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あの神学生、タダの川水を小瓶に詰めただけの代物を「聖水」と称して、少女に売りつけやがって。とんでもない詐欺師だ!ーーえ? だからこそホンモノ?今度は領主様にお城に呼ばれて?大丈夫なんですか?

作者: 大濠泉

◆1


 ある水が豊かな村で、ひとりの少女が川辺で(ひざまず)き、神様に祈りを捧げていた。


「お母さんを元気にしてください。お願いします」


 少女エミリアは十歳になったばかりで、この地方一帯を領有するテミスト辺境伯家に仕える騎士爵家の娘だった。

 彼女の父親ランブル・トップ騎士は、三年前の戦争ですでに戦死している。

 以来、母マミアと娘エミリアの二人で、テミスト辺境伯家にお仕えして、なんとか今まで生き延びてきた。

 ところが、一月ほど前から、母親の体調が優れず、辺境伯家での下働きからお(いとま)して自宅療養に専念した。

 しかし、病は重くなる一方で、高熱を発した身体から滝のように汗が流れ出て、ゼエゼエと息は途絶えがちとなった。

 村の医師は原因すら掴めず、気休めとなる薬を処方するだけだ。


 母親マミアの病気を治してもらいたい娘エミリアは、水車小屋近くの川辺まで水を汲みに来た折に、(ひざまず)いてお祈りをした。

 もちろん、母親のためにスープを作り、母親の身体を拭いてあげて、高熱を冷やすための水も用意している。

 それでも、母親マミアは病床にあって苦しみ、毎日、細い顔を歪めて、(うめ)き声をあげている。


 娘エミリアは途方に暮れた。


(お父様も亡くなって、今度は、お母様をも私から奪おうとしている。

 神様はなんて残酷なんだろう……)


 少女は泣きたい思いをグッと堪えて、必死に神様にお祈りをする。

 これでもう何十回にも渡る「母親の病魔退散祈願」だったが、十歳の少女にとって、他に思い当たる「治療法」がなかった。


 そこへ、詰襟が高い、黒い服をまとった若者がやって来た。

 黒髪に、青い瞳をした青年で、青白い肌が印象的だった。

 少女が見慣れた、農作業や剣術訓練に明け暮れる、近所の肉付きの良い若者たちとは、まったく雰囲気が違う。

 貼り付いたような笑顔をした、見慣れない青年だ。

 水車小屋の向こう岸からやって来たようだから、この土地の者ではないのだろう。

 少女が見惚れていると、若者は身を(かが)めて、


「お兄さんが、良いものを売ってあげよう」


 と言って、エミリアに小瓶を渡した。

 手のひらに置かれた小瓶をみると、中にはほんの僅かの、透明な液体が入っていた。

 (ひざまず)いた姿勢のまま、目を見開いて、見上げる少女エミリアあに、若者はニッコリと微笑んだ。


「これは聖水というんだ。

 神の御力が宿った水、とでも言おうか。

 お兄さんが祈ったからこそ、霊験あらたかなものになったんだよ」と。


 少女が驚いて、問いかける。


「どうしてお兄さんは、私が、お母様の病気が治るよう、お祈りしているとわかったの?

 私、声を出さずに、心の中でお祈りしていたのに」


「お兄さんは神学生といって、司祭様のタマゴなんだ。

 司祭様と同じように、神様にお仕えしている。

 だから、お嬢ちゃんの心の声が聞こえたんだよ」


「凄い!

