第1章
私はリリア・エヴァンス。庶民生まれの十七歳で、この国の名門「セレスティア魔法学園」に在籍している。ただし、学園の名門という響きとは裏腹に、今は経営破綻寸前らしい。私が入学したときも、設備が老朽化したまま放置されていたり、教師たちがまともに講義をしなかったりと、正直“名門”とは思えないほど混乱した場所だった。
それもそのはず、聞けば王国が学園への予算を大幅に削減しているのだという。戦争の被害や貴族社会の没落で、かつてのような資金援助が見込めなくなったらしい。教師たちは給料が出ないと嘆いているし、貴族の子息たちは学費すら払えない状況。かといって、庶民が入学するには敷居が高いままだ。名門ブランドが形骸化し、誰もが疲弊しているのがひしひしと伝わってくる。
私はそんな混乱した学園を歩きながら、改めて溜息をつく。長い石造りの廊下の壁には亀裂が走り、灯火は薄暗い。天井からは今にも埃が落ちてきそうで、足元もすこし湿っているように感じる。鼻をくすぐる黴臭さが、学園の衰退ぶりを物語っている。でも私は、その荒れ果てた空気にすら奇妙な魅力を感じていた。荒廃こそ、改革の余地がある証拠だ。
そのとき、一部の教師や職員が集まって怒鳴りあっている声が聞こえてくる。どうやら「王国からの補助金がまた削られた」という話で持ち切りらしい。書類が散乱した部屋の隅では、ひとりの教師が頭を抱えてため息をついている。誰もが不安と苛立ちを抱え、出口の見えない閉塞感にとらわれている。私の耳にも自然と悲観的な呟きが入ってくる。
「今月の支給は半減どころじゃないぞ……」
「魔力資質のある貴族の子息が減ってるせいだろう。もう学園に魅力なんてないんだ」
「入学者が更に減れば、閉鎖だって現実味を帯びてくる」
私はその言葉を聞くたび、胸の奥がざわつく。自分には魔力がほとんどないけれど、ここで学べることを楽しみにしていたのに……こんな状況では普通の学生生活すらままならない。
ところがつい先日、私は神殿で不思議な光に包まれた。いわゆる「聖女の印」が突然現れ、「貴女こそが新たなる聖女である」という神託まで受けてしまったのだ。聖女の印は、本来ならば強大な魔力をもつ者にしか宿らないという。それなのに、私は庶民で魔力も弱い。周囲は半信半疑で、嘲笑する者も少なくない。
私だって自分が本当に聖女だなんて信じられない。ただ、神殿の正式な認定書が出た以上、学園長は私を「聖女候補」として扱わざるを得なくなったらしい。だからといって、厚遇されるわけでもない。むしろ奇異の目で見られ、以前より居場所が狭まったような気がする。結局、寮の部屋も一番下層の隅に割り当てられた。壁は煤け、窓にはガタついた木枠。夜風が吹けばヒュウヒュウと不気味な音がするし、床は冷たい石のままだ。
「魔法の才能がない聖女なんて、聖女じゃないわ」そんな皮肉を言い捨てる先輩貴族生徒もいる。「聖女」と呼ばれながらも、私が背負う現実は甘くない。
それでも、私は投げやりな気持ちにはならない。なぜなら、私には私の武器があるから。魔力こそ弱いけれど、私は幼い頃から商家の手伝いをしてきたし、異世界の経済に関する古文書を読み漁ってきた。そのおかげで、魔法一辺倒に頼らず、お金や取引で問題を解決する道を考えるのが得意だ。
冷遇されても、諦めるわけにはいかない。この学園は私が今いる場所。ここを立て直せば、私も胸を張って自分の価値を示せる。そう思うと、不思議なやる気がわいてくる。
私は人気のない図書館の奥に足を運ぶ。古びた本棚には埃が積もり、ところどころページの虫食いがあるものの、経済や商売に関する文献がまとまっている場所をようやく見つけた。昼間は誰も来ないから、静かで集中しやすい。
棚から分厚い本を抜き取り、パラパラとページをめくる。貨幣価値が乱高下している原因や、物資の需要と供給が崩れている理由――この国の学園や都市部が抱える経済問題を探るにはうってつけだ。
本を読み込んでいると、ふと声をかけられる。
「リリア、こんなところにいたのかよ。きみがここに通ってるって聞いて、探したんだ」
声の主は子どもの頃からの知り合いで、両親が行商をしている友人だ。名前を出すと面倒をかけそうだからここでは伏せるけれど、私にとっては数少ない気楽に話せる相手で、同級生でもある。
「学園の購買部が大赤字らしいって話、聞いた?」
彼は深刻そうに首を振る。
