表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「完結済み」「もう用済みだ」と捨てられた毒見役令嬢ですが、私の記録簿なしでは王宮が回らないようですよ  作者: 夢見叶
第6章 取引網追跡――止めるのは誰

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

32/48

第32話 朝までに一つ、答えを

 砂時計が、半分まで落ちていた。

 小会議机の上に置かれたそれは、クラウスが無言で反転させてから一度も動かしていない。砂の細い流れだけが、時間を残す。夜が明ければ、封緘所の受領窓口に別の件が積み重なる。夜明けまでに1枚押さえなければ――昨夜の馬車の中で、その計算は終わっていた。


「やることは1つです」


 クラウスが地図を机に広げた。地図とはいっても、彼の手書きの走り書きだ。封緘所の位置、窓口の数、受付時間帯が書き込まれている。


「受領控えだけ。他は全部、後回し」

「受領控えを出させる根拠が要ります」

「割印の不一致です。昨日の欠落した納入札と、記録の日付を並べれば問いかけの材料にはなる」


 レオンハルトが腕を組んで立ったまま聞いていた。発言しないのは珍しい。私が視線を向けると、彼は砂時計を一度だけ見た。砂の残りを確かめる目だった。


「私が前に立てば早い」

「立場で押すのは最後の手です」


 クラウスが即座に返した。声に棘はない。ただ、速い。


「先に手順で通す。それが崩れてから初めて名前を出す。順番を違えると、後が詰まります」

「……わかった」


 レオンハルトが短く言った。珍しく、従う声だった。



 封緘所は市街の北区にある。石造りの横長の建物で、入口に番号札の箱が置かれていた。列はすでに7人ほど延びていた。夜明け前に並ぶ人間が、これだけいる。

 番号を引いて列に加わった。待ちながら、並んでいる人々を確かめた。商会の使いらしき男。書類を何枚も抱えた書記。そして列の先頭近く、小柄な老婦人が、ずっしりした布袋を両手で抱えていた。


 レオンハルトが老婦人の荷物を見て、半歩前に出た。


「お荷物、お持ちしましょうか」


 老婦人が振り返った。目が細くなった。細くなってから、さらに細くなった。


「……順番抜かしはご遠慮願いますよ」


 低い声だった。穏やかではなかった。

 私はレオンハルトの袖を、昨日の倉庫と同じ感覚で引いた。今度は素直に引かれてくれた。


「今は……従ってください」


 できるだけ小さく言った。彼は口を開きかけてやめた。老婦人が前を向いた。クラウスがわずかに咳払いした。


 列が少しずつ動いた。私は手の中の番号札を、指の腹で確かめ続けた。



「次」


 受領係が札を確認せずに手を出した。

 窓口の向こうには、インクで黒ずんだ指の男が座っていた。袖口に封蝋の欠片が白くついている。目は手元の台帳に落ちたままだった。


「受領控えの確認をお願いしたいのですが」

「何の件ですか」

「先月末の商会納入、割印が押された受領控えです」

「番号は」


 答えられなかった。件の番号を持っていない。提出束の断片から推測した日付範囲はあるが、正式な件番号は封緘所の内部にある。


「日付帯で照会は可能ですか。先月の21日から末日の間で――」

「日付帯での一般照会はできません。規定です」


 係が初めて顔を上げた。目が合った瞬間、彼の視線がわずかにずれた。私の手の方向へ。


 私は黙ったまま、鞄から昨日の納入札の写しを取り出した。証拠袋に入れたままの現物ではなく、クラウスが作った写しだ。そこに、割印の箇所だけ赤で囲ってある。


 紙を窓口に置いた。指で、割印の囲みを示した。説明はしなかった。


 係の目が、止まった。


 インク台を拭く仕草が始まった。拭いてから、もう一度拭いた。拭く必要がない場所を拭いた。目は紙から離れなかった。


「……この印は、ここでは見ません」


 声が一段低くなっていた。低くなって、速くなった。


「規定上、個別の照会には申請書が必要です。本日中に書式を取り寄せれば――」

「承知いたしました」


 私は紙を引いた。係の目が、引いた先を追った。追ってから、自分で目を外した。インク台をもう一度拭いた。


 窓口を離れた。



 封緘所の裏に細い廊下がある。窓口棟と保管棟を繋ぐための通路だ。人が少ない。クラウスが先回りして待っていた。


「どうでした」

「拒否しました。でも――手が動いていました」

「手癖が出た、ということですね」


 クラウスが短く息を吐いた。疲れの音ではなく、確認の音だ。


「割印を指で示した時、係の目が止まりました。知っている反応です」

「証拠にはならない」

「なりません。でも、次の問いかけの方向は見えました」


 クラウスが鞄を開いた。提出束の写しを取り出した。昨夜から持ち歩いている、余白の多いあの束だ。


「見てもらいたいものがあります」


 余白の一角を指した。そこには細い訂正線があった。元の文字を消して、別の文字に直した跡。訂正自体は丁寧だった。整った字で直してある。


「訂正は丁寧。でも――筆圧が違う」


 私は訂正線の横に指を当てた。訂正した線の圧が、元の文字より明らかに深い。力が入っている。焦っていたか、あるいは――


「……書いた人間が、違う」


 クラウスが言いかけて、口を閉じた。言いかけた言葉を飲み込んだ。飲み込んで、鞄を閉じた。


「今は、記録してください。判断は後で」


 廊下の奥で、扉が開く音がした。クラウスが素早く一歩引いた。誰かが通り過ぎた。足音が遠くなった。


 私は手の中の写しを折り畳んだ。訂正跡の位置を、指の感覚で覚えた。

 この手は、誰の手なのか。丁寧に直した、力の強い手。



 神殿の小室は封緘所から徒歩で行ける距離にある。石の床に小さな灯台が1本。空気が冷えていて、乾いている。


 レオンハルトが扉の前で立ち止まった。


「怖いなら、私の後ろでいい。……だが君が望むなら、隣を空ける」


 低い声だった。問いではなく、選択肢だった。

 私は一度だけ深く息を吸った。


「隣で、見ていてください」


 小室に入った。レオンハルトが一歩遅れてついてきた。


 短い浄化だった。クラウスが整えた手続きの範囲内の、短い儀式。祈祷紐を腕に巻く。結び目を作る。呪毒の封緘が一時的に緩み、空気が変わった。

 灯台の火が、わずかに揺れた。


 浄化が終わった後、レオンハルトが一拍、動かなかった。


 立ったまま、動かない。呼吸だけがある。1秒。2秒。私が振り返った時、彼の指先が祈祷印の指輪を、ゆっくり回していた。痛みを押し込む仕草だ。反動が来ている。


「問題ない」


 彼が言った。問われていないのに言った。


 私は何も言わなかった。灯台の明かりが、彼の横顔を黄色く切り取っていた。手袋を外した指先に、古傷の筋がある。その指が、指輪を一度だけ強く回した。


 窓の外で、夜が白み始めていた。


 封緘所の受領控えは、今日は取れなかった。でも――手癖が出た。次の問いかけの場所は見えた。そして余白に残る訂正跡が、まだ消えない。


 丁寧に直した、力の強い手。

 この手が、私たちの味方であるなら――。


 答えは、まだない。

|

読んでいただき、ありがとうございます。


よければブックマーク・評価・いいねなどしていただけるととても嬉しく思います。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