まちぶせ
軽いストーカー行為の表現があります。
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彼女を好きになったのは、些細なことがきっかけだった。
柔らかな光が降り注ぐ空を見上げて、目を細めて微笑む彼女。
その横顔は天使のように綺麗で……
僕はその時、彼女から目が離せなかったんだ。
彼女、藤原まどか のその表情に、その時気が付いたのは多分僕だけ。
というのも、彼女は取っ付きにくい印象の女の子だったからだ。
長い髪をひっつめにして無造作に束ね、度の強そうな黒縁のビン底眼鏡をかけた彼女は、可愛げというものが全くなくて、さらにいつも不機嫌な表情を顔に貼り付けて、「わたしに近づかないで」というオーラを全身から出しているようだった。
口さがない女生徒達は、いつも成績が学年で一番の彼女のことを「いい気になって……」と陰口を叩いてたみたいだけど、特に迷惑をかけられてる訳でもないクラスメートは、彼女を遠巻きにしている感じだった。
その彼女があんな表情を見せるなんて。僕が彼女に抱いた『興味』が『恋心』に変わるのに、時間がかかることはなかった。
彼女と僕、斎藤和正は図書委員を務めていた。部活に恋にと何かと忙しい高校生には、結構時間が拘束される図書委員というのは敬遠される職務なのだが、すべてに我関せずといった風情の彼女が、それだけはすんなりと引き受けることに、僕は少しの違和感を抱いていた。
一緒に図書委員を務めるようになって、彼女と会話する機会が増えるようになると、僕は彼女が持つ意外な一面を、いろいろと知ることになる。
本を読むことが何よりも好きなこと。特に歴史物を好んで読むこと。だから、歴史小説を読んでる至福の時間を邪魔されることが、それが誰でも許せないこと。なるほど…… それで教室ではあんな顔してんだな。
ぽつりぽつり、とでも会話を交わすようになった僕たちは、お互いの趣味である小説のことについて情報交換するようになった。ストーリーの内容を批評し合ったり、歴史小説の登場人物の好悪について意見交換したり。びっくりするほど読書量が多く、頭の回転が速い彼女との会話は、僕にとってとても刺激的なものだった。
そして、彼女と話をすることに苦手を感じなくなってきた僕は、ずっと抱いていた『違和感』を彼女にぶつけてみることにした。
「藤原さん、ちょっと立ち入ったことを訊くんだけど」
「何?」
そう答えて警戒したような視線を向けて来た彼女に、僕は少したじろいだ。でも彼女がまるまる拒否の姿勢ではないと感じたので、僕は話を続けた。
「藤原さんは、どうしていつも図書委員を引き受けるの?」
返って来た答えはとても意外なものだった。
「結構気に入ってるから」
気に入ってる? こんな面倒くさい仕事が?
「本の貸し借りのやり取りは煩わしいけど、それ以外は割と自由な時間を持てるでしょ? ここにいる時は、好きなように小説を読めるもんね」
彼女らしい理由に納得し、思わず僕は頷いてしまう。
「それにね……」
何かを言いにくそうにしている彼女に、僕は促すように頷いてみせる。
「図書委員ってさ、誰もやりたがらないじゃない? わたしが手を挙げたら、教室の雰囲気が悪くならなくって済むかなーなんて思ったりして。何か偽善者みたいで、らしくないとは自分でも思うんだけど……」
孤高の人だと思ってた彼女が、クラスメートにそんな気遣いをしていたことに驚かされる。彼女の優しい一面を知ることが出来て、僕は素直に嬉しかった。
「こんなこと話すのって、斎藤君が初めてだよ。どうしてかなぁ……」
はにかむような笑顔を浮かべて俯いてしまった彼女の可愛らしさに、僕はドキッとしてしまった。
もっと彼女と仲良くなりたい。
そんな思いが、僕の心に浮上する。僕の思いを見透かしたかのように、彼女が言った一言は破壊力十分。
「斎藤和正って名前、戦国大名みたいで格好いいよね? 前から結構気に入ってたんだよ、君のこと」
そう言って僕をじっと見つめる彼女。その時僕はあることに気づく。
ビン底眼鏡の向こう側には、色素が薄い澄み切った瞳があった。異国の人のような綺麗な瞳に、僕は吸い込まれそうになる。真っすぐに見つめ返す僕に、ドギマギし始めた彼女が言った一言は、今の僕には必要のない言葉だった。
「気に入ってるって言ってもさ、友達としてってことで…… 恋愛対象としてとか、そんなんじゃなくって……」
必死に弁解すような彼女に、新たな違和感も感じていたけど、彼女の言葉は、もう僕の耳には入らなかった。その時僕の脳裏に浮かんでいたのは、あの時の綺麗な横顔。
そう、僕は彼女への『恋心』をはっきりと意識していたんだ。
彼女に付き合っている男がいるって聞いたのは、それからすぐのことだった。
そのことを聞いた時に僕は、彼女に感じた違和感や彼女の教室での頑な態度に納得しつつも、その事実に嫌悪感を持った。
相手は他校の上級生で、あまりいい噂を聞かない人物だった。見境なく遊びまわっているという男と、彼女が付き合ってるって? そのことに僕は、やり切れない思いを抱かずにはいられなかった。
どうしてそんなヤツと?
