第三話 五.結婚披露宴の裏側で
11月という季節を迎え、朝の寒さが身に染みてくるそんな霜月。
今月の3日は祝日、そう文化の日だ。社会人も学生も急くことなく、のんびりとした朝を迎えているだろう。
お天気には特異日というものが存在する。この11月3日は、昔から晴れの特異日と言われている。それを裏付けるように、今日はすっきりとした秋晴れであった。
気持ちのいい晴天に祝福されるように、このおめでたい大安吉日、九峰紗依子と沢美弥祐次が晴れて契りを交わすことになる。
時刻は正午を過ぎた頃。幸せカップルの結婚披露宴会場へ向かう一台のタクシーがいる。そこに乗り込んでいるのは、披露宴の招待状を受け取った麗那と真人の二人だ。
「披露宴の開始時刻って1時からでしたよね?間に合いますか?」
「うん、たぶん大丈夫だと思う。ごめんね、支度に手間取っちゃって。」
麗那と真人は気持ち焦っていた。アパートを出発する前、彼女の携帯電話に、マネージャーから緊急の電話が入ってしまい、予定時刻より遅れて出発する羽目となっていたのだ。
そんな二人の慌てる声色に感づいてか、タクシーの運転手は気を遣って、可能な限りスピードを上げてくれていた。安全運転をお願いしながらも、できる限り急いでほしいと願う二人であった。
「あら、マサくん、ネクタイが曲がってるよ。」
真人の首から垂れ下がる淡青色のネクタイに、麗那はそっと両手を宛がった。メイクアップした彼女の美顔が近づき、彼の胸が割れんばかりに高鳴り出す。
「これでよしっと。うんうん、カッコいいよ、マサくん。」
「あ、ありがとうございます、麗那さん。」
着慣れないスーツとネクタイ、そして、美し過ぎるほどにドレスアップした麗那を前にして、真人の緊張感はまさに頂点を極めていた。
ツーピースタイプのフォーマルドレスを着こなし、艶のある長い髪を後ろで結った麗那。普段見ることができない彼女の綺麗なうなじに、真人の揺れる心はドキドキされっ放しであった。
「はい、到着しましたよ。」
タクシーの運転手のがんばりのおかげで、麗那と真人は開始時刻までに会場に辿り着くことができた。開始時刻残り15分前であった。
運転手にメーター料金以上のお金を支払い、会場の正面玄関に降り立った二人。玄関に据え付けてあるインフォメーションボードには、九峰家と沢美弥家の披露宴の開催場所がしっかりと案内されていた。
麗那と真人の二人は、会場内の二階にある開催場所へと赴き、受付にて記帳とご祝儀を手渡した。
開催場所「鳳凰の間」の前で来賓たちにお辞儀する、ウェディング衣装に身を包んだ新郎新婦。窓から差し込む日差しのおかげで、二人の衣装がより華やかに映し出されていた。
そんな輝かしい新郎新婦のもとに、二人は微笑みながらゆっくりと歩み寄っていく。
「あ、麗那!マサくん!もう、遅かったじゃないのー。」
新婦である紗依子の、いつもと変わらない叫び声が鳴り響いた。その馴染み深い声を耳にして、こういう舞台に慣れない真人は、内心ホッとして緊張が和らいだようだった。
「ごめんごめん、紗依子。改めて、お二人とも、ご結婚おめでとうございます。」
「紗依子さんと沢美弥さん、おめでとうございます。」
慎ましやかに姿勢を正して、おめでたい新郎新婦の門出を祝う二人。友人からのかしこまった挨拶に、紗依子も祐次もちょっぴり照れくさそうにしていた。
お祝い写真も募る話も後にしようと、麗那と真人は促されるがままに、「鳳凰の間」の指定されたテーブル席へ足を向けるのだった。
場内はすでに、両家の親族や来賓の人たちで埋まっていた。麗那と真人の二人は歩幅を狭めながら、高砂を左斜めに見渡せるテーブル席へと腰掛ける。
麗那は椅子に腰を下ろすなり、ハンドバッグから携帯電話を取り出し、何やら軽く操作した後、そっとテーブルの上に置いていた。
「・・・麗那さん、携帯電話、もしかして写真撮影のためですか?」
声を潜めて尋ねた真人に、麗那はそれもあるけど・・・と、他にも事情があることを彼の耳元で返答する。
「実はね、ちょっとお仕事の関係で、マネージャーから電話が来るかも知れないの。披露宴が終わる頃にしてほしいと、彼女にはお願いしてるんだけどね・・・。」