 神様にお祈りするの、無駄じゃなかったんだ!」


「もちろん、神様はお嬢ちゃんの声もしっかり聞いてくださいますよ。

 だから、僕をお遣わしになって、こうして聖水をもたらしたのです。

 ですが、お母様の病を癒すためには、お嬢ちゃんの奉仕が必要です」


「私の奉仕?」


「そうです。

 お嬢ちゃんは、お母様の病を癒す、この聖水に、幾らの値段をつけますか?」


「お値段ーーお金、ですか?」


 エミリアの顔は曇る。


「ウチにはお金がありません……」


 薬を置いていくお医者様へのお代も払い切れず、スープの材料である野菜を買うのもままならない状態になっていた。

 明日からは、お父様の仕事仲間だった、村のオジサンたちの家々を経巡って、物乞いをしなければならない、と覚悟していた。

 すると、お兄さんは首をゆっくり横に振って言いました。


「聖水の価値を決めるのは、お嬢ちゃんの心なんです。

 なにも、銅貨、銀貨である必要はありません。

 お嬢ちゃんが差し出せる、最も価値が高いものが、お嬢ちゃんの〈神様に奉仕する心の価値〉を示すのです。

 なにか高価な物が、お家にございませんか?」


 少女は色々と思い巡らし、パアッと明るい顔になった。

 エミリアは思い至ったのだ。


(そうだ。お家には、お父様の形見ーー剣や盾、そして革製と鉄製の鎧があるわ!)と。


 娘は若者に手を引いて、急いでお家へと帰る。

 そして、お母様が眠る寝室の奥から、お父様の形見の品々を引っ張り出して、若者に見せた。

 その他にも、壁に立て掛けてあった絵皿や、壺、銀食器など、高価そうなものすべてを、青年に差し出した。


 若者は少々、驚いたような顔をして、


「良いのかい、こんなに頂いて?」


 と言うので、エミリアは手を合わせて(ひざまず)く。


「お母様の生命には換えられません。どうか、神様にお取次ぎを」


 それらすべてを袋に詰めてもらって、若者は爽やかな笑顔を見せた。


「心配要らないよ、お嬢ちゃん。

 その聖水を飲んだら、お母様はきっと癒されるから。

 神の祝福のあらんことを」


 黒襟の青年は少女の頭をそっと撫でて立ち上がると、(きびす)を返して立ち去って行った。

 エミリアは、ほんとうに神様が助けてくださったのだ、と感謝した。

 (ひざまず)いた姿勢のまま、ギュッと聖水が入った小瓶を握り締めた。


◆2


 青年は、少女に聖水を売りつけることに成功するや否や、即座に川を渡って、村から遠ざかった。

 そして、水車小屋から離れた場所にある小さな街で宿を見つけると、そこに逗留する。


「やったぜ。儲けた!

 ちょっと足りねえんじゃねえの、あの小娘」


 青年は、袋に詰められたお宝を取り出しては、悦に入っていた。

 都会から離れた辺鄙(へんぴ)な村では、医者や薬も少ない。

 おまけに、信心深い信者がウヨウヨいる。

 だから、神学生の制服を着たままで、困っている人に声をかけて、


「私が神様に取り次ぎましょう」


 と祈りを代行すると、なにかと便宜(べんぎ)を図ってくれるーーそう目論(もくろ)んでいた。

 その狙いは当たり、実際に、想定以上の成果が見られた。


 さらに、ちょっと知恵を働かせて、そこらの川辺で水を汲み、効果そうな小瓶に詰めて、「聖水」と称して、信心深い無教養な者に売りつけたら、かなりのお金を手に入れられるーーそう当て込んで、実際にやってみたら、かなり稼げてしまったのだ。