疑念が僕の頭の中を渦巻く。
僕を見てくれればいいのに。
その思いが、僕の心を支配していく。気が付けば僕は、彼女をずっと目で追ってしまうようになっていた。
ある日の帰り際に、彼女がヤツと歩いているのを見かけた。彼女は、学校では絶対に見せないような笑顔をヤツに向けて、ヤツの腕に縋るようにして歩いている。男もまんざらではないような様子で、彼女のされるがままだった。何だか卑猥なものでも見たような気がして、僕は思わず顔を背けてしまった。
頭をもたげる嫌悪感に、僕は耐えられそうもなかった。その場を逃げ出すように、僕は駆け出した。不快な思いを振り払うかのように、僕は駅までの道を全力で走った。そして走りながら、僕はある決心をしていたんだ。
僕は待っていた。僕の決心を果たすためのチャンスを。
彼女よりも早く下校し、駅の改札で彼女が現れるのをひたすら待った。彼女を『まちぶせ』ている事実に後ろめたさを感じながらも、僕は己の陳腐な正義感を満たすためだけの行動を正統化させてしまっていた。
なかなかチャンスが訪れず、何度も彼女がヤツと並んで歩いている姿を見せつけられた。彼女は僕がそこにいることに気づいているようだったけど、いつも素知らぬ顔で僕の前を通り過ぎていく。そんな彼女の態度にも、僕は焦燥感を募らせてしまうのだった。
そして、チャンスがやってきた。
一人で駅に現れた彼女に、足早に近づく僕。何か言われてしまうことに気が付いているのか、彼女の表情は険しかった。
「何? 何か用?」
明らかに険を含んだ声色に、彼女の不快感がにじみ出ている。僕は構わず、自分の言いたいことを彼女にぶちまけた。
「何であんなヤツと付き合ってんだ?」
「はあ?」
怒りに満ちた顔で、彼女が僕に応える。
「何で斎藤君にそんなこと言われないといけないワケ? 意味わかんないし」
吐き捨てるように彼女は言った。そして僕に言い返す隙間を与えないかのように畳み掛ける。
「だいたいねー、わたしが誰と付き合おうと斎藤君には関係ないでしょ? 余計な口出しは無用よ」
彼女の口から繰り出されるマシンガンのような言葉の裏には、彼女が大きな不安を持っていることを僕は気づいていた。彼女自身もヤツとの付き合いをまともではないことを感じていて、それを他人に指摘されることが、彼女には堪らなく不快であるのは間違いなかった。
それを知りながらも、僕はさらに彼女に言い募った。
「確かに藤原さんの言う通りだ。いらないことを言ってるのはわかってる。でもね、よりによってあんなヤツと……」
僕の言葉を遮るように、大声を上げる彼女。
「あんなヤツって言わないでよっ!」
驚いて口を噤んだ僕を睨みつけ、あの綺麗な瞳に涙を浮かべて彼女は絞り出すように言った。
「それでもあの人のことが好きなのよ…… もういいから放っといて!」
そう言って踵を返し歩き出そうとする彼女の肩に、僕は思わず手をかけてしまっていた。
そんなにヤツが好きかよ……
そんな顔してまで一緒にいたいかよ……
やり切れない思いが取らせてしまった行動だった。しかし彼女は、肩に掛けられた手を自分の右手で振り払った。そして振り返った彼女の頬には、涙の筋が付いていた。
「放っといて、って言ったの……!」
くぐもった声で言い残すと、呆然と見送る僕を置き去りにして、彼女は改札の向こう側に消えてしまったんだ。
あれから2年。彼女がヤツに捨てられたと聞いた。かわいそうだと思いつつも、やっぱりなという思いも当然あって…… すっかり痩せてしまった彼女は痛々しかったけれども、僕にはそれ以上の感傷は湧かなかった。
そして僕らは卒業の時を迎え、僕は都会での暮らしを始めるため、ボストンバック一つを担いで駅に向かった。そこで人待ち顔をしている意外な人を見かける。
