第2章
私は先日から始めた魔法具販売の売り上げ記録を手に、興奮を抑えきれず購買部の片隅に身を潜めている。わずかなスタートだったはずが、ここ数日で売上が急増し、帳簿の数字がみるみる伸びていくのがわかる。小型の「ポケットランプ」や簡易加熱ができる「ヒートストーン」は、古びた寮生活に慣れきっている生徒たちにとって想像以上に便利らしく、次々と買い求められているようだ。
購買部の管理人は苦笑いしながらも、「これほど売れるとは思わなかった」と感心してくれている。今日も朝から、私が並べた魔法具を手に取っては「これ欲しかったんだ」「面白いね」と話す声が聞こえてくるたび、私の胸は弾んでしまう。
そんな風に好調な売り上げが続いた結果、学園内では私の評判が少しずつ高まり始めているらしい。「あの庶民出身の聖女候補が、実は商才に長けている」「魔力もないくせに、妙に頭が回るみたいだ」といった噂を耳にすると、くすぐったいような複雑な気持ちになる。
だが、当然のことながらそれを面白く思わない人々もいる。とりわけ、伝統的に魔法至上主義を信奉する貴族派の生徒や教師は、私を快く思っていないようだ。実際、ここ数日は購買部に向かう途中で貴族派と思しき生徒から陰湿ないやがらせを受けることが増えてきた。
「そこの“聖女様”、足元を見なさい。貴族の敷居を跨ぐなよ」
小馬鹿にした声とともに足を引っかけられ、私はよろけながらも歯を食いしばって立ち上がる。「魔力もないくせに」と嘲る声が遠巻きに聞こえる。周囲にいる生徒の中には困惑しながらも見て見ぬふりをする者もいれば、心配そうに視線を投げかける者もいる。
けれど私は、ここで負けるつもりはない。嫌がらせ程度で足を止めたら、学園の経営を立て直すなどと大それたことを言えなくなるから。いつだって前を向くんだ――そう自分に言い聞かせ、購買部へ向かう。
しかし、その翌日。購買部に置いていたはずの魔法具が一部なくなっていた。置き忘れたわけでもなく、店頭に並べた物だけがごっそり消えたのだ。管理人が慌てて私のもとへやって来る。
「リリア、すまない。夜の間に誰かが勝手に持ち去ってしまったようだ……。鍵はかけていたんだけど、どうやら魔法でこじ開けられた痕跡があるんだ」
どうやら商品を妨害しようとする輩が現れたらしい。私は唇を噛み締めながら、手元の在庫を確認する。幸い大半は別の場所に保管していたから大きな損害には至らなかったが、これ以上の商品ロスが続けば痛手だ。
「やっぱりこのままじゃ危ない。購入希望者に直接受け渡しできるルートをもう少し増やしてみようと思う。購買部だけに置いていると狙われやすいし」
管理人にそう伝えてから、私はさっそく動き出す。まずは、学内で信頼できる友人や下級生に声をかけて、小規模な販売窓口を複数作ることにする。キャンパスの端々や、寮の近くなど――人目があまりないけれど使いやすい場所を把握している学生たちに協力を頼むのだ。
ひとまず数日間、分散販売という形で対応すると、思った以上にうまくいく。購買部だけに頼らなくなった分、妨害を受ける機会も減ったし、むしろ「こっちの窓口のほうが近いから助かる」と喜ぶ生徒も少なくなかった。こういう柔軟な動きは、私のような庶民出身だからこそ思いつくのかもしれない。
そうして私が流通拡大に奔走しているある日のこと。
私が学生寮の廊下を駆け抜けていると、目の前にすっと誰かが立ちふさがった。上品な仕草で私を制し、絹のようにさらりとした髪をかき上げる。
「噂の聖女候補にお目にかかるのは初めてだね。僕はユリウス・フォン・クラウゼ。……まあ、知ってるだろう?」
それが、第二王子であるユリウスとの初めての対面だった。
華やかな服装や立ち振る舞いには確かに王子らしい気品があるけれど、彼の瞳にはどこか冷ややかで執着を帯びた光を感じる。それが一瞬、美しいというよりも危険なものに見えて、私は少しだけ身構える。
「あなたがリリア・エヴァンス。庶民の出ながら聖女の印を得た、と聞いている。……それで魔法具を販売し、学園の経営を助けているそうじゃないか」
ユリウスは頬にわずかな笑みを浮かべる。だが、その笑みは喜びというより、私を試すような冷たい光を帯びている気がする。
私はできるだけ平静を装いながら応じる。
「ええ、今はそうするしかないと思って。……正直、私に大きな魔法の才能はないから、別のアプローチで何とかできないかと」
すると、彼はクスリと小さく笑う。
「なるほどね。確かに、魔力がないのに“聖女”とは不思議だ。それでも学園を立て直すとは……面白い考えじゃないか。聖女らしくないけど、その知識は侮れないというわけだ」
彼の言い方には、明らかに興味や探るような意図が含まれている。そして、貴族派の多くが私を目の敵にしてくる中、彼の言動はどこか別のベクトルから私を見ている――そんな印象を受ける。
