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第8話 意気揚々たる超人

 翌朝、晶子は朝食の準備を始める前にまずは玄関の外を確認した。あの晴久はるひさのことだ、まさか怪我を押して来てるなんてことはないだろうか。もしそうなれば事務所に連絡しないといけない、何しろ数日は安静が必要なのだから。晶子はドアスコープから様子をうかがうも午前七時の廊下に人影は見えなかった。

 やはり彼女の杞憂だったのだろうか。確かにいつもの晴久ならば玄関の前で直立不動で晶子を出迎えるところだ。しかし今の彼は左腕の骨折というハンデを負っているのだ、もしかしたら無理をしてヘタりこんでいるかも知れない。晶子は思い切って玄関ドアを開けてみた。果たしてそこには壁にもたれかかるようにして立つ晴久の姿があった。


「富士見野さん!」

「あ、晶子姐さん、おはようございます」

「おはようじゃないし。てか、骨折してるんでしょ、しばらく安静のはずでしょ、なんでここにいるし」

「自分は不死身っす」

「死んでなくても腕の骨が折れてるじゃん」

「ですから、自分の伝手つてに頼んでひと仕事してもらいました」

「あ――、もう、とにかく中に入るし」

「いえ、自分はここで……」

「中に入るし!」

「し、承知しました」


 ずんぐりむっくりの超人も晶子の気迫に負けたのか素直に彼女の言葉に従って玄関先に足を踏み入れた。


「コーヒーいれるし」

「いえ、どうかお構いなく」

「あたしの朝食だし、一人も二人も変わらないから。それにどうせ朝から何も食べてないんでしょ」


 護衛と言う使命を帯びているとは言え、年齢にしては強面こわもてなこの青年に対して臆することなく世話を焼くのは、見た目は異なれど今は亡き兄の面影を晴久の中に感じたからかも知れない。晶子は「とにかくちょっと待つし」の言葉だけを残して部屋の奥へと引っこんでいった。

 間もなくすると晶子はたっぷりのマーガリンを塗ったトーストの皿と熱いコーヒーが入った大ぶりのマグカップをトレイに載せて玄関に戻って来た。それを靴箱の天板に置くと「これなら片手でも大丈夫っしょ」と言って晴久はるひさにそれを勧めた。


「いただきます」


 晴久はるひさは姿勢を正していつものように九〇度の礼をすると熱いコーヒーをひとすすり、続いて香ばしく甘い香りのトーストを右手だけで器用に口に運んだ。


 ダイニングと玄関先、場所は違えどほぼ同時に二人は朝食を終えた。晶子は晴久の食器を片付けると洗い物を早々に片付けて玄関先に戻って来た。


「ところで富士見野さん、ギプスのはずだよね。でも腕吊ってないじゃん」


 すると晴久は待ってましたとばかりに左腕を晶子の目の前に伸ばして言った。


「姐さん、ちょっと叩いてみてください」

「何言ってるし、骨折してるっしょ……」

「いえ、軽くコンコンって感じで」


 晶子はブラックスーツの袖に包まれた彼の前腕を軽くつついてみる。確かにその感触は明らかにギプスとは異なっていた。晶子自身はギプスとは無縁であったが話に聞く石膏でもプラスチックでもないことはすぐにわかった。


「姐さん、お分かりになりましたか?」

「もしかしてこれって金属……てか、鉄骨?」

「その通りっす。自分の伝手つてにこういうのが得意な兄貴がいて、五丁目でちょっといろいろやってるんですが、その人に無理言って仕込んでもらったんです」

「五丁目でいろいろやってるって、もしかしてヒデミさん?」

「えっ、姐さん、兄貴をご存知なんですか?」

「う、うん、直接じゃないんだけど、ちょっと仕事で。でもヒデミさんって女装とかそういうのって聞いてたけど」

「とにかく何でもやってくれるんっす。それでギプスなんてぬるいのじゃなくてこれにしてもらったんす。腕を鉄骨で挟んでテーピングしてもらってます。でも自分の腕よりもスーツの仕立て直しが大変だったみたいっす。なにしろ鉄骨の分が膨らみますんで、だから左の袖だけお直ししてもらいました」


 意気揚々と語る晴久はるひさを前に晶子は返す言葉もなかった。この人は病院を抜け出してこんなことをしてたのか、それも仕事のために。しかし晶子は晴久の言葉に恐縮はするものの、何が彼にそこまでさせるのか、その意味までは知る由もなかった。



「自分は外で見張ります」


 その言葉を残して晴久はるひさは玄関から出て行った。しかし強がってはいるがやはり怪我人、それも左腕骨折なんて普通ならば重傷だ。時刻は午前八時、いつもよりだいぶ早い時間ではあるが晶子はすぐに支度をして事務所に向かうことにした。今日はママに相談して彼をオフィスに入れてもらおう。とにかく怪我人を夏の炎天下に立たせるなんてできない。ちょうどミエルのデスクが空いてるし、そこで待機してもらえばいい。

 そんなことを考えながら晶子が廊下に出ると晴久はまたもや九〇度の礼をして彼女の後に付く。狭い階段を下りて彼の事務所がある四階に着いたときだった、今朝はスーツではなくスウェット姿の二人の青年がちょうど事務所から出て来た。なるほど、彼らはママの言いつけを守っただろう。そんな彼らもまた晶子の顔を見るなり「おはようございます!」と声を張り上げて九〇度の礼をする。そして頭を上げたとき、彼女の背後に立つ晴久の姿を見て一瞬硬直した。


「あ、兄貴……お、おはようございます」

「おう、ご苦労さん。今日は俺が姐さんに付くから」

「し、しかし……」

「何度も言わせるんじゃねぇ」


 晴久はるひさは晶子には絶対に見せることがないドスの効いた声で二人睨みつける。こうなると誰も彼を止めることなどできない。結局、ブラックスーツの晴久に揃いのスウェットの青年二人、そんな三人を引き連れて街を歩くことになったが、さすがにこれは目立ち過ぎだった。


「あ、あのぉ、あたしはどっちかでいいし」


 すると晴久が二人の青年に向かって言った。


「お前ら、今日は帰れ。姐さんには俺が付く、かしらにもそう言っておいてくれ」

「い、いや、それは……」

「まずいっすよ、自分らが頭にシメられます。それに兄貴は怪我人じゃないっすか。兄貴こそ病院に戻っておとなしくしててくれないと」

「ああ? 誰が怪我人だって?」

「い、いえ、自分らはただ……」


 これはダメだ、このままではラチが明かない。晶子は意を決して三人に向かって言った。


「もう好きにするし。でもあたしをぐるり囲むってのだけは勘弁だし」


 三人は「承知しました、姐さん」と声を揃えた。こうして晶子の前を晴久はるひさが、その後ろを二人の青年が固める。


「結局囲まれてるし」


 こうして晶子は朝の新宿御苑前駅界隈を居心地の悪そうな顔で歩くのだった。


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