マナーモードに設定した携帯電話を突いて、困惑めいた表情をしている麗那。せめて親友の結婚披露宴ぐらいは、仕事も忘れて精一杯お祝いしたいというのが、彼女の本音なのであろう。
いよいよ時刻は午後1時となり、定刻通り、紗依子と祐次の結婚披露宴の幕が開ける。場内の照明が薄暗くなった途端、司会進行役の男性が開宴の挨拶、そして、新郎新婦の入場を声高らかにアナウンスした。
スポットライトが当たる入場口に、来賓一同が関心の視線を向けると、場内のスピーカーから、ウェディングに似合う楽曲が静かに流れ始める。
凛々しいタキシードの新郎、その隣に寄り添う、華やかなウェディングドレスの新婦。しおらしく入場してくる二人に、盛大なお祝いの拍手を送るゲストたち。
「紗依子、綺麗だね・・・。」
「はい。今日の主役といっても過言じゃないですね。」
ナチュラルで落ち着きのあるメイク、かわいらしいピンク色のルージュ、この晴れの日のための装いが、純白のドレスと可憐なほどにマッチしている。一歩先に幸せを掴んだその親友の姿に、麗那は思わず息を呑み込み、うっとりと見惚れてしまうのだった。
ゲストたちに暖かく迎えられて、新郎新婦が高砂を前に並んで立つと、新郎である祐次が来賓に対しお辞儀をして、感謝の気持ちを込めたウエルカムスピーチを始める。
「本日は祝日というお日柄でご多忙のところ、わたくしたちの披露宴にお足を運んでいただき、誠にありがとうございます。」
スピーチも無事に終わり、新郎新婦はゆっくりと席に腰掛ける。ここまで緊張もあったのだろう、紗依子も祐次もその笑顔にゆとりが感じられた。
司会進行役から新郎新婦の紹介、主賓の挨拶など、披露宴のプログラムが順序よく執り行われていき、いよいよ、新郎新婦の初めての共同作業となる、ウェディングケーキ入刀が案内された。
背の高い三段重ねの立派なケーキが入場してくると、場内からは来賓たちの驚愕の歓声が上がる。麗那と真人の二人も、そのケーキの豪華絢爛さに手を叩いて絶句するばかりだった。
「それでは、新郎新婦のお二人にご準備をお願いします。」
紗依子と祐次はケーキの正面に立ち、装飾をあしらったナイフを一緒に握り締める。このシャッターチャンスを逃すまいと、一眼レフのカメラや携帯電話を手にした親族、そして友人たちが、ケーキの前に一斉に集合した。
「わたしもちょっと行ってくるね。」
親友の晴れ姿を記念に残そうと、麗那も興奮を抑えきれず、携帯電話を握って席を立った。彼女は丸いテーブルの間をすり抜けて、紗依子と祐次の撮影スポットまで一目散に駆け付けた。
いよいよケーキにナイフが投入されると、カメラのフラッシュの雨が、共同作業中の新郎新婦に眩しく降り注がれる。オーディエンスの盛大なる拍手の中、この披露宴はまさに最高潮を迎えるのだった。
上手に撮れたかな?と、携帯電話の液晶画面をチェックしてみる麗那。写真画像を確認するより前に、彼女の目に留まったもの、それは、マネージャーである大杉景衣子からの着信履歴であった。
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お祝いの乾杯も終わり、しばしのご歓談を楽しむ来賓たち。テーブルを彩るフルコースも、人の目を惹きつけるほど豪勢で華やかさを演出していた。
真人はテーブル席に腰掛けたまま、おいしい料理に舌鼓を打つ。しかし、友人席でただ一人顔見知りの麗那の姿はそこにはなく、彼はちょっぴり味気のないフルコースを満喫していた。
その頃、披露宴から席を外していた麗那はというと、廊下に備え付けてあるソファーに腰を下ろし、視線を下に落とし、携帯電話を耳に宛がっていた。
「・・・ええ、わかってるわ。・・・うん、それでいいわよ。」
麗那の返答は相槌を打つばかりで、電話の相手であるマネージャーの景衣子との会話は弾んではいない。
着信履歴があるからおっとり刀で折り返してみると、新しい写真集の打ち合わせ時刻の確認の連絡だった。麗那は正直なところ、緊急でもないその用件に、いささか苛立ちを隠せずにはいられなかった。