 年端も行かない少女が熱心に祈るとすれば、たいがい肉親の身を案じてのことに決まっている。それも高確率で病気からの快癒だろう。

 そう推測して、川辺で祈っていた少女に声をかけ、「聖水」を売りつけることに成功した。


 本物の騎士が使っていた剣と盾、そして鎧ーー金貨二十枚にはなるだろう。

 他にも絵皿や銀食器も手に入った。

 これでしばらくは飲み食いに困ることもない。


「馬鹿だぜ。

 あんなの、単なる水だよ。

 その川で汲んだやつだ。

 はっははは!」


 少女に偽物の聖水を売りつけた青年は、実際に神学校の学生だった。

 ライアー・トラスト男爵令息、洗礼名ロゴスと称する、歴とした貴族令息であった。

 だが、トラスト男爵家の三男坊で、家督は継げそうにない。

 実家が貴族最下層の男爵家(一応、騎士爵家よりは上だが)では、このまま大人になっても、碌な縁談が期待できない。

 たいがいは平民落ちだ。


 だから神学を学んで、青年は神学校へと入った。

 将来は聖職者となって、羽振り良く生活しようと企図したのだ。

 欲得で勘定する彼が目指すに値するほど、今の聖職者は汚職と腐敗に(まみ)れていた。

 それでも、田舎の方では、いまだに農民や職人をはじめとした朴訥な信者が多く、生活自体が貧しい地域では、聖職者でも腐敗しようがなく、実際に中央から左遷された司祭が多く赴任しており、悪事は蔓延していなかった。

 結果、地方の教会での司祭はやる気が失せている者が多いので、神学生ロゴスは、そんな彼らの目を盗んでは、小遣い稼ぎに勤しむことにした。

 神学校を卒業後、都会の教会に赴任するには、なにかとお金がかかるものなのだ。


 神学校が夏期休暇の間、彼は積極的に辺境の地に赴き、病人宅を訪れたり、貧窮院で食事を配るなどしながら、ボランティアの体裁で、方々を歩き回り、ついでに金儲けに励んだ。

 商人に代わって契約書を作成したり、臨終の農夫に祈りを捧げたり、地方貴族の結婚式で祝詞を述べたりするなど、いろいろな手伝いをしたが、最も大金を得たのは、少女に聖水を売りつけたことによってであった。


 これほどの収益は初めてだった。

 だがこれまでも「聖水」を売ることで、干し肉などの食糧、数枚の銀貨などをせしめていた。

 この辺境の地では信仰篤い人々がたくさんいて、「聖水」の真偽を疑ってはいても、喜捨(きしゃ)の精神で、(こころよ)くお金を支払ってくれるのだ。


 ロゴス青年は気を良くして、同じ宿に一週間以上、連泊して、飲み食いする。

 このまま辺鄙な村々を巡って、聖水を売り歩くのも悪くないな、と思い始めていた。



 ところが、ある日の朝ーー。


 宿から出たところで、いきなり大勢の人々に取り囲まれてしまった。

 彼らは銀色の甲冑を身にまとって辺境伯家に仕える、正式な騎士団員だった。


「お探しいたしましたぞ、聖水を生み出す力をお持ちの神学生よ。

 この地のご領主様であらせられるバラン・テミスト辺境伯様がお呼びです。

 ぜひ、お城までご同行願います」


◆3


 バラン・テミスト辺境伯の居城は、かなり大規模なものだった。

 セイレン神聖王国の西側国境に位置し、精強な隣国モブル帝国からの侵攻に備える役割を担っているから、万を超える多くの軍勢を擁していた。


 テミスト辺境伯家に仕える者たちは、この辺境にあって、普段から絶対的な権力を振るっていたので、たとえ神学生であっても、他所者であるロゴス青年には自然と横柄な態度に出ていた。


 テミストの居城に招き入れるや否や、騎士の他、武官や文官までもがロゴス青年を取り囲み、


「さっさと聖水を寄越せ」


「聖水はどうした?