「このままじゃ購買部が閉鎖されて、学生が利用できなくなるかもしれない。商人の家に生まれた身としては、何かできないかって気がしてさ」
私はその話を聞きながら、頭の中で手を動かすようにあれこれ計算をしてみる。購買部が赤字なら、売れ筋の商品を強化して仕入れを見直すだけでも、ある程度の改善が見込めるかもしれない。さらに、経費を減らすにはどうすればいいのか……それを考えるうちに、私はひとつのアイデアを思いつく。
「魔法具の小規模な販売をやってみるのはどうかな?」
私は思わずそう口にしている。
「魔法具っていっても大掛かりなものじゃなくて、ちょっとした日用品程度のやつ。たとえば、簡単な加熱や照明の魔術を込めた小型の道具なら、寮生活をする生徒にも需要があると思うの」
学園には魔術の専門家がいるし、材料をうまく調達できれば新しい商品ラインが作れそうだ。
そう思いつくと、私の中で計画がどんどん膨らんでいく。購買部が取り扱えば、学園内でまずはある程度売り上げを確保できるはず。利益が上がれば設備投資もできるかもしれない。学園の経営にとっても、少しはプラスになるのではないだろうか。
もちろん問題も多い。原材料となる鉱石や魔力結晶を手に入れる手段をどう確保するのか、誰が魔法具を作るのか、学園上層部の許可は得られるのか……。でも、今何もしないで座して待つよりは、ずっといい。私は何とかして学園側の協力を仰ぎたいと思った。
とはいえ、私のような庶民にすんなり協力してくれるものかどうか……そう思いながらも、私は行動を起こす。まずは学園長への直談判だ。幸い、聖女候補という立場だけは認められているから、普通の生徒よりは話を聞いてもらえるかもしれない。
その日、私は一番地味な制服姿で学園長室の扉を叩いた。中では、学園長と古株の教師たちが渋い顔を突き合わせている。
「リリア・エヴァンス、入ります」
重々しい空気の中、私は失礼にならないように一礼する。
学園長は一見物腰が柔らかそうだが、その眼光には疲労と焦燥がにじんでいる。周りの教師は私が庶民の生徒だと分かると、あからさまに興味を失ったようだ。
「……で、聖女候補であるリリア・エヴァンスが何の用かね?」
私が学園改革の一端として、魔法具を販売してはどうかと話し始めると、教師たちは「そんなものがうまくいくはずがない」とか「庶民が血迷ったか」といった冷笑を浮かべる。
それでも私はめげずに、経済的視点をできるだけ噛み砕いて説明する。資金が足りないのなら、自前で収益を生む方法を考えるべきだし、それが魔法学園ならではの特性を活かした商品販売なら、まだチャンスはある。なぜなら王国全体が魔法より経済を重視しつつあるとはいえ、“魔法”に付加価値があること自体は変わらないから。商品の希少性と実用性を兼ね備えれば、むしろ今は差別化の大チャンスだ。
教員のうち数名が「なるほど」と興味を示し始めるが、やはり保守的な者たちは眉をひそめる。
「貴族の家柄も魔力もない生徒が、何を偉そうに……。本当に聖女なのかも疑わしい」
棘のある言葉が飛ぶ。私の胸がちくりと痛む。だが、そこを踏みとどまって食い下がろうとしたとき、突然ノックもなく扉が開いた。
入ってきたのは金色の髪と鋭い眼光を持つ青年。第一王子のレオンハルト・ヴォルフガング。その存在が空気を一変させる。部屋の中の誰もが息を飲んだように静まり返る。私のほうに目を向けた彼は、冷たく見下すように視線を走らせる。
レオンハルトは王家の血を引きながら、かつての戦争で敗北を喫したことで立場を失っているとうわさだ。あれほど華やかな存在だったのに、いまや「闇堕ち」と揶揄されるほど冷酷で孤独だという。その雰囲気は確かに張り詰めた氷のようで、周囲を圧倒している。
彼の口元がわずかに動く。
「聖女、ね。ずいぶんと安っぽい響きだな」
まるで小馬鹿にするような口調が胸に突き刺さる。周りの教師たちは困惑気味だが、王子の機嫌を損ねるわけにもいかないのか、口を閉ざして見ているだけ。
私は息を整えてから、なんとか言葉を返す。
「……王子がそう思うのも無理はないわ。私自身、突然“聖女”と呼ばれても、正直まだ戸惑ってる。だけど、私にはやりたいことがあって――学園を立て直すために、経済を活かした手段を試したいの」
私の言葉に、レオンハルトの瞳がわずかに細まる。気のせいかもしれないけれど、その瞬間だけ冷たい視線に別の感情が混じったように見える。でも彼は何も言わない。ただ、くるりと踵を返して部屋を出て行くだけだ。