彼女、だった。
僕はかつて彼女がしていたように、素知らぬ顔で彼女の前を通り過ぎようとした。でも彼女は、明らかに僕の方へと歩を進めている。だから僕は、かつて彼女がしたような険しい顔をしてみせた。
「良かった、間に合って」
「何のことかな?」
「斎藤君にわたしの話を聞いてもらいたくって」
「僕には話すことなんてないよ?」
あくまでも拒絶の態度を取る僕に、彼女の表情は曇る。
「どうしてもわたしの話を聞いて欲しいの」
懇願するような彼女の表情にも、僕の心は動かない。
「あの時僕の話は聞いてくれなかったのに?」
僕の冷たい声と冷たい言葉に、彼女は俯いてしまう。そのまま黙り込んでしまった彼女に、僕は電車の時間があることを告げると歩き出そうとした。その時……
「待ってっ!」
彼女が僕の腕を掴む。その手の意外なほどの力強さに僕は驚かされる。
「斎藤君っ、わたし、わたしね……」
その先彼女が何を言おうとしているのか、僕にはわかってしまっていた。
「ズルいよ、藤原さん」
彼女の言いたい言葉を、僕は聞きたくなかったんだ。それが僕に冷めた声を出させる。
「聞いて、斎藤君……」
彼女の頬を涙が伝う。それにも僕の心は動かなかった。僕の腕を掴んだ手を、やんわりと引き剥がす。
「あの時、僕の手を振り払ったのは君だ。君が先に僕の気持ちを拒んだんだよ? それを今さら蒸し返すなんて、虫が良過ぎると思わないかい?」
「あの時のことは謝るわ。全然周りが見えてなくって、あなたの優しさにも気づかなかったの」
「今さらそんなこと言われても」
「あなたのことが好きなの」
真っすぐに僕を見つめてそう言った彼女。それでも僕の心は動かない。
「僕のことを見くびらないで。フラレてすぐの女に手を出すほどプライド低くないから。それにね……」
僕はそこで言葉を切って、強い視線を彼女に向けた。
「あの時にね、僕の君への気持ちは終わったんだ。何を言っても届かない君に、僕の気持ちは折れた。だからこれからも君を好きになることはあり得ない」
それは僕の正直な気持ちだった。それでも縋り付こうとする彼女に、僕は押しやるように両手を翳した。
「これ以上嫌いにはなりたくないから、ね? わかって?」
彼女にキツい言葉を投げられないのは、かつて好きだった人への思いやりだったのだろうか。崩れ落ちそうになっている彼女を抱きとめると、僕は彼女の耳元で囁くように最後の言葉を言った。
「藤原さん、元気でいてください。これでお別れです」
細い両肩を掴んで体を離し、彼女の瞳を見つめる。潤んではいるけど、澄み切った瞳はあの頃のままだった。
「さよなら」
僕は彼女に告げると、踵を返し改札を通り抜ける。目の前に停まった特急列車に乗り込むまで、僕は彼女の方を振り返らなかったんだ。
それから3年後。
彼女がこの世を去ったと聞かされた。ガンに侵された彼女は、短い時間であっけなく逝ってしまったということだった。その苦しみや悲しみを共有出来る人を得ることがないまま、儚く逝ってしまった彼女に同情はしたけれども、やはり僕はそれ以上の感情を抱くことはなかった。だけど……
彼女の綺麗な瞳とあの横顔は、彼女を好きだった事実とともに僕の中で生き続けていくことだろう。
Railwaysシリーズ、第5弾をお贈りします。
書き進めていくうちに、救いようのないバッドエンドになってしまいました。ここまで悲しい話にするつもりはなかったんですが……
自分が好きな人が、違う人に思いを寄せているもどかしさは、誰しもが感じたことがあると思います。そのもどかしさを表現したくて頑張ったのですが、どうやら頑張り過ぎてしまったようです。
「切なさ」と「悲しさ」の書き分け、前作の「女性目線」とともに、今後の創作の課題になっています。
まだまだ精進、です。