第5章
私は寮の廊下を足早に進みながら、心臓の高鳴りを抑えられずにいる。昨夜、エドガーの魔力が暴走したという噂が学園中を駆け巡っている。彼の研究に付き従っていた魔導士志望の生徒たちが、次々と体調不良を訴えているらしい。まるで魔力を吸い取られたような倦怠感に襲われているという話を聞いて、私の背筋はひやりとする。
「まさか、本当に禁忌の魔法を使っているの……?」
私は窓に映り込む自分の顔を見つめ、唇を噛む。エドガーが禁忌の力を深掘りしているのは、彼の周囲の空気感から察していたけれど、ここまで危険なものだとは思いたくなかった。
そう思いながら購買部に向かうと、同じく慌てた様子のユリウスと鉢合わせになる。彼は普段の優雅な態度を少し崩して、焦るように私を見つめる。
「リリア、エドガーの行動が明らかにおかしい。いまならまだ間に合うかもしれないから、離れていたほうがいい。あいつ、本気で君を狙ってる」
「わかってる。でも、私が逃げても何も解決しないわ。学園の経営を立て直すどころか、このまま放置すれば貴族派にも好き放題されるだけだし……」
私がそう言うと、ユリウスは困ったように眉を寄せる。
「君が強情なのは知ってる。でもエドガーは、普通の理屈が通じる相手じゃない。聖女を“手に入れる”とか言って、周囲に危害を加える可能性もある。……僕と一緒に学園の外へ一時退避するという選択肢も考えてほしい」
ユリウスは私が経済改革を牽引している中心人物だと十分理解している。それでもあえて“外”へ逃がそうとするのは、相当事態が切迫しているからに違いない。私は一瞬迷うけれど、首を横に振る。
「ごめん、逃げるわけにはいかない。学園にはまだ、私が守りたい人たちがたくさんいる。ここで逃げ出したら、せっかく築き上げた改革が台無しになるわ」
そのとき、廊下の窓を通して外の景色に目をやると、中庭で貴族派と思われる一団がこちらを睨んでいるのが見える。どうやら、ユリウスと私の様子を観察しているようだ。貴族派は最近、表立ってリリア派の活動を潰しにかかっている。
「学園の支配権は我々貴族が握るものだ」「庶民の商売などもってのほか」――そう言い放つ彼らは、私が進めてきた事業を止めさせるため、学園長や理事たちを揺さぶりにかかっている。
実際、私が経営する魔法具販売は、もう停止寸前の危機に直面している。学園の公式許可が出なければ、購買部も取引先も動きづらい。これまでこつこつと積み上げてきた仕組みが一気に崩されかねない状況に、私はいてもたってもいられない。
「リリア、今日の午後に貴族派の有力者たちが集まって学園長を囲むらしいよ」
通りがかりの友人が駆け寄って、息を切らしながら伝えてくれる。
「彼らはあなたの事業を完全停止に追い込むつもりだって。学園長も権力を握られているから、どう抵抗できるか……」
私は急いで購買部の資料をまとめ、学園長室へ向かうことを決める。数値データや今後の経営プランを提示すれば、いかにこの商業活動が学園の収益と未来に貢献しているか証明できるはずだ。
「ここで負けるわけにはいかない。絶対に学園の未来を守ってみせる」
心の中でそう誓い、走り出す。ユリウスが心配そうに後を追ってきてくれるのが、唯一の救いだ。
学園長室のドアを開けると、案の定、貴族派の有力者たちが円卓に陣取り、学園長を取り囲んでいる。殺気立つ雰囲気に胸が高鳴るが、私は資料をしっかり抱きしめて一礼する。
「失礼します。リリア・エヴァンスです。学園の経営改善策について、ぜひお話をさせてください」
貴族派の重鎮らしき老紳士が、苛立たしげにテーブルを叩く。
「これ以上、君の浅はかな商売に学園を振り回されてたまるか。聖女ならば魔法で学園を救うべきだろう。君は魔法の才能がないくせに、経済だの商売だの……おとなしく引き下がったらどうだ」
私は唇を結んで資料をテーブルに広げる。
「こちらを見てください。私が提案する魔法具の販売事業と、学園内外の連携による経済効果のシミュレーションです。学園が補助金を得られない現状では、自力で収益源を確立する以外にありません。それを支えてくれるのが私たちのビジネスモデルなんです」
一部の理事は興味深そうに資料に目を落とすが、貴族派の生徒や教師は鼻で笑う。
「そんな数字遊びが王国の信用を勝ち取れると思うな。魔法の名門学園が、庶民の商魂頼みで立ち直るなど聞いたことがない」
強い嘲笑に胸が軋む。しかし、ここで下がるわけにはいかない。
「たしかに、私は庶民です。魔力だって弱い。でも、学園をこのまま破綻させるわけにはいきません。私たちのやり方であっても、少しずつ成果は出始めています」