「あ、あの……!」
思わず彼の背中に声をかけるけれど、振り返りもしない。ドアが閉まる音がやけに響く。教師たちが安堵の吐息をついたのが分かる。
正直、彼が私の味方になってくれるとは期待していない。でも、その冷ややかな態度には奇妙なひっかかりを覚えた。貴族特有の高慢さだけではない、何か別の痛みを抱えているような……。
結局、学園長との話し合いはまともに進まなかった。今のところは私の計画を正式には認められないが、購買部や学内で小規模に魔法具を売り試してみる程度なら邪魔はしない、という曖昧な回答で終わる。教師たちの大半は「どうせ失敗するに決まっている」と鼻で笑っている。
それでもいい。とにかく動くことが大事だ。私はすぐに購買部の管理者に声をかけ、まずは簡易魔法具をいくつか製造して売る許可をもらう。商人の友人に原材料の仕入れルートを探してもらい、小さな試作品をいくつか作る。今の私にできるのは、失敗を恐れず実際に行動することだけ。
試作品を完成させた私は、翌日さっそく購買部の片隅を借りて販売を始める。魔力をほとんど使わずに使い捨てできる「小型ヒートストーン」や、淡い光で手元を照らす「ポケットランプ」など、誰でも気軽に扱える小物だ。価格も極力安く抑えた。
「これなら寮で火を使わず調理できるかも!」
「暗い廊下で転びそうになってたから、ランプはありがたいな」
予想以上に反応は悪くない。特に庶民出身の学生は実用性を重視する傾向が強いし、寮の設備が古いからこそこうした便利な道具が喜ばれる。
初日の売り上げはごくわずかだが、それでも購買部のおじさんが「久しぶりに活気が出たな」と笑ってくれた。それだけで私の胸が温かくなる。ほんの些細な変化だけど、学園に少しずつ新しい風を起こしていけるかもしれない。
そうして試作品の評判が少しずつ広まり、私の名前も学内に知れ渡り始める。もちろん、冷ややかな視線や嘲笑も絶えない。聖女だと名乗っておきながら、魔法より“経済”にのめり込むなんて、伝統ある魔法学園では異端そのものだ。
それでも、購買部の売り上げデータを目にした一部の教師は、「もっと大々的にやってみてはどうだ」と興味を示し始める。魔法が扱えなくても経営ノウハウを持つ生徒がいるのは面白いかもしれない、と考える人が出てきたのだ。
そんな矢先のこと。試作品を並べている購買部の一角に、いつの間にかレオンハルトが立っていた。鋭い金色の瞳に私は一瞬ぎょっとする。何を言われるのかと身構えるが、彼は何も言わずに魔法具のひとつを手に取る。
彼が手にしているのはポケットランプだ。まるで壊れものに触れるように、その小さなガラス筒を眺めている。その横顔には感情が見えない。ただ、ほんの一瞬だけ彼の唇が動いたような気がする。
私は思い切って声をかける。
「手に取ってくれてありがとう。雷魔法の得意な王子には、あまり必要のない代物かもしれないけど……どう、使ってみる?」
内心緊張で喉が渇く。彼はあっさりポケットランプを棚に戻し、私の方を見下ろす。冷たい眼差しに一瞬身がすくむけれど、負けてはいられない。
「ふん……」
レオンハルトは短く鼻を鳴らすだけで、また無言で立ち去ろうとする。私は思わず彼の背中に言葉を投げかけた。
「私が聖女として認められてるかどうか、あなたは疑ってるんだよね。でも、疑うのはいい。私だって自分が聖女かどうかなんて、まだ分からない。だから……今は経済の力で、この学園を守りたい。いずれ、あなただって助けるかもしれないわよ」
自分でも強がりを言っているのがわかる。けれど、レオンハルトは一度振り返り、何か言いたげに口を開きかけては、そのまま黙ってしまう。そして静かに踵を返す。
彼 の姿が廊下の向こうへ消えていくのを見送りながら、私は胸の奥がじわりと熱くなっているのを感じる。あの冷たさの裏に、ほんの少しでも興味を抱いてくれていればいい。やがて、いつか私の取り組みに協力してくれるかもしれない。そんな期待が、淡く芽生えてしまう。
その翌日、購買部の店頭に並べた私の魔法具は、思ったより順調に売れ始める。庶民生徒だけでなく、興味本位で買っていく貴族の子息もいるようだ。使い方を説明すると、意外なほど素直に納得してくれる人もいる。
「聖女様には魔法の才能がないんですってね。でも、これは地味に便利そう」
