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第4章


 私は魔法学園の購買部から届いた最新の帳簿を開きながら、胸の奥が熱くなるのを感じている。数字ははっきりと、私たちが進めてきた経済改革の成果を示していた。販売する魔法具の種類を増やし、購買部だけでなく寮の売店や学園の外部取引まで拡大したことで、学園に入る収益は予想以上に伸びている。

「これで学園の経営も、少しは安定してきた……」

 私は小さく呟いて、本の角をそっと撫でる。分厚い書類に整然と並ぶ数字が、まるで希望の証しのように思える。


 そんな矢先、貴族派の動きが再び活発化し始めたという情報が入る。

「リリアを抑え込むための対策を、貴族派の有力者たちが会合で練っているらしい」


 私にそう教えてくれたのは、学園の裏事情に詳しい下級生。彼によれば、ここまで私たちの活動が成功し、学園内の経済体質が変わり始めたことを危険視した貴族派が、強硬な手段に出ようとしているという。

 ユリウスとシリルも、この件を独自に調査してくれているらしい。私は彼らの協力を得ながら、自分のやれることを進めようと決意する。


「学園を変えるには、魔法だけに頼らない新しい収益構造を築くしかない」

 そう信じて動いてきた私だが、ここに来てさらなる妨害が待ち構えているのをひしひしと感じる。


 ところが、そんな騒がしい日々の合間を縫うように、まったく別方向から私に接触してくる人物が現れる。

 ――エドガー・ルミエール。

 天才魔導士の呼び声高い彼が、突然購買部の一角に現れたのは、私が追加の在庫確認をしている真っ最中のことだった。


「へえ、これが聖女様の作った魔法具か」


 冷静というより狂気をはらんだ声色で、彼は手に取った小型ランプを眺めている。その神経を逆撫でするような独特の微笑に、私はすぐに警戒心を抱く。実際、エドガーの噂は学園内でも有名だ。天才的な魔力を持ちながら、危険な研究に手を出しているとか。

 その場に居合わせた生徒たちが皆、密かに身を退いているのを感じる。エドガーは一見すると繊細な美貌の青年だが、その瞳の奥には常人離れした異様な光が潜んでいる。


「……私の魔法具、というか正確には私が設計して、学園の協力者たちと一緒に作ったものだけど」

 なるべく毅然とした態度で返事すると、エドガーはゆっくりと振り返る。

「ふふ。なるほどね。君が噂の聖女候補、リリア・エヴァンス。魔力はほとんどないくせに、経済だか商才だかで学園を立て直しているそうじゃないか」


 その言い方が何を含んでいるのか測りかねるまま、私は思い切って聞いてみる。

「何か用? 私たちの商売を茶化しに来たわけじゃないよね」

 すると、エドガーは口元を歪めてくつろいだ様子を見せる。

「おっと、そんなつまらない目的で来たんじゃない。むしろ、君の存在が面白いと思ってね。聖女の印なんて、普通なら強大な魔力を持つ者にしか宿らないはずなのに、どうして君に宿ったのか――そこには、きっと深い理由がある」


「理由なんて、私にも分からない。たぶん神託……とか、そういうものが働いたんじゃないかと思うけど」

 そう答えつつも、私はエドガーから漂う不穏な気配を感じずにはいられない。いったい、彼は何を考えているのだろうか。



 その翌日から、エドガーはやたらと私の行動を嗅ぎまわるようになる。購買部や倉庫、さらには寮近くの販売拠点にも現れて、私の商売を監視するかのように眺めている。

「もう……勘弁してほしいんだけど」

 小声で嘆きながら、書類を抱えたまま購買部の裏口を出ようとする私の前に、またもや彼が立ちはだかる。


「リリア、今日はどこで何をするの? まさか聖女様が、一日中数字とにらめっこして終わるわけじゃないだろう? 僕にも、君の生き方を見せてほしいな」


 ぞくりとする甘い声で囁かれると、思わず背筋が凍りつきそうになる。ここには独特の支配的な雰囲気がある。今までレオンハルトやユリウス、シリルと接してきたけれど、エドガーは明らかに方向性の違う危険さをまとっている。


「悪いけど、私は忙しいの。学園の経営をなんとか安定させたいから、魔力より経済を――」


 私が説明しようとすると、エドガーは不意に私の手首を捕まえ、そのまま至近距離まで顔を近づける。

「“魔力より経済”ね。ふふ、君らしい。けど、それは本当に君が望んでいる未来なのかな? それとも……“聖女の力”を恐れているだけじゃないか?」

「なにを……言ってるの?」


 私は戸惑いを隠せずに問い返す。彼は手首を離さず、目を細めて笑う。

「禁忌を研究してきた僕には、分かることがある。君はまだ、自分の本当の力を知らない。“聖女の印”が示すものは、そんな小さな経済改革にとどまる代物じゃない……」


 その言葉は、私の不安を刺激する。今まで“聖女”としての力を自覚したことは一度もない。だけど、もし本当にすごい力があるのなら、それはいったい何なのか?