「ねぇ、景衣子。わかってると思うけど、今は紗依子の披露宴の最中よ。そのお話は今夜でも、明日の朝でもできるんじゃないかしら?」
やんわりながらも、つい嫌悪感を口にしてしまう麗那。景衣子はそれを重々承知してはいても、マネージャーとしての使命感ばかりが先立ち、真面目に職務を全うしているだけなのだろう。
「ごめんなさい、麗那さん。新しいお仕事なので、早くお知らせして、喜んでほしかったんです。」
「・・・わたしの方こそごめんね。あなたは、あなたなりに一生懸命なんだものね。」
電話越しの景衣子の声から、麗那に褒めてもらいたいと期待する気持ちが伝わってくる。麗那はそれを感じるからこそ、彼女のことを無碍に突き放すこともできなかった。
それでも今はまだ宴もたけなわの時間。麗那はマネージャーとの相談を早々に切り上げ、賑々しい場内へと足を向けるのだった。
浮かない顔をごまかしながら、真人が待つテーブル席まで戻ってきた麗那は、ポツンと空いている洋風椅子にちょこんと腰掛ける。
「麗那さん、大丈夫ですか?お仕事のお話だったんですよね?」
もうそれなりの付き合いのせいか、麗那の顔色の裏側にある灰色がかった部分を、真人ははっきりと見抜いていたようだ。
麗那は首を数回横に振って、たいしたことではないことを態度で示す。思い悩むことを吹っ切るように、彼女はテーブルに並んでいるお料理一つ一つに目移りしていた。
「皆さま、これより、新婦、お色直しにより中座いたします。拍手でお送りください。」
汚れのない純白のドレスをまとった新婦、紗依子。来賓から大きな拍手を受けながら、彼女は静かな足取りで退場していく。それから数分後、新婦を追いかけるように、新郎の祐次もお色直しのため、ゲストに一礼して慎ましやかに退場していった。
新郎新婦再入場までの時間、披露宴に訪れたゲストたちは、それぞれ、和やかな会食のひと時を過ごす。
両家の親族同士の挨拶から始まり、お酌に終わるありふれた光景。両家の友人同士の、ちょっと控え目ながらも微笑ましい交流なんかもあり、主役のいない披露宴の雰囲気は賑やかなままであった。
新婦の友人である麗那もその一人で、彼女は紗依子の両親のところへ挨拶したり、同郷の友人のところへお酌をしに歩き回っていた。一方、この場に馴染んだ交流を持たない真人は、寂しくも村八分の状況だった。
真人はちょっぴりふて腐れる思いで、目の前に並んでいる食事を頬張りつつ、麗那が帰ってくるその時をただじっと待ちわびていた。
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お色直しを終えた新郎新婦も再入場し、披露宴は来賓も交えた余興の時間となった。
余興では歌やダンスを踊ったり、ちょっとしたパフォーマンスなんかで盛り上がることが多いが、本日の披露宴は、あまり派手な演出はなしということで、新郎新婦それぞれの友人代表のスピーチがメインであった。それはすなわち、新婦の友人代表の麗那の出番であることを告げていた。
新郎の友人代表の愉快なスピーチが始まり、場内は笑いの絶えない和やかな雰囲気に包まれていく。そんな中、一人出番を待つ麗那だけは、カンニングペーパーを手に、緊張感からか引きつった笑みを浮かべていた。
「・・・麗那さん、そんなに硬くなっちゃうと、余計に話しづらくなりますよ。」
「・・・うん、そうなんだけどね。どうも、こういう席上だと、かしこまっちゃって。」
周りの迷惑にならないよう、小声で語り合っている二人。緊張をほぐそうとする真人、そして、深呼吸して心を落ち着かせようとする麗那。新郎友人のマイク越しのスピーチなど耳に入らないままに、二人はいざ本番の時を迎えようとしていた。
新郎の友人のスピーチが滞りなく終わると、アナウンスの声に弾かれるように、新婦の友人代表はガバッとその場に離席する。彼女はささやかな拍手の波を受けながら、ゆっくりと、スタンドマイクが設置された檀上へと辿り着く。
マイクの前で大きくお辞儀した麗那は、まだ緊張感から解放されていないせいか、強張ったその表情から明るさが感じられない。カンニングペーパーを持つ手も、小刻みに震えてどこかおぼつかなかった。
