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「完結済み」「もう用済みだ」と捨てられた毒見役令嬢ですが、私の記録簿なしでは王宮が回らないようですよ  作者: 夢見叶
第3章 返還要求の前触れ――噂が走る

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第14話 悪意はどこで生まれたの

 果物籠の下に、紙が挟まっていた。


 市場の朝は騒がしかった。威勢のいい売り声と、荷車の軋む音と、土の匂いが混ざり合う。ミレイユが籠を持ち上げた瞬間、白い紙が一枚、足元に滑った。


 私は反射的に拾った。


 紙を開くより先に、匂いが来た。甘い。インクの下に、かすかな甘い香りが混じっている。宰相邸で嗅いだことのない種類だった。


 視線を走らせた。数行の文言。「アルヴァス宰相府に囲われた元毒見役、国の帳面を持ち逃げ」。


 体温が下がった。


 籠を戻した商人が、まだそちらを見ていなかった。ミレイユが私の横に立って、無言で紙を取り上げた。表情は変わらなかった。


「燃やします。夕飯までに」


 それだけ言って、彼女は紙を袖の中に収めた。現実的すぎて、私は笑い損ねた。


 市場を抜ける間に、同じ紙をまた見つけた。石畳の隙間に一枚、八百屋の台の裏に一枚。開かなくても分かった。同じ匂いがした。


 路地に入ってから、ミレイユに断って一枚だけ手に取った。


 紙を指で撫でた。厚みがある。目が詰まっている。市場の安紙ではなかった。繊維の向きが整っていて、圧をかけた時の返りが固い。官製の触り、と思った瞬間、背筋に細い線が走った。


 こういう紙は、どこで手に入る。街の文具屋には置いていない。宮廷御用達の紙商か、官庁の備蓄か。どちらにしても、出所は限られる。


 私は紙を畳んで袖に入れた。


 宰相邸に戻ると、玄関でクラウスが待っていた。手に書類。眉間の皺がいつもより深い。


「市場の件、報告が届いています。同じ文言の紙が、今朝だけで12か所以上で確認されています」


 私の袖から紙を受け取って、彼は一度だけ広げ、また畳んだ。


「……これ、誰が配る仕事を?」


 自分の口から出た言葉が、少し震えていた。偶然ではない。12か所以上。一人が持ち回るような数ではない。組織的に動いた者がいる。


「現在調査中です。ただ」


 クラウスが続けた。


「配布された地点が、宰相府の使用人が通る動線と重なっています。念のため、確認してください」


 それだけで十分だった。内側から漏れた可能性がある。そう言っている。


 私の手が、袖の中で紙の角に触れた。


 執務室のレオンハルトは、私が紙を差し出しても手を伸ばさなかった。机の上に置かせて、視線だけで確認した。それから一言。


「記録しろ。——燃料を特定する」


 淡々としていた。感情が見えなかった。いつも通りだった。いつも通りのはずだった。


 なのに今日は、その冷静さが胸に刺さった。


 私は机の端に立ったまま、少しだけ躊躇ってから口を開いた。


「……証明はできます」


 彼が視線を上げた。


「でも——信じたい人が、信じてくれないのが一番怖い」


 声が少し低くなった。抑えたつもりが、抑えきれなかった。


 噂は紙になった。紙になれば、読んだ人間の目に残る。消しても、見た事実は消えない。宰相府の中に、これを外へ出した者がいる。外への道を知っている者がいる。


 そして宰相は今、淡々と「記録しろ」と言っている。


 その言葉が正しいのは分かっていた。感情で動いても、噂には勝てない。形で押さなければ意味がない。頭では分かっていた。


 でも。


「信じるために必要なものを、君はもう持っている」


 彼が言った。


 声が低かった。机から視線を外さないまま言った。でも言葉の重心が、一段だけ変わった。


「——だから私は、奪わせない」


 一呼吸、黙った。


 その言葉が着地するのを待った。感情より先に意味が動いた。奪わせない、というのは、記録の話をしているはずだった。この紙のことも、帳面のことも。でも私の胸が受け取ったのは、もう少し大きいものだった。気のせいかもしれなかった。


 気のせいかどうか、確かめる方法が分からなかった。


 回廊に出た時、夕方の光が廊下に斜めに入っていた。


 紙の匂いがまだ袖に残っていた。あの甘い、官製の香り。12か所以上に同じ紙が撒かれた。宰相府の動線と重なる地点。受領印の写しを知る者がいた、昨日の報告。繋がっている気がした。繋がっていると断言はできなかった。でも、同じ根から生えている匂いがした。


 帳面を開いて記録を始めた。


 紙の厚みと繊維の向き。甘い香り。12か所の地点名。クラウスの言葉、「動線と重なる」。


 書いている途中で、ミレイユが廊下の端から頭を出した。


「夕飯はあと少しです。紙は燃やしました」


 言い切って、引っ込んだ。胸の緊張が一本だけ緩んだ。緩み方が予期せなさすぎて、笑いに変換される前に止まった。


 ミレイユは現実の人間だった。噂も記録も燃やして、飯を作る。その強さが少しだけ羨ましかった。


 私は帳面の余白に、最後に一行だけ書き足した。


 配布の組織性を確認。燃料の出所を追う。今夜のうちに整理する。


 ペンを置いた時、廊下の外から使者の声がした。クラウスが受けている。言葉の端に日付が聞こえた。具体的な数字。返還要求の期限、だった。


 帳面をまだ閉じていない手が、そのまま止まった。


 準備できるのは、今夜だけだ。


読んでいただき、ありがとうございます。


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