 隠すと身のためにならんぞ」


 と、あたかも犯罪容疑者を相手に尋問するかのように詰問し続ける。

 とはいえ、ロゴス青年としては、汗だくになりながらも、大きく手を振って、


「い、いや、今は、もうないんですよ。

 お許しください」


 と答えるしかない。

 ロゴス青年は、詐欺を働いたのがバレるとヤバいと思ってるから、少女に、聖水と称して、単なる水を売りつけたことを、必死に隠そうとする。


 だが、彼がいきなり、この地方最大の権力者であるバラン・テミスト辺境伯に居城にまで招かれたのには理由があった。


 なんと、驚いたことに、彼が少女に売りつけたインチキ「聖水」を口にした母親の病が、たちどころに癒えてしまったのだ。

 貧しい母子(おやこ)の母親マミアが、その水を飲んで熱が下がって、重い病から快癒した。

 しかも、十歳の娘エミリアが喜びのあまり、「聖水」による奇跡を宣伝しまくっていた。


「ほんとに効いたの。あの聖水はホンモノだわ!

 今にも天に召されそうだったお母様が、みるみる元気になって、すっかり元通り。

 家事も洗濯も、お掃除もできて、すぐにでも、お勤めできるほどなの。

 神学生のお兄さんは、ほんとうの聖水を作れるお方なんだわ!」


 そのような賛辞を口にして、年端のいかぬ娘が、喜んで村中を走り回っている。

 その姿を見て、騎士爵家の家々を束ねる騎士団長が、主人であるバラン・テミスト辺境伯に報告したのだ。


 その結果、「聖水を作った青年」は居城にまで連行され、多くの騎士たちに囲まれたながら、(いか)つい顔に茶色の顎髭を蓄えた偉丈夫、バラン・テミスト辺境伯が座る玉座の前で、(ひざまず)かされていた。