貴族派の彼らは、私を追い返すための書類を取り出し、学園長に提出する。そこには「リリア・エヴァンスの商業活動差し止め」の文言が並び、理不尽な理由がぎっしりと書き連ねられていた。
そんな理事会の緊迫した空気を裂くように、突然、扉がノックもなく開け放たれる。現れたのはシリルだ。彼は静かな眼差しを漂わせながら、私のそばに来る。
「リリア、いまは交渉どころじゃないかもしれない。黒幕の存在を示す証拠が、学園の地下書庫で見つかったんだ」
地下書庫、黒幕……その言葉に貴族派も動揺を隠せない。私は一瞬戸惑うが、シリルが続ける。
「黒幕が学園を利用し、王国に混乱をもたらそうとしている形跡がある。何者かが闇の資金を動かし、学園の財政を意図的に破綻させた可能性が高い。――この話は、学園の存亡に関わるんじゃないか?」
その瞬間、部屋の奥から誰かがドス黒い笑い声を漏らす。私はハッとしてそちらを見るが、姿は見当たらない。いや、気のせいかもしれない。しかし、嫌な予感がする。
数名の貴族派は明らかに焦っている様子だ。彼らの何人かは黒幕と通じている可能性がある、と私は踏んでいる。
緊迫した空気の中、私たちは一時的に話し合いを中断して退室することになる。貴族派を相手にする前に、まず黒幕の証拠を固め、学園が抱える本当の問題を明るみに出さなければ、いくら私が説得を続けても逆効果だ。
「シリル、見つかった証拠っていったいどんなものなの?」
廊下を足早に歩きながら尋ねると、彼は低く声を潜める。
「地下書庫に保管されていた古い財務記録と通信文書さ。どうやら、数年前から“誰か”が学園の財政に介入していた形跡がある。取り引き額が異常に大きいし、闇の資金が流れ込んでいる」
その資料が本物なら、私たちがこの学園の危機を招いた真犯人に迫れるかもしれない。けれど、それを知ったエドガーが突然前に立ちふさがる。彼は近くの壁にもたれかかり、笑みを浮かべている。
「リリア、また無茶をしようとしてるね。危ないところに首を突っ込みすぎじゃない? それなら、僕のもとへ来たほうがいい。今ならまだ、僕だけの“聖女”として迎え入れてあげるよ」
私は怒りを抑えながら、なるべく冷静に応じる。
「あなたのやり方は危険すぎる。私は魔力に頼る道を選ばないし、あなたに従う気もないわ。……もう、つきまとわないでほしい」
エドガーは唇の端を歪め、私の手首を再び捕まえようとする。が、横合いから鋭い電撃が走り、エドガーの腕を阻む。青白い閃光――これはレオンハルトの雷魔法。
「リリアに手を出すな。おまえの狂気にはうんざりしている」
静かだが冷酷な声が響く。見ると、レオンハルトが私の正面に立ちはだかり、鋭い視線でエドガーを睨んでいる。
エドガーは舌打ちして、その場から一旦退く。ただ、その瞳には「いずれ必ずリリアを手に入れてやる」という執念が燃えているのが見てとれる。
レオンハルトは私の様子を一瞥し、少しだけ表情を和らげる。
「怪我はないか? ……本来なら、学園なんか放っておいてもいいと思っていたが、あまりにおまえが無茶をするから仕方ない。少しは礼を言えよ」
「助けてもらって……ありがと」
彼は短く頷き、そっぽを向く。冷酷なようでいて、私に対してはやはり甘い部分がある。今はその一瞬の優しさに救われる思いだ。
その日の夕方、学園のあちこちで混乱が広がる。貴族派が学園の支配権を握ろうと画策し、リリア派を排除するために動き始めたのだ。私に協力してくれていた生徒たちが襲撃されそうになったという報告も入ってくる。
「このままでは内戦みたいになってしまう……」
私は焦りを感じながら、シリルと合流する。すると彼が、とうとう黒幕の居場所を突き止めたと言う。
「どうやら学園の地下に隠し通路があって、そこを使って外部の闇組織とつながっている。黒幕はその奥に潜んでいる可能性が高い」
衝撃を受ける私に、彼はさらに衝撃的な事実を打ち明ける。
「黒幕の一味が、きみと直接会いたがっている。取引を持ちかけたいらしい。“学園の未来を担う聖女と、利益を分け合おう”とかなんとか……」
「私と直接……?」
「危険な罠かもしれないけど、きみが学園を守りたいなら、いずれ対峙しなければならないだろう。……どうする?」
私は一瞬息を飲む。黒幕の手先に会えば、命の危険がある。でも、ここで逃げれば学園は内紛に陥り、エドガーや貴族派に好き勝手に蹂躙されるかもしれない。
