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「連載版」「もう用済みだ」と捨てられた毒見役令嬢ですが、私の記録簿なしでは王宮が回らないようですよ  作者: 夢見叶
第1章 「不要」の宣告、当日追放

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第2話 日没までに消えろと言われて

「日没までに退去が完了しない場合、手続き上、逃亡扱いとなります」


 役人の声が、回廊の石に反射してまた私の耳に戻ってきた。


 逃亡。


 私は足を止めた。帳面を抱えた腕に、知らず力が入る。さっきまで引き継ぎを申し出ようと歩いていたが、それより先に現実が追いついてきた。


「日没は何時ですか」


「今の季節ですと、概ね5時頃かと」


 私は窓の外を見た。太陽の角度から推測するに、おそらく午後2時を少し過ぎたあたりだ。3時間もない。


「わかりました。退去手続きの窓口はどちらですか」


 役人が微かに眉を動かした。泣くか、食い下がると思ったのだろう。5年間でわかったことがある。感情を見せた瞬間、相手は楽になる。だから私は見せない。


 退去手続きの窓口は、回廊の奥にある記録管理室の隣だった。皮肉な配置だと思った。5年間、毒見の記録を届けに何度も通った廊下だ。


「セレーナ・ヴォルマー。毒見役解任に伴う退去手続きに来ました」


 窓口の係は書類を広げて、私を上から下まで見た。


「通行証の発行は30分かかります。荷物の持ち出しは、書類に記載のある私物のみ。帳面類は――」


 彼は書類を繰った。


「王宮所有物に分類されますので、持ち出し不可です」


 私は即座に答えた。


「帳面は私物です」


「毒見役の業務記録は、王宮の機密情報として扱われる規定があります」


「機密指定であれば、機密指定の手続きを経た文書が存在するはずです。朱印はどこにありますか」


 係が口を開け、また閉じた。書類をもう一度繰る。また繰る。


「……現在、確認中です」


「記録します」


 私は帳面を開いた。今日の日付を書き、係の名前を確認し、「機密指定の朱印の存在を問い合わせた。確認中との回答を得た」と記録した。係が私の手元を見て、また表情を変えた。


 機密だと言い張るほど、機密指定の手続きをしていない穴が広がる。私は穴のありかを知っている。


 通行証が出るまでの時間、私は引き継ぎの申請に向かうことにした。


 毒見役の管轄は王宮薬師長の部署だ。廊下を2本曲がった先にある。今朝まで何十回も歩いた道を、私は今日最後だという感覚もなく歩いた。感覚がないのではなく、後で来る、という予感があった。今は冷えている。冷えている間に動ける限り動く。


 薬師長室の前で、私は扉を3回叩いた。


「セレーナ・ヴォルマーです。引き継ぎの申請にまいりました」


 しばらく間があった。扉が開いた。副薬師長が顔を出した。目が合った瞬間、彼が視線を横に逸らした。わかった。この反応は知っている。決定を受けて、関わるなと言われた人の顔だ。


「……本日付けで、セレーナ嬢の業務は全て終了と承っております。引き継ぎは不要とのことで」


「次の毒見役の方が来られた際、記録なしでは一から始めることになります。それは王太子殿下の安全に関わります」


「その点については上の判断です」


「ではその上の方に繋いでいただけますか」


「……申し訳ありませんが、それも難しい状況でして」


 私は帳面に書いた。「引き継ぎを申し出た。副薬師長より拒否の回答。上席への連絡も断られた。日時、立会人なし」。


 副薬師長が私の記録する手元を見て、目を逸らした。今度は横ではなく、下に向いた。


 廊下に戻った。


 次は保管庫に向かう。5年間の公式記録――私が作っていないはずの公式記録が、もしどこかにあるなら確認しておきたかった。


 保管庫の前には書記が1人いた。若い。まだ王宮の空気に染まりきっていない目をしていた。


「5年前から現在までの、毒物管理の公式記録はありますか」


 書記は棚を確認した。長い沈黙があった。


「……毒見役からの提出記録、ですか」


「はい」


「ありません。提出記録がございません」


 私は少しの間、その言葉を聞いていた。


 ない。


 つまり、5年間、私は記録を作り続けたが、どこにも提出する仕組みがなかった。提出先もなかった。公式の記録庫には何も届いていない。私の帳面以外、この5年間の毒見の記録は、王宮のどこにも存在しない。