 私は反論したい気持ちを抱えながらも、彼の手を振り払おうとするが、魔法で強化されているのか、びくともしない。

「痛い……離して」

 エドガーはその声に応じてか、ようやく手を放す。けれど、その瞳には異様な光が宿ったままだ。


 その翌日あたりから、学園内でエドガーの影響力が急速に増し始める。もともと彼の魔力は絶大だと有名で、強力な魔導師を目指す生徒たちが「エドガーに弟子入りしたい」と付き従うようになっているのだ。

「彼に指導してもらえれば、飛躍的に魔力が伸びるかもしれない」

 そう噂する生徒が増え、まるでカリスマ的指導者のようにエドガーを仰ぐ集団が出来上がりつつある。


 私としては、彼が学園改革の邪魔をしないなら放っておけばいい。だけど、嫌な予感が拭えない。貴族派の連中が「エドガーの力を取り込めば、学園を再び魔法至上の場に戻せる」と期待を寄せ始めているのを知ってしまったからだ。

 そうこうするうちに、シリルが新たな情報を手に入れたらしい。


「貴族派が裏で学園の権力者に働きかけ、君の商業活動を規制しようとしている。それだけじゃない。エドガーと接触して、“経済より魔法を優先させるための計画”を立ち上げようとしているようだ」


 シリルの警告通り、私はすぐに学園の理事や教師たちから呼び出しを受ける。

「リリア・エヴァンス、これ以上の商業活動は学園の品位を損なう恐れがある。よって即刻、中止してほしい」

 権力者たちはそう言い放ち、勝手に書類を突きつけてくる。けれど、私はここで引き下がるわけにはいかない。


「学園の経営は、ようやく赤字から抜け出しつつあります。今やめれば、再び財政破綻の危機に逆戻りしますよ。貴族派の圧力に屈して、未来を手放すつもりですか?」


 必死に訴えると、彼らは苦々しい顔をしながらも、私を追及し切れずに終わる。そこへユリウスがひょいと現れて、私の味方をしてくれたのだ。


「リリアの改革を止めるなんて、あまりにも愚策だ。そもそも聖女候補をないがしろにして、学園が破綻すれば、王国も被害を被るだけ。あなたがたのやり方が正しいか、もう一度考えたほうがいいんじゃないかな?」


 ユリウスは優雅な態度を崩さずに、理事たちを牽制する。それだけで場の空気が一変し、彼らは議論を打ち切って私を解放するしかなくなる。

 後でユリウスに礼を述べると、彼は静かな笑みを浮かべる。


「僕も、自分が生き延びる道を探しているだけさ。それに君が立ち行かなくなったら、学園がどうなるか分からない。だから協力するだけ……ただし、エドガーには気をつけるんだ。あいつは本物の狂気を(はら)んでいる」


 その警告は、まさに的中するかのように、私はまもなく奇妙な出来事に巻き込まれる。ある夜、倉庫での在庫確認を終えて寮へ戻ろうとしたところ、人気のない廊下でエドガーが待ち伏せしていたのだ。



「こんな時間まで働くなんて、さすが庶民の娘だね。……そうまでして学園を変えたいんだ?」

 その声には微妙な嘲笑が混じっている。私は警戒心を研ぎ澄ませながら答える。

「学園を救うために動いているだけ。あなたに干渉される筋合いはないわ」


 するとエドガーは、まるで獲物を捕らえようとする猛獣のような眼差しでにじり寄ってくる。

「君はただの庶民じゃない。聖女の印を持ちながら、その本質的な力を一度も使わず、あろうことか経済などという地味な方法で生き抜こうとしている……その姿が、僕にはたまらなく魅力的だ。ああ、こんなにそそられる存在は初めてかもしれない」

「やめて……」

 私は背を壁に押しつけられ、逃げ道を塞がれる。エドガーの瞳は恍惚にも近い狂気を帯びていて、喉が凍りつきそうだ。


「君を“自分だけのもの”にしたくてたまらない。だって、君はきっと僕の闇をも救える可能性があるから……。ねえ、リリア。僕の研究室へ来ないか? 君のその力と聖女の秘密を、僕が解き明かしてあげる」

吐息がかかる距離でそう囁かれ、私はなんとか抵抗しようと足掻く。だが、魔法の力で拘束されているのか、身体がまともに動かない。

「や、やめて……そんな強引なやり方、誰も望んでないわ……」


 しかし、エドガーは聞き入れる様子もなく、私を引きずるように廊下の奥へ連れて行こうとする。まさかこのまま監禁でもされるのか――恐怖が脳裏を支配しかけた瞬間、突如、鋭い光が走った。

