那はホッとしたように赤い唇を緩めつつ、スタッフ一人一人にお疲れさまの言葉を投げかけていく。
颯爽と歩いてくる麗那のことを、スタジオの目立たない袖で待ち焦がれていた一人の女性。薄めのメイクで地味な顔立ちをしたその女性は、ポニーテールの髪の毛を揺らしながら、お疲れの麗那を小さい拍手で労った。
「麗那さん、お疲れさまでした。とっても素晴らしかったです。」
「どうもありがとう。」
麗那の両肩にカーディガンを掛けるその女性は、麗那のマネージャーを務める大杉景衣子だ。彼女は若干二十三歳。同世代同士、一緒にいる時間も長いだけあってか、麗那とは公私とも親しくしている間柄である。
おとなしく控え目な性格だけに、麗那のちょっとしたわがままも素直に聞いてしまうのが欠点だが、彼女のマネジメントにかけては、他に秀でる者がいないぐらい有能な人材なのだ。
「ねえ、景衣子。今日のお仕事って、これでおしまいよね?」
「はい。確かそのはずですよ。一応チェックしてみますね。」
常に景衣子の頭の中には、麗那のスケジュールだけはしっかりと記憶されている。とはいえ、慎重派の彼女は念を押すように、システム手帳の予定欄のページをペラペラとめくっていた。
「やっぱりありませんでした。明日は朝から事務所で打ち合わせが入ってます。またお迎えに上がりますね。」
麗那はこれまで、所属事務所へ出勤する際は、単身、電車などの公共交通機関を利用していた。しかしここに来て、仕事量が増えてきたことや、世間の目をより気にしなくてはいけないほど人気が上がってしまったため、今ではマネージャーの送迎が当たり前となっていた。
マネージャーの心遣いに感謝の意を伝える麗那。彼女はクスッと微笑んで、景衣子の肩にそっと手を触れる。
「もしよかったら、これから一緒に食事でもどう?」
もちろん、おごりだよという意思を示すウインクに、景衣子は歓喜の表情を浮かべて、迷うことなく二つ返事で快諾していた。
長い一日の労働も終わり、ウキウキ気分で胸を躍らせる若き女性二人。身支度を整えるために、彼女たちは寄り添ってスタジオ内の控室へと消えていった。
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夜10時を過ぎた頃。麗那と景衣子は東京都内にある小さなレストランにやってきた。
暗がりの街並みにひっそりと営業しているそのレストラン。こじんまりとした窓から優しい灯りが漏れて、人の気配のない街路を慎ましく照らしている。
小さいながらも暖かみのある光に導かれるように、女性二人は木製のドアの先へと吸い込まれていった。
落ち着いた色調で彩られた店内。薄明かりに映し出されるテーブル席には、女性客やカップルたちが数組ほど見受けられた。
「いらっしゃいませ。いつものお席へどうぞ。」
この二人にとって、仕事明けによく立ち寄るこのレストランは、すっかり馴染みのお店であった。
事前に電話でリザーブしていた麗那たちは、レストランの従業員に誘導されながら、慣れ親しんだいつもの予約席まで辿り着く。
麗那は仕事上がりの生ビール、これから運転のある景衣子はウーロン茶を注文し、その予約席に向かい合うように腰を下ろした。
「今夜は遠慮しないで、好きなものを選んでね。」
「はい、ありがとうございます。麗那さん。」
芸能関係のマネージャーとはいえ、景衣子は単なる会社員に何ら変わりない。遠慮なくと言われてみても、彼女は地味なまでに、普通クラスの洋風料理を選択してしまうのであった。
二人は料理のメニューを注文し終えると、それぞれのグラスをゆっくりと重ね合い、今日一日の精勤の疲れを癒す。
「麗那さん、今日の撮影とてもよかったです。秋物トレンドの最先端の特集にピッタリなイメージでした。」
マネージャーの景衣子は敬いの視線で、麗那の仕事ぶりをしきりに褒めちぎっていた。
実際のところ、景衣子は麗那のことを人一倍尊敬しており、自ら志願してマネージャーになった経緯がある。彼女はそれほどまでに、目の前の一流モデルのことを崇拝し敬愛していたのだ。
褒めちぎったかと思いきや、今度は次なる仕事の詳細を語り出す景衣子。麗那の体調を気遣いながらも、マネージャーとしての使命を果たそうと、彼女も彼女なりに仕事に燃えていたのだ。
「ねぇ、景衣子。」
麗那は溜め息を一つこぼして、景衣子の止め処なく続く仕事話を遮断した。
「もうプライベートなんだからさ。お仕事のお話は、また明日にしましょう。」
「あ・・・。す、すみません。つい、夢中になってしまって。」
景衣子は決まりが悪そうに、顔を真っ赤にしながら謝罪の弁を口にした。
その熱心ぶりに苦笑する麗那であったが、彼女にとって、景衣子こそ最良のマネージャーであり、最高のパートナーと認めていることに違いはなかった。
注文した料理がテーブルの上に出揃い、女性二人は談笑しながら待望の会食を始める。うら若き乙女たちの会話といったら、やはり恋愛といったロマンスめいた話題が中心であった。
「あのね、紗依子がね、ついに婚約を決めたのよ。」
「本当ですか!?お相手は、お付き合いしていたあのお医者さんですよね?」
結婚がテーマになった途端、麗那も景衣子も未婚女性らしくテンションが上がる。キャッキャと声を弾ませて、おめでたいガールズトークにも花が咲くというものだ。
景衣子にしてみたら、かつてモデルをしていた紗依子とは顔見知りでもあり、身近な女性が嫁ぐことに、嬉しさと羨ましさが胸に込み上げているように見えなくもなかった。
お祝いムードにちょっぴり呆け気味となっている景衣子。視線を泳がせている彼女に、麗那は思わず、意地悪っぽく探りを入れてしまう。
「あなたはどうなの?彼氏とか、いるんじゃないの?」
とんでもない!と即答し、景衣子は慌てて両手をばたつかせる。学生時代から学問ばかり、社会人になってからも就業ばかりの彼女は、恋愛経験の未熟さをそのまま表情に映していた。
麗那は愛らしく微笑んで、ナチュラルメイクの顔を赤らめる恋愛未熟者に、人生の先輩らしく恋愛指南を買って出る。ところが、景衣子はひたすら照れるばかりで、麗那のアドバイスなど聞く耳持たずだ。
「まだ、わたしには早すぎます。今は仕事が第一ですから。麗那さんに素敵な超一流のモデルになってもらうために、日々精進することが、わたしの使命なんです。」
景衣子は力を込めた握り拳をしてみせて、声高らかに恋愛禁止宣言をしてしまった。
マネージャーの鏡と言えなくもないその情熱に、麗那はありがたく思いつつも、どこか複雑な心境を抱かずにはいられなかった。それは、恋する乙女の気持ちを失ってほしくないという、彼女なりの親心だったかも知れない。
麗那という女性そのものへの憧憬からか、マネージャーの景衣子は目を輝かせて、麗那のことを超一流のモデルに導かんと熱く語り出していた。こうしてまた、プライベートの話題が横道に逸れるように、仕事の話題へとずれていってしまう。
この時の麗那は、理解したように相槌を打ちながらも、心の奥では、言葉にできない寂しさのような感情が渦巻いていた。