第三話 三.サッカープレイヤーの友情
数日が経過した、ある平日の午後。舞台はアパートから徒歩25分ほど離れた「胡蝶蘭総合病院」。
サッカーの練習中に右足首を捻挫し、おとなしく療養していた奈都美は、本日、当病院のスポーツリハビリ外来へとやってきていた。
チームに帯同することはあっても、練習らしい練習に一切参加することができなかった奈都美。そのおかげですっかり体がなまり、彼女はヒマさえあれば、アパート周辺をウォーキングする毎日を送っていた。
奈都美はこれからの数日間、精密検査の経過を観察しながらリハビリテーションに励み、早期復帰してみせると息巻いていたのである。
「それでは、六平さん。まずは筋力アップから始めましょうか。」
理学療法士の指示のもと、奈都美は専用器具を右足に装着して、アドバイスに従ってリハビリを開始する。
スポーツジムと診察室をごちゃ混ぜにしたようなリハビリテーション室内。怪我を負った他の患者がリハビリに勤しむ中、奈都美も焦らずにゆっくりと、数ある筋力強化プログラムを実践していった。
このリハビリテーション室では、スポーツでの負傷によるリハビリ以外にも、脳の障害や、下肢の複雑骨折で歩行困難となった患者のケアも行われている。そのためか、千鳥足で歩く年配者の人や、土管のように太いギプスを装着した人も少なからず見受けられた。
「少しだけ、休憩を入れましょう。」
「あ、まだまだ全然大丈夫です。先生がよければ続けてほしいですけど。」
やる気満々の奈都美を見ながら、無理は禁物ですよと、穏やかな表情で含み笑いを浮かべる理学療法士。あまり気取っておらず、口調も物腰も柔らかい背の低い男性であった。
プロスポーツ選手こそ、慎重かつ冷静な判断が大切だと、リハビリ以外でも指導を受けてしまった奈都美。彼女は苦笑しながら、理学療法士の忠告を素直に受け入れるのだった。
「それじゃあ、あたしはトイレにでも行ってきますね。」
リハビリテーション室を出ていくや否や、スリッパの音をパタパタと鳴らしながら、奈都美は女子トイレを目指して廊下を歩いていく。
自他ともに認める健康女子の奈都美が、この病院にご厄介になること自体珍しいのだが、以前、真人の祖父が入院していた時は、頻繁にここへ来訪していた彼女。そんなこともあり、同じフロアにある女子トイレの在り処をあっさりと見つけていた。
「あれれ?」
奈都美の進行方向から転がってきた、白と黒のツートンカラーの丸いサッカーボール。彼女は思わず、女子トイレの真ん前で足を止めてしまう。
これがサッカー選手の習性であろうか、彼女は転がってきたボールをつま先で受け止めると、ポンっと蹴り上げて頭の上に乗せる。今度はそのボールを片ひざの上に落とし、交互のひざを使って巧みなリフティングを始めた。
頭と両ひざを上手に動かしながら、ボールを宙に浮かし続ける奈都美。スリッパを履いていても、この狭い廊下であっても、彼女の類まれなるテクニックは健在だったようだ。
「すごい、リフティングだ・・・!」
奈都美のことを羨望の眼差しで見つめる一人の少年。その少年は足を怪我しているのか、真新しいスチール製の車椅子に乗っている。
車椅子の少年に気付いた奈都美は、宙を舞っていたボールを両手でキャッチした。
「もしかして、これ、キミのかな?」
車椅子の少年にボールを差し向ける奈都美。よく見てみると、そのスポーツ刈りの少年の面影に、彼女は見覚えがあった。ついこの前の検査入院をした日、病院の正面玄関でぶつかって一緒に倒れてしまったあの小学生に違いないと。
一方の少年の方はというと、ボールはボクのだよと元気よく返答するだけで、奈都美のことは憶えてはいなかったようだ。
奈都美は明るく笑って、持ち主である少年にボールをそっと手渡した。余程お気に入りなのだろうか、少年はパジャマの裾を伸ばして、返してもらったボールを丁寧に磨いていた。
「キミはサッカーやってるの?」
「うん。学校のサッカー部のキャプテンなんだ。」
小学生らしく素直でハキハキと答える少年は、さすがはキャプテンを任されるだけに、さっきの奈都美のリフティングを興奮しながら絶賛していた。この人は絶対にサッカー経験者だと、彼のつぶらな瞳には、彼女のことがそう映っていたのかも知れない。
「キミのようにキャプテンじゃないけど、あたしもサッカーやってるよ。」
「へー、すごい。女の人でサッカーしてる人って、ボク初めて会ったよ。」
サッカーという共通項で意気投合する奈都美と車椅子の少年。足を怪我しているという共通点も、二人の会話を盛り上げるきっかけの一つとなっていた。
この少年が車椅子生活を余儀なくされた理由とは、サッカー部での練習中に、無理な体勢で利き足の足首を捻ったことによる、足首靭帯損傷であった。怪我の原因までも同じだった奈都美は、驚きを隠せないまま、彼に同情の視線を送っていた。
「それじゃあ、復帰のためにリハビリしてるんだね。あたしと一緒だ。」
すっかり仲良しになった少年と奈都美は、これからのリハビリ期間をともにがんばろうと励まし合い、スポーツ選手らしく固い握手を交わしていた。
そんな微笑ましい二人のところに、慌てた表情をした一人の女性が駆け付けてきた。年は30歳半ばぐらいで、薄化粧を施した中肉中背の女性であった。
「もう、どこに行ったかと思ったわ。こんなところにいたのね。」
スポーツ少年曰く、その女性は彼の母親とのこと。それを聞かされた奈都美は、こんにちはと、元気よくさわやかに挨拶をした。
目をキラキラと輝かせながら、母親に奈都美のことを紹介する小学生。女子サッカー選手だということ、友達になってくれたことなど、彼は奈都美との出会いを余すことなく説明していた。
「まぁ、どうもすみません。この子がお世話になったみたいで。」
「いいえ、ちょっとだけ話し相手になってもらって。あたしの方こそお世話になりました。」
これから息子の検査があるからと、母親は深々とお辞儀をして奈都美に別れを告げる。
母親に車椅子ごと連れられていく小学生は、名残惜しそうな表情のまま、奈都美に大きく手を振っていた。彼女もそれに負けんばかりに手を振って、また会おうねと、弾けるようなスマイルを送り返すのだった。




