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「完結済み」「もう用済みだ」と捨てられた毒見役令嬢ですが、私の記録簿なしでは王宮が回らないようですよ  作者: 夢見叶
第6章 取引網追跡――止めるのは誰

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第33話 この線の先に、誰がいる?

 机の上には、昨夜から動いていない地図がある。


正確には地図ではない。受領控えの写しを並べ、糸で繋いだだけの紙の束だ。それでも商会から倉庫、倉庫から封緘所へと走る経路は、誰かの意図をはっきりと描いていた。――1箇所を除いて。


「ここが詰まってます」


クラウスが朱で丸を描いた箇所を、私は指先でなぞる。革表紙の角を揃える手を止め、その丸に集中する。納入札の束に本来あるはずの商会印が、この点だけ抜け落ちている。抜け落ち方が、あまりに綺麗だった。


「事故ではなく、抜かれた」


「断定はまだです」


クラウスの言葉は短い。でも声が低いということは、彼も同じことを考えている。


「……商会へ行きます」


「宰相はすでに外で待ってます。気をつけて」


胃薬の小瓶が、朱の丸の横にそっと置かれた。




 香料商会の帳場は、入り口からラヴェンダの香りが濃かった。


甘く、厚い。それ自体は珍しくないが、この強さは作り物に近い。誰かが何かを隠している時の匂いだと、毒見役をしていた頃に覚えた。


帳場を切り盛りするオデットが、私たちを見て笑顔を作る。指輪の商会印がちかりと光った。


「お茶でもどうですか。遠いところをわざわざ」


すすめられた椀は砂糖の匂いが強烈で、私は思わず息を止めた。顔に出た、と思った瞬間、横からレオンハルトが無言で椀を取り、一口含んだ。


真顔のまま、静かにむせた。


クラウスが胃薬を机に置いた。音が静かだったので、オデットだけが気まずそうに笑った。


「――帳簿を見せてください」


私が言うと、オデットの笑みが薄くなった。


「帳簿? 開けませんよ、規定ですもの。番頭がいない日は触れないきまりで」


「わかりました」


私は頷く。そして続ける。


「では、納入札の束だけ」


沈黙が落ちた。オデットの指先が香袋を探すように動く。見つからないことに気づいて、代わりに机の端を押さえた。


「……納入札も、整理中で」


「整理の途中でも構いません。今ここにある分だけ」


レオンハルトが一歩前に出る。言葉はない。立っているだけだが、それで十分だった。


オデットの目が机と私の間を往復した。


「……少し、待ってください」




 出てきた束は薄かった。


私はそれを受け取り、一枚ずつ押し跡を確認する。商会印が入っているもの、欠けているもの。欠けているものが、2枚ある。どちらも同じ月の同じ旬に集中していた。


 偶然で重なる数字ではない。


「欠け方は隠せません」


オデットが口を開こうとして、止まった。


「欠けた? それが何だって言うの」


「欠けた位置が揃っています。……揃えた、ということです」


オデットの視線が逸れる。香袋が袖から出てきた。揉む指先が少し速い。


私はそれ以上、何も言わなかった。言わなくて済む形に、すでになっている。


「名を言うな。まだだ」


帰り際、レオンハルトが私の隣で低く言った。「証拠が、先に言う」


私は頷く。頷きながら、手の中の納入札の写しをもう一度確認する。欠け方の形が、地図の丸の中にきれいに収まった。




 荷捌き場では、クラウスが下働きの男たちと話していた。私とレオンハルトが合流した頃には、もう終わっていた。


「面白いことがわかりました」


クラウスの声は抑えられている。


「荷の運び順は、毎回変わる。でも1人だけ、同じ順番で動く手があるそうです。それが変わらない理由を、本人たちは知らない。教えられてないから」


「……内側の人間だ」


私が言うと、クラウスは一度だけ視線を向けた。頷きはしない。でも否定もしない。


「藁の荷が1束、香りが違います。確認しましたか」


私が訊くと、クラウスは首を振った。


「しました。ラヴェンダ。かなり強い。あの帳場と同じ濃度です」


荷が動いた経路と、欠けた納入札の位置が重なる。点が線になり始めた。線の先に、まだ名前はない。でも形はある。指示を出せる立場。取引の順番を知っている人間。商会の帳場が逆らえない何か。


デュボワという名前が、頭の端を一瞬よぎった。


私はそれを、口には出さなかった。




 夜の橋の上は風が強かった。


クラウスは先に戻り、私とレオンハルトだけが並んで立っていた。川の音が会話の代わりになっている。


「寒くないか」


彼が言った。政務の声ではない、少し下がった温度の声だった。


「寒いです」


正直に答えると、彼が一拍止まった。


「……帰ろう」


「はい」


そこで私は、胸の奥で燃えているものに気づく。


今日一日、私たちは踏み込んだ。守られてではなく、並んで。帳場でも荷捌き場でも、私は前に出た。それが嬉しかった。それが、こわかった。


嬉しいということは、また明日も前に出たいということだ。


私は怒っていなかった。怒る手前の、もっと柔らかいものが喉にあった。それを飲み込むと、かわりに手が少し震えた。


橋の手すりを掴む。


レオンハルトがそれを見た。何も言わなかった。でも歩く速度が、私に合わせて緩んだ。




 執務机に戻ると、クラウスが待っていた。


机の上に、一枚の紙がある。


受領控えの写し。……昨日、私たちが確認したものだ。でも角の割印に、見覚えがなかった。


私は革表紙を両手で押さえる。指先が冷たい。


「これ、誰が」


クラウスは答えない。代わりに、目を細める。


「見覚えのない印が、今朝ここにありました。……誰かが、触っています」


読んでいただき、ありがとうございます。


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