「やるしかないわ。学園を救うために、相手の正体を突き止めて、どうしてこんなことをしているのか確かめたい」
シリルは頷き、私を護衛するためにユリウスやレオンハルトとも連携をとる準備を進めてくれる。とはいえ、学内の対立はもはや爆発寸前だ。廊下や庭先で小競り合いが起き、魔法の光が飛び交う騒動が連発している。
いよいよ夜半、私は指定された場所へ向かう。そこは学園の北側にある旧校舎の一室。事前にシリルとレオンハルト、ユリウスが待機してくれる段取りだったが、廊下に差しかかったところで突然の衝撃音が響く。どうやら学園のあちこちで武力衝突が始まったようだ。
「やっぱり、貴族派が暴れだしたのね……」
私は覚悟を決めて旧校舎の扉を開ける。薄暗い室内に入ると、黒いローブをまとった数人の男たちが待ち構えている。その中のひとりが低い声で言う。
「聖女リリア・エヴァンス、話がある。……我々と組む気はないか? きみの経済力と私たちの闇の資金が合わされば、王国だろうと思いのままだ」
恐る恐る彼らを見つめながら、私は冷静を装い口を開く。
「あなたたちの目的は、学園を崩壊させ、王国をも支配すること……そう聞いているけど、私に協力しろというのはどういう意味?」
男たちは顔を見合わせ、やがてリーダー格らしき人物が笑い出す。
「単純な話だ。聖女の力があれば、世論をコントロールするのも容易い。君の経済手腕を使えば、人心を金で掌握するのも難しくない。……さあ、どうだ?」
一瞬、私の頭に「取引に応じれば学園は守られるかもしれない」という弱い考えがよぎる。しかし、そんな選択肢はありえない。
「お断りします。私は学園を救うために動いているのに、あなたたちと手を組んだら本末転倒だわ」
男たちは「やれやれ」という仕草を見せ、杖を構え始める。緊迫感が一気に高まり、私は身構える。ちょうどそのとき、激しい金属音が廊下から響き、扉が開け放たれる。ユリウスが駆け込んでくるのが見える。
「リリア、大丈夫か?!」
私はほっとするが、同時に男たちの一人が呪文を唱え始め、闇の閃光が飛ぶ。ユリウスは咄嗟に私をかばい、肩口をかすめる攻撃に低く唸り声を上げる。
「うっ……!」
血が滲むのを見て、私は声にならない怒りがこみ上げる。
「あなたたち、もうやめて! 人を傷つけて何の意味があるの?」
私が叫ぶと、男たちは嘲笑を浮かべる。
「力こそすべてだ。金と権力、そして魔力を手にした者が未来を支配する。おまえの大切な人間を全員倒せば、おまえも従わざるを得なくなるだろう」
その瞬間、廊下からさらに強烈な魔力の波動が押し寄せてくる。エドガーの気配だ。どうやら騒ぎを嗅ぎつけ、ここにも干渉しようとしているらしい。辺りが嫌な静寂に包まれたと思うと、エドガーの狂気じみた声が響く。
「リリアは僕のもの……。闇の連中が君を奪うなんて認められない」
エドガーが扉を蹴破るように入ってきたとき、男たちの顔色がわずかに変わる。どうやらエドガーの力の規模に気づき、警戒したようだ。
「ちっ……余計な奴が来たか」
しかし、状況が好転するわけではない。学園内のあちこちで魔法の爆発音が響き、壁や床が揺れる。貴族派とリリア派の衝突が激化し、まるで戦場だ。
その混乱を尻目に、黒幕の手先たちが私たちへの攻撃を強める。彼らが次々と呪文を放ち、ユリウスとエドガーが応戦する形になる。私は魔力を持たない身だから、身を伏せて物陰に隠れながら必死に考える。
(どうすれば……この状況を止められるんだろう? どこまで学園をめちゃくちゃにすれば気が済むの?)
そのとき、奥の暗がりからさらなる人影が現れる。ひどく嫌な空気をまとった存在。まるで周囲の闇を塗りつぶすかのように、ゆっくりと近づいてくる。
「リリア・エヴァンスか。噂どおり、面白い女だ。……いまなら、貴族派でもエドガーでもないこの私こそが、きみの本当の力を引き出してやれる」
目の前の光景がぐらりと揺れる。こいつが“黒幕”なのか――頭の中で警鐘が鳴り、鼓動が早まる。けれど、相手の正体を確かめる暇もなく、あまりにも強大な魔力が空間を圧迫してくる。ユリウスがうめき声を上げ、エドガーですら額に汗を浮かべて苦悶の表情を浮かべている。
「ここで“真の力”を受け入れれば、学園を救うことだってできるはずだ。さあ、どうする? きみがこの手を取るかぎり、すべてがうまく回るかもしれない」
誘うような声に、私は息を詰まらせる。周囲は崩壊寸前だ。あちこちで倒れ込む生徒の気配がある。もはや、学園そのものが瓦解しかけているように感じる。
(だけど、こんな相手と取引したら……私は本当に学園を守れるの?)
