第3章
私は安っぽい木製の机の上に開いた帳簿を見つめながら、胸の奥で湧き上がる達成感を噛みしめている。魔法具の販売を始めた当初はほんのわずかだった利益が、今では購買部と寮区分けの小規模窓口を合わせてかなりの数字になりつつある。
「やっぱり、必要としている人はたくさんいるんだ……」
私はそう呟いて、ランプに込められた小さな魔力の光に目をやる。日々の疲れを癒してくれるこの柔らかな光が、学園の未来も照らしてくれたら、と願わずにいられない。
とはいえ、嬉しいことばかりでもない。販売の規模が拡大すると同時に、私に対する敵意や陰謀もますます激しくなっている。特に貴族派からの風当たりは日に日に強く、学園の上層部の権力者が私を呼び出しては、「伝統ある学園の品位を損ねるな」「庶民のやり方など一過性の流行にすぎない」などと、圧力をかけてくる始末だ。
それでも私は踏みとどまる。ユリウスが正式に私との協力体制を宣言してくれたことも大きい。もともと“王子”として認められていないとはいえ、彼の血筋や昔からの人脈はいまだに学園内で影響力を持っている。学園長も引き続き私を擁護してくれているし、教師たちの一部は「結果を出している生徒を排除するのはおかしい」と声を上げてくれている。
そんなある日。
私は購買部からの帰り道、裏庭に面した人通りの少ない回廊を歩いていると、ふいに涼やかな声を耳にする。
「リリア・エヴァンス……か。あの騒ぎの中心にいる聖女候補は、こんな場所をひとりで歩くのだな」
その声にハッとして振り向くと、寂れた石柱の影から現れたのは、銀色の髪と静かな瞳を持つ青年。侯爵家の養子、シリル・アルヴェルト。正直、私は彼の姿を間近で見るのは初めてだ。学園の人間関係に疎いわけではないが、シリルは滅多に人前に姿を見せないらしく、謎めいた存在として囁かれている。
「ええと……あなたは、シリル・アルヴェルト……さん、だよね?」
彼は無言で頷き、わずかに微笑とも嘲笑ともつかない表情を浮かべる。
「“さん”などと呼ばなくてもいい。僕はただの養子だからね。本家でも飼い殺しに近い扱いだ。まあ、他人から呼び捨てにされようが気にしない」
その口調はどこか飄々としていて、まるで壁に貼り付いた影のような存在感を放っている。私はちょっとたじろぎながら、それでも失礼のないように言葉を探す。
「でも……あなた、やけに私の名前に詳しそうね」
すると、シリルは肩をすくめる。
「詳しいというほどでもない。学園の裏事情にちょっとだけ通じているだけさ。君がやっている商売がここまで大きくなれば、否が応でも噂は耳に入る。貴族派が血相を変えて潰しにかかっているのが、その証拠だろう?」
私はその言い方に含みを感じて、息を飲む。そんな私の反応を見透かすように、シリルは続ける。
「学園にはそもそも金がない。国からの支援も減らされ、貴族の寄付も望めない。にもかかわらず、魔力至上主義を捨てられない権力者たちは、形だけの学園の名誉を守ろうと必死だ。まさに“腐りかけている”と言えるね」
シリルが憂いのある瞳を曇らせるのを見て、私は胸にひっかかるものを覚える。どこか孤独を宿した佇まいが、ユリウスやレオンハルトとは違った意味で危うい。
「あなたは……学園の闇を知っているって聞いたことがあるわ。いろいろ調べているとか」
慎重にそう問いかけると、シリルは小さく笑う。
「知っているというか、調べ続けている最中だ。学園財政がここまで落ち込んだ原因は表面だけじゃない。そこに誰かの意図が絡んでいるとしか思えないんだよ。……君も感じているだろう? ただの衰退とは思えないって」
彼の言葉を聞き、私は思わず息を飲む。魔力至上主義の崩壊や国家の財政難、貴族の没落……そういった複合要因だけで説明できるにしては、あまりにも学園の堕ち方が早すぎるのだ。
「誰かが裏で仕組んでいる、ってこと?」
問い返すと、シリルは静かに首を縦に振る。
「学園の財政破綻は、まだ通過点にすぎない。黒幕はこの混乱を利用して学園のみならず、王国の転覆さえ狙っているかもしれない。僕はそれを探っている」
黒幕――その言葉に私の背筋がぞくりとする。ユリウスやレオンハルト、あるいは学園長が察している以上に事態は根深いのかもしれない。私は視線を落としながら、これまでのわずかな成功が脆い足場の上に成り立っていることを思い知らされる。
