第1話 不死身の超人
裏社会では不死身の超人と恐れられる青年の活躍と純情、みたいなお話です。
「姐さん、下がってください!」
屈強な男の声に晶子は数歩後ずさりする。しかし彼女もまた怯むことなく、もし彼が窮地に陥ったときに備えてスカートの中に隠し持っている愛用のスタンガンをいつでも抜き出せるように身構えていた。
統制のない思い思いのラフなスタイルはポケットに武器を隠すためのカムフラージュでもある。案の定、忍ばせていたナイフやら特殊警棒やらを手にして屈強な男を取り囲む数名のそれはまさに襲撃そのものだった。しかしまだ二十二歳の若さでもそれなりの場数を踏んできた彼にとって目の前の彼らは素人同然、武器を構えて威嚇はするもののいざ行使するには躊躇いが見られる。そんな隙を彼は決して見逃すことなく一人また一人と舗道に沈めていった。
しかし多勢に無勢、敵は残すところあと二人だったがその二人が同時に襲い掛かって来た。ナイフを手にする金髪と特殊警棒を振りかぶる黒髪短髪、さてどちらを取るべきか、彼は瞬時に判断する。よしナイフだ、警棒は頭さえ避ければ何とかなる。彼は腰のあたりでナイフを構えて突進してくる男に的を絞った。
「もらったぜ――!」
勝ち誇ったような声を上げながら向かってくる金髪の男をうまい具合にいなすとナイフを握る右手を掴んで締め上げる。
「イテテテ、ざけんな、離せコラッ!」
脅しよりも苦悶を感じさせる相手の声など聴く耳持たず、彼はこれから自分に降り下ろされるであろう警棒に向けて金髪を盾にした。
するとそのときだった、「うぐぉ!」と声にならない声を上げたと同時に特殊警棒の黒髪短髪がアスファルトに崩れ落ちる。そして倒れた男の向こうにはスタンガンを構える晶子の姿があった。
「そのまま、動くなし」
晶子は男が捕まえた金髪の首筋に二発目の電撃、そいつもまた声すら上げることなくその場に倒れ込んだ。
「富士見野さん、マジでやばかったっしょ」
「姐さんの手を煩わせるなんて、自分、まだまだっす。申し訳ないっす」
晶子は手にしたスタンガンをスカートの中に隠したホルスターに収めると未だ肩で息している屈強な男に小さく微笑んで言った。
「とっとと逃げるし」
「承知っす」
こうして二人は夕刻の乱闘現場を後にするのだった。
男の名は富士見野晴久、名は体を表すのことわざ通り、鎧のような筋肉を全身にまとった姿の彼はアメコミに登場する超人キャラクターになぞらえて、その名を音読みしたハルクと呼ばれていた。身の丈一七五センチメートルほどだがずんぐりむっくりな体型もあってかなりの巨漢に見える。その見た目通り打たれ強さは誰にも負けず、戦い方は猪突猛進、どんな攻撃であろうとものともしない超人と恐れられていた。加えて本名の姓が富士見野だ、結果、アウトロー界隈では「不死身のハルク」で通っていた。
そんな彼にある日密命が下る。事件屋、もとい調査業を営むやり手の実業家、その名も新宿のママと呼ばれる女性の下で働く事務員の護衛をしろと言う。護衛ならば難しいことはない、万一のときには自分が盾になればよい、そして相手が怯んだ隙を狙って仕留めればよいのだ、いつもそうするように。頭からの命令ではあるが彼はそんな仕事に少しばかりの物足りなさを感じていた。
そしてまた別のある夕方、彼が詰めている事務所にひとりの女性がやってきた。いや、その姿は女性というより少女だった。小柄なその娘が着ている特徴的なデザインの制服は成文館高校、おそらく彼女が今回のターゲットだろう。いいところのご子息、ご令嬢が通う私立学校の女子高校生がなぜあの胡散臭いママなる女性の下で働いているのか。しかしそんなことはどうでもよい、今は頭の命令を忠実にこなすのだ。彼は彼女に対する疑問も興味も押し殺して護衛に専念することにした。
事務所の若い衆たちから頭と呼ばれる男が晶子に名刺を差し出す。彼の名とともに書かれたその肩書には事業部長と記されていた。ここに詰めている数名の若者は一点の汚れもない真っ白なスウェットウエア、一方彼らより少しばかり格上と思しき連中はみなブラックスーツに黒ネクタイという出で立ちだった。その上「頭」と呼ばれる事業部長、その様子はどうみても反社会的集団、いわゆる暴力団の事務所そのものだった。
「ショーコちゃんの部屋の下には二十四時間営業の事務所があるの。いろいろ手広くやってるみたいだから交代制の不夜城みたいなものよ。でもね、だからこそ安心なのよあの物件は。お隣のミエルちゃんだって安心して暮らしてるわ」
そうか、ママが言ってたのはそういうことだったんだ。しかし晶子に恐怖心はまったくなかった。それはこれまでの仕事で得た経験の賜物だろう。そしてそんな自分も同じ穴のムジナみたいなもので堅気の高校生ではないのだなと、晶子は再認識するのだった。
事業部長を名乗る男は大きなレザー張りのソファーを奨めながら事務的な口調で始めた。
「ママからお話はうかがっております。厄介な連中に目をつけられているのでほとぼりが冷めるまでうちの者に護衛を頼みたいとのこと、ありがたく仰せ付かっております」
そしてこれまでの口調とは一変したドスの効いた声で傍らに控える若い衆に「春久を呼んで来い」と命じた。
応接室のドアが開く。入って来たのは身長と横幅が同じではないかと思えるほどのずんぐりした体型の青年だった。既製品ではとても間に合いそうにないブラックスーツに細身の黒ネクタイがかえってその体格を誇張している。立ったまま自分を見下ろす視線と目が合った晶子はすぐさま立ち上がって姿勢を正すと彼に向かって頭を下げた。
「明日葉晶子、成文館高校の二年生です。住まいはこの事務所の真上です。いろいろご面倒をおかけするかも知れませんが何卒よろしくお願いします」
「いやいや晶子さん、頭を上げてください。まあ《《いかつい》》野郎ですが仕事はこなしますのでどうか面倒見てやってください。おい、ご挨拶しろ」
青年は軍体調の気をつけの姿勢を取ると直立不動のまま自分の名を述べた。
「富士見野晴久っす。みんなは自分のことをハルクって呼びます。姐さんもそう呼んでもらって構いません。このガタイですから大概のことならお護りできますので使ってやってください」
春久はそう躾けられているのだろう、九〇度のお辞儀をする。そして彼は頭、もとい事業部長の命を待って初めて顔を上げるのだった。