選択を迫られ、頭が真っ白になる。背後ではユリウスが血を流しながら立ち上がろうとし、エドガーが狂気じみた瞳で黒幕を睨みつけている。そのとき、ふいに雷のような衝撃波が走り、扉付近からレオンハルトが姿を現す。
「おまえの目的なんかにリリアを利用させるわけがない。……リリア、立ち上がれ。こんな連中に屈するな」
その声に私ははっとして、顔を上げる。レオンハルトの眼光が私に向けられ、その奥には確かな意志がある。
(そうだ。私は経済で学園を救うと決めた。魔力に頼らずに、ここまで仲間たちと改革を進めてきた。絶対に諦めるわけにはいかない!)
「あなたたちと手を組むつもりはない。学園は私たちの手で立て直す。闇の組織なんかに屈しない!」
精一杯の声を振り絞ると、黒幕らしき人物は薄い嘲笑を浮かべる。
「そうか……なら、滅びるがいい。おまえたちの学園ごと……」
激しい衝撃とともに、内戦の火の手はますます広がり、建物がきしむ音が耳を刺す。私はギリギリの思いで踏みとどまりながら、ぐっと拳を握りしめる。
(私が取引に応じない限り、黒幕はこのまま学園を瓦解させようとするのか……? でも、ここで屈したらすべてが無駄になる)
ユリウスは瀕死の覚悟で私を守ろうとしてくれている。シリルは確証を手に入れ、黒幕の存在を白日のもとにさらすべく動いている。レオンハルトも雷魔法で相手を圧倒しようと必死に立ち回っている。エドガーもまた、狂おしい執着心で黒幕に魔術をぶつけている。
私はそんな闇堕ち王子たちの姿を見つめながら、胸が痛くなる。彼らはそれぞれが壊れかけているのに、それでも私を助けようとしてくれている。
震える身体を奮い立たせながら、私は黒幕と一味の男たちを睨み返す。血の気が失せそうになるほどの恐怖の中で、それでも自分の声を搾り出す。
「……私は、あんたたちと取引なんてしない。学園は、私たち自身で救い出す。黒幕の思いどおりにはさせないから!」
黒幕は薄ら笑いを浮かべながら、私に向けて手を伸ばす。その先には底知れぬ暗黒の気配がまとわりつき、触れられたら最後、何か大切なものを奪われそうな悪寒がする。
周囲の瓦礫や壁の崩落する音が激しくなり、まるで学園が崩壊寸前に追い込まれているかのように感じられる。限界は近い――胸がきしむほど苦しい。
(でも、ここで退くわけにはいかない。私には経済という武器があり、仲間たちがいて、何よりこの学園を守りたいという意志がある)
その思いが頂点に達した瞬間、私の身体の奥で何かが震えるような感触が走る。まるで封じられていた力が呼応するように、胸元が熱くなる。これは……何だろう。
黒幕が不敵に笑みを深める。
「おや、聖女の印が目覚めるのか? 興味深い。いいだろう。ならば、望みどおりこちらも全力を尽くしてくれるわ」
目の前の闇が渦を巻き、私と王子たちを飲み込もうとする。凄まじい轟音が響き、床が崩れ落ちる気配がする。混乱の極みに達した学園で、私たちはいよいよ最終決戦の入口に立たされているのだと、肌で感じてしまう。
「みんな……絶対に負けない!」
叫ぶように声を上げながら、私は足を踏み出す。王子たちもそれぞれに傷を負いながら立ち上がり、黒幕に武器や魔法を向ける。
崩れかけた壁の向こうから、学園に広がる悲鳴と閃光が見える。このままでは、本当に全てが壊れてしまう。けれど、私は最後まで闘うと決めた。何としてでも、この破滅的な運命を覆し、学園を救うために。
(ここから先は、どんな地獄が待ち受けているのか……だけど、私は逃げない)
燃え上がるような決意を胸に、私は黒幕に正面から向き合う。そして、自分が背負う使命と、この学園に懸けた想いを全力で示す。経済や商売の力だけでは超えられない壁があるかもしれない。でも、それが聖女として選ばれた理由に繋がるのだとしたら……。
そう信じて、一歩ずつ前へ進む。
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