「……記録します」と私は言った。


 自室への廊下は、誰ともすれ違わなかった。解任の話は伝わっているのだろう。近づかない方がいいと判断した人たちが、道を避けた。それくらいはわかる。


 私室は狭かった。窓がない。5年間の生活がここにある。が、荷物は思ったより少なかった。服は実用品だけだし、装飾品はほとんど持っていない。毒見役に宝石はいらない。食事中に何かに引っかかると面倒なだけだ。


 問題は帳面だった。


 棚に並んだ黒い革表紙。数えた。12冊。


 さっき窓口の係に「帳面は一冊だけ」という規定を言われたことを思い出した。私は少し考えてから、また帳面を数えた。12冊。変わらない。


 12冊は12冊だ。


 これは「帳面」という種類の物体が12個ある事実であり、「一冊だけ」という規定とは別の話だ、という論理を、私は頭の中で静かに組み立てた。機密指定の朱印がないなら、押収の根拠もない。持ち出せない理由を、相手が提示する前にこちらが潰しておく。


 荷物をまとめた。帳面は全部、風呂敷に包んだ。領収書の束を確認した。帳面の購入代金、インク代、それから5年分の薬草の個人購入記録。毒の解毒薬を自費で買い足した月は結構あった。王宮の薬師から出るものでは足りない時があったから。


 全部、私の名前と日付が入っている。


 私はその束を風呂敷の底に丁寧に重ねた。


 廊下に出た時、太陽の角度が変わっていた。日没まで、あと1時間ほどか。


 通行証を受け取りに窓口へ戻る途中、厨房の裏口付近を通った。夕方の食材の仕込みが始まる時間で、下働きの声が漏れてきた。


「ラヴェンダって、甘くて香りがいいから気づかれにくいのよね」


 誰かの声が、ふと耳に入った。


 私は足を止めなかった。


 次の毒見役がその声の意味するところを理解するようになるまでに、どのくらいの時間がかかるだろうか。


 通行証は窓口で出来ていた。係は私の風呂敷を確認した。「帳面が複数冊ありますが」と言いかけた。


「私物です。機密指定の朱印をお持ちでしたら、確認させていただきます」


 係は何も言わなかった。


 私は通行証を受け取り、宮門に向かった。


 宮門の衛兵が通行証を確認した。番号を照合し、私の顔を確認し、日没前の退去であることを確かめた。いつもなら馴染みの顔で軽い言葉を交わす衛兵だったが、今日は何も言わなかった。私も何も言わなかった。言う必要はなかった。


 門を出た。


 振り返らなかった。


 5年間の癖として、今日も振り返りかけて、やめた。


 迎えの馬車を待つ間、私は風呂敷の端から帳面を1冊出した。今日の記録を書いておきたかった。機密指定なし。引き継ぎ拒否。記録の公式提出先の不在。日付と時刻。


 帳面の角に、白い粉が少しついていた。


 石灰だろう、と思った。自室の壁から剥がれた何かだ。


 指で払おうとして――止まった。


 角の折り目が、おかしかった。


 私はそのページを開いた。3か月前の記録だ。毒の種類、推定経路、納入業者の名前。この日、私はここに記録をつけて、閉じたはずだ。


 なのに折り目が、私の折り方じゃない。


 私は帳面を閉じる時、必ず左下を折る癖がある。ところがこのページの折り目は、右上についていた。


 誰かが、このページを開いて読んだ。


 馬車が来た。私は帳面を抱え直した。


 揺れる車内で、私はずっとそのページのことを考えていた。


 誰が、いつ。どこで。


 そして――なんのために、この3か月前のページを。


読んでいただき、ありがとうございます。


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