「……もし、私の経済理論が役に立つと思うなら、一緒に学園を変えていくために協力してくれるの?」
そう尋ねると、ユリウスは妖艶とすら思える微笑を浮かべる。
「それは僕の気分次第かな。だけど少なくとも、きみのやり方は興味深い。“経済”だの“商才”だの、魔法至上主義の世界をひっくり返す可能性があるのなら、僕としては見届けたいと思うよ」
視線がふと私の帳簿に移る。ユリウスは私の手元から書類をすっと取り上げ、流れるようにページをめくり始める。彼の目は一度走らせるだけで数字を頭に叩き込むらしく、私の簡単な売り上げメモや在庫リストにもすぐ気づいたようだ。
「これは……予想外に本格的だな。ここまで計算して魔法具の需要を分析しているとは。君のやり方はなかなかシビアで合理的だ」
少し驚いた様子の彼に、私は軽く肩をすくめてみせる。
「大げさに言われるほどじゃないよ。幼いころから行商の手伝いでやってきたことを、ただ学園に応用してみただけ。でも、魔力がない私にとっては、それが唯一の武器だから」
ユリウスは帳簿を私に返し、しばし考え込むように視線を落とす。そして静かな声で続ける。
「庶民の商才、か……貴族たちには耳が痛い話だろうね。けれど、このまま学園が破綻すれば、僕たちも路頭に迷う。ならば、一度きみに賭けてみるのも悪くない」
彼の口調に揶揄するような響きはあるものの、全面的に否定はしてこない。むしろ私は、彼が慎重に私を観察しているように感じる。家が没落し、貴族社会から追放されかけている彼にとって、私のような庶民のやり方には妙なシンパシーを感じるのかもしれない。
その翌日。私の商売がさらに広まるにつれ、購買部だけでなく学園長室でもちょっとした騒ぎが起こる。ある貴族派の教師が、私の行っている取引を「学園の品位を損なう」として全面禁止しようと提案したらしいのだ。
「そもそも庶民の商売など、名門学園にふさわしくない! それに、聖女を名乗るならば神聖なる魔力で学園を救え!」
そんな声が上がり、学園内の掲示板でも私の名が取り沙汰されている。けれど、学園長は意外にも私をかばってくれた。
「結果を出し始めている者を排斥してどうする。そもそも、この学園を立て直すためなら、魔法に頼らずとも構わんではないか。リリアは正式に神殿が認めた聖女候補でもある。魔力が弱いからといって、その努力を踏みにじるのは学問の精神に背くだろう」
学園長のその発言を聞いたとき、私は胸がじんと熱くなる。以前でのやりとりでは私への期待が薄いように感じていたけれど、少なくとも今は、私の行動が学園のためになると判断してくれているようだ。貴族派の教師たちは渋い顔をしているが、学園長がはっきりと擁護してくれたことで、私の商売は一応の公認を得たといえる。
そんな混乱のさなか、ユリウスが私の前に再び姿を現す。
「学園長の庇護を得られてよかったね。……だけど、あまり浮かれないほうがいい。貴族派は必ず報復を考えているから。実際、学園長への風当たりも強くなるだろう」
私は深く頷いて、改めて気を引き締める。するとユリウスは、すこし思案顔のまま言葉を続ける。
「僕は君の理論に興味がある。需要と供給、利益と損失……数字で学園の未来をつかもうという考え方は貴族社会にはなかった発想だから。もし、僕が資金面や人脈で協力できることがあれば、手を貸してもいい」
「……いいの?」
私が問い返すと、ユリウスはほんのわずか口元をゆるめる。
「それが君の力になるのなら、喜んで。僕自身、今のまま無為に学園で過ごしていても、失うばかりだからね。家を追われた身なら、もはや守るものもない」
その目に一瞬、暗い影が差す。私も庶民の娘として学園で苦労しているけれど、王子としてのプライドを捨てざるを得なかったユリウスの苦しみは計り知れないものがあるのだろう。
彼が手を貸してくれるなら、さらに規模を拡大できるかもしれない。私は素直に頭を下げる。
「ありがとう。私自身、もっと多方面に販売ルートを広げたいと考えていたの。学園内だけじゃ限界があるから。ユリウスの支援があれば、外部の商人との交渉もしやすくなると思う」
かくして私は、ユリウスの個人的な財力や人脈を部分的に借りて、魔法具の事業拡張に踏み出す。具体的には、王都や近隣都市に小売店を持つ商人との提携を目指し、学園製の「実用魔法具」を出荷していく構想だ。もしそこまでできれば、学園の名を外部に売り出しながら、学園に利益を還元する仕組みが作れる。
ところが、その動きを察知した貴族派は黙ってはいない。ある日、私のもとに「協力したい」という名目でやってきた商人が、露骨に賄賂を要求してきた。
「これから取引をするなら、こちらへ“手数料”を払ってくれないとな。そうすれば、高値で売れる都市へ優先的に運んでやるんだがね」