「・・・麗那。」
ライトの明かりに照らされた麗那の耳に、ふわっと入ってきた優しい呼び声。その声の主は、彼女に高砂から暖かい視線を送っている新婦の紗依子であった。
「いつもの調子でお話してよ。だからさ、そんなカンペなんていらないでしょ?ほら、しまってしまって。」
「・・・紗依子。」
普段通りの口調でスピーチをするよう促した紗依子。そんな彼女の満面の笑顔も、麗那と雑談する時のような穏やかな笑顔だった。
吹っ切れたかのように、紗依子を見つめてクスリと微笑した麗那。手にある紙切れを折りたたみ、彼女は世間話の延長戦のようなスピーチをマイクに乗せる。
「紗依子。本当に、本当にご結婚おめでとう。正直言っちゃうと、わたしよりあなたの方が先に嫁ぐなんて、今でも信じられないわ。・・・なーんてね、フフフ。」
麗那のスピーチは淀みなく、流暢な口振りで新婦のことを褒め称え、親愛なる親友のために、最大限のはなむけのメッセージとなって言葉を結んだ。
ユーモアもあり、ジョークも含んだそのスピーチは、新郎新婦のみならず、丸いテーブルを囲むゲストたちの心までもほっこりと和ませるのだった。
やり切った達成感を表情に映している麗那。安堵の笑みを浮かべる真人は、お辞儀してから帰ってくる彼女を労うように、大きな拍手をもって出迎えた。
「麗那さん、お疲れさまでした。とっても楽しいお話でしたよ。」
「話し始める前はどうなるかと思ったけど。・・・フフフ、紗依子に助けられちゃったわ。」
親友同士二人にどんなやり取りがあったのか?それを最後まで知ることのなかった真人は、麗那と一緒に、幸せいっぱいの紗依子と祐次の晴れ姿をただ見つめるのであった。
余興も賑やかなままに終了した後、祝電のお披露目や、新郎新婦のご両親への感謝の言葉といったプログラムが順調に流れていき、おめでたい披露宴はいよいよ、新郎新婦二人の謝辞をもって閉宴の時を迎える。
「本日はわたくしと新婦、紗依子の披露宴にお越しいただき誠にありがとうございます。皆様から祝福のお言葉を頂戴しましたこと、この場をお借りして、心より厚く御礼を申し上げます。」
自分たちの門出を祝う来賓たちに敬意を表し、かしこまった感謝の意を示す新郎の祐次。彼の謝辞に続くように、恐縮しながら、心から感謝の気持ちを言葉で伝える新婦の紗依子。
「わたしと祐次さんは二人で手を取り合い、幾多の困難を乗り越えて、皆様のご期待に添えるような、明るい家庭を築くことをここに誓います。最後になりますが、本日はどうもありがとうございました。」
司会進行役の案内のままに、幸せな二人は互いに手を取り合い、明るい家庭を築くための第一歩を踏み出した。
新郎新婦の退場を、穏やかな目で見送る麗那と真人の二人。”どうかお幸せに”という心を込めたメッセージは、場内にこだまする拍手の音にかき消されてしまっていた。
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11月3日文化の日の夕方6時。紗依子と祐次の二人を祝う二次会パーティーが、最寄駅の西口繁華街のとあるおしゃれなバーで開催されようとしていた。
結婚式と披露宴も無事に終わり、いつもの普段着に着替えてホッとしている紗依子と祐次。そんな二人を祝福しようと、それぞれの友人知人、お付き合いのある人たちが集まり、パーティーの参加者は当に30人を超えていた。
この参加者の中にはもちろん、アパートの住人であるジュリーに潤、そしてあかりに奈都美の他にも、「串焼き浜木綿」の店主である榎竹幸市の姿もあった。
「ほら、潤、見てみて。いっぱい来てるわヨ~。紗依子のダンナのオ・ト・モ・ダ・チ。」
「でもさぁ~。ちょっと年齢層高くない?あたしの歳ぐらいのお医者さんっていないよねぇ。」
目指すはかわいらしいお嫁さん、さらなる贅沢を言えば玉の輿。ジュリーと潤の二人は、祐次の友人である医療関係の人材を色めき立って物色していた。
そんな二人のそばで、呆れた顔をしているあかりと奈都美。やっぱり女の子だね~とうなづく幸市と一緒になって、彼女たちは溜め息交じりに苦笑するのだった。