 バラン辺境伯は、肘掛けにもたれた姿勢で、頬に手を当てながら、青年に厳命した。


「貴様を他所の土地に逃すわけにはいかない。

 たかが下女勤め風情の母親の病を癒したのだ。

 今度は、我が娘、レミーを癒やせ!」


 バラン辺境伯の愛娘レミー・テミスト辺境伯令嬢は、いまだ十四歳という若さながら、その貧しい母子(おやこ)の母親マミアと同じ病に(かか)って、長い間、苦しんでいた。

 父親としては、なんとしてでも娘を治してもらいたかった。


「我が娘の病を癒せ。

 完全に癒えるまで、祈り続けろ。

 娘レミーが快癒するまで、貴様を逃すつもりはない」


 ロゴス青年は、血の気が退いた顔をあげ、必死に抗弁した。


「お、恐れながら、バラン辺境伯閣下。

 私はしがない、一介の神学生に過ぎません。

 どのような噂を耳にしたのか存じませんが、私などに『聖水』などという伝説級の代物を作り出せるはずがございません。

 教会でも、今まで幾度も『聖水を作った』と噂される人物を特定して調べてきましたが、そのことごとくが詐欺、もしくは虚言に過ぎませんでした。

 実際に、『聖水』を作成できた者は、即座に聖人として列聖されるほど、聖水を作るということは珍しい事象なのです。

 元は貧乏男爵家の息子である私ごときには、とてもとても……」と。


 けれども、バラン辺境伯は、青年の言い訳を信じなかった。


「ふん。

 たしかに貴様が、適当に川水を詰めただけの小瓶を『聖水』と称して売り(さば)いてきたのは、調べがついておる。

 この地は我がテミスト辺境伯家の領土。

 領民たちのほとんどが、我が目、我が耳と心得よ。

 そして、我が領民の中に、怒りに身を震わせながら、

『あのロゴスなる若造、とんでもない喰わせ者ですぜ。

 そこら辺の川から、適当に水を汲んでいるのを、おいらは見たんでさあ。

 あんなタダの水を『聖水』と嘘ついて、売りつけやがって。

 とんでもないエセ神学生だ!』

 と言うヤツがいてな。

 だが、かえって儂は、それを聞いて、貴様の力を信じたのだ。

 単なる川水を口にしただけで、貧しい母子の母親の病が癒えるはずがない。

 だとしたら、貴様の祈りに本物の聖なる力があり、単なる川水を聖水へと変化せしめた、ということになる。

 これは素晴らしいことだ。

 魔法にも等しい、聖なる力だ」


 バラン・テミスト辺境伯は玉座から立ち上がり、騎士たちに命じた。


「どの部屋でも構わん。

 この神学生を監禁しろ。

 そして聖水を作らせるのだ。

 城から解放してやるのは、聖水を完成して、我が娘の病を癒したあとだ。

 自由を得たくば、見事、我が依頼を果たせ。

 成功した暁には、我がテミスト辺境伯家の名誉聖職者として迎え入れよう。

 ちなみに、貴様が所属する教会には、すでに『聖水を作った聖人の可能性あり』と報せてある。

 詐欺師となって牢獄にぶち込まれるか、聖人として列聖されるか、それは今後の貴様の努力次第と心得よ!」


 かくして、ロゴス神学生は、テミスト辺境伯家のお城で、監禁されることとなってしまった。


◆4


 ところが、それから三週間ーー。


 ロゴス青年は騎士たちから剣で脅される形で、何度も強引に「聖水」を作らされたが、その水を飲んでも、レミー辺境伯令嬢の病は一向に良くならなかった。

 お嬢様は相変わらず、金色の髪を振り乱し、喉を掻きむしって苦しみ続ける。

 穀物を細かく砕いてミルクに溶かし込み、液状化した食糧ですら、レミーお嬢様は受け付けようとしなかった。

 少し食べては、吐いてしまう。

 すでに骨と皮ばかりとなり、かつては「辺境に咲いた花」と(うた)われた美貌も、今ではすっかり色褪せてしまっていた。


 父のバラン辺境伯は、ロゴス神学生に向かって怒声を叩きつける。


「貴様、儂を舐めておるのか!?

 いや、そもそも、祈りに力を込めておらんのではないか!?

 貴様は、我が娘は、あの貧しい母子の母親以上に助ける価値がない、というのか!?」


 ロゴスは、鉄球を付けた鉄輪を両手両足に()められた姿のまま、大理石の床に額を押し付けた。


「け、決して、そのようなことは……」


 バラン辺境伯は顎髭を震わせる。


「ロゴスとやら!

 貴様は、たった今から、朝から晩まで、休むことなく祈り続けよ。

 さすれば、祝福されるはず。

 真の聖水ができるに違いない!」



 それから、二十本を超える「聖水」が作成された。

 それでも、娘レミー辺境伯令嬢の容態は一向に良くならない。

 これ以上、主人のバランを怒らせるわけにはいけない。

 とばっちりが、どういう形で顕現するか、わからない。

 結果、バラン辺境伯の信任厚い重臣たちが、額を突き合わせて討議することとなった。


「聖水の聖なる力が足りなかったのか?」


「いや、ロゴスなる神学生に必死さが欠けていたから、聖なる力が籠らなかったのでは?」


「だったら、どうする?」


「そうだ。

 いっそのこと、聖水を作れなければ、自らが死んでしまうという状況に追い込めれば良いのでは?

 そうなれば、さすがに本気になるだろう」


「具体的には、どうするのだ?」


「良い考えがある。

 この領地で一番の名水が湧き出る泉に、この者を沈めればどうか」


「おお、それは名案!

 さっそく職人に準備させよう」


 辺境伯家に仕える重臣たちが討議した結果、ロゴス神学生に聖水を生成しなければ死んでしまうよう追い込むため、(ひつぎ)の中に閉じ込めて、領地の上質水源である泉に放り込むことに決定した。

 棺には管を何本か通し、その管を通して、空気と食糧を流し込む仕掛けになっている。

 そして、レミー辺境伯令嬢の病が癒やされるまで、ロゴス神学生はその棺の中で祈り、棺の周囲を覆う泉の水を浄化させて「聖水」を生み出させ、レミー辺境伯令嬢のみならず、辺境伯領に住まう上位者たちの水源自体を「聖水」化させようというのだ。


 そうした重臣たちが討議した結論を聞き、バラン・テミスト辺境伯は膝を打った。


「その案や、良し!

