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三題噺

カレーライス・マスク・洗濯機

作者: 牛方巴

葉月は、走っていた

今時にしては珍しい、玄関を出た先にある、家で唯一の洗濯機へ向かって


何があったか

これは、これほど馬鹿らしいことはないというほど馬鹿馬鹿しい出来事がきっかけだ


葉月は、長野県出身だ。19歳になって東京の大学を受験し、見事に合格。葉月は上京した

長野の田舎で産まれた葉月は、田舎生まれの宿命ともいえる「東京への憧れ」をずっと抱いていた。テレビで見、雑誌で見、本で読み、ずっと夢の中の遠い存在だった東京。新幹線を降りてその(アスファルト)を踏みしめたとき、葉月がまず感じたのは「息苦しい」だった

それも当然かもしれない。葉月が産まれたのはド田舎。山と川に囲まれた村で、自然が生み出す新鮮な空気に触れてきた純粋な少女の肺に、大都会の排気ガスだの何だのが入り混じった空気はきつかった


この空気に慣れるまでにかかった期間が、3年間。その3年間を過ごしたのが、このぼろアパートだった


葉月は、ずっと自炊だった

といっても、葉月はあまり料理が得意ではない。アルバイトはしているが、外食やコンビニ弁当ばっかだとすぐすっからかんになってしまうのは目に見えていた。だから葉月は毎日いやいや台所に立ち、上京の時に母に持たされた広辞苑並みに分厚い「今日のおかず」をめくっていた

最初のうちは食べられないようなものしか作れなかったが、次第に上達し、最近はレストランで働けるくらいの腕になった


やっと初めの話に戻る

今日、葉月はカレーライスを作っていた

カレーライスといえば、葉月の十八番だ。おそらく3年間で一番多く食卓に上った料理だろう

今の季節は秋

葉月は秋になると必ず鼻風邪をひく。それにつられて、喉のほうもやられる。必然的にマスク着用となり、大体葉月は使い捨てのマスクを使っていた

当たり前だが、料理の時にもマスクは着けている。それが、今回の事件を引き起こした

葉月のカレーの作り方には、独特の拘りがある

葉月は必ず3回味見するのだ


葉月のカレーには、様々な食材と様々な調味料、そして様々なスパイスが使われている。それらを入れる加減が難しいため、必ず3回は味見をした

味見となれば、マスクは外さなければならない

カレーから立ち上る湯気が、無防備な鼻を強烈に刺激し、それが時速320㌔という恐ろしき悪魔(普通に言えばくしゃみ)を生み出した

1,2回目までは我慢が出来た。どうしてもという時だけくしゃみを超えるような速さでティッシュを捕りに行き、鼻をかむ。そうすることでカレーを安全に作り続けることが出来る

しかし、2回目が終わったとき、葉月はマスクをしっかり鼻にかぶせるのを忘れていた


絶えずかきまぜ続けているカレーからは、もうもうと湯気が立つ。それがマスクの間をすり抜け、鼻を刺激した

「ハッッッッックシュン!!!!」

たまたまたっぷりカレーが入っていたおたま、それを持つ手がくしゃみの反動で90度内側に動いた

おたまの中身が目指す先は――――葉月の頭


頭からたれていくカレーがエプロンの内部までしみこむ。葉月は一瞬動けなかった

気づいた瞬間、葉月はシャツを一枚残して上をすべて脱いだ

洗濯機まで走る。全速力で走る




「ハッッッッックシュン!!!!」


カラスの鳴き声がいつの間にか消えていた

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