一方その頃、麗那と真人の二人は、今夜の主役である二人のもとにやってきていた。楽しく談笑していると思いきや、沈んでいるその様相から、どうも雰囲気が違っているようだ。
「ごめんね、紗依子。せっかくの夜なのに、こんなことになっちゃって。」
「あー、気にしないでよ、麗那。披露宴に出席してくれただけでも感謝よ。」
しきりに頭を下げている麗那を優しく慰める紗依子。彼女の隣にいる祐次も、貴重な時間を割いてくれた麗那に感謝の意を示していた。
麗那がなぜ謝っているのか?それは、披露宴の途中にも邪魔されたが、マネージャーからの仕事の電話が原因だった。彼女はこの後、都内の事務所で、新しい写真集の打ち合わせが入ってしまったのだ。
これから楽しいひと時を満喫しようとした矢先、緊急の通知を知らせる携帯電話の着信音。心穏やかでないものの、不平不満を声に出さずに同意するしかなかった麗那。この時、心穏やかでなかったのは、彼女の横にいる真人も例外ではなかった。
「この埋め合わせはまたいずれ。それじゃあ、お二人とも、本当にお幸せにね!」
「ありがとう、麗那。わたしの方からも連絡を入れるから。それより、遅れないよう早く行きなさい。」
紗依子に急かされると、麗那はゴメンと一礼してから、お店の出入口の方へと足を向けようとする。
「麗那さん、オレも一緒に帰りますよ。」
「えっ?」
麗那は真人のその一言に慌てて振り返る。絶句したまま、彼のことをじっと見据えていた。
「マサくんは気を遣わないで。せっかくなんだから、楽しんでいっていいのよ。」
「いえ、そういう理由だけじゃないんです。アパートで待ってる由依さんに悪いですから。」
このパーティーには住人一同が集結していたが、未成年である由依ただ一人だけ、アパートでお留守番をしてくれていた。真人はそれを申し訳なく思い、少しでも彼女の負担を減らそうと考えていたわけだ。
披露宴に出席させてもらって、幸せカップルのことを目一杯祝福できたという真人。それを聞いた麗那はクスッと微笑して、エスコート役をよろしくと、彼と一緒にアパートへ帰宅することを快諾した。
お酒を嗜み始めた住人たちに事情を説明し、麗那と真人の二人は寂しさを残しつつお店を後にする。
「それじゃあ、行きましょうか。」
「はい。」
先頭を歩いている麗那と、彼女のすぐ後ろについていく真人。そんな二人は、これから酒場で盛り上がろうとする人たちとすれ違っていく。しかし、今日一日のほとんどを一緒に過ごした二人に、盛り上がれる会話などもう残ってはいなかった。
いくつもの移動で蓄積していた疲労感、緊張から解放された後に襲ってくる脱力感が、この二人の足取りをより一層重たくしていたのだろう。
「疲れちゃったなー。」
麗那は思わず、素直なままに今の心境を口にしてしまう。
真人も伸びながら唸り声を上げて、ふと空を見上げてみる。いつの間にか、上空はすっかり夜の帳が下りて真っ暗闇だった。
それからも、二人の会話はすぐに途切れて長くは続かない。お互いがお互いの心労を、それとなく気遣っていたからなのかも知れない。
「・・・わたしも、紗依子みたいに幸せになれるのかな?」
振り返ることなく、問いかけるような口振りでつぶやく麗那。真人はつい、繁華街のネオンで輝く、彼女の艶やかなロングヘアを見つめてしまった。
「もちろんですよ。麗那さんもいつか、いつか素敵なお嫁さんになれます。」
「・・・ありがとう、マサくん。」
横顔だけ振り向かせて、麗那は真人に愛らしい表情を見せた。しかし、彼女の後ろ姿はどこか寂しそうで、やり切れなさを感じさせるのだった。
「・・・わたしが売れ残っちゃったら。・・・もらってくれる?」
「え?」
麗那の恥らうような囁きは、真人の耳をすり抜けて、繁華街の雑踏の中へと消えていってしまった。何を言ったのか彼が問いかけても、彼女は何でもないの一点張りで、その言葉をもう二度と口にすることはなかった。
一人の女性として生まれてきて、本当の生き甲斐とはいったい何か?本当の幸せとは何なのだろうか?麗那はその時、そんな台詞が物悲しい調べとなって心の中でリフレインしていた。