もちろん、そんな不正な取引は御免だ。私はきっぱりと断るが、それをきっかけに別の問題が生まれてしまう。やはり、どこかで貴族派が暗躍しているのだろう。その商人は私が“無礼”だと触れ回り、他の取引相手に対してもネガティブな噂を流し始めた。
「聖女候補が敬意を払わずに交渉をぶち壊した」「庶民のくせに、商人の誇りを踏みにじっている」……などなど、根も葉もない話が勝手に広められ、私のイメージダウンを狙われる。外部への販売ルートを持つ商人たちにも影響が出始め、思うように取引が進まなくなってしまった。
さらには学園内でも、競合するように貴族派が「伝統的な魔法具」と称して高額の商品を売り出し、私の取り組みを潰そうと動き出している。価格設定が極端に高いにもかかわらず、「庶民の安物など使えたものではない」という宣伝を打ち出してくる。私を信用している一部の生徒は「リリアのほうが断然いい」と応援してくれるが、貴族派に圧力をかけられて仕方なく高額魔法具を買わされる生徒もいるようだ。
このままでは、学内でも「リリア派」と「貴族派」の争いが激化してしまう。私は内心気が重いけれど、逃げるわけにはいかない。なぜなら、学園の破綻を止めるには、こうした旧来の利権や不正な仕組みと真正面からぶつかる必要があるとわかっているからだ。
一方、ユリウス自身もこうした対立の余波を受け、貴族派と衝突しているようだ。彼は私の支援を表明したことで、貴族派の人間から「裏切り者」と罵られ、さらに窮地に立たされつつあると耳にする。
もしここで私が諦めたら、ユリウスにも迷惑をかけるばかり。私を応援してくれている学園長や購買部の管理人、庶民出身の友人たちにも申し訳が立たない。もう腹をくくるしかない。
「魔法がない聖女なんて、と馬鹿にされても構わない。経済でこの学園を変えるって決めた以上、後戻りはしないわ」
私はそう決意し、取引先の商人へのアプローチ方法や学園内の販売戦略を再構築しはじめる。値段をさらに抑えながら品質を維持できるよう、少しずつ改良を重ねていけばいい。嫌がらせに負けず、むしろ正々堂々と私の方が売り上げを伸ばし、信用を積み重ねていけば、自然と貴族派の陰謀は崩れていくだろう。
「私たち、リリアさんに協力したいです」
ある日、数人の下級生が私の寮の部屋を訪ねてきてそう言ってくれる。庶民生徒だけでなく、実は没落寸前の小貴族の子息も混じっている。彼らもまた、今の学園の体質に疑問を抱いているそうだ。
「いま私がやってるのは小さな商売だけど、これをどんどん広げて、学園を救いたいの。手伝ってくれるなら嬉しい。ありがとう」
私は心から感謝を伝える。彼らの協力があれば、商品の宣伝も分散販売ももっと効率が上がるはずだ。こうして少しずつ“リリア派”が形成されていくのを感じる。
そしてついに、学園内ではっきりと「リリア派」と「貴族派」の対立が表面化し始める。廊下を歩けば「リリアを支持するやつは魔法を捨てる気か?」などと罵声が飛び、その一方で「もう魔法にしがみついても学園は救えない!」と応戦する声も聞こえる。
私自身、こんな形で仲間を集めたかったわけじゃない。だけど、何かを変えるには争いが避けられない現実がある。学園を破綻から救おうとすればするほど、古い権威にしがみつく人々との衝突は避けられないのだ。
私は薄暗い寮の部屋で、ランプの明かりを頼りに新しい販売計画書を作り直す。貴族派の高額魔法具に対抗するためには、価格帯をさらに複数に分けよう。安価なもの、中価格帯のもの、そして少しだけ高級感を出した特別仕様のもの。どんな層がターゲットかを徹底的に考え、それぞれのルートを確保する。
「この学園は、たぶんまだ再生の余地がある。私が諦めなければ、絶対に……」
自分に言い聞かせるように呟くと、寮の窓の外から夜風が吹き込み、冷たい空気が頬をかすめる。嫌がらせを受けようが、貴族派に目の敵にされようが、この手を止めるわけにはいかない。私は胸の奥で燃える意志を抱えたまま、筆を走らせ続ける。
レオンハルトの冷たい眼差し、ユリウスの妖艶な微笑み、そしてまだ姿をはっきり見せてはいないが学園を蝕む闇――いずれすべてと向き合う時がくるだろう。それでも私は、私のやり方を信じて前に進んでいく。
貴族派に真っ向から対抗する。その決意をあらためて固めながら、夜明けまで続く作業に没頭する。
明日からは、もっと波乱の予感がする。けれど、この道を進むことこそが私の戦い。魔法だけが全てじゃない、そう言ってきた自分の言葉を証明するために、私は経済という武器で学園を変え、そして守り抜いてみせる。
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