 さっそく、取り掛れ」



 ロゴス神学生は必死に嫌がるが、力づくでバラン辺境伯の御前に引き()り出される。

 辺境伯が座る椅子の前には、巨大な棺が置かれていた。

 その棺には、奇妙な管が何本も繋げられている。


 ロゴス青年は、今から、この棺に閉じ込められて、名水が湧き出る泉に沈められる、という恐ろしい説明を受けた。

 

 長い顎髭を蓄えた老重臣はニンマリと笑いかける。


「心配ご無用。

 この何本もの管から、空気も食糧も流し込むからのう」と。


 神学生ロゴスは、恐る恐る尋ねる。


「は、排泄物はどうなるのでしょう?」


 仮に、息を吸い、食糧を口にできたとして、小と大の排泄物を、どうやって棺の外に出すのだろう。

 このままでは棺の中は、汚物でいっぱいになってしまう。


 当然の疑問に対し、バラン辺境伯は非常識な見解を述べた。


「愚かな。

 名水が湧き出る泉を、汚物で汚すわけにはいかぬ!

 棺から汚物を一切、流れ出すことを禁じる」


 このトンデモ発言に、重臣たちは、お追唱する。


「さすがは辺境伯様。

 信心深くあらせられます」


「それでは、そのまま、ということで」


 ロゴス青年は涙ながらに訴えた。


「そ、そんな!

 それでは、私は死ぬだけでは!?」


 バラン辺境伯は、深々と椅子に腰掛けながら、真面目な顔になる。

 だが、彼は、娘可愛さに、ほとんど気が狂っていた。


「神学生ロゴスーーいやさ、ライアー・トラスト男爵令息よ。

 貴様も神を信奉する学生なのであろう?