「……正直、そういう陰謀めいた話にはあまり馴染みがない。でも、学園が壊れていくのを黙って見過ごすわけにはいかないの。だから私は、経済の力でどうにか再生できないかと思っていて……」
私がそう打ち明けると、シリルはほんのわずか口角を上げる。
「経済……面白いじゃないか。魔力に頼らず金と商売で何かを成し遂げようなんて、貴族派にとっては目障り以外の何物でもない。もっとも、僕も似たようなものだけどね」
「似たようなもの、とは?」
「さあ……すぐに話す気はないけれど、僕は黒幕を追う過程で多少なりとも“裏の仕事”に精通した。もし君が市場を広げたいのなら、僕が少し力を貸してもいい」
私は意外な提案に驚く。彼ほど学内で孤高のポジションにいる人が私に協力を? それでも、彼の瞳に浮かぶ不敵な光を見れば、本心をすべて晒しているわけではないと分かる。
「試験的に、かもしれないけど、あなたが協力してくれるなら心強いわ」
そう返すと、シリルは飄々とした態度を崩さない。
「ただし、覚悟はしておいて。君が思っている以上に、黒幕は手段を選ばない。……ああ、そうそう。ユリウス・フォン・クラウゼと組んでいるんだって? あれはあれで君を道具にしようとしているように見えるけど……」
その言葉に、私は反射的に否定する。
「ユリウスが私を道具に? そんなふうには思えない。確かに彼は底知れないところもあるけど、今までの行動や言葉は、私の改革を応援してくれているようにしか見えないし……」
言いながら、ユリウスの笑みを思い出す。あの優雅で知的な微笑には、どこか危うさもある。でも、私がここまで来られたのは彼の助力が大きいのも事実だ。
シリルは深くは追及せず、ただ静かな声で言い残す。
「そうか。ならば、気をつけることだね。……闇に片足を突っ込んだ者同士の争いは、君の想像を超えるかもしれない。黒幕だけじゃない。誰かが君を利用する可能性は常にある」
私はその意味深な言葉を胸に刻み込みながら、彼との短い会話を終える。学園の裏庭に差し込む夕陽は赤く染まり、石畳を長い影が横切っていた。ここにはまだ知らない闇が潜んでいる。私はそれをひしひしと感じる。
翌日、私はさっそくシリルから得た手掛かり(学園外部の商人ルートや情報網)を使い、取引拡大の可能性を探る。すると、予想以上にスムーズに事が運ぶ部分もある反面、貴族派の妨害が激しさを増しているのを感じる。
学園外への出荷をまとめていた取引相手が、いつの間にか貴族派の意向で契約を白紙に戻していたり、流通業者の倉庫を借りようとしたら突然使えなくなったり……。
「リリア派」の生徒たちがどれだけ頑張ってくれても、貴族派が持つ伝統的なコネと威圧には敵わない面がある。それでも、私はあきらめるわけにはいかない。
「なら、新たな取引ルートを開拓するしかない。どうせ既存の流通網を抑えられてるなら、別のルートを作ればいいだけ」そう決意し、私はユリウスや下級生たちと一緒に動き出す。町外れの小さな商人や行商人のネットワークを当たっていけば、まだ切り開ける可能性は残されているはず。
その動きに対抗するように、貴族派はますます私の評判を落とすための陰謀を巡らせる。例えば私が提供する魔法具は粗悪品で危険だとデマを流したり、安価な商品こそ違法な魔法石を使っているのではと疑惑を煽ったり……。だが、私たちは品質を証明するためにも、使われている魔法石の産地証明や安全基準をきちんと開示し始める。
これが功を奏してか、リリア派の生徒たちはさらに結束を強めてくれる。学内には「リリアの魔法具は安心安全」というイメージが広がり、むしろ貴族派が高額な“伝統魔法具”を押し売りしているほうが問題視され始めるのだ。
学園内は完全に「リリア派」と「貴族派」の市場争いの様相を呈し、私たちの魔法具取引は学園内の一大勢力として存在感を増していく。
ただ、その成長と比例するように、私を取り巻く空気は緊張度を増している。ユリウスとシリルが顔を合わせる場面では、互いに警戒しているのが手に取るようにわかる。以前は面識が浅そうだったふたりも、最近は私のもとを同じタイミングで訪れたりするため、軽く火花が散る瞬間がある。
「そろそろ学園内だけにこだわらず、大きな市場を狙った方がいいんじゃない?」
ユリウスが提案すれば、シリルは少し嫌味っぽい口調で受け止める。
「また君のコネで“あの方面”に手を出すつもり? 確かに数字だけ見れば魅力的だろうが、貴族派がますます黙っていないよ」