 パリン、と何かが砕ける音がして、拘束感がふっと軽くなる。見ると私の腕に嵌めていた簡易護身用の魔法具が砕け散り、そこから小さな閃光がエドガーを弾き飛ばしたのだ。


 私は、その隙に必死で身体を振りほどく。エドガーは苦痛と驚愕が混じった表情を浮かべ、杖を握りしめている。

「くっ……こんなちゃちな魔法具で……」

 彼は怒りに満ちた視線を向けてくるが、魔法具の対抗呪文がまだ周囲に残っているせいか、一歩踏み出したところで足がすくんでいるようだ。


「私の魔力は弱くても……護身用の仕掛けくらいは用意してるの。あなたの無理やりなやり方に付き合うつもりはないわ!」

 吐き捨てるように言うと、私はさっとその場を離れて走り出す。後ろからエドガーが何か叫んでいる声が聞こえる。

「リリア、逃げても無駄だ! いずれ僕のもとに来るしかなくなる……!」


 背筋を震わせながら寮へ駆け戻ると、胸がどくどくと音を立てているのを感じる。エドガーの狂気――あれは並大抵ではない。ひとつ間違えれば、私も取り込まれてしまったかもしれない。

 部屋のドアを閉めて一息つく。周囲はひんやりと静まりかえっているが、私の心はまるで嵐の中を駆け抜けたように乱れている。


 翌朝、エドガーが私を「自分だけのもの」にすると言いふらしているという噂が学園内を駆け巡る。彼に心酔する魔導士志望の生徒たちがさらに増え、「エドガーこそ真の天才魔導士だ」と盛り上がっているらしい。学園内での存在感が一気に高まった彼は、貴族派とも表面上は協調しながら、自分の影響力を拡大しているようだ。


 その一方で、シリルが決定的な情報をつかみかけているという。

「黒幕の手掛かりを追ううちに、学園の影で動く“ある組織”が見えてきた。……ただ、まだ確証を得られてはいない。でも、やつらがエドガーを引き込もうとしている可能性は高い」

 彼はそう言いながら、いつも以上に険しい表情をしている。貴族派だけでなく、黒幕の部下らしき者たちの動きも活発化しているというのだ。



 やがて、私のもとに「黒幕の部下」を名乗る人物から連絡が入る。彼らは私が成長させてきた商業網を使い、国全体の流通を牛耳りたいと言ってくる。要するに、「手を組めば巨額の利益を保証するが、従わないなら学園もろとも潰す」という脅しに近い取引の申し出だ。

 私は彼らの要求を飲むつもりはない。けれど、交渉に臨んで確たる証拠をつかめば、黒幕の正体に一歩近づけるかもしれない。


 ところが、交渉の場に向かった私を待ち受けていたのは、危険な罠だった。指定された倉庫には魔法陣が仕掛けられ、私が入った途端に結界が閉じられる。魔力が弱い私では到底解けない高度な封印だ。


「これ、まずい……!」

 何とか脱出方法を探ろうとするが、なかなか突破口が見えない。外にも助けを呼べず、焦りが募る。


 そのとき、倉庫の扉を破壊するような大きな衝撃音が響く。崩れた木片の隙間から見えたのは、青白い雷光を帯びた姿――あれはレオンハルト……? いや、私の視線からはまだはっきり確認できない。とにかく誰かが強行突破してくれたようだ。

 すると、その衝撃に呼応するように、別の方向から強烈な魔力が噴き出す。悲鳴に似たエコーが倉庫内を渦巻き、やがて魔法陣が崩壊していくのがわかる。


 私は結界から解放され、倉庫の埃まみれの床に倒れこむ。混乱する意識の中で、辺りに立ちこめる魔力の余波を感じる。これは誰の魔法なのか。レオンハルト? ユリウス? それともエドガー?

声をあげようとするが、咳き込みながら必死で頭を上げたところで、目に飛び込んできたのは、うずくまる数人の影――どうやら黒幕の部下らしき人物たちが倒れている。と同時に、荒々しい魔力が音を立てて消えていく。


 意識が薄れる前に、背後で誰かが言うのが聞こえる。

「リリア……大丈夫か……?」

 その声が誰のものか、ぼんやりとしか判別できない。だけど、力強い腕が私の身体を支えてくれる温もりだけは感じる。

(……助かった……の、かな……)

 私はかろうじてその胸に倒れ込み、視界を暗闇に手渡す。


 こうして危機を逃れたものの、学園はもはや闇に深く侵食されている。エドガーは暴走を始め、黒幕の部下が暗躍し、貴族派も相変わらず私を潰そうと躍起になっている。次々と難題が押し寄せる中で、私たちはどうやってこの状況を乗り切ればいいのか――。

 しかし、倒れる寸前まで私は思っていた。魔法だけが全てじゃない。今度こそ、私の経済改革と、仲間たちの支えが学園を救う糸口になってくれると信じたい。

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