 されば、神の奇跡を信じよ。

 そもそも、貴様は人柱になろうとしているのだ。

 食糧だの、排泄だのと、下世話を申すな。

 一心不乱に水の浄化を祈り、聖水を生み出し続けるのだ。

 この泉の水は、我が城のみならず、高位貴族の住まう地域一帯の水源となっておる。

 その水がすべて聖水となった暁には、我が娘が快癒するばかりか、主だった者どもの健康も損なわれることがなくなるのだ。

 ゆえに、貴様に、逃げ隠れをさせるわけにはいかん。

 しっかりとした祈願を果たせるよう、両手は残しといてやる。

 だが、足は要らないから、両方とも斬り落とせ。

 逃げられぬようにせよ」


 そこで騎士が前に進み出て剣を振るう。


「ギャアアアア!」


 血飛沫とともに、神学生の両足が、(もも)の辺りから切断された。

 血塗れで、ロゴス青年は、ほとんど死にそうになった。

 そして、簡単な血止め処置をされただけで、そのまま棺に放り込まれた。


 そのとき、すでに青年はかなり衰弱していた。

 さらに痛みが激しすぎて、精神がやられてしまったようで、ロゴス神学生は、ヘラヘラと唇を歪め、笑い通しになってしまった。


 そんな彼の様子を無視して、辺境伯の命を受けた者どもは寄ってたかって、棺ごと荷馬車に乗せて、青年を泉に運ぶ。

 そして、棺ごと、聖なる泉に放り込んだ。


 水飛沫をあげて、棺は沈む。

 空気と食糧を流し込む管は繋がっていたが、泉が想像以上に深かったとみえて、管ごと泉の中に沈んでいってしまった。


 辺境伯に命じられた者たちは、「どうせ人柱だ」と思っていて、誰も神学生の生命が助かるとは思っていなかった。


「たとえ死んだとしても、聖人として(あが)めてやれば、霊も慰められるだろう」


 と安易に考えていた。

 彼らが気にしていたのは、ひとえに主人バラン・テミスト辺境伯のご機嫌だったのだ。



 だが、この雑な処置が、後々、(たた)ることになった。


 名水を生み出し続けた泉から、その日から、毒水が発生したのだ。

 その水を飲むと、誰もが体調不良を起こして息が出来なくなり、脱力感に襲われて、寝床から立ち上がれなくなる。

 大勢の貴族が、レミー辺境伯令嬢と同様の病に倒れ伏してしまったのだ。

 かくして、領地で最も貴重な水源を失い、しかも、その泉から水を供給されていた辺境伯家の上位者から、多数の病人を出すに至ったのである。



 さらに、それから二ヶ月後ーー。


 今度は、教会が、辺境伯領の統治に介入してきた。

 その際の口実として、ロゴス神学生の存在が用いられた。


「祈念の力で聖水を生み出した神学生を、無理に人柱として泉に沈めて殺した。

 だから、神のお怒りにより、呪いで名水が毒水に変わったのだ」


 と教会が声明を発し、テミスト辺境伯家を教会から破門されたのである。

 その結果、熱心な信徒が多い辺境地区にあって、テミスト辺境伯の威厳が急速に失われ、半年も経たずして、方々で農民叛乱が相次ぐことになった。


 すでにこの頃には、娘レミーは死亡し、バラン辺境伯自身も病に伏した現状にあって、教会や王権の動きに抵抗する力が、テミスト辺境伯家にはなかったのである。



 しかも、テミスト辺境伯家が衰亡した機を逃さず、隣国のモブル帝国までが攻め込んできた。


 それまで病床にあったバラン・テミスト辺境伯までが、そのタイミングで病没した。


「おのれ、あの神学生め。

 我が娘を救わなかったばかりか、我らテミストの一族郎党をことごとく呪い殺しおって。

 教会まで敵に回らせるとは、なんたる疫病神よ」


 と(かす)れた声を発したのが、臨終の言葉であった。


 歴戦の領主と、高位貴族を謎の病で失ったテミスト辺境伯家では、碌な防戦ができず、結局、テミスト辺境伯領全体が、隣国モブル帝国に奪われてしまった。


 教会も、セイレン神聖王国も、安易にテミスト辺境伯家を破門し、見捨ててしまったことを悔いたが、後の祭り。

 この後、セイレン神聖王国は衰亡していくばかりとなっていった。


 

 その一方で、旧テミスト辺境伯領の住民は、平和を謳歌し、豊かに過ごせるようになっていた。

 領地の主人は替わったが、モブル帝国から遣わされた領主は領民からの支持を得るために穏健策に徹し、旧テミスト辺境伯に仕えた者たちを厚遇した。

 上位貴族の過半は病で滅亡したこともあって、中位貴族から下の騎士爵位の家々まで、その所領と職務を安堵したのだ。


 そして、帝国の新領主は、旧テミスト伯爵家が衰亡するきっかけとなった「聖人伝説」を巧みに利用した。

「騎士爵家の村々を救済し、腐敗したテミスト辺境伯家と上位貴族を一掃するため、身を挺して犠牲となってくださった、聖水を生み出す聖人」として、ロゴス青年ーーライアー・トラストは祀りあげられ、信仰の対象になったのである。


 その頃には、貧しい母子の娘エミリアは、もう十五歳の成人となっていた。

 エミリアは隣村の騎士爵家に嫁ぐことが決まって、母親マミアもしきりに涙を浮かべて喜んでいる。


 エミリアは青空を見上げながら、しみじみと思った。


(お母様の病が癒えて、私がこうして幸せになれたのは、すべて、あの聖人様のおかげだわ。

 まさか、自らの生命を犠牲にしてまで、私たち、下々の者のために祈りを捧げてくださったなんて。

 ほんとうに、『聖水』を授けてくださって、深く感謝いたします)と。


 彼女はますます深く、神様に、そしてあの若い聖人様に、感謝の祈りを捧げるのだった。


(了)

 最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

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