ふたりは互いの出自や思惑を探り合うように、一瞬の沈黙を挟んで、私のほうを見る。私はその視線に少し戸惑いながら、それでもはっきりと口を開く。
「私にとって大事なのは、学園が立ち直ることと、ここで学ぶ生徒たちが希望を持てる環境を作ること。そのためなら、どんなルートであれ、安全かつ公平なら検討するわ。……もう引き返すつもりはないから」
ユリウスもシリルも、その言葉に口を挟まない。だけど、ふたりの瞳にはまるで「リリアはどちらを選ぶのか」という思いが浮かんでいるようだ。私は複雑な気持ちを押し隠しながら、書類に視線を落とす。
そんな折、学園内の裏事情に通じた下級生から、気になる報告が届く。
「貴族派の一部が、どうやら外部の怪しげな人物と連携してるらしい。黒いローブをまとった集団が夜な夜な学園の敷地に出入りしてるんだ」
黒いローブの集団。その話を聞いて、私はすぐにシリルが言っていた“黒幕の存在”を思い出す。もしかしたら、その動きは単なる商売妨害ではなく、もっと大きな陰謀の一端なのかもしれない。
シリルに問いかけると、彼は低い声で忠告してくれる。
「黒幕がどうやって貴族派と繋がっているのかはわからない。だが、連中がこの学園を崩壊させるために裏で手を引いている可能性は高い。……君は気をつけたほうがいい。下手に近づけば、ただじゃ済まない」
私は緊張しながらも、心の奥で確信めいたものを感じる。ここまで強い妨害が続いているのは、単に貴族派がプライドを傷つけられて怒っているだけではないのだろう。もっと根深い目的――学園や王国そのものを揺るがす計画があるに違いない。
「でも、だからこそ私は止まれないよ。誰かが裏から操っているなら、その人たちを排除しないと学園はどうにもならない。私が立ち上げた魔法具の流通が、結果的に彼らの計画を邪魔しているなら、むしろ徹底的に突き止めるべきだわ」
シリルは小さく息をついて、さらりとした銀の髪を後ろにかき上げる。
「君みたいな危うい理想家は、いつ闇に飲み込まれるか分からないけど……まあ、覚悟の上ならいい。僕も少しだけ先回りして、やつらの手掛かりを探るつもりだ。必ず裏を取ってやる」
彼はそう言い残し、また影のようにふっと姿を消していく。まるで自分の存在を希薄にするかのように、物音すら立てずに去っていく後ろ姿を見送ると、私の胸には奇妙な頼もしさと不安が入り混じった感情が渦巻く。
こうして、私は学園全体を巻き込んだ経済改革と闇の勢力との戦いに否応なく引き込まれていく。取引を拡大すればするほど、外部からの介入も増え、貴族派の妨害も苛烈になる。学園内では生徒同士の対立が深まり、中には私を激しく敵視する者も出てきた。
それでも、私は歩みを止めない。ユリウスとシリル――立場も性格も異なるふたりが、違う形で私に協力を申し出てくれている。どちらも闇を抱え、目的を隠しながら行動している部分があるのはわかる。だけど、私は彼らの手を借りてでも学園を守りたい。
夜更け、寮の薄暗い部屋で私は書類をめくりながら思う。
「私が庶民で魔力も弱いなんて関係ない。今は経済が私の武器だから、もっと磨かなきゃいけない。黒幕がいるなら、きっと彼らは魔法と権力を駆使してくる。それなら私は……お金と商才で抵抗するまで」
外では風が強まっているのか、窓がガタガタと揺れる音がする。私はその音を聞きながら、胸の内で強い決意を固める。
明日からも、もっと大変になるのは分かっている。だけどこの先にあるのは、学園が崩壊する未来か、私たちが手を取り合って新たな時代を拓く未来か――。
すべては私自身の行動にかかっているのだと、肌で感じる。
「黒幕……。絶対に見つけ出して、学園を救ってみせる」
そう小さく呟いた瞬間、窓の外にさっと黒い影が横切ったような気がする。気のせいかもしれないけれど、私の胸はひやりとした緊張に包まれる。
一体、誰が、何のために学園を追い詰めるのか。シリルが探ろうとしている真実が明かされるとき、私はいったい何を見せつけられるのだろう――。
不安を抱えながらも、ここで止まるわけにはいかない。私は机上の書類に再び視線を落とし、ペンを走らせる。どうか、小さな光が闇を切り裂いてくれますようにと願いつつ。
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