価値のある働き方
朝の電車は、いつも同じ顔を乗せて走っている。
眠そうな顔、諦めた顔、何かを睨むような顔。
誰も楽しそうではないのに、誰かが楽しそうだと許せない空気だけは、やけに濃い。
「仕事は大変であるべきだ」
誰に教わったわけでもないのに、みんなそれを前提にしている。
苦労していない人を見ると、どこか不正を見つけたような目になる。
在宅勤務の人がニュースに出れば、
「楽して金もらってる」
定時で帰る人がいれば、
「やる気がない」
好きなことを仕事にしている人には、
「それは仕事じゃない」
苦しんでいるかどうかが、価値の物差しみたいになっている。
成果よりも、消耗している様子のほうが信用される。
昼休み、同僚がぼそっと言う。
「最近の若い子は、楽な働き方ばっか探してさ」
その声には怒りよりも、置いていかれる不安が混じっていた。
本当は、楽をしたくないわけじゃない。
自分が我慢してきた時間が、無駄だったと思いたくないだけだ。
だから、誰かが違う道を選ぶと、それ自体が否定に見えてしまう。
苦労が美徳になった国で、
苦労しない人は、どこかズルをしている存在になる。
努力よりも、疲労のほうが語られる。
「どれだけ頑張ったか」より、「どれだけ削れたか」
帰り道、コンビニの明かりがやけに眩しい。
レジの奥で、淡々と働く人の顔を見て、ふと思う。
この人が楽をしていたら、誰かは怒るのだろうか。
この人が笑っていたら、不真面目だと言われるのだろうか。
労働は、生きるための手段でしかないはずなのに、
いつの間にか、耐える競技みたいになっている。
誰が一番、苦しんだかを競う、終わりのない大会。
電車の窓に映る自分の顔は、どこか疲れている。
それでも、誰かが少し楽に生きているのを見て、
素直に「よかったね」と言える人間でいたいと思った。
苦行じゃなくても、価値はある。
楽しそうに働いても、誰も傷つかない。
そんな当たり前が、当たり前になる日を、
まだ誰も祝えていないだけなのかもしれない。