揶揄するような声も混じるが、それでも買ってくれるなら上等だ。売り上げが積み重なれば、それは学園の経営に少しでも貢献できるはずだから。
そして、そんな様子を見ていた学園の有力者――理事の一人が私のところに現れた。貴族の老紳士で、厳しそうな眉の奥に猜疑心がちらついている。
「聖女候補の嬢さんだな。……ふむ、庶民のわりには商才がありそうだが、学園を救うなどと大きく出すぎではないか?」
彼の言葉は棘があるけれど、私の耳にはどうも「もっと大きなことはできないのか」とけしかけているようにも聞こえる。あらゆる人が学園の経営を憂いているのだ。何か打開策を探している者ほど、私にかすかな期待をかけるのかもしれない。
私は遠慮なく提案をぶつける。
「もし許可をいただけるなら、学園全体で魔法具の製造や販売を拡大していきたいと考えています。購買部だけじゃなく、外部の商人にも協力を仰げば、もう少し大きな収益を得られるかもしれません」
すると老紳士は胡乱げな表情を浮かべながらも、私に何度か質問を投げかけてくる。例えば材料の仕入れ先、費用対効果、リスクの見通しなど。私はできる限り丁寧に答える。庶民だからこそ培った交渉術と、行商を営む両親から学んだ実践的な知識が活きていると感じる。
「ほう……面白い。とりあえず、もう少し事業を続けてみなさい。結果を出せれば、正式な学園事業として認めることも考えよう」
老紳士はそう言い残して去っていく。その表情にあからさまな敵意はない。これなら、時間をかけて信頼を勝ち取っていけそうだ。
その夜、私は寮の最下層の薄暗い部屋で、ランプの小さな灯りを頼りに試作品のチェックをしている。ガラス筒に仕込んだ魔力石は安定して光を放ってくれているし、ヒートストーンも温度を一定に保っている。疲れた身体に夜風は冷たいけれど、満足感があって眠気が心地いい。
「こんなに小さなランプでも、私には大きな希望に見えるわ」
私はそうつぶやいて、ランプの灯りをそっと握りしめる。
小さな利益でも積み重なれば、いつか学園の経営を助けられるかもしれない。まるで星の瞬きのように儚い光だけど、確かに暗闇を照らしてくれる。そう信じたい。
翌朝、購買部に顔を出すと、試作品を買った生徒たちが「なかなか便利だったよ」と言ってくれる。中には「もっと新しい道具も作ってほしい」なんて要望を出してくる人もいる。小さな波紋が、確かに学園の中に広がっている。
私は手応えを感じつつ、頭の中で次の計画を組み立てる。仕入れ先を増やすには外部の商人に話を通さなければならないし、魔法具の生産効率を上げるには学園の協力が不可欠だ。やることは山積みだけれど、諦める気はない。自分なりのやり方で、この学園をもう一度輝かせたいから。
そして、そんな私の取り組みが学園内の一部で話題になった頃、ついに最初の小さな成果が出始める。購買部の売り上げが微増し、赤字幅がわずかに縮小したのだ。学園長はまだ「偶然だろう」と言いそうだけど、一部の教師たちは「あの聖女候補は意外とやる」とささやき始める。
そうして、私が始めた経済改革の第一歩が静かに動き出した。その背後で、冷酷な第一王子レオンハルトの視線がこちらを注視しているような気がしてならない。それが敵意なのか、それとも別の感情なのかは分からない。だけど、私の心は少しだけ騒いでいる。
魔力が弱くても、この学園を救うことはできるんじゃないか――私はそう信じ、勇気を奮い起こしながら、次なるアイデアを練っている。小さな試作品が好評を得たことは私にとって大きな希望だ。あとは行動あるのみ。学園改革への道のりはまだ始まったばかりだけど、きっとここからが正念場。たとえ嘲笑されても、魔法だけが全てじゃないと証明してやりたい。
その証明が、いつかレオンハルトや他の闇堕ち王子たちの運命をも変えていくのだろうか。今はまだ、誰も知らない。けれど、寮の窓から見上げる空には、一筋の光が差し込んできている気がする。もしかすると、聖女として選ばれたことに理由があるのだろうか……。
私は静かに目を閉じ、胸に手を当てる。学園を救う。王国を救う。そんな大それた夢物語を口にして、何度でも自分を奮い立たせる。
明日も、明後日も、同じように泥くさく道を切り開いていくしかない。
そうしてこそ、本当に私が“聖女”と呼ばれるに相応しい力を得られるのかもしれないから。
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